【過激派】

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 こんばんは。東城皐月です。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、国内の過激派が活発な活動を行っていると言われています。今回は、それら危険な過激派について考えたいと思います。

 いわゆる過激派とは、日本共産党から派生し、同派の歴史は、日本共産党の路線転換の歴史と言われ、同党と深い関わりがあり、同党の鬼っ子という存在である。日本共産党の六全協での路線転換により、その中から「革共同」や「共産同」が誕生し、昭和41年に日本共産党が、当時のソ連と決別し
て、中国共産党寄りの方針をとりはじめたことから、「構造改革派」系が誕生したのである。別名、新左翼とか、極左暴力集団とか呼ばれる。

 「弁証法研究会」を黒田寛一等のグループが、昭和3 2年に結成された「日本トロツキスト連盟」に加盟して、同連盟は、同年12月に「革共同」(革命的共産主義者同盟)と改称した。その後、様々な変遷を経て、革共同の本流を継承した革共同全国委員会さえも、昭和38年2月には、革命党の建設優先を主張する黒田委員長の派閥(革マル派)と大衆闘争を重視する本多書記長の派閥(中核派)が対立して、本多派は、本多延嘉、陶山健一、清水丈夫、北小路敏らが中心となって、機関紙「前進」を死守し、革共同全国委「前進派」(中核派)を名乗って、結成され、ここに革命的共産主義者同盟全国委員会が誕生した。

 いわゆる中核派は、「大衆行動による警察などの権力との衝突」を重視し、街頭政治闘争に取り組むことにより、組織も発展し、闘争も前進して行くとする「大衆運動第一主義」、「先駆性理論」などを掲げるとともに、過去には、数多くのテロ、ゲリラを敢行した。

 このように中核派と革マル派は、もともと同じ団体であった。昭和38年2月の革共同の第三次分裂により、黒田派は、革共同全国委員会「革命的マルクス主義派」(革マル派)を結成。現在は、正式名を「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」と呼称している。中核派の「大衆運動第一主義」を、「大衆運動主義への堕落、プチブルジョア急進主義への転落」などと痛烈に批判し、トロツキズムを日本に創造的に適用し、「反帝国主義一反スターリン主義」のイデオロギーによる理論武装と、革命党建設こそが最優先されなければならないとする「組織建設第一主義」をとり、「決定的な革命情勢が到来するまでは、革命力量の蓄積を図る」という「待機主義」的立場に立っている。

 「革労協」(革命的労働者協会)は、「社青同」(日本社会主義青年同盟)の中に潜伏していた元「共産同」系のトロツキスト・グループによって、昭和44年10月に結成された。昭和52年2月、革マル派との内ゲバで当時の書記長、笠原正義が殺害され、これを契機に、徹底報復を主張する内ゲ八一軍事路線志向の狭間嘉明らの学生活動家出身のグループの「狭間派」と大衆闘争、特に労働運動を重視する労働者グループの「反狭間派」とが敵対するようになり、昭和56年6月、ついに分裂した。更に、平成11年5月には、平成10年に明治大学で発生した傷害事件の対応等をめぐり、狭間嘉明を中心とするグループ(革労協主流派)と同派幹部の山田茂樹を中心とするグループ(革労協反主流派)に分裂した。このように革労協は、組織内部で闘争路線問題や主導権争いにより集団離党、分裂を繰り返し、現在に至っているのである。革労協系は、トロツキズムを基調とし、「西ヨーロッパ革命の勝利以前には、遅れたロシアで社会主義国家建設は不可能である」というトロツキーの主張をそのまま引き継ぎ、現代は、ロシア革命にはじまる後進国革命が先進資本主義国の同時革命と波及し、世界革命へ突進しようとしている段階であると見て、先進国同時革命論を唱えつつ、主要な敵を日本帝国主義であると捉えて、「プロレタリア永続革命」を目指した社会主義革命達成を強調している。

 このように過激派は、―国のみならず、世界同時革命を目指す武装組織なのである。



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