霊学の分野では人は【霊・力・体】の【三位一体】で構成されているとします。この構成を【一二三(ひふみ)】とも言います。
ひ(霊)ふ(吹く力)み(身)が解るのは日本語だけ
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この国(日本)は私の教えで満ちあふれた世界で唯一つの国。】と告げられましたが、まさに日本語は神の独壇場と言えます。
キリスト教やイスラム教ではこの世と死後の世界。死後の世界は天国と地獄の【二元論】で成り立っています。それらに対して仏教だけは死後の世界に渡るのは三途と【三途の川】を説いて来たわけです。
死後に三途の道。天国と中有界と地獄の【三途】あり
キリスト教やイスラム教においては天国と地獄の単純論ですが、近代霊学では天国は第一天国界。第二天国界。第三天国界の【三階層】。地獄も第一地獄界。第二地獄界。第三地獄界の【三階層】と解って来ました。それと【輪廻転生】を起こす主体たる【中有界】です。キリスト教やイスラム教には【輪廻転生】の思想が無いのは【中有界】の見落としたと言えます。つまり、天国と地獄と言っても単純な話では無いなのです。
どうしてそうしたことが言えるのかと言った時、魂に【点数】が出ることは一部の霊能者達は言っています。それは【人に内在する良心神】の点数だとも言っておられます。しかしそうしたことを世間に発信している方は、現状では僅かな人だけとなります。何故かと言った時、
人に内在する良心神の教えは、金銭を伴ってはならない
それは【奉仕】活動になるからです。私はお釈迦様の悟りであった【人に内在する良心神】を知る為に長年の修業と、その修業に関わる多大な費用をつぎ込んできました。家が一軒は建つ費用をつぎ込んでいます。が、何も解ろうとしない人者達に一銭の得にもならない人に内在する良心神を【教える】など誰しも面倒臭いとなります。
特にスピリチュアルの世界ではスピリチュアルは金になるで、一銭の儲けもならない【人に内在する良心神】など説きません。人に内在する良心神の教えを学ぶ為に、大金をはたく者など世に一人も居ないからです。世に【真理】を求める者は居ないなのです。
人に内在する良心神を説いても、自分に金銭の旨味は無い
ですから大本教神諭は、【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸(秘密)】は、【誠の者】でないとそのお世話は出来ないと予告されたなのです。誠の者は【金銭】では動かないからです。この世での名誉とか地位とか金銭などに囚われていないからです。
されど、人に内在する良心神を知るはお釈迦様に近づく
結果として、自己の魂が霊界で高次元界にと進む
私は自分のHPに私の教えを学ばれたならば【五六七の七次元界迄】行くことが可能だと書いています。ただそれには【良心の実践】をしなければならないと記しています。悪から去るです。ただ、その教えを学んだだけでは五次元界位で留まってしまいます。後は【他を救いて世根となる】の実践です。
世に自分が救世主だと名乗れば、それを信じる人達が自分を教祖として拝してくれます。そこで【悦】になる。だが、各自の魂の良心神が各自の【救世主】だと解ると、別にその教え主を教祖の様に担ぐ必要はどこにも無いとなります。いくら自分は救世主だと名乗っても、個々の信徒の良心神の点数を上げてやれないからです。
私の元に一通のメールが来ました。そのメールの主は【良心神等とゴチャゴチャ言っていないで、一人の救世主が出れば事済む話ではないか。】です。たぶんキリスト教におけるイエス一人が救世主的な教えに、何の疑問を持たれなかったのでしょう。そしてそのメールの主は霊界の【次元格】をまったく御存知無いなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は世紀の大予言者と言われており、その予言は的中してきました。そして自分が【救世主】だと看板を上げられました。だがその救世主の看板を降ろされて【聖師】と称号されるようになりました。
しかし、自分はナザレのイエスと同格だとも言われました。多くの優秀な霊能者による【神の高山(神界ピラミッド)】説では、大本教の出口王仁三郎聖師とナザレのイエスはほぼ同格だと見られています。神の高山説の八合目で八次元格とする説です。
