mold@lautream·2017年9月28日全権委任法成立国会におけるヒトラーの演説 「おまえたちがこの法律に賛成しないのは、おまえたちの内奥のメンタリティが今日我々を鼓舞している意図を理解できないからに他ならない。私はお前達の票など欲しくない。ドイツは自由を手に入れる。しかし、それはおまえたちの手によってではないのだ」1177
mold@lautream·2017年9月28日全権委任法はドイツ共産党議員全員を拘束し採決に出席させないまま、補完政党を懐柔して可決された。反対票を投じたのは社会民主党だけだった。議会開会前、放火事件で弾圧された共産党は社民党に統一戦線を申し入れていたが社民党はそれを断っていた。委任法可決後ナチ以外の政党がドイツから消えた。295
mold@lautream·2017年9月28日自党の保身のためにナチに屈服し、全権委任法に賛成票を投じた中央党党首カースの全権委任法賛成演説 「あらゆる狭小な考慮が沈黙すべきこの時に、中央党が一切の党派的その他の躊躇いを捨てたのは、国民と国家に対する責任感である」1116
mold@lautream·2017年9月28日中央党党首カースの全権委任法賛成演説 「ライヒ首相により与えられた約束が将来の立法活動の基礎となり指針となることを条件として、中央党は授権法に賛成する」152
mold@lautream·2017年9月28日ドイツ社会民主党は、この「全権委任法」に反対した唯一の党であったが、この党は、ナチス独裁に反対する本格的な闘争を何一つ組織しなかった。 それどころか、5月1日のメーデーにはナチスの「国民労働デー」を祝ってパレードするよう訴えた。163
mold@lautream·2017年9月28日このような迎合的態度は、ただヒトラーの自信と強硬路線を強めることに役立っただけであった。 ナチス政府は、メーデー翌日の5月2日に、ナチス突撃隊と親衛隊を使って全国の労働組合総同盟の建物や事務所を武装占拠し、役員を一斉検挙した。153
mold@lautream·2017年9月28日この独裁化の仕上げとして、ナチスは次々と他の政党を禁止・解散させていき、ついには、社会民主党も6月22日に禁止された。 諸政党の中で最後まで残っていた中央党は、7月5日に自主解散した。 こうして、ナチス政権が成立してわずか4ヶ月で、ナチスの一党独裁が成立したのである。152
mold@lautream返信先: @lautreamさんブルジョア政党も積極的にナチスの権力掌握と共産党弾圧に協力した。 そしてそのあげくに、政治の舞台から一掃されたのである。 この事態は、ドイツにおけるスターリニズムと社会民主主義とブルジョア民主主義の最終的破産を確認した。午前7:32 · 2017年9月28日·Twitter Web Client5 件のリツイート3 件のいいね
mold@lautream·2017年9月28日返信先: @lautreamさん全権委任法は、共産党議員が逮捕・監禁され登院できない状況で、反対票を投じることができたのは社民党だけであった。 一方で社民党は存続のためにナチ党の怒りを買わぬよう、融和的な態度も示した。3月30日に社民党が労働社会主義インターナショナルから脱退したのはその表れである。182
mold@lautream·2017年9月28日しかしナチ党は社民党を見逃すつもりはなかった。3月31日に名実共に共産党を非合法化し、議席を剥奪したのを皮切りに、5月2日には社民党を支持する労働組合が突撃隊や親衛隊により次々と襲撃され、その幹部達が逮捕された。152
mold@lautream·2017年9月28日労働組合の資金は没収されて唯一合法な労働組合とされたロベルト・ライが率いる「ドイツ労働戦線」の資産となった。5月10日には社民党の全資産も没収された。6月に入るとヴェルス以下社民党幹部は続々とドイツから亡命していった。154
mold@lautream·2017年9月28日ナチスが全権委任法を可決させて独裁体制を確立させたのは当時のドイツ社会民主党とドイツ共産党が互いに敵対しあい、反ナチ統一戦線が作れなかったからだ。 弾圧の渦中にあった共産党の要望を社会民主党はそれまでの遺恨を理由に拒否した。その結果社会民主党まで弾圧されナチが全権を掌握した。21930
mold@lautream·7時間ドイツ共産党も社会民主主義主要打撃論・社会ファシズム論によるドイツ社会民主党に対する攻撃を続けており、このこともまた反ナチス統一戦線が組めなかった要因である。 我々はドイツの教訓を忘れてはならない。615