カスタマーレビュー

2021年3月31日に日本でレビュー済み
これはある意味、画期的な本かもしれません。
「フェミニズム」とか「ミソジニー」とか、そんな言葉を避けて通りたい男性陣にも、間口は広く敷居は低く難なく入っていけます。
男性との対談が挿入されているのが何よりも効果的なのですが、これは昨今、性差別について発信する男性が増えてきたことの現われでもありますね。
とはいえ、もはや中高年男性は聞く耳を持たない存在として見放され、あえて男の子を幼少期から育てるときに必要なこととして書かれています。
もちろん、中年男性にも読んでもらいたいです。
「もうすでに知っている」つもりの男性でも、とくに後半はグサグサきます。
これを読んで何も感じなかったら、森喜朗と同じだと思ってください。
むしろ、男であることは、「原罪」なのかもしれない、とさえ思いました。
ウーマンリブとか、メンズリブとか、これまでの功績は大きいけれど、ようやく両者が膝を交えて語り合う時期に入ったのかな、とも思います。
僕も、日々、訓練・鍛錬です。
(引用)
属性の違いによって世界の見え方が違うというのは仕方ないことですが、「自分は男性だから性暴力被害のことなんて考えたことがなかった」というのが当然なまま、多くの男の子が大人になるのは問題です。こんなに重大で深刻な暴力が毎日起きていて、苦しんでいる女性がたくさんいるのに、社会のもう半分である男性がそれにまったく無関心でいていいはずがありません。自分の家族や友達など身近な女性が被害を受けている可能性もあるのです。
(引用)
社会学者のケイン樹里安さんは、「『気づかずにすむ人々』『知らずにすむ人々』『傷つかずにすむ人々』こそが、特権を付与されたマジョリティである」と書いています。これにならえば、世の多くの男性はこうした女性の不安や悩みについて、「気づかずにすむ/知らずにすむ/傷つかずにすむ」人であり、やはり「マジョリティ」なのです。
(引用)
目の前に性差別や性暴力があって、できることがあるのに何もしないということは、消極的に不正義の状況に加担するということです。「中立」というスタンスはないのです。
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(これはBLM運動やウイグルやミャンマーのジェノサイドや日本の現政権の市民弾圧に黙っていることは「中立」ではない、というのと同じですね。 ~たぴお私見)
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