密会
ごたごたの気配。
セシル・カルマンは茫然と立ち尽くしていた。
教え子であり、王太女であるアルベルティーナから貰った書物は本物の賢者タロー・スズキの物だった。
それにも十分驚きだったが、アルベルティーナの解読したいくつかの書物をもとにセシルも睡眠時間を削って読み耽った。
ずっとずっと憧れていた品だった。
王宮の歴史、そして眠ると噂されていた古代遺跡――その一端と言える賢者の認めた書物を手にする日がこんなに早く来るなんて。
アルベルティーナの家庭教師として抜擢され、ヴァユの離宮に勤められることすら僥倖だった。
異世界人の手記は独特の言い回しや、難解な文字が混じる。同じ形で違う意味や読み方になる物が多く、最初から最後まできっちり読んで意味を一つ一つ正確にかみ砕かないと解読を誤ることが多い。
(王太女殿下は本当に凄いわ……どの論文や解読書よりも解りやすい。ラティッチェ公爵閣下は頭脳明晰な方だったし、血筋かしら? 私が教えたこともすぐに覚えて吸収なさった)
このタロー・スズキの古文書の解読したものを教えるのことと引き換えに、ヴァニアと裏取引して他の物もいくつか読ませてもらった。
数多の学問で優秀な成績を修めても、女性というだけでそういった部門で締め出されることが多かった。はみ出し者や異端者は、そういった狭い場所から追い出されやすい。
セシルは女性であり、権力闘争に興味がないとベラから教師の紹介を受けた時はヴァユの離宮という特殊な歴史を持つ建物が目当てだった。
(……まだ、これは私の中で仮説。でもヴァニア卿がこれを渡したってことは、彼ももしかして気づいている?)
幸か不幸かアルベルティーナはまだ気づいていない。
色々と忙しい身の上だから、見逃しているのかもしれない。もしくは、まだ彼女も疑いの段階だからセシルやヴァニアなどの目に触れるように仕向けたのかもしれない。
パチンと自分の顔を叩いたセシルは、王城へ――叡智の塔へ向かう。
途中、マクシミリアン侯爵家の馬鹿息子が、また王太女へ不作法をしてついに投獄されたのは王宮雀たちが話しているのを聞いた。
先日アルベルティーナが倒れたと聞いたが、そこで原因を知って顔を顰める。
本に夢中になり倒れた自分に見舞いの品を寄越してくる、優しい教え子である。
授業を通し人となりを知るセシルは、あの美貌の姫君は人見知りがあるがおっとりとしていて非常に優しい人柄だと知っている。少々子供っぽさがあるが、非常に柔軟でガチガチな石頭ではないため、他者の意見を貴賤なく聞いて吟味してくれる。
(元老会やお高く纏まった貴族のボンボンや自称レディとは大違いよ)
これはアルベルティーナの致命傷を与える情報にも、敵対勢力を木っ端にもできる毒にも薬にもなる情報だ。
叡智の塔の応接室で、暫く待っていると汚れてはいないが皺だらけのローブを纏った青年がのたのたとやってきた。
「カルマン女史じゃん。何の用? こっちは色々忙しいだけどなー」
「お聞きしたいことと、お伝えしたいことがあります」
「ふぅん?」
人を食った様な笑みで、燐光のような緑の瞳を眇めるヴァニア。
「ヴァニア卿は、メギル風邪の研究をなさっているとお聞きしました」
「してるねー。特効薬もできたよぉ。素案も予算も十分だったからスムーズにいったねぇ、数年はかかるかと思ったけど。それにあのお姫様、貧困街だったところに格安か治療費無料の病院建てたからねぇ、治験や実験するに施設や被験者には困らなかったぁ~」
ましてやメギル風邪は普通の解熱剤が利かない。まずそれで篩にかけ、特効薬を試していった。
未知の病気だと判断されれば、匙を投げられることも多い。既存の薬が効かぬなら、賭けになっても新たな薬をと言われて、申し出を断る患者は少なかった。
「すごいよぉ、平民の中にも結構魔力持ちがいてさ~、姫様の為ならいくらでも働くって協力的だしぃ~。僕のやりたかった研究も進んでぇ、一石二鳥? 三鳥? カラダが足りないよぉー」
嬉しい悲鳴という奴だろう、へらへらと笑っているこの男。
しかし、カルマンはこの男がとんでもない曲者だと知っている。そうでなければ、この若さで王宮魔術師になり、王太女の主治医などになれはしない。
裏に、権力がある人間が糸を引いて彼をその座に推したとしても、無能に務まる席ではない。
「そのメギル風邪について伝えたいことがあるのです」
「ふぅん?」
興味なさそうなヴァニアがへらりと細めている目から、鋭い視線を送る。
アルベルティーナの前では魔法と知識が取り柄のような生活感のない甘ったれた振る舞いが多いが、ヴァニアだって権謀術数を知っている。
アルベルティーナの後ろ盾を使い、叡智の塔を今牛耳っているのは彼だ。
