コロコロ……ポンッ!
レインが投じた渾身の一投……選んだのはみゅーの入っていたモンスターボール。みゅーの力の前にあっさりと弾かれ、勢いよく出てきたみゅーはそのまま“ねっぷう”を飛ばして煙幕を振り払いその姿を現した。
「フフフ……何をするのかと思ってみれば拍子抜けね、おバカさん。私はもう完全に野生に戻っている。1年も経てば効力を失うのは当たり前でしょ? この私がおとなしくその忌々しいボールに収まると思った?」
バキバキッ!!
みゅーは“サイコキネシス”でモンスターボールを破壊してしまった。レインは顔を歪め、悲痛な表情を浮かべた。
「やはりお前はもう俺をトレーナーとしては認めてくれないのか……」
「ウフ、アッハッハッハ! なぁにー? もしかしてまだ私のトレーナー気取りだったわけ? まだ私と一緒に旅したいとか呑気な事思ってるんだ。……バカじゃないの?」
「くっ……」
心底見下した表情で嘲笑されるがレインは何も言い返せなかった。調子に乗ったみゅーの言葉責めはさらにエスカレートする。
「笑っちゃうわね。ウフフ、これで万策尽きたみたいだし覚悟してね? あなたは一生ここに閉じ込められて二度と日の光を浴びることはないのよ。ずぅぅぅっっっと私と一緒。私のお人形さんになるのよ」
「人形……?」
「拒否は認めない。もうあがいてもムダ。ここに連れられた時点であなたは逃れられない!」
デデンッ! ピコン……ピコン……ピコン……
その時、レインのバッグから不安を掻き立てるような着信音が鳴り響いた。
「どこの誰がこんなときにっ」
「電話? 丁度いいわ。不運な電話の向こうの相手に泣き叫ぶレインのスクリームを聞かせてあげようかしら」
ねんりきでバッグを引き寄せ、悪ふざけで電話に応じようとしたみゅーは通信相手の名前を見て顔を歪めた。その後黙って連絡を繋げた。
「繋がった!? シショー、シショー! ねぇどこにいるの?! わたしの声聞こえてるシショー? ねぇどこにいるのっ?!」
「ブルッむぐぅ!?」
(あなたは黙ってなさい)
ブルーの声にレインが応えようとするがみゅーの“ねんりき”に阻まれた。そのままみゅーは通信を続けさせた。
「シショー、わたしそこら中探し回ったのよ! 船で行方不明になったって聞いて、すごい音がしたって言ってたし、とっても心配したんだから! 電話に出られる距離ならさっさと帰ってきなさいよ!」
「レインは帰らないわ……永遠にねっ!」
「えっ!? 誰っ!?」
レインではなくみゅーが出て来てブルーは混乱しているようだ。電話越しでは声の主がみゅーであることには気づけないのだろう。ブルーはただ単純にレインでないことに驚いている。
「私はあなたのことキライじゃなかったんだけど……やっぱりダメ。あなたも殺すことにするわ。あなたがいけないのよ? 私とレインは惹かれ合う運命。なのにあなたがジャマをした。あなたは私の敵。運命に歯向かった愚か者には死んでもらう」
「ひっ!?」
グシャバキッ……ギギギ……
みゅーはそのまま電話を握り潰し、通信を強制終了させた。みゅーの小さな手に機械の部品が突き刺さり鮮血が滴るが、みゅーは気にも留めずありったけの力を込めてより強く握りしめた。
「みゅー、やめろ! 破片が血管の中に入ったら危ない! すぐにやめろ!」
「……フンッ! あなたと一緒にしないで。これぐらいねんりきを使えば……」
破片はキレイに抜け落ち、傷口は“じこさいせい”によって一瞬で塞がった。圧倒的な力にレインは驚愕した。
「ここまで強くなっていたのか……」
「私が怖い? 誰を相手にしてるかいまさら気づいたの?」
「……みゅー、ブルーは関係ない。あいつは殺さないでやってくれ」
