X68000物語
X68kのスペック的な話は、前回まででひととおり終わっています。フリーソフトは書き足りないけど、書き始めるときりがないから・・・。
最終回の今回は、個人的な思いで話を書かせていただこうかと思います。人の思いでなんか語られても面白くないよ、という方には申しわけありません。
タイトルは・・・そう、X68000物語。X68k部分の連載はE-Zine企画の「X680x0物語」に賛同していますので、タイトルもそのまま借用させてもらいます。
X68kが発売されたとき、私は高校生で、MSX2を使用していました。当時は16bitといえばビジネス用の高級機ばかりで、ホビー用は8bitが普通でしたから、「すげー機械が出たもんだ」というのが感想でした。
この感想は、友人のアッキーがX68kを入手し、見せてもらったときに「あこがれ」へと替わります。しかし、高校生のこづかいで定価50万円を超える機械をおいそれと買えるわけもありません。ただ、「いつかは買おう」と心に決めて、情報を集める日々が続きました。
結局、情報を出すほうも実物は見たことがなく、あこがれで話しをしていたわけです。しかしクチコミ情報なんてそんなもの。そして、惚れ込んでいるとどんなに嘘臭い話しでも本当に思えてくるのです。
さて、そうこうするうちに大学に入りパソコンサークルに所属、大学のコンピューター室にあったPC-9801を放課後に使うようになります。実は、MS-DOSというのが何のために存在するのか、このときになって始めて知りました。(MSX にも MSX-DOSというのが付いていたのだが、なんなのかよくわからなかった)
で、その便利さになれるにつれ、MSXが物足りなくなってきました。いよいよ16bit機を購入しよう、という計画を立て、夏休み中を全部近所の工場ですごします。
で、念願かなってやっと入手したX68k。X68kの登場からすでに丸3年が経過して、最新機種はEXPERT II になっていました。しかし、そこをあえてEXPERTを購入。1代前の機械なら安かったし、X68kでは機種の差がほとんどなかったためです。
(こうすることで、定価50万円は30万円になりました。それでも、私がその後買った機械を含めても、X68kは最も高価だった機械です)
さて、入手したのは当然夏休み直後。うちの大学は夏休み後にテストがありましたので、勉強に身が入りません(笑)
ひどい成績になりながらも、テスト期間中にX68kのBASICの基本はマスター。(他の機種でBASICやってましたから、文法の違いさえなれてしまえば簡単でした)
秋の大学祭にはなにか出展しないといけませんから、テストの直後には作るゲームのアイデアを決め、試作開始。
このころ、BASICではやっぱり速度が遅いことを知り、再び(私にX68kの良さを教えてくれた)アッキーのところに行きます。彼がXCコンパイラを持っていることを知っていたからです。
幸い、彼はXCを買ったもののまったく使っておらず、快く貸してくれました。さらに「ゲームを作るなら、曲を付けてやろう」とまで申し出てくれます。
試作開始から1ヵ月。ゲームのプロトタイプが出来ます。実は、こんなに大規模なゲームを作ったのは初めてでした。
題名は「コメット」。星座をモチーフにしたゲームで、面数は黄道12宮の12面。
面の最初に星座型に並んでいる星々を、後ろに尾をひく彗星を操作して囲んでいく・・・というゲームでした。
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コメットの画面。カシオペア座面開始状態。面の最初の配置は星座の形になっているが、この後星は動き始める。 |
これを大学の友人に遊んでもらったところ、「もちろん、88星座作るのだよね?」との意見。まったくそんなことは考えていなかったのですが、まだ1ヵ月もありましたし、素直に意見に従います。88もの面データを作るのはしんどかった・・・
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右側で輪をつくっているのが、操作する彗星。星を一つ囲んだところで、輪のなかに点数 ( 100 ) が表示されている。 写真左下のあたりに移っている黄色のごにょごにょが、囲むべき星。ただでさえ絵心のない作者が、「ゲームのキャラなんて記号に過ぎん!」といいながら作ったゲームなので、キャラクターは無茶苦茶(笑) |
その後、アッキーから曲データをもらってゲームに入れ、大学祭に展示します。
お客さんの反応は・・・大盛況でした。ちょっと難しかったために88面全部をクリアできたお客さんはいなかったのですが、それよりもサークルの仲間に大受けでした。
で、サークル仲間でX68kを持っていた友人が「電脳倶楽部に投稿しろ」と勧めます。電脳倶楽部というのはX68k文化の片輪を担っていたディスク雑誌で、会員制でした。私は入会していなかったのですが、友人に読ませてもらっていたので内容は知っていました。