巷で自分が救世主ですと自称されている方達は七次元格や六次元格の方が多く。八次元格でも救世主の看板を降ろされた出口王仁三郎聖師の段階に到達されていない方がいくら自分は【救世主】と名乗っても、おまえは【バカ】かとなるのです。そこで自分は【九次元界】と称する方も多発するです。
何故、救世主と名乗っても意味が無い?。
その人の魂の汚れを浄化させるでないと救世主は無理
少しの人の魂の汚れは取れても、全人類となると不可能
私は龍神の浄霊や稲荷神の浄霊。神々のみならず多くの霊の浄霊に取り組んで来ましたが、全人類の魂の汚れを浄霊出来るかと言われたならば【不可能】としか言えません。仮に方法があるとしたならば、【天の岩戸】と呼ばれる神界の機密扉を開けて、天の岩戸の光を出すより道がありません。だが、その副作用は【尋常】ではないのです。
大本教神諭に【天の岩戸を開ける役に閉める役。閉める役が難しい。】とありますが、これは天の岩戸の光を知る者であれば納得出来る内容なのです。この役は大本教出口なお開祖や出口王仁三郎聖師をもってしてもこなせる役ではなかったからです。もしも大本教の出口なお開祖や出口王仁三郎聖師にそれが出来るだけの力があれば、既に【天の岩戸】は開けられていたでしょう。
何が難しいのかと言うと、天の岩戸を閉めるとはその光の中に自分が立てるということです。自己の魂に何一つ汚れが無い。自己の魂を完全浄化していないと、そこまで行けないからです。
私は過去のブログで魂の輪廻転生からの【卆業】を説きました。それは【悟り】を得られたお釈迦様が、自分は二度とこの世には出て来ないと告げられた意味合いです。その輪廻転生の【卆業点は九十点】となります。実に凄い【言葉の仕組み】の上に成り立っているのです。
ただこうしたことは、魂に【点数】が出るを何も知らない方にとっては、説いても無意味というか、理解が出来ないとなります。自分には霊が見えるからで、魂の点数が見えるわけではないのです。世に出ておられる神々の次元格まで解るなのです。日本の昔話に【狼がくれたまつげ】の話がありますが、人が死後に人以外に転生する蛇や狐や狸や猫や鳥や昆虫に見えるだけではないからです。別の見え方と言えます。
この図表は、神の高山(神界ピラミッド)から説かれる次元界説とは異なります。神の高山(神界ピラミッド)説では、邪神とか悪魔と呼ばれる存在は六次元界位まで存在すると言われおりますが、そうした邪神とか悪魔にはそもそも【良心神】などどこにも存在して来ません。ですから良心神の点数による階層世界ではなく、霊力の行使による次元世界と考えられます。
そうした霊力と良心神の点数の違いはあるとしても、第一天国界は八次元界に相当に当たると思われます。それは今日迄最上級天国界の存在は語られておらず、【如来】達などが存在する世界とされて来たからです。第二天国界は【菩薩】達が存在する世界と見られて来たです。最上級天国界の存在が語られて来なかったことから、創造神と呼ばれる神のことがよく解らなかったがあります。
霊能力者の前には自分は【如来】とか【菩薩】とか呼称する霊が現れますが、それらの多くも本物と言うよりも【呼称霊】と言うべき存在にしか過ぎません。その正体が蛇霊や狐霊達が多いからです。
大本教からは【魂に点数が出る】ことは説かれていません。だが魂に点数が出るは私一人のみならず、幾人もの霊能者の方達も知っておられます。その魂に点数が出た人が死後のどのような霊界に入るかを見て、図式化させたものです。神社に鎮まっておられるから高い御神霊とは限らないのです。氏神さん程度だと、以外に階級が低いなのです。第三天国界天人から神社の祭神等に転出されていたりするからです。
しかし、大多数の霊能力者が魂に点数が出ることを知るわけではありませんので、個人見解とさせてください。
自己の魂が【九十点台】に入っても、天の岩戸を閉められるでは無い。
