R45 ALL THAT 補足 (文&画 柳田光司)
「R45オールザットらじヲ」を担当しています「柳田光司」です。
「柳田?!? 誰やねん?」というクレームを少しでも解消するため
「長~い 長~い自己紹介」をさせていただくことになりました。
第41回「初盆で イキり満開ソング」(2018年8月10日 OA)
私「高校野球」の味方です。
「夏の全国高校野球選手権」を観戦するのが とにかく 好きなんです。
「高校野球に凡戦なし!」が持論ですが…
『8月16日』は、球史に残る劇的な試合が多いのをご存知でしょうか?
・江川卓の雨中サヨナラ押し出し四球
・松井秀喜5打席連続敬遠
・豊田大谷対宇部商業延長15回は すべて「16日」に開催。
よほどの予定がないかぎり、お盆の16日は高校野球を見るようにしています。
で、「星稜」対「箕島」延長18回の戦い。
この試合も、8月16日(昭和54年)でした。
思えば、我が家の「茶の間」が最後に盛り上がったのが…
「星稜」と「箕島」の 高校野球中継だった気がします。
あの時の「空気感」と「家族感」は 一生消えることのない瞬間でしょうね。
小学5年生でした。
気がつけば「箕島」を応援していました。
同じ近畿勢。和歌山県代表の「箕島(みのしま)」だという理由も大きかったのですが… 箕島の帽子のデザインが町内野球の帽子デザインとほぼ同じ。
我が町内と同じ黒字に、オレンジ色の糸で刺繍された【M】がお気に入りでした。
目を閉じると… はっきりとあの時の茶の間の光景が
… サッと 脳内で立ち上がります。
NHKから異例のNHK教育テレビへのリレー中継。
隣の家からも、同じ歓声。一喜一憂の声援が聞こえます。
根っからの凝り性なので…
試合が終わってからも「星稜」対「箕島」の資料インタビューをむさぼるように、何百回、何千回と読み返すほど(笑)…好きなんです。
おそらく、試合をおこなった選手たちより
試合の流れを時系列に、きれいに整理できている自負があります(汗!)
(試合前・①)星稜「山下監督」の証言
➡金沢を出発する前、校長にベスト8まではいくと約束。
だから、なるべく弱い高校と当たりたかった。
➡一回戦、キャプテンに不戦勝を引いてこい!と強く言ったら…
本当に不戦勝を引いてきた。
二回戦(練習試合でよく対戦していた)近畿勢と当たりたい!
すると、京都代表(宇治高)に決まった。
➡そして、三回戦は(優勝候補)「箕島」を引いてきた。
箕島4番ファースト「北野」の証言
➡ 三回戦の抽選。キャプテンの上野山に相手はどこでもいい。
でも、とにかく“第4試合”を引いてこい!と注文した。
一度でいいから、甲子園のナイターを体験してみたかった!
(試合前・②)
箕島9番ピッチャー「石井」の証言
➡午前11時。厚生年金グラウンドで軽いウォーミングアップ。
肩慣らし程度にキャッチボール。それだけで練習を切り上げた。
➡苦戦するなんて夢にも思わなかった。自分のピッチングをすれば勝てる。
4度目の甲子園。マウンドに立ってアガるなんて考えられなかった。
箕島4番ファースト「北野」の証言
➡「甲子園に入ったのは午後2時半ぐらい。
ベンチ裏の廊下に着いた時には星稜のメンバーは揃っていた。
廊下を挟んで、向かい合って座っていた。
➡少しでも緊張を和らげようと、夕方4時から始まったら何時に終わるか?
