大切なモノ

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改めまして、

舞台「福の屋大衆劇場と奇妙な住人達1982改訂版」に

ご来場頂いた皆様、ありがとうございました。

千秋楽から2日が経ち、例のごとく化粧品なども洗って荷物も整理して、

色々とホッとひと息ついたので、

いつものように〆のブログを書いていきたいと思います。



まずは、

重ね重ねではありますが、ご来場下さった皆様、最後まで温かいご声援を本当にありがとうございました。

今回は、稽古中から台風の猛威に僕らも影響を受けましたが、こうして予定通り開演出来たことを、心より嬉しく思います。

が、

本番中もまた台風の影響を受け、当日はキャンセルが出たり来れない連絡があったりしたとも聞いています。

来れなかった方、またそれ以上に被害を受けた方々には1日も早くいつもの日常が戻ることを願っています。

そして、

今回観に来て下さった方々には改めて感謝を申し上げます。




今日で千秋楽から2日が経ちますが、

その千秋楽の開演前の円陣の時にふと、2年前のサスライ1の時にも感じたことをまた思い出しまして。


こんなにも誰かを笑顔に出来ることは役者として以前に人としてとても誇れるべきことだなって。


今回も、沢山の笑顔に包まれた、とても素敵な空間を味わわせて頂きました。

何度経験しても、なかなか経験出来るものではないって思っています。


同時に、

役を通して、またひとつ得難い想い、感情と向き合うことができました。


今回の、

「紅男」

という役を作っていく過程で特に感じたことがあって、

20歳という男の子の未完成さというか、その表裏一体さというものでした。


過去のことをアオイに黙っていたのは、その記憶がないアオイに改めて真実を告げて傷つける必要はないと思っての紅男の優しさ、

でもその裏で、

自分のせいで母親が、、と思う後ろめたさ、罪の意識、真実を告げない代わりに兄として接する事ができない代償。

だったり、

アオイのため、劇場を存続させるためという自分ではない何かのための理由があるけれど、

じゃあ今勢いがあるとは言え紅男が辞めた後の劇団は?残された劇団員たちは?

という、彼の中の1番大事を優先させた結果何かを間接的に犠牲にしてしまうところだったり。


僕も20歳の頃は、その小さい頭では抱え切れない考えきれないことが沢山あったし、

ひとつひとつの大事にするべきものの選択の裏で、知らぬ間に犠牲にしてしまっていたものもあって、

でもそれは後から振り返って初めて知ったり、

つまり、今回はその、20歳という年齢の不安定さ、守れるものの限り、みたいなものがこの紅男という役の魅力だなと僕は思いました。

そして、

子供のくせによく気が利く子だった

と本編では形容されていますが、一の城の台詞をよーく聞いていると、ああ、紅男のそういうところは一の城譲りなのかなって、

でもその気ぃ遣いなところが心に抱えている重圧とのコントラストをより鮮明にしているなぁって、

人間らしい体温も魅力のひとつに感じました。


今の自分を取り巻く環境がある程度自分のしてきたことの結果だとしても、

生まれながらや育っていく環境は自分で決められない部分もあって、

それがたとえ不遇であっても恵まれなくてもでもその経験があったからこそ人一倍誰かに優しく出来たり痛みが分かってあげられたりもする。

それにまわりから見たらネガティブに見えたとしても本人はそれを誇りに思ったり幸せに思ったりしてる。

その中で強く生きようと。



あまり語り過ぎて役の持っているものを重くし過ぎてしまったらエゴになりかねないから。笑

この辺で辞めておこうと思うけど、

巴や京谷と向き合っていた時にも思ったのですが、

10代20代の不安定さ、未完成さ、みたいなものがとても貴重だなって。

人としての弱さとか。

それはきっと幸せ過ぎると感じられないものだから。


…26になった今、そういう年齢的な演じがい、みたいなものの難しさであり楽しさを感じています。




サスライの井野真くんも好きだったけど、紅男くんも好きだなーって。

出逢う役出逢う役はもれなく全員特別好きだけどね。

















今回、この作品とこの役と出逢えたこと、

そして、

それを通して皆様と、みんなと同じ時間を共有出来たことを何より嬉しく思います。


この作品に関わる全ての方々に、

本当に、ありがとうございました。








































紅男役 北村健人

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