スピリチュアル標榜者の方は【愛】ばかりを言って、自己の魂を磨くことはほとんど言われません。魂磨きは辛いから止めましょうとか、良心の呵責は重いから捨てましょうです。為にその魂の次元格は低く、高次元霊界の事が解らないがあります。例えば大宣伝された【みろくの世】は五次元界と言っていても、【五六七】とは言わないわけです。【六とか七】の次元格の意味そのものが解らないからです。
そもそもスピリチュアルでは神の高山説の五合目迄行っていれば良しだと言われている程度です。為に霊界に関しては詳しく知らないが起きます。それは日本の神社に鎮まっておられる御神霊の多くは蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊や天狗霊や龍神等と言われていて、高くても六次元界格。五次元界格が多いからです。
為に、日本の神社に鎮まっている神々に創造神の存在を聞いても、ほとんどの御神霊が解らないとなるのです。ひどい神霊だと、そりゃ何者だ!。となるのです。蛇霊や狐霊の世界を見ていると、創造神と呼ばれる神のことなど解らない。理解出来ないとなるのです。
ただ、その天の岩戸開けの型の予言は大本教からなされました。それは大本教三代教祖であった【出口直日(なおひ)】さんを【龍宮の乙姫】役とし、三代教主補であった【出口日出麿】師を【日之出神】としたことです。この【龍宮の乙姫】とは日本各地にある【乙姫神社の祭神】のことではありません。
一方の【日之出神】とは伊勢神宮に鎮座されている男神の天照大御神のことではなくて、【正真正銘の天照大御神】のことです。大本教の全盛時は伊勢国家神道の圧力下にあったので、【日之出神】の本当の意味は伏せての演技です。もしも出口日出麿さんを真性天照大御神などにしようものならば、当時の状況下であれば刑務所で獄死をさせられたでしょう。
大本教は戦前邪教として国家から大弾圧を受けて崩壊しました。その時、多くの信徒さんが国家警察特高により獄死をされました。霊能者の調べではそうした犠牲と成った信徒さんの霊は非常に高い霊界に進まれたと言われています。それは実際に死後の霊世界を仕切っているのは伊勢神宮ではないからです。ウシトラ金神国常立尊。別名【閻魔大王】だからです。その創造神ともされる神の信仰で命を落とされたから、高い霊界に進まれたとされるわけです。
ただ、天の岩戸を閉める役は出口直日さんにも出口日出麿さんも出来る段階ではありませんでした。魂の世界での次元格がそこまで高くなく不可能だったからです。特に【出口直日】さんでは無理があったことが知られています。その出口直日さんが該当者でなかったことから、有名な【みのか尾張の国の中から誠の女子】が遺文として出されたと言われています。もし、出口直日さんがその該当の魂であったならば、大本教で出された予言の仕組は完成出来たなのです。
世にその役をこなせる魂があるとすれば、もうそれはイエスの段階など遙かに超えている魂の持ち主となります。それは巷で自分は救世主で六次元とか七次元と言っている様な魂の次元格の段階ではないからです。
スピリチュアルなどは、【神は愛だから何をしても赦される。】なので、何をしても赦されるであれは地獄界などは存在していないとなります。もしも地獄界が在るとしたならば、スピリチュアルの論理など最初から【破綻】していると言えるわけです。
霊能者江原啓之さんは、自らをスピリチュアル界の大御所と称し、自分がスピリチュアルの言葉を日本に広めたと自画自賛をしておられますが、日本にスピリチュアルの言葉を持ち込んだのは日本心霊学の父と言われている【浅野和三郎】師です。大本教における明治【五十五】年の世の立替説の旗振り役で知られた天下の秀才と言われた方ですが、出口王仁三郎聖師との確執から大本教を去られました。
その浅野和三郎聖師は、自分が日本にスピリチュアルの言葉を入れたが、スピリチュアルとは【低次元界の霊との交信】の意味合いであったことから、その言葉をあまり使われないようにされたがあります。行者筋がスビリチュアルの言葉を嫌われるのは、自分で自分は低次元霊界と交流している者ですと言っているようなものだからです。
