育児のほうが大変だというご指摘もあったので。今回も内容はフィクションです。
外資系投資銀行に採用されるまでの話
これからする話は、私の友人の話であって、決して私自身の話ではないのだが、外資系投資銀行に採用されるまでにはそこそこ苦労をしたそうだ。大学時代は、受けたい授業もたくさんあったし、サークルの友達とラーメンを食べてカラオケに行くという楽天的な生活を送るほうが幸せだったとも思う。しかし、その友人は、外資系投資銀行から内定を獲得するために昼夜を問わず金融の勉強をして、新興ファンドでかばん持ちのアルバイトをし、つまらない筆記試験の勉強やグループディスカッションのセミナーに参加していた。意識の高い大学生だったから、これらの時間的拘束も大した苦痛でなかったのは事実なのだが、振り返ってみると、一流企業からの内定につながるかもしれないという期待からくるアドレナリンが、疲れを緩和していただけだと思う。就職活動をしていた2年くらいの期間で、ぐっと歳をとったように感じる。
補足しておくと、外資系の投資銀行を志す学生の多くは、2年くらい就職活動をしている。いくつかのパターンがあるので紹介したい。(1)大学1年の春休みまたは大学2年の夏休みに短期留学(海外インターンシップを含む)して、海外大生のキャリア意識の高さを知り、自分でも就職活動を始めるというケース。(2)大学2年生の春ころ、非常に優秀だと思っていた親しい先輩が就活で苦戦しているのを見て、あの先輩でも厳しいなら自分はもっと早く始めないとまずいのでは?と思い始めるケース。(3)学部3年のときに無対策で就活を行い、優秀であるはずの自分が全く評価されないことに焦って、すぐに就活を開始し、修士1年で再チャレンジするケース。いずれのケースでも、1年半から2年半くらいの準備期間がある。外資系投資銀行から内定を獲得する学生は、9割方これらのどれかのパターンであり、3か月程度の短期決戦で行う多くの日系就活生とは事情が異なる。
とにかく、毎日何時間も金融の勉強をしていたし、勇気を振り絞って業界人とのアポを入れていたし、そのためにいろいろな娯楽を犠牲にしたように思う。他人よりたくさんの努力が必要だったのは、ひとえに他人ほどの能力がなかったからではあるのだが、主観的には非常にたくさんの苦労の末に勝ち取った内定であった。もっとも、これくらいにしっかり対策をしていたら、金融機関からは高確率で採用していただけるから、度重なるお祈りメールで心を折られるといった経験をしているわけではない。
時間を戻して、就活までの話
彼はもともと裕福な家庭に育ったわけではないし、SAPIXに重課金して名門校に入学したというわけではない。確かに中高は私学に通っていたが、その辺に無数にある一貫校のOne of themである。外資系投資銀行には、灘や麻布、早慶付属など名門中高の出身者が多いから、彼らと比較すると恵まれた環境で育ったとは言いづらい。まあまあの大学(ここでは外資系投資銀行に採用されやすい、東大、一橋、早稲田、慶應のいずれか)に入学するのだって一苦労だったのだ。大学に入学してからも、自由奔放に遊んでいたわけではなく、まじめに授業に臨んでいたし、当然、テニスサークルなどには入っていなかった。今考えてみても、かなり優等生で窮屈な生活をしていたように思う。
裕福でもない家庭において、子供を複数人私学に通わせて、塾やお稽古事にお金を使うということは、それ以外の生活がかなり切り詰めたものになるということを意味する。衣食住も最低限なものになるし、家電や車は当然10年使うことになる。とにかく、参考書や学費以外には非常にシビアな生活を強いられる。まあまあの大学に入って、懸命に就職活動をして、その努力の結果として超一流の外資系企業に入社するということは、20年の努力がようやく実を結んだ瞬間だといっても過言ではないだろう。
疲弊と迷走