電脳倶楽部と対となるもう片方の車輪は、Oh!X という雑誌でした。この雑誌はMZ、Xシリーズの専門誌ですが、機種に関係ないテクノロジーを話題の中心に据えていたため、当時の記事は現在でも参考になります。
(Oh!Xは 1995年休刊。1998年に不定期刊で復活を果たし、今のところ2001年春号で最後となっています。
現在も次の刊行に向け、webXという形で活動が続いています)
電脳倶楽部投稿という友達の誘いに魅力を感じた私は、さらに1ヵ月ほどかけて完成度を高め、当初の12面しか面データがないバージョンを電脳倶楽部に投稿します。88面版は「同人ソフトとして売るには十分ではないか?」と思ったので、「欲しい方はお金を送ってください」ということにしました。
幸いなことに電脳倶楽部は「会員以外からの投稿」という初めての事態に柔軟に対応してくれ、私の投稿は採用されました。
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採用の粗品にもらった、アスキーコード表付カードカレンダー。 テレホンカードサイズのカードの表にカレンダーが、裏にアスキーコード表が印刷してある。カレンダーはとっくに古くなっているのだが、アスキーコード表が重宝なので今だにもち歩いています。(こんなものが重宝だという職業も、ずいぶんヤクザだが) これ以外にも、怪しげな粗品はたくさんもらいました。 同じアスキーコード表が上下逆に印刷されたTシャツとか(上下逆なので、下を向けばアスキーコード表を読める)、HB〜7Hの鉛筆に「物足りないH♡」「ちょっとH♡」「ふつうのH♡」「けっこうH♡」「すごいH♡」「ものすごくH♡」と書いてある鉛筆セットだとか、よくもまぁ、こんなものを考え付くものだと感心したものです。 |
そして、もう一つ驚く話しが持ちかけられました。「コメットを売る気があるのなら、ぜひタケルで販売させて欲しい」というのです。
タケルというのは、ブラザー工業が展開していたソフトウェアの自動販売機です。このころから電脳倶楽部は会員以外へもタケルで販売しはじめており、その関係で私が自分のゲームを売りたがっていることを知ったようでした。
ただ、当時はタケルが契約するあいては会社のみで、私の場合は間に電脳倶楽部を作っていた「満開製作所」に入ってもらうことになりました。
祝一平編集長、ごめんなさい〜〜〜(笑)
タケルはのちに、同人ソフトの販売も初めています。どうやらその頃には個人での契約も可能になっていたようです。
結局コメットは200本程度が販売されました。パソコンソフトとしてはおろか、同人としてもたいして売れた本数ではないでしょう。
しかし、私の作ったゲームを、200人もの方がお金を出してまで遊んでくれた、というのは私にとって非常に感動的な出来事でした。
この出来事がなければ、私はゲーム会社に就職しなかったかもしれません。
コメットも含め、私は大学の4年間で4本のゲームを作っています。
2本目はルールが非常に変わっている、縦スクロールシューティングゲーム。
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シューティングゲーム「BANDITS」の画面。 ちょうど湾岸戦争直後、そのうえ「エリア88」という戦争漫画を読んで、「戦争とは、物量の潰しあいだ!」という考えで作ったゲーム。 そのため、従来のゲームに有りがちな「たった1機で戦う」ゲームではなく、集団対集団で潰しあうゲームになっている。 |
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自分の操作する集団の拡大。 手持ちの自機は最初30機、敵を50機倒すごとに1機増えるという、普通のゲームでは考えられないほど自機ストックの多いゲーム。 ただし、画面上の編隊が全滅すると、残機数がいくらあろうが、即ゲームオーバーという変則的なルールになっていた。 編隊はボタンで補充できるのだが、補充すれば編隊が大きくなるので、弾が避けにくい。しかしゲームオーバーにならないためには補充し続けないといけない。結果として激しい消耗戦のゲームとなるのだ。 |
このルールのアイデアは今でも気に入っていて、機会があれば今のコンピューターに移植したいと思っています。
これも大学祭では受けたのだけど、未完成だったので一般には公開していません。
3本目はマイクを使ったアクションゲーム。
ジョイスティックもマウスもなく、ただマイクが置いてあるだけ、というすごい操作体系です。これで入力周波数を調節することで敵を撃退するゲームです。
「X68kならではのゲームを作ってやろう」と、ADPCMをPCM変換してFFT(高速フーリエ変換)する、というプログラムを作り、無理やりゲームにしただけです。
(ADPCM - PCM 変換には PCM8 のアルゴリズムを使用)
