110回目の今日お届けしたのは、「キリンジ/エイリアンズ」でした
「二人が作った曲を初めて聴いたのは、確か1996年の春から夏にかけてだったと思います。当時、私は、ヒップホップアーティスト「かせきさいだぁ」のマネージメント担当で、彼から「友達が作ったデモテープを聴いて欲しい」と1本のカセットテープを渡されたんです。デモテープを聴いた時「いいなぁ、このメロディ。彼らに、直接会って話をしたいな」と思ったんです」。
キリンジとの出会いについて、マネージメントスタッフの柴田さんは、こう振り返ります。
1996年秋、ゲームソフト会社ナムコで、ゲーム音楽を作りながら、音楽活動を続けていた兄・堀込高樹と、フリーターで音楽活動を行っていた弟・堀込泰行の兄弟は、兄弟ユニット「ホリゴメズ」を結成し、一緒に音楽活動をスタートします。
「二人が作った曲のメロディは、彼らが大好きだったスティーリー・ダンやビートルズを意識した作りになっているんですが、歌詞の方は、今の言葉を使って、分かりやすく書いてあるんですね。そして、兄弟ならではのハーモニー。当時から、二人ならではのポップな曲が完成されていました」。
柴田さんと出会った直後、ユニット名を「ホリゴメズ」から「キリンジ」に変更した二人は、1997年5月、トイズファクトリー傘下のインディーズレーベルから、シングル「キリンジ」でデビューします。
キリンジは、『ロッキンオンジャパン』を始め、複数の音楽雑誌で紹介されるなど、音楽関係者の間で話題となり、11月には、2枚目のシングル「冬のオルカ」を発売。そして、音楽マーケットで、やっていけると判断した柴田さんと、キリンジの二人は、メジャーデビューを決めます。
「インディーズ・シングルを2枚発売し、音楽マーケットの反応も良かったので、すぐにレコード会社とメジャーデビューの交渉を始めました。インディーズ盤を発売したトイズファクトリーには、レコード会社のカラーと合わないという理由で断られたんですが、他の4社が手を挙げてくれ、その中から選んだのが、ワーナー・ミュージック・ジャパンでした」。
1998年8月、キリンジはシングル「双子座グラフィティ」で、デビューします。
1998年8月、シングル「双子座グラフィティ」で、メジャーデビューしたキリンジ。
「堀込高樹、堀込泰行の二人が曲のデモテープを作って、アレンジャーの冨田恵一が曲の世界感を広げていく。それが、インディーズ時代から続けてきた、キリンジの曲作りのスタイルです。二人がこだわったのは、メロディ、歌詞、曲の骨格、この3つを大切にした、ポップスを作ることでした。ポップスは、時代に応じた曲もあれば、10年先でも、20年先でも、何時の時代に聴いても変わらない不変的な曲もある。キリンジの二人が目指したのは、何時の時代になっても変わらない不変的なポップスだったんです」。
ネージメントスタッフの柴田さんは、こう語ります。
「キリンジの特徴は、二人、それぞれがシンガーソングライターだという点です。お互いが、歌詞とメロディを持ち寄って一緒にひとつの曲を作るというスタイルではなく、二人が別々に曲を作って、レコーディングを終えるとキリンジの曲になっている、という点ですね。二人の違いといえば、弟の泰行よりも、兄・高樹の方が、作家的な点です。高樹は、曲を作る時、常に弟・泰行が歌うことを前提に曲を作っているんです。ちょっと言い方は悪いかもしれませんが、「この曲を歌ってみろよ」というような、挑発的な曲もあったりします」。
メジャーデビューした1998年にシングル1枚とアルバムを1枚をリリース、翌1999年もシングル1枚、アルバム1枚と、マイペースな活動を続けていたキリンジですが、2000年を迎えるにあたって、マネージメント担当の柴田さんは、ひとつの取り組みに挑戦することを決めます。
「デビュー2年間は、シングルとアルバムを作って、ライブをやって、と同じパターンが続いていたので、2000年はシングル4枚、アルバム1枚、その合間にはライブもやる、と攻撃的なスケジュールを作ったんです。そして2000年に入って最初に出したシングルが、この「アルカディア」でした」。
2000年1月、キリンジが発売した3枚目のシングル「アルカディア」。
「攻撃的に活動することを決めた2000年、その1発目となった、シングル「アルカディア」は、それまでのシティ・ポップス路線のキリンジが、ブルース・ロックにチャレンジした曲でした。レコード会社からは、「キリンジらしくない」と言われたんですが、キリンジの二人にとっては「俺たちはどんな曲にもチャレンジできるんだ」と自信を持った曲でした」。
その後も、キリンジは、4月に4枚目のシングル「グッデイ・グッバイ」を発売、その直後には初めての全国ツアーを行います。そんな、慌ただしいスケジュールの合間をぬって進められていた、ニューアルバム制作の中で、ある曲を先行シングルとして発売する話が決まります。
「この曲は、2000年に発売する曲のデモテープを、まとめて作った中の一曲でした。初めてデモテープを聴いた時、スタッフみんなが「いい曲だね」と褒めて、満場一致で、シングル候補曲になった曲です。
それまでのキリンジは、アッパーな曲ばかりだったんで、そろそろバラード曲が必要なのでは、と感じていたタイミングだったんですね」。
「この曲は、泰行が作った曲で、歌詞も彼が書いたんですけど、実は、難産でした。兄・高樹と弟・泰行の二人を比較した場合、兄・高樹の方が、歌詞を書くのが得意なんですね。この曲も、泰行が書いた歌詞を、高樹が読んで、ダメ出しして、泰行が何度も書き直したんです。泰行が書き直す時、高樹は決して手伝いませんでした。歌詞は、レコーディングギリギリのタイミングで、なんとか完成しました」。
こうして、3枚目のアルバム『3』のリリースに先駆けて、2000年10月、キリンジ6枚目のシングル「エイリアンズ」は発売されました。
2000年10月に発売された、キリンジ6枚目のシングル「エイリアンズ」。この曲も収録されたアルバム『3』は、セールスチャート初登場18位を記録します。
「アマチュア時代を含め、キリンジ二人のやりたい音楽が詰まったアルバム『3』は、先行シングル「エイリアンズ」が多くの人達から支持を集めたお陰で、ヒットしたと言ってもおかしくないと思います。それまでポップな曲ばかり歌ってきたキリンジでしたけど、しっとりとしたバラードも歌えるという、彼らにとっても大きな自信に繋がった曲です」。
最後に、柴田さんはこう語ってくれました。
二人にとって新しい世界を切り開くキッカケとなった、J-POPバラードの名曲が生まれた瞬間でした。
今日OAした曲目
M1.彩(エイジャ)/スティーリー・ダン
M2.双子座グラフィティ/キリンジ
M3.アルカディア/キリンジ
M4.エイリアンズ/キリンジ