R45 ALL THAT 補足 (文&画 柳田光司)
「R45オールザットらじヲ」を担当しています「柳田光司」です。
「柳田?!? 誰やねん?」というクレームを少しでも解消するため
「長~い 長~い自己紹介」をさせていただくことになりました。
第46回「秋の夜長ソング」(2018年9月14日 OA)
出会って間もない方から 質問されます。
「柳田さんって、テリー伊藤さんのお弟子さんだったんですか?」
「確かに伊藤さんには めちゃお世話になったのですが…厳密にいえば「師弟関係」ではなく「雇用関係」の方が近いですね」と答えさせて頂きます
…というのも もともとは伊藤さんとの出会いは知人からの紹介なんです。
私から「弟子にしてください!」といった弟子志願ではないんです。
ぶっちゃけ言えば、あの頃 伊藤さんところの会社は日本有数の✖✖✖✖。
死ぬほど求人広告を出しても 続く奴が極端に少なかったんです。
とはいえ、人手がいくらあっても足りない職場なので…
伊藤さんにとって 私はものすごく好都合の人材だったと思うんです。
「そんなに テレビ番組に興味があれば 明日から来れば?
その代わり、給料なんて野暮なこと言うなよ!」
…多分 こんな感じだったのではないでしょうか??
基本給は最初の半年ぐらいは「完全無給」
\ゼロです。
交通費は1日ごとに 数百円もらっていました。
それ以降は、1か月「3万円」
源泉徴収の10%を引かれて「2万7000円」(汗)
1日、24時間労働で千円。
前座の落語家さんの方から
「かわいそうだね、お気の毒ですね」と気を使われるレベルです。
お金がない時には、経理部のSさんに「900円」前借り申告(笑)
真夜中、恵比寿から板橋区のときわ台。環状7号線をヒッチハイクして帰宅。
トラックドライバーに見えるよう、缶コーヒを差し出すのがコツでした。
それまでの貯金を切り崩し、あちこち泊まり歩けばろくなことがおこりません。
何度も「新宿スワン」に出てくるような連中に トラップを仕掛けられながら
東京湾に放り込まれそうになったことがありますが…(笑)
そこは、持ち前の鈍感緑と運の良さでなんとか五体満足で生きのびてきました。
「AD(アシスタントディレクター)」として入った同期の子は
しっかりと給料と雇用保険をもらっていましたが… すぐに辞めるというか?
行方をくらます職場でしたから(笑)… 表現方法がひじょうに複雑です。
上下関係は芸人さんと同じ。
「1日でも早く入門すれば…年下でも●●さん」
このご時世、パワハラだのBLACK企業という言葉が
独り歩きする時代なので これ以上言い出せないのですが…
私が業界に入った90年代初頭において おそらく日本でダントツの黒印でした。
最初の肩書きは「作家志願」
その次が…「作家見習い」
…なんとなく 肩書きの響きだけでも前進したような気がしたものです(笑)
で、ここで 予期せぬ緊急事態。
なんと「作家」という肩書きがあるにもかかわらず…
“企画を考える”“シナリオを書く”という時間は一切なし。
戦前の北海道で行われていた「タコ部屋労働」や、
九州の炭田地帯であった「納屋制度」に近い過酷な肉体労働。
地獄の研修授業がはじまります(笑)
だから「師弟関係ですか?」と聞かれたら…ものすごく 困るんです。
おそらく 向こう(伊藤さん)は向こうで…
なんて答えていいかわからないか? 答えようが ないと思う間柄です。
伊藤輝夫の肩書きは今も昔も「テレビディレクター」&「演出家」
一見、「放送作家」とはまったく関係ないと思われる方も多いかもしれません。
でも、実際目の当たりにしていて驚愕したのは
「企画会議でのネタ選びのすごさ」でした。
こんなこと言えば、同業者から総スカンを食らうかもしれませんが…
放送作家やディレクターが 会議で笑う箇所と 世間のズレは大きいものです。
なんとなく、番組を創っている側の方が 時代の先を走っているカン違いも多く 机上の空論だけで“なんとなく その場を盛り上げている太鼓持ち作家”を伊藤さんが一蹴しながら…
その場で即ロケVTRの構成を手取り足取りはじめるんです。
おそらく、伊藤ディレクターと相性があう作家は伊藤輝夫であり 最高の編集マンも伊藤さんだったのでしょう。でも、そんな超人的な才能は長く続くものではありません。
…会議の中には 伊藤さんが頭の中でイメージしている「画(え)」や
「雰囲気」を共有できないディレクターや作家もたくさんいたのも事実です。
当然といえば、当然ですよね。
悲しい結末、お涙頂戴の番組のパターンは限られていますが…
面白さを分かち合うバラエティーを創るには、素養やセンスが必要になります。
幸いなことに、私の場合。
伊藤さんが会議室を転がり回りながら熱弁する馬鹿バカしい企画が大好きでした。