日没は何時ごろ?ナイターはできるか?などチーム仲間と雑談していた。
【試合の流れ①】
先攻星稜。後攻箕島で16時06分試合開始。
9回を終えてもスコアは1-1。試合は延長戦に入った。
甲子園球場の照明灯のスイッチが入れられ、ナイターとなる。
箕島 選手たちの証言
➡「延長戦に入った時、守備につこうとすると(尾藤監督から)
光線が入って、目がチカチカしたら…グラウンドの黒い土を見ろ。
外野は、足元の芝を見ろ!」とアドバイスされた。
【試合の流れ②】
12回表、星稜の攻撃。
1死1,2塁のチャンスを作ると、石黒が打ったゴロを…
二塁手の上野山がトンネル。星稜が1点勝ち越す。
箕島 故・尾藤監督の証言
➡上野山は甲子園に来てから38度の熱があった。
➡和歌山から、かかりつけの医者を呼び、ずっと診断してもらっていた。
箕島 3番セカンド 上野山選手の証言
➡「チームをひっぱるキャプテンなので出場していた」…というのは美談。
確かに熱はあったが… 他の部員に言うと心配される。
「最後の甲子園には、なんとしてでも出たい。9回すぎれば試合は終了。
体を休めるのはその後でいいと安易に考えていた。」
➡高熱とエラーとのまったく関係は無い。
(トンネルをした時は)はっきりとボールは見えていた。
一塁ランナーが前を走ったので、その瞬間チラッと見たのかもしれない。
打球はグラブの先に当たって…気づけばトンネルをしていた。
➡タイムがかかって、内野手が全員 マウンドのところに集まっていました。
でも、僕はしまったという思いと、
エラーをした恥かしさで 輪の中に行けなかった。
➡スコア―ボードの電光掲示表に“E”のランプ。
みんなは“大丈夫!大丈夫!”と声をかけてくれたが…
もう、俺のエラーが原因で負けるなぁ…って思いました。
➡12回の表。星稜の攻撃が終わり…ベンチに帰った後 僕は泣いていました。
悔しさと、申し訳なさで 泣くしかなかった。
箕島 選手たちの証言
➡守備位置から全力疾走で帰って来たナインがベンチ前で円陣を組んだ。
その時、上野山がいち早く円陣の真ん中に飛び込みました。
「すまん!すまん!すまん!すまん!」
涙と鼻血で顔をくしゃくしゃにしながら、主将はひたすら謝っていました。
箕島 3番セカンド 上野山選手の証言
➡12回の裏もすぐに②アウト。ますます、落ち込みました。
箕島 故・尾藤監督の証言
➡「敗戦インタビューを受けなければいかんなぁ…
取材にどう応えようか…考えていました。」
【試合の流れ③】
12回裏、箕島の攻撃。2死。
追い詰められた箕島の次打者「嶋田」が尾藤監督にこう言ったという。
「監督、ホームラン 狙っていいですか?」
そして彼は、本当に
ホームランを打ってしまう。
箕島 嶋田の父親の証言
➡バッターボックスに入りかけた息子がくるりと方向転換して
ベンチに戻り、何やら告げている様子。
いったいどうしたんやろ?って 心配していました」
星稜 ピッチャー・堅田選手の証言
➡ヒットは打たれるかもしれない。でも、ホームランはないだろうと思っていました。ただ、漠然と警戒しなければと感じていました。
箕島 1番キャッチャー 嶋田選手の証言
➡実際は、「監督、ホームランを狙っていいですか?」ではなく
「監督、ホームラン狙います!」と宣言した。
➡ひょっとすれば、これで最後になるかもしれない。
