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「はぁ…遅くなっちゃったなぁ…」
草木も眠る丑三つ時。電灯に照らされた夜道にて、偽姓果名は家路を急いでいた。
提出ギリギリの課題を学校に居残ってやっていたら、陽が落ちるまで掛かってしまったのである。
「雨下さんもう晩御飯食べちゃったかなー…おなか減ったなぁ…」
ブツブツと呟きながら、薄明かりの下を歩く。
その耳が、震える空気を捉えた。
「…?なんだろこの音…」
ずじゅるるるる……ずずずずず……
「あっ………あぁっ……」
何か、液体を啜るような音と。女性の呻き声のような音。
(……ちょっとだけ、ちょっと見に行くだけ……)
よせばいいのに、好奇心に唆されて、音が聞こえてきた方の路地へと足を踏み入れる。
路地の奥に居たのは―――
「あ…………に、げ……」
―――生気のない、青白い顔でへたり込んでいる女と。
「グルルルル……」
―――八重歯を剝き出しにして、こちらを…正確には、こちらの首筋を見据える男だった。
逃げる、逃げる、逃げる。
追いかけてくる男から、ずっと首に向いている視線から、身も竦む殺意から。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…!」
重くなってくる足を必死に回す。
逃げられなければ喰われてしまうだろう。あの青白い顔の女性のように。
「っ…!」
思わず身を震わせる。恐怖に足を取られてしまいそうだ。
言うことを聞かなくなってきた足を叱咤しながら、十字路を左に曲がり、そこで立ち止まる。
「はぁ、はぁ、はぁ、……っ」
息を必死で整えながら、時間を計る。
曲がる直前にちらっと確認した彼我の距離と、奴の移動速度を掛け合わせて、タイミングを図る。
1秒、2秒―――体感で3秒半程を数えて、奴が十字路をこちらに曲がってきた。
「こ、んの…!」
それと共に、奴の体を全力で突き飛ばしながら、正面、つまりは元来た方から見て右へと進む。
目論見通り、奴は体勢を崩したようだった。そのまま一目散に走る。
しかし、このまま宛ても無く逃げ回っていても、遠からず体力の限界が来てしまうだろう。
それでも、今はただ、逃げるしかなかった。
「はぁ、はぁ…っ、げほっげほっ」
息が荒い。酸欠で頭がくらくらしてきた。
それでも逃げ続けて、かれこれ四半刻。ついに体力の限界が訪れる。
「ガアッ!」
「あ"っ…あ、あぁ…」
両腕を掴まれ、壁に抑えつけられてしまった。
すぐ近くから男の荒い吐息が聞こえる。
殺意が突き刺さるのを感じて、果名は思わず堅く目を閉じ―――
「俺の果名に何さらしとんじゃこの野郎オオオオォォォォ!!!」
―――その叫び声と同時に、唐突に拘束が解かれた。
振り返って見れば、そこには拳を振り切った鉄城大和が居た。
「大和…パイセン…?」
「ハテナ!?大丈夫!?」
マリア・スミスも駆け付け、果名を保護する。
それを確認した大和は、先の一撃で吹き飛ばされた男へ追撃をかけた。
「どう、りゃああああああああああぁぁぁぁ!!!」
拳が一閃。鮮紅と、首が宙を舞った。
「んじゃあアレは大和がぶっ飛ばしたのか」
「『ぶっ飛ばされた』なんてモノじゃなかったですけどね。相変わらず、なんで徒手空拳であんなことが出来るのか全くわかりませんよ」
「そこは最早『大和だから』としか言いようが無いと思うが。というか、アレがだから出来たんであって、もうちょい格が高ければ、もっと複雑な殺し方が必要になるところだったぞ」
「マジですか」
翌朝、他に誰も居ないある教室で、黒肌紫髪の男と、黒と赤のパーカーの男が話していた。
話題は当然、昨晩の『化け物』についてである。
「というか、お前は助けに行かなかったのか?」
「別の所探していて、連絡受けて向かったらもう終わった後だったんですよ。そういう貴方は助けに行かなかったんです?」
「寝てた」
「オイコラ」
「しゃーねーだろ徹夜明けだったんだから。というか、俺がアレどうにかしようとしたら街が吹っ飛ぶが?」
「流石魔王」
「誰が魔王だ」
最早決まりきった、定番のやり取り。それに日常を感じてクスリと笑いながら、今日も一日が始まる。