昔日 書籍化記念SSその2
書籍化記念SS第二弾。お父様のターン。アルベルの幼い頃のお話。7~8歳くらい。
ラティッチェ家の広い玄関で、当主たる公爵が膝を付いていた。絨毯が敷いてあるとはいえ、冷えた空気や床の温度を感じるだろう体勢だ。
だが、家令長のセバスどころか、公爵夫人のラティーヌも咎めたりはしない。
何故ならば、その腕の中には小さな少女がいるからだ。
泣くのを堪え、グレイルの肩口に目元を押し付けながらギュッとマントを握っている。幼い手は加減なく、手に布地を巻き込んでいる。出立前なので使用人たちが綺麗に整えたのが台無しになっている。
グレイルは領地の魔物の討伐に出る。
安全を守るための定期遠征であり、ラティッチェの兵を鍛えるための実技訓練でもある。
アルベルティーナもそれを理解しているが、大好きな父が長らく家を空けるということが寂しくて仕方がないようだ。
アルベルティーナが抱き着きやすいように身をかがめ、膝をついてやるグレイルの目は優しい。
ややあって、のろのろとアルベルティーナは離れた。だが、明らかに離れがたそうにしている。
「お、おとうさま……ぶじのおかえりをおまち、おまちしております……」
幼い声がぶるぶるに震えている。
笑顔で送り出そうとするが、感情は号泣したいのだろう。引き攣った笑みの中で、涙が溜まり切った目が痛々しい程だ。
今回の遠征は、次期当主としての勉強もある為にキシュタリアも向かう。それが余計に寂しいのだろう。
キシュタリアは泣かずに見送れた。メインは見学であり、危険性が低いのもあるだろう。だが、グレイルは前線に出て自ら指揮を行うことも珍しくないのだ。
グレイルに縋らないように精一杯我慢しているアルベルティーナの手は、ぎゅっと握りしめられている。真っ白になるくらい握られ、力を入れ過ぎて震えている。
小さな娘の手にそっと自分の手を添えたグレイルは、いつになく柔らかい表情で語りかける。
「大丈夫だよ、私のアルベル。二週間で帰ってくるからね」
「にしゅうかん……? 一月の遠征ではないのですか?」
「いいや、二週間だよ。問題ない。必ず帰ってくるからね」
大幅に短縮された遠征帰還に、徐々にアルベルティーナの顔に喜びが満ちてくる。
後ろでラティーヌが怪訝そうな顔をし、ジュリアスが複雑そうな顔をしていたことに気付かないアルベルティーナ。真っ青なセバスはこの後行われるだろうデスマーチを理解して、そっと腹に手を添える。
そんな背景、悉く無視したグレイルの目には可愛い娘のことしか見えていない。
「お父様、お帰りになったら西側の庭園を一緒にお散歩したいです」
「そうだね、天気の良い日に一緒に行こうか」
「お父様からクリスお母様のお話を聞きたいです」
「ああ、勿論。沢山お話しよう」
「お父様……」
「なんだい?」
「もう一度、ぎゅーって抱っこして欲しいです」
最後のお願いは、恥ずかしさからか絞り出すようだった。
十歳の誕生日を迎えたアルベルティーナ。小柄で華奢なので、長身のグレイルの傍に立つと一層小さく見える。
まだ子供といっていい年齢の少女だが、それでも淑女のプライドはあるようだ。幼子のような要求は言い難いお願いだったのだろう。
だが、グレイルは微笑ましそうに相好を緩ませるだけだ。アルベルティーナ限定の笑みである。もし他の誰かが同じことを口にしようものなら、女子供だろうが冷たい一瞥か鼻で笑われるのが関の山だろう。
「私の可愛いアルベルティーナ」
絶世の美貌に蕩けるような甘い声――その辺の女性なら卒倒しそうなほど凶悪な、暴力的なほどの魅力を持った囁きだ。
だが、これは娘宛である。
それを知っている現役公爵夫人(夫グレイル。白い婚姻歴=結婚年月)のラティーヌは、冷静に観察していた。
夫は美男子だと常々思っているが、観賞用にするにも恐ろしすぎる中身をしている。
アルベルティーナとセットなら、比較的安全に見ていられるが、時折口からまろび出るセリフはおっかないことこの上ない。
きっと、長期遠征では溺愛するアルベルティーナと長く会えずさぞ機嫌が悪くなることだろう。
そっと、先に馬車に乗っているキシュタリアの無事を祈るのだった。
目の前では、抱きしめ、抱き上げるだけに飽き足らず、ぐるぐると抱き上げて回転させているグレイルがいる。
降ろす前にもう一度抱きしめ、頬と額に親愛のキスを贈っている。アルベルティーナにもそれを返している。
「では、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ、お父様。お気をつけて!」
「行ってらっしゃいませ」
手を振って、今度はちゃんと笑顔で見送ったアルベルティーナ。
ラティーヌもそれに続いて送り出す。
今日は冷たい雨が降っている上に風が強いからと、外までの送り迎えは禁止されてしまっている。
玄関の扉が閉まる間際まで手を元気いっぱいに振っていたが、完全に締まると油が切れたようにギチリと止まった。
そして、徐々に萎れる様に手が下りていき頭が下がり、背が丸まっていく。
ラティーヌがそっと近づくと、必死に鳴き声をかみ殺したアルベルティーナが涙を流していた。
「偉かったわ、アルベルティーナ。ちゃんと笑顔で送り出せましたね」
「う……うーっ、ふぇえええええ……」
ついに堪え切れず、大粒の涙がボロボロと落ちていく。そしてラティーヌにしがみ付くと、小さな嗚咽と共に泣き声が漏れ出てくる。