昼行燈の振りをして、ここぞという時に牙を剥いてくる魔物。
今まで他の貴族にへこへこと謙り、腰ぎんちゃくをしていたものや、実家の後ろ盾で大きな顔をしていた連中は叡智の塔から消えた。王太女主治医であり、事業の最前線の一つを任されているヴァニアには何も言えずに席を追われたのだ。
彼の邪魔をすることは間接的にアルベルティーナに邪魔をすることとなる。アルベルティーナの邪魔をすれば、その後ろに控えた怪物たちが目を覚ます。
「あ、ラップサンド食べる? 殿下のところで出されるお菓子食べ尽くしてたら、毎日塔に差し入れが届くようになったんだぁ~。流石ラティッチェのシェフだよね。すんごく美味しい~、いやぁいいもん食わせてもらっちゃった」
懐から出してきた紙の包みに首を振るセシル。
とてもではないが、そんな気分ではないのだ。水すら鉛を呑むような気分であった。
そう? と首を傾げたヴァニアは、包みを開いて齧り始める。
脱線した話を戻す気になったのか、やや目が鋭くなった。
「それはこっちの領分で、カルマン女史には関係ないと思うけど?」
「姫様から頂いた古文書で、気になる記述がありました。王宮魔術師として、是非精査して頂きたいのです」
古文書が出ると半分以上残っていたラップサンドを口の中に強引に押しいれるヴァニア。
口端についたソースを指で拭い、指を舐める。そして王宮魔術師である証明であるローブでガサツに拭った。
「魔法で洗浄できますよね?」
「普段あんまり使わないから忘れてたぁ」
ベラやアンナではないが、ゴキブリを見る目でヴァニアを見てしまうセシル。
この銀髪では分かりづらいが、もしやフケが溜まっているのではと疑いたくなる。いつ最後に風呂に入ったのだろうか。
しかし、稀少な書物を触るからかきちんと魔法で綺麗にしたので不問にした。
「ここと、ここ……そこ以外にも記述の内容、この症状、メギル風邪に似ていませんか?」
セシルは本を広げて見せ、解読した用紙と一緒に出す。
ヴァニアは本を受け取ってセシルの解読した内容と見比べている。
あの締まりのない笑みが消え、徐々に眉間にしわが寄っていくヴァニア。それはふざけた青年ではなく、王宮魔術師の顔をしていた。
本を最初から目を通し――大半はスズキ・タローの裏の顔というべき奔放三昧の浮気三昧のシバかれ日記だが、その中から侮れない情報を拾い集めていく。
「……しばらく借りるよ。陛下に報告が必要だ」
間延びした声も鳴りを潜め、押さえた声音で耳打ちされた。その横顔は厳しい。
ああ、と絶望に近い溜息とも感嘆ともつかないなにかが出そうになる。
セシルの嫌な予想は、的中していたのだった。
「あと、君は身を潜めていた方がいい。これを知っているとバレたら、あのお方たちが血相を変えて口封じに来るはずだ。くれぐれもアルマンダインとフリングスにも近づかないこと。あそこは分家や関係貴族が多いから、王宮にいると避けるのも難しい」
「殿下の教師を辞めるつもりはありません!」
「いや、死んだら嫌でもお役目御免でしょ。暫くうちの書庫の雑用でもしてる? 魔導書はダメだけど、普通の本だけでも部屋が軽く三つは埋まるくらいあるし」
本、と聞いてセシルの顔が輝いた。
この本を解読したくらいだから、普通の解読の戦力としては期待できる。
(それに、正直これ以上あのお姫様が悲しむのも見たくないんだよなぁ……)
あどけなく破顔する表情が、嫌いではないとヴァニアが思ったのはいつからか。
水を失った花が徐々に萎れて枯れていくように、悲しみに弱り窶れていく姿に焦燥感を覚えるようになったのは。
あの人がただの『可哀想なお姫様』ではなく、必死に前を向いてことを成そうと取り組んでいるのを知っているヴァニアである。
悲劇や権力に酔っ払い、腐心しているのではなくあがいている。
このだらしないのも素でもあるが、やろうと思えば王宮魔術師らしく振舞うこともできる。そんな不作法なヴァニアにも、アルベルティーナは大らかに接してくれる稀少な王族である。
(この情報は、お姫様は悪くない。何も関係ない……けれど、間違いなく避けて通れない問題になる。大なり小なり、影響は被るはずだ)
いつもなら死んでも離さないと古文書を抱えているセシルは、大人しく本を差し出した。
他所から見れば古い紙束でしかない預かりものが、非常に重たく感じるのは事の重大さのせいだろうか。
ヴァニアは研究室には戻らず、王宮に――ラウゼス国王陛下宛に御目通り、それも内密にと念を押した手紙を書くこととなった。
読んでいただきありがとうございました!
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