宮澤エマさん「栗子のいいわけ〜私もいいわけ、したかった〜」
第1週に強烈なインパクトを残し、そのあとぱったり消息不明だった栗子が思いもよらぬかたちで現れました。ある意味、千代の人生を大きく動かすきっかけになった栗子とは、どういう女性なのか?なぜ、あんなひどい仕打ちを千代にしたのか?宮澤 エマさんが思う「栗子のいいわけ」を聞かせていただきました。
行き場を失ったどん底の千代の前に、栗子が現れて驚きました。
栗子としては、いてもたってもいられない、体が先に動きだしちゃったというところだと思います。自暴自棄になっていて、どん底にいるときは、優しい言葉を友人にかけられるよりも、全然何も知らない人に話しかけられるほうが、話せたりするときもあると思うんです。遠くで見ている栗子だから、わかることもあるのかなって。
再登場までの間、どうやってモチベーションを保っていましたか?
1週目の撮影をしたのは、本当に約1年前。コロナ禍で、ここまで撮影が延びるのは想定外だったんですけど、空白の時間、千代ちゃんの成長を一視聴者として、逐一追っていくべきか迷いました。千代ちゃんが舞台女優になってからは、見ていたんですけど、奉公へ行ってからの千代ちゃんは意識的に見ないようにしていました。見てしまうと、また違う感情が生まれてしまいそうだったので。会わない30年ほどの間、千代ちゃんの人生とは別に、栗子も壮絶な人生を送っていたと思うんです。なのである意味、全然違う世界に自分は行っていて、21週目でガッとまた「おちょやん」の世界にフォーカスを戻してきた感じでしたね。
栗子という女性は、どういう人物だと思いますか?
「サバイバー」。その言葉が合ってるのか、わからないんですけど、栗子はあの時代を生き残った女性だと思います。テルヲさんのところへ転がり込んだことも栗子にとって生きるすべ。ツッコミどころはいっぱいあるんですよ。「あんなボロボロの服を着た人がお風呂つきの家に住んでいるわけないな」とか(笑)。でもわらにもすがる思いで「今度こそ、この人と幸せになるんだ」って思ったんでしょうね。だけどふたを開けてみたら、テルヲさんはあんな感じで。子どもができたことで、栗子の思考回路が変わったんだと思うんです。「どうやったらこの子を幸せにしてあげられるか?」を考えるようになったというか。テルヲさんから逃げたのも、かなりせっぱ詰まって、生き延びるために出て行ったというのが想像されて、なりふり構わず自分の足で立って働こうと思ったんだと。子どものころの千代ちゃんには、堕落した大人の女性に見えていた栗子だけど、大人になった千代ちゃんは「彼女には彼女の事情があったんだ」って思えたんじゃないでしょうか。
第1週、「奉公に出したら?」と言った栗子ですが、あれはどういう考えだったと思いますか?
栗子は栗子なりに、生きぬいていく方法を選択しているので、奉公に出すというアイデアも、意地悪や悪意だけではなかったのかなと思います。事実として、奉公先でご飯も食べられるだろうし、生きるすべを教えてもらえるだろうし。当時の世界観で考えると本当に、生きる選択のひとつだったのかなと。この部分に関しては、今のさじ加減とは違うから、現代の私が栗子に寄り添ってあげたいと思いました。
ここまでの放送で、話題になっていた花籠の送り主が栗子でしたね。
じつは、最初にディレクターさんから言われたことだったんです。「栗子は千代のまま母だけど、いずれ“紫のバラの人”(『ガラスの仮面』の登場人物)のように、ずっと花籠を送り続ける人なんですよ」って。第1週では最低なまま母だけど、時がたてば人も変わり、千代ちゃんにとって違う人物になっていく。花籠は時代の変化、人の変化の象徴だったんです。「償いで花籠を送っていたんじゃない」と栗子が言うように、ピュアに千代ちゃんの活躍を見ることができた喜びと、同じ女性として、しかも芸事をかじった人間として「頑張ってほしい」と思う気持ちが素直に表れたものだと思います。本当に栗子が千代に謝るというか、心を許す瞬間は、自分が花籠を送っていたことを話すときだと思っていて、“千代”って初めて呼んだのもこのシーンだったんですよね。それまではずっと“あんた”で。この瞬間に、憎いまま母VS連れ子という呪縛が解けて、一人の人間として向き合えたんだと思います。
[私(宮澤 エマ)の言い分]
視聴者の皆さんは、たくさんの情報が栗子に対して得られるわけではないので、私は、その部分を埋める作業をして演じていました。小さな千代に対して「本当にひどいまま母だ」って感じたと思うんですけど、「もし自分が栗子の状況だったら」と、広い心で見ていただけたら...(笑)。きっと、彼女の生き残り方を理解してもらえるかなって思います。
生き残ったからこそ、千代と栗子、春子の3人が再会できたわけですし。
私にとって、栗子を演じたことはすごく大きなチャレンジで、すごく満ち足りた時間でした。