もし、凡打で終わっても笑い話ですむ。
それはそれで、青春時代の良い思い出になると思った。
箕島 (当時1年生;バッティング投手)松下博紀の証言
➡嶋田先輩は、あの時 いつもと違うバットを持って打席に入りました。
アルプス席から見ていましたが…完全に狙いにいっていたと思います。
星稜 ピッチャー・堅田選手の証言
➡「嶋田に投げた2球目のカーブ。
本来は右打者の内角を食い込むように曲がる。
しかし、外角高めから真ん中に入ってしまった。
星稜 ⑦番センター・山下選手の証言
➡箕島戦は3年間で一番楽しい試合でした。
いつまでも続けばいいなと思っていました。
12回に嶋田君のホームランで同点になったけど、全然がっくりこなかった。
【試合の流れ④】
2-2、同点。 14回裏、箕島の攻撃。
1死3塁のサヨナラのチャンスを作るが…
星稜の三塁手若狭の
かくし球 によって潰される。
星稜 9番サード・若狭選手の証言
➡ ここまで、⑤打数5三振とまったく良い所がなかったので、
ここらで、何かやってやろうと狙っていました」
箕島 サードコーチ(副キャプテン)中本選手の証言
➡ 一生の不覚。あの時、隠し玉を見抜けずめちゃくちゃ悔しかった。
私は、常勝の箕島にいながら、3年間でたったの1打席。
それも練習試合の①三振。守備についた事もない。
ずっと下級生の指導係でした。…だからこそ、余計にツラかった。
箕島 故・尾藤監督の証言
➡「スクイズのサインをいつ出そうか?そればかり考えていました。
スクイズ~サヨナラ勝ちのシーンがチラついていました。」
【試合の流れ⑤】
16回表。箕島・石井の投球数が200球を超えた。
星稜の攻撃。⑦番センター山下の適時打で勝ち越し。
この試合三度目のリードを奪う。
星稜「山下監督」の証言
➡「これで勝てる!!
…延長16回この試合で 初めて勝てる!と思いました」
箕島 故・尾藤監督の証言
➡「これで、負けても悔いはないと思いました」
【試合の流れ⑥】
16回裏。星稜3対2箕島。 この試合の最大の山場がやってくる。
堅田は簡単に2アウトをとる。
迎えたバッターは⑥番センター森川。
森川は、定時制学科の生徒だった。
さまざまな家庭事情を抱えた生徒のひとりだった。
校門をくぐると 全日制の生徒(ほかの部員)は教室に入るが…
彼は部室に直行する。
学生服からトレーナーに着替え10キロ離れた自動車工場まで走る。
9時~15時まで油まみれになりながら働き、
再び10キロの道のりをランニング。
野球部の練習に参加できるのは、4時~5時半までの90分だけ。
その後、学生服に着替えて教室に向かい
9時すぎまで授業を受けて帰宅していた苦労人であった。
森川は、初球を打ち上げる。
力無い打球が一塁側ファールグラウンドに上がる。
一塁手の加藤が打球を追いかけ――転ぶ。
まさかの落球だった。
原因はこの年からファールグラウンドに設置された人工芝。
16回まで闘った疲労・緊張もあった。
ほんの数分前、一塁手「加藤」の転倒であやうくゲームセットを逃れた
箕島の「森川」は、左右間のスタンドにホームランをたたき込み、
とびはねるようにしてダイヤモンドを一周。
森川にとって、それは初めてのホームランであった。
ABC実況の植草アナはこの時
「甲子園球場に奇跡は生きています!」と絶叫!
