‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その10(リアルにおける差別)‐
テーマ:歴史問題
『‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その10(『外人登録法』の差別問題)‐』
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こちらにおいて、「韓国籍」と「朝鮮籍」の区別による差別を紹介しました。
今回はシリーズ最後で、その「実例」を示していこうと思います。
<窓口における圧迫・差別・強制>
国籍選択の自由に対する市町村窓口での吏員による干渉の実例は、著しい数に達します。たとえば本人不知のうちに、係員が調べもしないで勝手に「韓国」と記載していた例も多数の上ったこと。国籍欄が「韓国」となっている在日朝鮮人の絶対多数が文盲であり、生活程度も、民族意識も低いことに付け込んで、「韓国」と勝手に記載された実例も枚挙にいとまがないほどであります。
また「韓国駐日代表部のデマ宣伝」も無視できません。それによるともし韓国籍に変えなければ、日本政府から強制退去をさせられたり、商売することも、就職することすらできないと脅してきたくらいです。無論事実は「韓国籍」であるともなかろうとも、在日コリアンに対する偏見が強い日本社会で、就職して働くという選択肢は最初から除外されていて、通名を使ったり、帰化するか、自ら企業を起こして生計を立てるしか手段はありませんでした。
<出入国管理令第二五条による圧迫>
実際において在日朝鮮人の圧倒的多数が「南朝鮮出身者」であることは周知の事実であり、この人々が人生の諸起伏の解決において韓国への往来を要するであろうことは、十分に理解できるものです。
ところが、ここでも入国管理令第二五条がきて、『本邦外の地域におもむく意図をもって出国しようとする外国人は、その者が出国する出入国港において、入国審査官から旅券に出国の証印を受けなければならない』としました。
この「旅券」がくせもので、この旅券を発給できるのは、富田入管局次長によると「韓国人の場合は韓国ミッションである」と答えています。
つまり旅券を発給できるのは韓国駐日代表部しかないわけで、そこからの旅券の提出を求めることは、事実上「韓国籍者」しかできないわけであり、日本政府は間接的に国籍変更の強制を行いました。
<官憲による直接の圧迫・強制>
仙台市在住の李某氏は最近同町内で住所を移転しました。その時仙台南署は「番地変更の提出」が遅れたとして、李氏を呼び出して「番地変更登録の義務違反を見逃してやるから国籍を韓国に変更せよ」と脅迫しました。
宮城県塩釜市在住の康某氏は市役所で「登録の切替」申請したところ、国吏員は康氏が文盲であるのにつけこみ、朝鮮籍を韓国に書き換えて、素知らぬ顔で「新登録証」を交付しました。
63年9月のこと、東京都下立川市に在住する李某氏は、自動車免許を取得する手続きの際、国籍欄の記載の朝鮮を勝手に韓国に書き換えられてしまいました。李氏の抗議に対して、警察当局は「日本が承認しているのは韓国であるから朝鮮にすることはできない」として、「韓国籍」を強要しました。
※この項については『在日朝鮮人の法的地位に関する研究報告』を参照。
なお1961年2月現在での、日本における『外国人登録国籍別人員』は次のようになります。
朝鮮 567.452人 (全体の88.6%)
中国 46.326人 (全体の7.2%)
アメリカ 13.154人 (全体の2.1%)
イギリス 1.933人 (全体の0.3%)
ドイツ 1.407人 (全体の0.2%)
カナダ 1.266人 (全体の0.2%)
その他 8.857人 (全体の1.4%)
総数 640.395 (全体の100%)
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房