‐シリーズ こうして「在日」は生まれた その8(『韓国籍』の特権について)‐
テーマ:歴史問題
60年代当時における在日朝鮮人60万人のうち、八~九割までは「韓国籍」を望まず、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)公民としての「朝鮮籍」を望んでいました。
これらの人々について、首に縄を付けて「韓国籍」をはりつけることは事実上できません。
そこで「韓国籍」希望者に在留権を保障するという、禁断の手を日本政府は使い、「永住権」付与の『特権』をちらつかせ、一方それを希望しない人々に対して「※無国籍扱いする」とんでもない威圧を加え始めました。
※「韓国」の国籍を拒否する在日朝鮮人の国籍について、これを「国籍証明の得られない朝鮮籍の外国人」または「国籍証明の得られない外国人といえばよい」(雑誌『外人登録』第七一号)としています。
では、「韓国籍」希望者に限って得られるという『永住権』とは何か?
1.「韓国国籍証明書」を有するもので、1952年4月28日以前から日本に引き続き居住している者。
2.サンフランシスコ講和条約発効(52年4月28日)後に生まれた者のうち、日韓会談の妥協とそれによる日韓協定が発効してから20年後までに、本人が永住を希望した者。
大別すれば、以下の2つに該当する「韓国籍」所有者に限ってのみ付与される、たいへん狭き門でした。もちろん、恣意的に「狭められたもの」と考えるのが妥当です。
しかし、日本にいる朝鮮人の在留事情から類推すれば、在留の安定保障ではなく、逆に在留権の制限になるのは明白でした。
更に詳しく追って見ると、在日朝鮮人の在留資格というものは、このようなものになります。
①1945年9月2日以前から、1952年4月27日まで引き続き日本に在留している者、およびその子で1945年9月3日から1952年4月27日まで生まれた者は、在留資格(出管令二二条二の第一項)にかかわらず在留できる。
②1952年4月28日以降に生まれた①該当の子は、在留資格を得なければ在留できない(在留期間は3年)
③法務大臣から特別に在留を認められた者(通常在留期間は1年)
これらを法の適用上から区別すると、
イ.外人登録法だけの適用を受ける①の者
ロ.外人登録法と出入国管理令の両方の適用を受ける②③の者
このように、在日朝鮮人は親と子の在留資格が異なり、法の適用でも区別が生じ、そこから起由するさまざまな差別と不条理の中で、まことに不当な状態に置かれていました。
このような現実を目の前に、日韓会談の『永住権』では解決されません。
なぜなら、前記1の親と2の子では、在留資格が異なっていて、それだけではなく、45年9月2日以後に、夫を頼って妻が日本に来たような場合は、すでに特別在留が認めらていても「永住権」は与えられないからです。
このように戦後処理もままならない、自ら生み出した不手際という、手前のクソの始末もまともにできない日本が、偉そうに在日コリアンに対して、無礼な発言ができるわけがないのです。いや、むしろ積極的に「無慈悲な扱い」をしてきたわけですが。。。
いずれにせよ、不当に制限・区別された在留資格で、日本にいる朝鮮人が在留している現実を、日韓が設けた『永住権』では解決しないばかりでなく、逆に「在留権」を狭めさえします。
このため、「韓国籍」を希望していた『在日居留民団』の朝鮮人までもが、日韓会談に反対するという事態に陥りました。
次回は、現実の在留権を保障しない『永住権』は、「強制退去」の適用強化でより一層制限され、骨抜きにされる現状を語っていきます。
<参考資料>
・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第3巻 勁草書房