試合は18回、最終イニングまでもつれてしまう。
箕島 故・尾藤監督の証言
➡「こんな試合、初めてやなぁ。うちの子たちすごいなぁ。いい経験や。
これほどのゲームができているのは星稜の子もすごいからや。」
➡「もしも、再試合になったら…
明日はヒロシを頭から使おう!と 考えていました」
この時、箕島高校のブルペンには「江川 博」という控え投手がいた。
江川は幼いころ目を負傷し片方が「義眼」だった。
練習試合では何度も登板していたが…甲子園のマウンドはまだだった。
(石井の控え、ヒロシ)江川は、声がかかるのをずっとずっと待っていた。
【試合の流れ⑦】
3-3、三度目の同点。
その後、星稜は18回表に満塁のチャンスを作るが無得点。
規定で延長戦は18回までと決まっているので、この時点で星稜の勝ちが消滅。
(引き分けの場合は、翌日 午前8時半から再試合)
箕島 選手たちの証言
➡「ベンチに帰ってきた石井は、崩れる様に腰をおろしながら…言った。
もう、よう投げん。頼むから一点とってくれ。明日は、よう投げんよ。」
自尊心の塊のようなエースが初めて漏らした弱音だった。
【試合の流れ⑧】
18回裏。箕島の攻撃。
先頭打者(代打:俊足の辻内)四球で出塁。
星稜 堅田投手の証言
➡「先頭打者を四球で歩かせた後、マウンドを降り、キャッチャーの近くまで
歩みよった時、ボールを受け取りました。
その直後、打席に立った上野山(箕島)の顔をのぞきこみました。
顔色が悪く、大丈夫かなぁ…って心配になりました。」
次打者の上野山は、スリーバント失敗で三振。
箕島 ③番セカンド上野山選手の証言
➡両穴から、鼻血が止まらなくなりました。
その上、熱があがり、ほとんど球が見えていませんでした。
続く ④番北野は…四球。
箕島 (当時1年生;バッティング投手)松下博紀の証言
➡北野先輩は、あの時 嶋田さんがホームランを打ったバットを持って
打席に入りました。
アルプス席から見ていましたが…完全に狙いにいっていたと思います。
結果、四球になり…本気で怒っているのがわかりました。
1死、1塁、2塁。打者は、⑤番ショート上野。
星稜 堅田投手の証言
星稜ベンチから伝令が飛んだ。
そこには山下監督の走り書きがありました。
「悔いのないボールを、思い切り投げろ」
でも、私の握力は限界。ボールを握るのがやっとでした。
⑤番ショート上野が打ったのはボール球だった。
打球が左中間に転がる。
二塁ランナーの辻内がヘッドスライディングでホームに帰ってくる。
「ゲーム・セット」
4-3、箕島のサヨナラ勝ち。
試合時間3時間50分。19時56分試合終了。
堅田は208球、石井は257球を一人で投げ抜いた。
星稜戦では、勝った瞬間、ベンチから真っ先にグラウンドへ飛び出したのは
背番号「11」をつけた 義眼の控え投手「ヒロシ」(江川博)だった。
≪伝説 あれから≫
【延長18回 星稜VS箕島 の後日談】
永野主審の証言①
➡「試合終了後。私は、他の審判に同意を求めました。
この試合に限り、選手同士 握手することを認めよう!
本来、それは妙な流行になるという理由で禁止されていました」
永野主審の証言②
➡「選手たちが、それぞれのベンチに行くとき
私は三塁側に引き上げる“星稜の堅田選手”を待っていました。
この試合で使っていたボールを一個、彼に手渡しました。
堅田君は帽子をとって、無言で受け取りました。」
木嶋一黄(二塁の審判)の証言
➡「ゲームセットやなぁ…と思ったその瞬間、
フライを捕ろうとした一塁手がころぶ。ボールはグラウンドに転がる。
命拾いした打者のバットが快音を放つ。
ホームランを確かめ、右腕をぐるぐる回しました。でまた同点。
「こんな試合あるんか、奇跡やー」胸の中で叫んでいました」
➡ちょうど私が、甲子園の審判となって4年目、30歳の夏でした。
小さなミスが続き、逃げ出したくなっていました。
「大会を降りたい」と先輩にいうと、
「あと一試合やってみろ」って言われました。
それが「星稜」対「箕島」の試合でした。
私の人生にとっても、奇跡の試合でした。
➡甲子園の神様から『高校野球すごいやろ。お前、ほんまは審判やりたいやろ、がんばれ』といわれた気がしました。
達摩省一(三塁の審判)の証言