為に日本のスピリチュアルは【四次元界スピリチュアル】と言われており、日本の神智学で【愛】ばかり言っているスピリチュアルは【蛇霊の容器】と化した人達とまで言われています。それ自体は豊受姫のお代であった私の最初の師匠はその著書に、【自分は神様は蛇霊や狐霊だと思っています。】と記したように、今の神霊世界は蛇や狐や狸や猫や天狗や龍神と呼ばれる存在が主体であり、【創造神】などとされる様な神のことなどよく解らないなのです。つまり、世に出ておられる神々は霊界における次元格そのものが低いなのです。為に自称創造神。自称救世主も続出するなのです。
人は死ねば誰でも【四次元霊界】には入ります。しかし、大本教から大宣伝されて来た【みろくの世】とは【五次元界以上】の霊世界であり、無条件で五次元霊世界に進めるではないのです。
この【次元界】の説明は、キリスト教やイスラム教にはありませんし、仏教にも存在しません。為に旧来の宗教の教えにしがみついていると感覚的にも理解出来ないとなります。しかし今は多くの霊能力者達によって【次元界】が言われるようになりました。但し、学者はそもそも【霊界】の存在すら否定する頑迷振りなので、そうした霊界次元説を世が認めるなどはありません。霊能者サイドが使う言葉です。
いったい霊界次元は何層なのか誰も解っていない
為に巷には自分は三千億次元の創造神だとか、500万次元の救世主とか、100万次元の救世主とかバナナの叩き売り状態と言えます。
幸福の科学の大川氏は、自分はお釈迦様とイエスとモーゼの三体を出した本体たる永遠の仏陀たる魂で、最初は自分は【九次元界】と称しておられましたが、最近は自分は【十三次元】等と称しておられるようです。が、本人の自称に過ぎません。優れた霊能者の追認がまったく無いなのです。
私から見ると、幸福の科学の大川氏の著本の説明に人の魂は【脳】に在るなどとありますので、とても高次元界の方の説とは受け入られれるものではありません。
そうした自称者の続出で優秀な霊能力者の間では、神界をピラミッド(神の高山)として頂上神を【十】合目として、各自の魂を高山の合目で見るが起きました。その神の高山の合目を【次元】と考えるです。その場合、お釈迦様とイエスと大本教の出口王仁三郎聖師と弘法大師を八合目の魂とする説が有力と考えられたわけです。
私個人はお釈迦様は八次元界より上で【九次元界】。イエスと大本教の出口王仁三郎聖師は【八次元界】でよいと見ますが、私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、イスラム教開祖の【マホメット】と【弘法大師】はイエスより下位の魂で同格と言われたので、【七次元界】であったのかも知れません。
一時期、一部の方達から熱狂的にあの方は救世主だと騒がれた【七次元よりの使者】の著書である【五井野正】博士や、ヨガの大家としても知られた【本山博】博士等も自分は【七次元界】の魂の者であると自称されていました。大本教出口なお開祖や天理教の中山みき開祖も七次元界の段階と思われます。しかしスピリチュアル標榜者には、そんな高次元段階の方が見当たらないなのです。
ある方は自分が救世主です。貴方には是非自分の参謀に成って下さいとメールで言って来られました。私はその方が救世主を否定した後、その方は次に複数の霊能者から自分は七次元界の素戔嗚尊の魂と指摘されました。貴方は私が救世主だを否定されたが、やはり自分が救世主ではないかです。複数の霊能者が認めた。三輪山の神は六次元界の黒龍神で、その配下には400万体にも及ぶ黒龍神が従っている。全て七次元界の自分の配下(家来)として従うことななったと言って来られました。
三輪山の神が六次元界の黒龍神であるとの説はいいでしょう。何故ならば自称救世主と名乗る方達の背後には六次元界の黒龍神が見られるのは一般的だからです。某大教団もそうした六次元界の黒龍神が主宰神であると霊能者達から言われています。私がお世話になった豊受姫からも黒龍神だと聞いています。
八次元格の素戔嗚尊の魂であったとされる大本教の出口王仁三郎聖師ですら、【救世主】の看板を降ろされて【聖師】の称号にされた。その意味を何も理解していないとなります。八次元格でも【救世主】には成れないのに、本当に七次元格の魂であったとしても「救世主」ですと名乗れるものではないのです。
ある自称救世主は、お釈迦様とイエスと出口王仁三郎聖師と弘法大師は九次元格の方で、自分はその四人の魂を合体させた【三十六次元】の救世主ですと名乗っておられますが、名乗れば良いではないのです。その【三十六】とは、【36】で自分は【みろく】神と信徒に思わせたいのでしょう。