企画を 具現化するためなら… おそらくギリギリまで遂行できる自信と体力がありました。
だから、周囲が心配するほど 自身ではまったく無問題。
好きなことだから 当然前向き。反応も早く伊藤さんから急に話を振られても
割合 的確に返すこともできたのではないかと…僭越ながら高く自己評価しております。
極論ですが…「笑いのセンス」は「良し悪しではなく、相性」だと思います。
相性が悪ければ、うんともすんとも反応しないものです。
プロデューサーでも 超保身のくせに 手柄は独り占めする輩も たま~にいるのも事実。
出会った年齢も良かった。
大学を出て、社会人も数年経験した後だったので…「崖っぷち」でした。
向こう気も強く 企画にビビり 去勢されることを何よりも恐れた。帰れる家はなく、就ける職業も限られていた。
少々の辛さやわかりやすい暴力に対し 愚痴っている友だちも余裕もなかった。
伊藤さんは決して、気が長い性格ではなく キレるのも異常に早い。
その代わり、“肩書きやポジションを見て忖度しない”子どもの感性でした。
番組会議ともなれば 歯に衣着せぬことをズバズバ言うので 敵も多い。
好き嫌いも多く 未だに恨みをもっている業界人も多いという噂を聞きますが… 私にとつては「恩人のひとり」「師匠といえば、師匠。心の師です。」
伊藤さんがいう、元も子もない事って… めちゃ残酷な時も多いんです。
と同時に すごく 的を得ている上に説得力もあるから 爆笑を誘うんです。
同調圧力に屈しない あの姿は 私の憧れであることに変わりはありません。
「ディレクター」&「放送作家」の超二刀流だった頃の伊藤さんに出会えたのが私の運と生涯の財産。現在のテレビ界においても「伊藤輝夫 門下」のディレクターと作家がいまだ現役。多数活躍している理由も理解できます。
確かに(何回、言うねんWW!)非人間的環境下における肉体労働でした。
でも、どこかの宗教団体のように「監禁」「軟禁」は 一切なく
…それどころか?同期のバカは 渋谷や新宿でナンパしてきた女の子をお土産。
神聖なる会社のフロアーで 飲めや歌えやの 乱痴気騒ぎの宴でした。
見つかれば、見つかったで…
基本 全員 番組の面白さだけしか興味がないアホばっかり。
毎晩コントのような事件と会話が日常でした。
「誰やねん?この人たち? 今、夜中の2時やぞ!」
「早朝ロケで仕込んだ 女の子です!」
「うそつけ!奥のオバはん、五反田の熟女パブのベテランやないか!?」
「今は、五反田ではなく…鶯谷です。熟女パブではなく…」
「どっちでも ええわ!」
最低、最悪、最高の日々でした。
楽しいといえば、楽しい竜宮城のような毎日なのですが…
私の目標はこの劣悪な環境から 一秒でも早く独立し 抜け出すことでした。
しかし、このまま 日本一危険なアジトに潜入しながら…
伊藤輝夫が築いた テレビ界の至宝を 発掘しないまま脱出するのは
あまりにももったいない。体験談をネタにするにしてもこれでは数が足りない。
「誰の?何を?見習い どんな方法で勉強するべきか?!」
修業期間は ずっ~と そればかり 考えていました。
芸人さん、板前さん、職人さん ほか
あらゆる世界の「師匠と弟子」では ひんぱんに使われるこの決め台詞。
「芸や技は、教わるものじゃない。盗むものだ!」…と聞きますが
いざ自分がその立場になれば そんな簡単な話ではありません。
“盗むものもわかれば 苦労するか!”と終始 イライラ状態。
そんなある日、私の事実上の“師匠格”にあたる人物。(当時)伊藤さんが
もっとも信頼していた弟子「高須信行」さんと出会いました。
もう、ずいぶん お会いしていませんが…
高須さん、元気でしょうか??
あれ以来、あれほどの才能と画力とは出会っていません。
とにかく 飛びぬけた 才能をもった ディレクターでした。
あっ、ずいぶんと 長くなってしまいました。
このあたりの話は また機会があれば…ぜひぜひ!
こんな 過去をもつ私が、「秋の夜長ソング」で推薦したのは
≪ムーンライト楽団≫の『ムーンライトセレナーデ』
なぜ?私がこの曲を推薦したのか?気になる方は、
ラジコのタイムフリー(1週間無料サービス)でも番組をお聞きください!
私「柳田光司」宛の 応援メール、ハガキ、郵便なんでも結構です。
一行メッセージでもかまいません。必ず目を通させていただきます。
こちら「R45 ALL THAT 補足」も読んで下さいね~!
次回の『R45 ALL THAT “らじヲ”supported by Joshin』は、
9月21日(金曜日)夜9時から。
来週も お付き合いのほど よろしくお願いいたします
谷口「わー、わー、言うてます!」
柳田「お時間です!」
2人「さようなら!」 …(つづく)