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Fauler Freqency of Toys の画面。 画面上から攻めてくる「おもちゃの兵隊」が、画面下のラインを超えるまでに撃退するゲーム。 画面は LED のグラフを模した感じになっていて、声の大きさと周波数がバーで表示される。このバーに敵がぶつかると、敵を撃退出来る。 |
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おもちゃの兵隊と、周波数グラフ。下の緑色の線を超えられるとゲームオーバー。 X68k の非力なCPUで、リアルタイムに ADPCM - PCM変換を行い、FFT をかけてそれを対数グラフにして表示していた。 高速なプログラムに一番こだわったゲームなのだが、クリティカルでないルーチンはすべてC言語。始めてCを使ったゲームでもあった。 |
実はこれはコメット以上の大ヒットで、仲間内だけでなく、大学祭に遊びにきた小学生に大人気でした。1年経った後の大学祭でも「去年のゲームないの?」と質問してきた子がいたほどです。
これは当時行っていた地元のBBSに発表したのですが、「マイクとアンプが必要です」という条件のために、遊んでくれた人はほとんどいなかったようです。
最後、4本目はこれも「X68kならでは」を作ろうとして、マウスを2個使ったゲームです。(第3回に描きましたが、X68kはマウスを2つ繋ぐことが出来ます)
ゲームのタイプとしては「2人対戦型グラフィックツール」と名付けたもので(なにがなんだかわからんが)、もう、グラフィックツールそのもの、といった操作体系で、相手のマウスカーソルを BOX FILL して破壊する、というものです。
キャッチコピーは「戦うか! それとも絵を描くか!」と、なんとも謎なフレーズ。
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2's STAFF VS の画面。 赤と青のマウスカーソルをそれぞれ操作し、2つのマウスボタンでBOX FILLとDRAW LINEができる。 FILLで相手を塗りつぶすとダメージを与えられ、LINE で壁を作って相手を足止めできる。 FILLやLINEの効果の強さは、攻撃・防御という形でメニューバーから選択できた。 |
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メニューバー。マウスでメニューを選ばせるアクションゲームも珍しいだろう。 この写真は一部だが、攻撃・防御モードの選択がある。 |
X68k用の有名グラフィックソフト、「Z's STAFF」を知っている人なら笑ってくれるギミックを大量に取り入れ、ゲームも奥深いものに作り上げてあったのですが、なにぶん「ちょっと遊んで帰る」大学祭のお客さんには理解されていなかったようです。
これも仲間内では受けていたのだけどな〜〜(人はそれを、内輪受けと呼ぶ)
まぁ、このゲームを最後に私はプロのゲームプログラマになってしまったため、X68kでゲームを作ることはなくなりました。
でも、気に入ったアイデアは今でもMac用とかで復活させたいな、と思っています。
上の4本のゲーム、欲しい人は連絡下さればおわけしますよ。
いちおう、これでX68kの紹介はおしまい。僕にとっては一番思い入れのあるマシンだし、ちょっと長くなりすぎたきらいもありますね。
でも、実はこれでも話し足りないのだ。キーボードがいかに日本語入力を考えて作られていたかも話したいし、DOGA CGAシステムの素晴しさも語りたいし、TeXを中心としたDTP環境の話しもしたいし、ソフトだけでハードウェアを拡張する SxSI も紹介したいし、稲妻走るPICの登場物語も面白いし、もちろんゲームの話しだって・・・
でも、それらはみんな枝葉の話。
基本的な素晴しさは全部伝えたはずだから、枝葉がなくてもわかってもらえる・・・よね?
追記 2003.4.3
私のX68kは、この記事を書いた直後に故障し、電源が入らない状態になりました。主電源は入りLEDが点灯するのですが、スイッチを押しても起動しないのです
実は私のX68kは一度落雷でダメージを受けていまして、電源を修理しています。多分その箇所がまたおかしくなったのだろう、修理すれば直るだろうと考え、その後ずっと押入れに入れてあります。
最近ではマシン性能の向上に伴い、X68kエミュレータも様々なものが登場しています。SHARP が IOCS をはじめとして主要なソフトを公開してくれているため、エミュレータを動かすのに「違法性」がまったくないのもありがたいことです。
そして、読者の方がコメットのディスクイメージを送ってくださったので、コメットは今でも遊ぶことが出来ます。
comet発売の際にお世話になりました満開製作所の創設社長(電脳倶楽部初代編集長)の祝一平氏は、1999年に亡くなっています。不義理なことに、私がそれを知ったのは2000年に入ってからでした。
私にとっては人生の転換点に出会った人物でよく覚えているのですが、きっと祝氏は私のことなど忘れてしまっていたでしょう。
最後となりましたが、祝氏のご冥福をお祈りいたします。