スピリチュアルに走る人は、どなたもスピリチュアルは儲かるで、大金を出してスピリチュアルセミナーなどに通って、蛇霊憑けをされて霊界が見えるはあります。そして直感だ!。直感だ!。と言って、霊学の勉強は何もされません。為に【奇魂】が働かないので自分の次元界が上がらないを起こしておられるなのです。
日本の霊学では、【厳霊】と【瑞霊】が説かれます
この【厳霊】と【瑞霊】に関しては、西洋のスピリチュアル学にはありません。仮に西洋のスピリチュアルを学んでも、何も知ってないが起きます。これは【日本語】で無いと理解が出来ないのです。
日本で【神】と言う場合、少なくても三通りあります
言葉を申し示すの【神(言霊神)】
宇宙創造に関わった存在。この言霊神の名は日月神示等に出て来ます。
ただし、この日本で【言霊神】とは何か?。知る方は若干名と言えます。
霊力の示しの意味の【火(か)水(み)】
神の陰陽の働きで、火は【陽か厳】。水は【陰か瑞】とする。
厳(いづ)の働きは縦で、瑞(みず)の働きは横で、縦横で【正十字】とする。
また多くの自然神は、この【かみ(火水)】の形態でも創造神とは言えない。
人よりも上界に在るのが【上(かみ)、守りの(かみ)】
蛇や狐や狸や猫や天狗や龍神と呼ばれる段階は人間界よりは上位ですが、創造神と呼ばれる様な神の段階ではありません。
スビリチュアル標榜者でも蛇神や狐神は言いますが、意外と知られていないのが狸神や猫神の存在と言えます。本人は自分には正しい神霊が降りて来ていると思っていても、狸霊や猫霊もあるのです。
日本の神社に祭られている神霊と呼ばれる存在の多くは、過去は【人】であった存在の上達が主体です。そうした神社に鎮まる過去は人で在った【上】達に、遙かなる昔のことを聞いても何も解らないとなります。そうした神々は日本神話を頼りにしていて、それが事実だと思い込んでおられるがあります。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【日本神話の神代の部分は、全てこの私が人を使って創作させたのものであり、その様な事実があったのでは無い。全てこの私が最後の審判の為に仕組んだものである。そなたは私が如何なる仕組をしたのか学びなさい。】と告げられましたが、私が神霊界修業のお世話になった豊受姫からも、日本神話の天の岩戸開けなどの事実はどこにも存在しないと告げられたなのです。
神を【火水(かみ)】の言葉を以て説く場合。神の【火】の働きを【厳霊】と言います。神の【水】の働きを【瑞霊】と言います。大本教の出口王仁三郎聖師は自分は素戔嗚尊の魂で【瑞霊】と言われたのは、神の【水(瑞)】の働きを言われたのです。それに対するのが【火(厳)】の働きで、これを本当の【天照皇大御神】と言います。伊勢神宮の天照大御神を【女神】とした日本神話は、国常立尊による神の計画書による一種の【カモフラージュ】と言えます。
スピリチュアルとは違い。優秀な霊能者達は伊勢神宮には天照大御神を呼称される【男神】と【女神】の二体があると言われます。スピリチュアル程度の段階であれば【女神】が出て来られる。【男神】の方は滅多に出て来られないと言われています。私が出会ったのは【男神】の方です。その時は日本神話とは内容が違うぞと驚いたしだいです。
豊受姫のお代をしていた最初の師匠は、伊勢神宮の本当の神は男神ですが、豊受姫様よりは次元格は下位の方です。豊受姫様の本当の御主人たる神が本当の【天照皇大御神】様に当たりますが、その所在は不明。と言われていると言います。
私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【日本神話の神代の部分はそうした事実があったのではなくて、全てこの私が最後の審判の為に創作させた。】と告げられましたので、伊勢神宮に誰が鎮座しているかは重要なことではなく、【天の岩戸】開けとされる事案が何であるかが重要と見ています。
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