R45 ALL THAT 補足 (文&画 柳田光司)
「R45オールザットらじヲ」を担当しています「柳田光司」です。
「柳田?!? 誰やねん?」というクレームを少しでも解消するため
「長~い 長~い自己紹介」をさせていただくことになりました。
第50回「私の好きなアメリカ★ソング」(2018年10月12日 OA)
「娯楽」をこよなく愛しています。
そのためには、時代より少しだけ背伸びした電化製品が必要になります。
で、困ったことに ウチの家(父親)は「いなかもん(田舎者)」を絵に描いたような…
超保守的?というか… 時代から取り残された?というか…
電化製品に対して 迷いに迷う“動きが遅い”ヒトでした。
【R45 ALL THAT“らじヲ”】をサポートしていただいている【Joshin】様には
こんな失礼な話はありません。
…遠い銀河系でおこった話。時効を過ぎた昔話だと思ってお聞きください。
黒船が来航したのは嘉永6年(1853年)
ウチの家に「ラジカセ」(ラジオ&カセット)が来航したのは…
昭和51年(1976年)の春。兄が中学に入学した時でした。
ちなみに、自宅の茶の間にはカラーテレビが一台。おばあちゃんの部屋には白黒?テレビと16インチの赤色のカラーがあったように記憶しています。形は奥いきのある朝顔形のブラウン管。チャンネルは、リモコンタイプではなく…手回し型。
堅苦しい親父が、チャンネルの主導権を握っていた旧家でした。
当時、私は小学2年になったばかり。
おそらく私が電化製品に対して「あこがれた!」始まりは「ラジカセ」
「テレビ」ではなく…「ラジオ」と「カセット」でした。
コレ、とても小さなことかと思われるかもしれませんが…
私にとっては、とても大きな人生の分岐点だったと思います。
時代的には、(テレビの)「ビデオデッキ」はまだ一般家庭には普及しておらず
保守的な親父は「8ミリビデオ」さえ購入していなかった悲しい記憶。1
970年代中盤に「ステレオ」がなく…
玩具のようなレコードプレーヤーの我が家に対して早くも不信感(笑)
私、子どもながらに…「公務員(小学校の先生)」と「専業主婦」って
「ホンマ、しょ~もないなぁ…」「せめて電化製品くらい買えよ!」とずっーーと
イライラしていましたが… これが真正面から切り出せない。
原因は、ウチの家は親父が母方に来ている5人暮らし。
とにかく、「父」と「祖母」の喧嘩が絶えない家庭環境。これは堪えました。
そこに(祖母の一人娘)「母」が仲介に入れば…また揉め事がおかしな方向に行く。
その上、長男の兄は…そんなことお構いなしの我が道タイプ。
…これが私の歪んだ原点でしょうね。たぶん(笑)
私、小学校に入る前には「1秒でも早くこの家から出たいなぁ…」
「この親父から離れて暮らしたいなぁ…」
「できることなら、お祖母ちゃんと母親と三人暮らしできないかなぁ…」と
ずっ~~~と妄想していた記憶しかありません(笑)
そんな最中の「兄貴の勉強机」にデ~ンと登場した「ラジカセ」は眩しかった。
1対1で対峙できる夢の電化製品。
大げさでなく、兄貴が持っていた「日立のラジカセ」のスピーカーの奥。
声が聞こえてくる“向こうの世界”に何度も何度も入れないものか??
真剣に考え続ける… クセがキツい小学生でした。
詳しくは、またの機会に必ずお伝えしますが…とにかく私は、兄のラジカセを無断で持ち出し あらゆるものを録音し、再生し、聞くこと、テープ(音源)を収集することに目覚めます(笑)
こんな弟に対し、兄は阿修羅のごとく怒り狂っていました。
人生を変えたテレビ番組のひとつ。
『THE MANZAI』が放送された時…我が家にはビデオデッキは無かった。
小6になる直前。1980年4月1日、生まれて初めての反抗期?突入(笑)
奇しくもこの日は、兄の誕生日だったのでよ~く記憶しています。
茶の間のガラス戸を締め切り… テレビを占領。
あの時録音した漫才音源が無ければ… 今の私は100%ありません。
『仁義なき戦い』にハマった高校生の時も思い出深い。
当時、(あらゆる権利化の問題が山積みにされていたため)
仁義なき戦いだけ、ビデオ化もされていなかった頃でした。
そのため、『仁義なき戦い』が名画座系でリバイバル上映されると
どの劇場も満員御礼。オールドファンであふれかえるのが恒例でした。
仁義に限っては…映画館の入り口では、コンサート会場のような持ち物チェックがありました。
皆、考えることは同じです。デカいラジカセや小型の録音付き小型ステレオ(ウォークマン)を忍ばせ『仁義なき戦い』を録音してでも 楽しもうという仁義マニアがいました。
中には明らかに、その筋の下っ端の人が8ミリを持ち込み…スクリーンに向けて録ろうと画策。
…そういう時代でした。
でも、ずっーーと私を含めた愚民どもは“録音に失敗”
おかげで、「映画泥棒」の罪を犯すことなく…現在に至ります。
そのうち「仁義なき戦い」の台詞回しとカット割りを完璧に憶えるんです。
文字にすれば、伏字の連発ですが(笑)この迫力に圧倒されっぱなしでした。
『言うなりゃあれは、✖✖✖の✖で飯うとるんで』
『こう暑いと、✖✖✖する気にもなれませんなぁ』
『広島✖✖はイモかもしれんが、風下に立ったことはいっぺんもないんで』
『兄貴が帰ってくるまでに広島はきれいに地ならし しちょるけん』
…高校時代まで、友だちは「滋賀県」と「京都府」がほとんど。
少し足を伸ばした「大阪の枚方」「高槻」「茨木」あたりが境界でした。
もしこの先「大阪」「神戸」「広島」の友だちができたら…
いち早く本物の「仁義語」を直伝 して欲しいなぁと真剣に考えていました。
できれば、広島か?小倉か?博多あたりの方言を使う彼女と出会いたかったのですが…
「侵攻作戦」の夢はかなわず…現在に至ります(笑)
頭の中では、この時のシュミレーションは完璧。
「あとがないんじゃ…、、、あとが…」
服役する前に、盛りのついた野獣(広能)が言う あの名場面。
ホント、最悪最低のゲスさだと思います(謝!)
『仁義なき戦い』は、このあとも 数々のターニングポイントとなった傑作。
おそらく、これほど痛快な娯楽映画はそうそう出てこないでしょうね。
こんな 私が(ごめん。まったく関係のない自己紹介でした!)
「私の好きなアメリカ★ソング」で推薦したのは
≪ブルーススプリングスティーン≫の『ハングリーハート』
なぜ?私がこの曲を推薦したのか?気になる方は、
ラジコのタイムフリー(1週間無料サービス)でも番組をお聞きください!
私「柳田光司」宛の 応援メール、ハガキ、郵便なんでも結構です。
一行メッセージでもかまいません。必ず目を通させていただきます。
こちら「R45 ALL THAT 補足」も読んで下さいね~!
次回の『R45 ALL THAT “らじヲ”supported by Joshin』は、
10月19日(金曜日)夜9時から。
次回のバトルテーマは「私の好きなイギリス★ソング」
来週も お付き合いのほど よろしくお願いいたします
谷口「わー、わー、言うてます!」
柳田「お時間です!」
2人「さようなら!」 …(つづく)