『志村だよ 全員集合』
船橋というと、どんな施設が思い浮かびますか(・・?
おしゃれなご婦人方は、ショッピングモールのららぽーと、お父様方にとっては、有馬記念でおなじみの中山競馬場でしょうか。
スキードーム・ザウスが出てくる方は、私と同じバブル景気をかじった世代のはずです。
そして、高度経済成長期の日本を知っている方なら船橋といえば、船橋ヘルスセンターが出てくることでしょう。
1952年、船橋の埋め立て地で、ガスの採掘工事をしたら、天然ガスとともに湧き出てきたのが温泉でした。この温泉がきっかけとなり、1955年11月3日に船橋ヘルスセンターがオープンします。
総面積、1200坪、東京ドーム8個分、6000坪の巨大温泉施設のほか、遊覧飛行場、サーキット場、人工ビーチ、遊園地、ゴルフコース、人工スキー場があるなど、当時の日本人にとっては、まさに夢のリゾートでした。
中でも、巨大プールにある高さ25 M 長さ100 M の水の滑り台・大滝すべり。話題人気で時速50 km の達するウォータースライダーを勢いよく滑り降りる途中で、海水パンツ、水着が取れた男子も女子もポロリ・ハラリの波乱も起きていたようです。
ここの施設の圧巻は、直径30 m の巨大ローマ風呂と百畳敷の宴会用の大広間です。新聞代が月330円、映画館が140円で、レコードが300円の時代に、入場料120円を払えば、朝から晩までお湯に浸かって、大広間で一流の歌詞の歌も聞けると大好評を博しました。
1962年に東宝によって制作され発表されたクレージーキャッツの「ニッポン無責任野郎」という映画の中で、源均演ずる植木等が、団令子と新婚旅行に船橋ヘルスセンターの遊園地に行く場面がありました。
最盛期には、観光バスが押し寄せるなど、年間400万人の来園者を記録します。劇場では、人気歌手の公演が行われたり、『8時だよ 全員集合』などテレビの公開放送も行われたのです。
しかし1970年代に入り、自家用車の普及や海外旅行が解禁されると、ネイチャーが多様化して、来場者数も徐々に減少していきます。
また、地盤沈下抑制のため温泉や天然ガスの採掘が禁止されこれが、大きなきっかけとなり1977年5月5日船橋ヘルスセンターは22年の歴史に幕を閉じたのです。
高台の跡地は、その後どうなったのかと言いますと商業複合施設ららぽーと船橋ショッピングセンターとなり、現在のららぽーと東京ベイへと引き継がれたのです。船橋ヘルスセンターは、戦後の高度経済成長期、東京湾に面した巨大レジャー施設として、脚光を浴び、やがってお向かいの浦安に姿を現した夢の国の先駆けとなったのです。