「っ!……黙って。レインがそんなことを言うならブルーは殺す。絶対に殺す。あれさえいなければレインは……」
得意気な表情から一変、みゅーはレインを射殺さんばかりに睨みつけた。
「お前らあんなに仲が良かったじゃないか! あれは全部ウソだったのか? みゅー、どこまで堕ちるつもり?」
「それはっ……だって、レインが悪いんでしょっ!……あんただけには言われたくない!! あんたはブルーを庇うな!!……きーめた。これからレインはブルーのこと忘れるまで痛めつけてあげる。あなたは私だけ見ていればいい。早くあの忌々しい人間のことなんか忘れてね」
「がはっっ!?」
再び“サイコキネシス”がレインを強襲。壁際に追い詰められた。みゅーは徹底的にレインを痛めつけた。
“サイコキネシス”を何度も放ち、気絶すれば“10まんボルト”で強制的に叩き起こされる。みゅーの攻撃は苛烈を極めレインは限界を超えたダメージを受けていた。
「ひゅーっ、ひゅーっ……あぐっ、はぁ……はぁ……ふーっ」
「アハァ……レインみっともないね。床に這いつくばってヒューヒュー惨めな呼吸して完全敗北。簡単にみゅーに負けちゃってもう降参? よわっちぃね。ねぇレイン、どう? いたい? いたいよねぇ? でもね、私の味わった苦しみはこの程度じゃない。こんなもんじゃ済まさないからね。これから一生かけて償うのよ」
「くっ……ぐぅぅ!」
「イヒッ! あぁー、楽しぃー。レインいじめるの楽しくておかしくなりそぉー。あーあ、かわいそう。ねぇ、痛くってなんにもしゃべれないの? しゃべらないのはつまんないね。……あ、そうだ! ねぇレイン? 私も鬼じゃない。レインのこと助けてあげましょうか?……レイン、みゅー忘れてないよ。レインにはたくさん恩があるの。だから恩返ししてあげる。ねぇ、手当てしてほしい?」
心配そうに優しく尋ねるみゅー。ハッとするほど昔と似ていた。やはりみゅーはみゅーなんだと感じられ、レインは思わずそれに縋り付いた。
「みゅー、やっぱり昔のままなんだな。良かった、戻って来たんだ……。みゅー、助けて」
とうに限界を遥かに超えて、常人ならとっくに死んでいるほどの猛攻。みゅーの本気の攻撃を何度も受けて心も体もボロボロだった。そんなレインがありし日のみゅーの姿に縋ったとて誰が責められようか。
「いいよ。治してあげる。ごめんね、いたかったよね、許してほしいの」
みゅーの手から波動のようなものがレインに出て、みるみる傷が治った。たった少しの介抱で何事もなかったかのようにレインの体は元通りになった。
「いいんだ。俺が悪かったから。昔のみゅーが戻るだけでいい」
滅多に見せない涙を僅かながら浮かべ、笑ってレインは言った。そしてみゅーへ手を伸ばそうとするが、それは叶わなかった。
グサッ!! グチュグチュ
じんわりと下腹部が熱を帯び、しばらくしてそれは激痛に変わった。
「あがぁぁぁ!?」
「アハハハハハッ! バァーカッ! 許すわけないでしょ? それに言ったよね? あんたは一生ここで罪を償って、永遠に私の人形になるのよ。レインは私のオモチャなの!」
みゅーは狂気に染まった笑い声を上げながら何度も何度もグサグサとレインに包丁を突き刺して、その上から何度も何度も先程と同じ技、“いやしのはどう”をかけ続けた。終わらない痛みの連鎖。これはみゅーなりの報復。みゅーがレインを追い詰める様は、レインがかつてみゅーに行った仕打ちと似通っていた。
「いぎぃぃ、いっ……うぶっ、ごはぁっっ!? はぁーっ、はぁーっ」
「あーあ、お口から血が漏れちゃった。内臓破れてるね。こんなにいっぱいみゅーにかけちゃってどういうつもり? ジュル……んみゅ、おいし。あぁ、レインの味がする。1年ぶりのレインの味、おいし過ぎておかしくなりそぉーっ」
バタン!