最近ふてぶてしくなり始めた息子に比べ、この義娘の可愛いことか。
社交場で年上相手でも平気でやり込めるキシュタリアは、生来の頭の良さや要領の良さ以上に仄暗い強かさが見え隠れし始めた。
柔らかい髪を乱さない様に、アルベルティーナの頭を撫でる。
すると、アルベルティーナの従僕が肌触りの良いタオルを持ってきた。ハンカチではなく、タオル。その配慮に、長期戦を感じさせた。
タオルを受け取ったラティーヌは、そっとアルベルティーナの目を拭いてやる。ごしごしこすったら、後で赤くなってしまう。
とりあえず、アルベルティーナをどこへ移動させようかと考える。
いくら室内とはいえ、玄関は外気に近く寒気を感じさせる。体の弱いアルベルティーナを、いつまでも居させられない。もし、アルベルティーナが風邪でも引いたら、遠征などすっぽかしそうな当主が戻ってきてしまう。
ほんの僅かな逡巡だったが、スッと近づいたジュリアスがひょいとアルベルティーナを抱き上げた。
「お部屋にお運びしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、お願い」
「畏まりました」
流れるようなプロの業だった。
アルベルティーナはスンスンと鼻をすすりながら、ジュリアスに抱き着いている。
それでもサンディスライトを思わせる緑の瞳からは涙が零れ落ちており、慌てて後を追う。
先に馬車で大人しく待っていた、キシュタリア。
いつものように義姉との別れを惜しんできたのだろうグレイルが来る気配がした。
アルベルティーナが随分と悲しげな顔をしていたから、今回はやはりやめようとか言いだしそうだと思っていたがちゃんとその辺は割り切れたらしい。
(今回のアルベルの異様な別れの惜しみ方は、あの童話のせいだよな……)
木こりの家族がいたが父親が魔物に殺されてしまう。残された家族が協力し合い、一生懸命に生きる。そして亡き父を思い出し、日常に埋没しがちな幸福を噛み締めるというお話だ。
繊細で可愛らしい絵のタッチなので、陰惨さはない。
だが、ファザコンな義姉の弱点を見事に打ち抜く内容だった。
アルベルティーナとしては、表紙が綺麗だったので、なんとなく手に取ったのだろう。ラティッチェには数多の蔵書があるので、彼女は良く足を運んでいる。
キシュタリアはアルベルティーナが万力と言える後ろ髪を引くような表情を浮かべることが予測で来ていた。なので、先に手早く別れの挨拶をし、馬車に乗り込んだ。
その万力の表情をもろに食らったグレイルは、座席に付いてから酷く静かだ。
片手で目を覆うようにして、何かを堪えているようにも見える。
「燃やして埋めよう。それしかない」
「何がですか!?」
「もういっそ、すべて生き埋めにしてしまえばいい。這い出たのは適宜始末する方向で」
「何をですか!?」
「盗賊もオーガでもバジリスクでもスケルトンでも何でもいい。土の中で砕いてミンチにしてしまえば全て一緒だ」
「良くない! 一緒にしちゃ良くないと思います……!」
キシュタリアの説得虚しく、グレイルは目に付いた魔物の群れを丸ごと土に呑み込ませた。
戦場に気合を入れていた騎士や、若干引け越しになっていた一兵すらもドン引きだった。
味方に血は殆ど流れなかった――目の前でいきなり魔物がズブズブと地面に埋まっていく姿に逃げた一部が、転んだくらいだった。
敵であるはずのこちらに、助けを求めるように伸ばされた手。恐怖と混乱に引き攣り、こちらを上げる魔物たちの目は恐怖に染まり切っていた。
それは色々な意味で、キシュタリアを含め同行した者たちにも多大なトラウマを与えた。
後日、宣言通り二週間きっかりで帰ってきたグレイル。
一緒に戻ってきたキシュタリアは、暫くなぜか家から出たがらなかった。
アルベルティーナに誘われての散歩なら外に出たが、絶対に寄り道もせず通路からはみ出なかった。
後にキシュタリアは語ったが、グレイルが魔物を丸ごと生き埋めにしたのがトラウマになったらしい。
数多の群れ合わさった、魔物の軍勢ともいえる集団が、音もなく地面に沈み込んで藻掻いて絶命する様を見たという。
やった本人は、死体処理が面倒だからまとめて埋めたという。
魔物の死体は放置させると面倒なことになる。時に腐敗して病気や毒を生みだすことや、別の魔物を引き寄せることが有る。
素材が欲しければ掘り返せと、さっさと踵を返したグレイルの頭には帰りを待つ愛娘しかなかったのは言うまでもない。
たくさんの人々の心を滅多打ちにしたことなど、知ったことではない魔王公爵はいつになく、その日は上機嫌だった。
目の前には可愛い愛娘。
その容姿は年々、亡き妻の面影を濃くしている。
誘拐事件の後遺症で殆ど記憶にないそうだが、時折ハッとするほどクリスティーナに似ている。
「では、何から話そうか?」
「あ、あの! お父様とお母様の出会いをお聞きしとうございます」
「出会いかい? 確かラティッチェで主催したお茶会だったかな。アイリスが見頃の季節で――」
目をキラキラと輝かせて、グレイルを見るアルベルティーナ。
懐かしさがこみ上げ、目を細めるグレイル。過ぎ去りし日々がよみがえった気がした。
アルベルティーナの眼差しは、その出会いの日の妻を思い出させた――それを知るのはグレイルだけだった。
読んでいただきありがとうございました!
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