R45 ALL THAT 補足 (文&画 柳田光司)
「R45オールザットらじヲ」を担当しています「柳田光司」です。
「柳田?!? 誰やねん?」というクレームを少しでも解消するため
「長~い 長~い自己紹介」をさせていただくことになりました。
第49回「理想のアーティスト★ソング」(2018年10月5日 OA)
滋賀県生まれ。
高校を卒業するまで…「大津市」で育ちました。
今は、過疎化の世の中にも関わらず…人口増加全国第2位!
でも、「昔の滋賀県」って…まぁ、そりゃ閉鎖的なド田舎。
こんなことを言えば、怒られるかもしれませんが…倉本聰の『北の国から』を見ても まったくピンと響きません。
おそらく、北の国からに憧れる人の多くは 街中(まちなか)で生まれ育った人や、
山村が少ない海育ちの人がハマるように思います。
半世紀近く昔の滋賀県の大津市って… とにかく中途半端。
都会でもなく、テレビ局がドキュメントで撮影に来るような分校でもなく…
かといって、倉本聰の理想郷に程遠い人間関係。
どちらかといえば… 横溝正史が描く“あの世界観”(笑)
ご近所は、「ウワサ好きのオバちゃん」が牛耳っていることを 皆、知っています(笑)。
(今はどうか?知りませんが…)小学3年の時。
社会科の授業は『おおつ』というテキストが教科書代わり。
一学期から三学期、丸々1年間かけて「大津市」について 勉強。
ちなみに 4年生になれば…『大津』から『滋賀県』に範囲が拡大。
とにかく、4年4組の担任「F先生」の授業は楽しかった。
しゃべりも上手く、「滋賀県の知識」も豊富でした。
例えば『近江牛(おうみぎゅう)』
ある時は『信楽焼(しがらきやき)』について教えてもらいました。
今でこそ誰もが食べている牛肉やけど(ですが)…
日本で 食べられるようになったのは 明治時代に入ってからのこと。
それまでは 仏教の影響もあって(あり)
牛をはじめとする肉は「ぜいたくな肉」として 食べられることはなかった。
でも、それはあくまでも建前の話。
江戸時代の人たちは、
「薬食い(くすりぐい)」と称しながら… こっそり食べていた。
「牛肉の歴史」
実は 滋賀県は特別な存在だったようです。
江戸時代、「彦根藩」では 画期的な食品が開発されました。
「牛肉の味噌漬け」
薬として、飢饉などに備えた非常食として 彦根城内に蓄えらたり…
寒中見舞いとして 江戸幕府に献上されていた。
赤穂浪士の大石蔵之助も仇討の計画中に、
同志の長老「堀部弥兵衛(ほりべやすべい)」の体を気づかい
彦根産牛肉の味噌漬けを送っていた!…という資料も残っている。
時代的には(明治の)「文明開化」により「肉食が正式に解禁」。
これを機に、「近江(滋賀県)は牛肉のパイオニア」として頭角をあらわし
「牛肉ブームと共に」 一気に 登り詰めるハズだった。
…しかし!!! ここで、なんと、なんと 大きな課題が浮上する。
ここで、F先生は 少し声を張りながら 生徒たちに こう切り出す。
ここまでで出てきた「単語?」の中には
4年生のレベルでは 聞いたことがないものが幾つかある。
例えば「彦根城内」「寒中見舞い」「江戸幕府」「赤穂浪士」
「大石蔵之助」「仇討」長老「堀部弥兵衛(ほりべやすべい)」「文明開化」…
これらの単語を 授業中にもかかわらず 校内にある図書室へ直行。
班に分かれて 調べに行くんです。
4年4組のクラス全員で、こっそりと…(笑)
「どうですか? すごい授業だと 思いませんか!?」
F先生は、この授業スタイルを
当時の人気テレビ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』をヒントに考えたみたい。で、最終的には…
F先生の(前フリ)が クイズ部分になっていました。
さて、ここで問題です。
「その、大きな 課題とは いったい何でしょうか?!」…と。
おそらく、私のしゃべり?というか…話の運びは「F先生」の影響が 大きいと思います。
F先生の教え方(喋り)は、
…ラストカットの余韻を 重視するタイプ。
毎回、毎回 映画やドラマのような伏線回収とは言いませんが、
あの 説得力があるF先生の喋りは 今なお新鮮です。
…F先生が教えてくれた「社会科」は 私の基本。身体の一部に成っているかも しれません。
明治時代(これまで)「近江牛」は東海道を10数日間 かかって 東京まで運んでいた。
でも、当時 まだインフラ整備されていないので… 「鉄道」は無い。
これでは効率が悪いという事で…「船便」に切り替えられた。
だが、当時の操船技術では牛を運ぶのも一苦労。
海が荒れ、難破し 牛が海に 放り出されても何の保証もない。
「それなら、牛の尻尾を切って残しておけ!
もし、牛が海に流されたとしても…尻尾の数だけ運賃ぐらいは支払ってやる」
こんな不条理な契約を結んででも… 滋賀県は 東京で(牛肉を)楽しみにしている人のために
牛肉をたくさん運ぼうと 必死に努力する。すべては、近江牛の美味しさを伝えるためだった。
…それなのに、考えられない えぐい裏切られ方をする。
実は この時、「神戸港」から「横浜港」へ運ばれたため、
東京では 近江牛であっても「神戸牛」というネーミングで売られ 食される事に。
東海道線(鉄道)が開通するまで…『近江牛』は、ずっと辛酸をなめ続けることに…
人生に「もしも…」は 通用しませんが
…5年に進級する時にF先生が 大津市内の違う小学校へ転任されなかったら…5年、6年の担任であれば 私の人生はまったく違ったでしょうね。
たぶん、親父と同じ職業「小学校の先生」か?
「中学、高校の教師」という線もあったのかなぁ…(笑)なんて思います。
このあたりの懐かしい話。
5年、6年の大嫌いだった担任の話も 機会があれば…またいつか。
こんな 私が「理想のアーティスト★ソング」で推薦したのは
≪越路吹雪≫さんの『ラストダンスは私に』
なぜ?私がこの曲を推薦したのか?気になる方は、
ラジコのタイムフリー(1週間無料サービス)でも番組をお聞きください!
私「柳田光司」宛の 応援メール、ハガキ、郵便なんでも結構です。
一行メッセージでもかまいません。必ず目を通させていただきます。
こちら「R45 ALL THAT 補足」も読んで下さいね~!
次回の『R45 ALL THAT “らじヲ”supported by Joshin』は、
10月12日(金曜日)夜9時から。
次回のバトルテーマは「私の好きなアメリカ★ソング」
来週も お付き合いのほど よろしくお願いいたします
谷口「わー、わー、言うてます!」
柳田「お時間です!」
2人「さようなら!」 …(つづく)