➡「あの試合は最高。もう十分や、引き分けでええやないか、
再試合させたいなあと何度も思いました」
➡「実は私、寝屋川高(大阪)で投手、別の高校で監督として甲子園を
めざしたが、夢かなわず、審判になってあこがれのグラウンドに
初めて甲子園に立ちました。気づけば、涙があふれていました」
吉田(旧姓・小林)加寿男(一塁の審判)の証言
➡「私も城東工業(大阪)時代、甲子園に出られなかった元・球児です。
目の前でころんだ星稜の一塁手のことがずっと心配でした。
でも彼(加藤君と)25年後、星稜と箕島OBの招待試合で再会。
彼が、野球の指導者となっていたことにほっとしました」
星稜入学時、約40人で入部も猛練習に耐えられず、残ったのは8人。
3年間、星稜のメンバーは対戦相手ではなく、
ベンチの指揮官とも勝負を続けていた。
星稜「山下監督」の証言
➡試合後、泥だらけのまま宿舎に帰った。
夕飯を食べる前に、全員で風呂に入ろうということになった。
すると、いっせいに 校歌を大声で歌いだした。
甲子園で歌えなかった校歌を歌いました。
箕島 選手たちの証言
箕島のエース石井の控え投手であった「背番号11の江川博」
高校卒業後 大学から社会人野球に進み投手として開花するものの…
二十四歳の若さで永眠。
尾藤監督と私たちチームメイトは、
涙を流しながら「ヒロシ」の棺を担ぎました。
星稜「加藤一塁手」の証言
➡あの試合のおかげで普通の人生を歩ませていただいている感じです。
知らない人からでも「加藤さんですね」とか言われるんで、
変なことできない(笑)。
高校卒業後、北陸銀行で硬式野球を続けたが、腰を痛め転職。
2012年から「石川ボーイズ」の監督ヘッドコーチとして
ふたたび 野球に携わるようになった。
永野元玄(主審)の証言③
「…実は、私には思い出したくない過去があります。
あの試合、一塁手の転倒を見た瞬間
「ぶあーっと自分がオーバーラップしました」。
土佐高(高知)の捕手としてのぞんだ甲子園の決勝で、
9回最後の打者のファウルチップを落球、そのあと逆転負けした。
あの日のつらさがよみがえったんです」
永野元玄(主審)の証言④
私が、試合後 堅田君に渡したボールは、
試合の途中に使っていたボールなんです。
ゲームセットのボールでは負けた時を 思い出してつらいでしょう。
公立校唯一の春夏連覇を達成することになる箕島を、
「2度にわたり、あと1アウト」まで追い込んだ
星稜のエース「堅田 外司昭(としあき)」投手は…
2003年夏から 審判委員として甲子園に戻ってきた。
堅田さんは、昨夏の選手権大会では開幕試合の球審を務め、高校野球生誕100年を記念した始球式に臨む王貞治さん(75)をエスコートしている。
ウチの親父に、もはや浪曲のように 何度も何十回も…
この奇跡のドラマを語るとすごく歓んだものです。
年齢的には、すでに当時の審判員より上になってしまいましたが…
ひとつの現象を掘り返していくことで…
かならず 見えてくる“新しいアングル”がいかに大切なことかと痛感。
この夏も、筋書きのないドラマに夢中になっています。
こんな 亡き父親が愛してやまなかった高校野球の思い
真剣に語る私が、「初盆で イキり満開ソング」で推薦したのは
≪大西ユカリ≫の『テネシーワルツ』です。
なぜ?私がこの曲を推薦したのか?
気になる方は、ラジコのタイムフリー(1週間無料サービス)でも
番組をお聞きください!
あと11日で 50歳の大台にのってしまう(汗&開き直り!)
私「柳田光司」宛の 応援メール、ハガキ、郵便なんでも結構です。
一行メッセージでもかまいません。必ず目を通させていただきます。
こちら「R45 ALL THAT 補足」も読んで下さいね~!
次回の『R45 ALL THAT “らじヲ”supported by Joshin』は、
8月17日(金曜日)夜9時から。
7月20日~8月31日まで、計7回にわたっての特別企画。
「イキりの瞳に 恋してる2018」
次週 第5戦目の選曲テーマは「避暑地で イキり満開ソング」
来週も お付き合いのほど よろしくお願いいたします。
谷口「わー、わー、言うてます!」
柳田「お時間です!」
2人「さようなら!」 …(つづく)