さて、幼少期からケチ臭い生活をして、大学入学後も(周囲が全力で遊んでいる中で)非常に激しく努力をして、ようやく手にした外資系投資銀行勤務というステータスだが、これが想像を絶するくらいに空虚なものだった。確かに、年収は初年度から1,000万円を超えた。独身で年収1,000万円だから、既婚の世帯年収1,000万とは比較にならないほどゆとりがある。社外で会う人からは「あの企業なんですね!」と言われることはあった。お金に糸目をつけず銀座の専門店で買い物をすれば、最高峰の接客を受けることもできた。しかし、それだけなのだ。お金さえあれば幸せになれると思っていたし、おそらく両親もそう思っていただろう。生活が苦しいのはお金がないからであって、お金さえあれば、衣食住をケチる必要はないし、家電も最新のものに買い替えられるし、、、。でも現実は違ったのだ。都心3区のきれいなマンションに住んで、最新の家電を買い、オーダースーツを着て通勤し、高級レストランで食事をとっても、大した幸福は感じられなかったのだ。
単に有名企業勤務や高収入では、幸福になれなかったという話ではない。上になれば幸福になれると妄信して、上へ上へと20年間努力して、ようやく手にしたと思った環境が、まったく幸福につながらなかったのだ。そのことを自覚してしまったとたんに、残ったのは尋常ならざる激務だけだった。日系の大企業に入社した大学の同窓生は、社会人は勉強が大変だな!と言って、笑いながら研修課題に取り組んでいたし、幼少期からの知り合いと久しぶりに会ったら、高卒で地方公務員になり、すでに2人の子供を授かり、笑顔で家族4人の生活を営んでいた。思い返すと、彼が職場で笑顔だった時間はほとんどない。彼の上司もそうだ。彼の職場では、笑顔で仕事をしている人がほぼいない。眠たい頭で、私は何をやっているんだろう、と思うようになっていった。
このころから、幸せになるにはどうしたらよいのかについて、隙あらば考えるようになっていた。残念ながら、そこそこ科学的な脳みそをしていたから、宗教やオンラインサロンで幸福になろうとは考えていなかった。再現性のある方法で論理的に幸福を求めるのは、きわめて難しい。徐々にわかってきたのは、上には上がいるため、上を目指しても幸福にはならないということである。上を目指して幸福になれるのなら、今の環境で十分に幸せなはずだ。すでに同世代の上位0.1%くらいの位置にいる。エリートというのは、本人が幸福になるための仕組みではなく、優秀な人が世界に貢献するための仕組みだ。いわゆるエリート集団において、エリートという単語が自虐的に使われることが多いのは、こういった背景がある。グローバルトップ企業に入社して、およそ世界で最も仕事ができる人たちと仕事をしてみるまで、そこそこ単純であるこのことに気づけなかった。
外資系投資銀行で働くことの大変さ
本題である。もう書きたいことの大半は書いてしまったが、外資系投資銀行で働くことの大変さは、過度なパワハラや長時間労働、求められる勉強量や仕事のクオリティの多寡や高低だけではない。この環境で死に物狂いで頑張っても、せいぜい年数千万の報酬が得られるだけで、大した幸福には繋がらないという絶望感なのである。そして、自分よりはるかに少ない努力しかしていないはずの高卒地方公務員が、自分よりはるかに幸せそうな生活を営んでいることに対する、やるせなさ混じりの嫉妬が芽生えてしまうことである。これまでの努力がサンクコストだったと気づかされれば、精神的に致命的なダメージを負うことになる。
もちろん、数千万円の年収が得られるだけで幸せを感じている人も多少はいるし、この仕事自体を面白いと感じている人も少ないがいるようだ。私の友人の場合、不幸にも音楽や芸術の教育もしっかり受けていたから、世俗的な金銭的幸福を感じづらい価値観になっていたのかもしれない。しかし、どうやら彼のような価値観のほうが多数派のようである。何より、外資系投資銀行の離職率は異常なほど高いのだ。世間が思うようなリストラはほとんどないし、少なくとも私の友人には、能力不足でリストラにあった知人は1人もいないらしい(コンプラ違反でのリストラはある)。それにも関わらず離職率が高いのは、この仕事を続けることが多くの社員にとってベストではなかったという証左であろう。大学生のころは、転職を繰り返してキャリアアップなどという幻想も抱いていたが、よく考えてみれば現職に満足していたら辞める必要はないのだ。エリートという働き方の大変さは、それほど単純ではないのである。労働時間だけを見て大変さを評価するのは全く早計な話に感じる。
最後にご留意いただきたいのは、彼は仕事熱心ではなく、常に辞めたいと嘆いており、仕事での成功よりもプライベートでの幸福を求めているような若手社員である。仕事での成功を求めて仕事に没頭している社員から話を聞けば、また違った意見が得られるかもしれない。