血を吐いて倒れこんだレインの口からはまだボタボタと血が流れている。いくら傷は治っても失った血液までは戻らない。意識は朦朧とし、精神的にもレインは苦しいはずだった。
逆にみゅーは生き生きとこの行為を楽しんでいた。全身を返り血に染めながら、その血を甘美な蜜を吸うようにじっくりと嘗め回し、恍惚とした表情を浮かべた。
「みゅー……」
「ん? なに? 怒ってるの? それとも恐怖? ねぇいまどんな気持ち? ねぇ言ってみなよ。ほらっ、ほらほらほら! ふーっ……レイン、今とっても後悔してるんでしょ? 恩を仇で返されたんだもんね。悔しいよね。後悔するよね。ギアナでみゅーのこと封印しとけば良かったって思ったんでしょ? ねぇ、そうなんでしょ? なんか言いなよ。もしかしてもう口もきけないの?」
みゅーはありったけの憎しみをぶつけた。みゅーにとって、レインは唯一の心の支えだった。その支えを失ってからみゅーを突き動かしたのはレインへの復讐心。憎しみの炎を燃やし続けることで生きる意味を見出していた。だからみゅーはひたすら憎み続ける。もう引き返せないほど深く墜ちてしまったみゅーはレインへの憎しみを貫き通すしかない。だから言わずにはいられなかった。
ここでレインから恨みの言葉を聞けば、ますますみゅーは心置きなく復讐を遂行できる。みゅーはそれを期待していた。だがレインはみゅーの考えもしないことを言った。
「悪いけどな、俺は今の今までお前を仲間にして後悔したことはタダの一度もない。むしろ後悔しているのはお前の方だろ、みゅー?」
憐れみを込めた目で静かに問い返した。間違ってもそれは裏切られ、痛み付けられ、這いつくばっている敗者の目ではない。遥か上から見下ろすような達観した眼差し。レインの行動はみゅーを激しく苛立たせた。
「違う! 違う違う違うっ! 後悔なんかしてない! ウソ……ウソばっかり言うな!」
ドカッッ!! ビチャビチャッ!!
みゅーに蹴り上げられて体を壁に強打しレインは再び大量の血反吐を吐いた。だがそれでもレインは屈しなかった。
「ウソか、ホントかなんて……わかってんだろ? 何をそんなに……焦っている?」
「あんた、まだそんな無駄口叩く余裕があるのね。十分痛めつけたと思っていたけど、まだ足りないみたい。頭おかしくなって気が狂うまでこの包丁で刺してあげよっか。これだといっぱい血が出て先に死ぬ方が早いかな。ジュルッ、あぁおいしぃー。どう、まだ痛めつけられたい?」
ぺろりと包丁を舐めながら脅しをかけるが、レインは軽くいなした。
「好きにすれば。どうせ俺はお人形なんだろ?」
「ぐっ! 調子に乗らないでね。私、これでも気が触れそうになるぐらい頭に来てる。次舐めた口利いたらこの細首へし折ってうめき声も出せないまま即死させるよ?」
レインの首を凄まじい握力で握りながらみゅーは冷たく宣言するが、レインは意に介さなかった。
「したけりゃ、勝手に、しろっ。する気もないクセに、そんなやっすい脅し文句を使うな」
「くぅぅぅ、こんのォーっ! 黙れ! 黙れ!」
みゅーは怒り狂ってレインを蹴り飛ばし、そこから馬乗りになって自らの拳で何度も殴りつけた。顔の形が変わる程全力の“れんぞくパンチ”。何度もそうして、ようやく落ち着きを取り戻す頃にはみゅーの方まで息を切らせていた。
「ぎは……ずんだ?」
「フッ、ウフハハッ! そう、あくまでそんな態度を貫くつもりなんだ。抵抗する気はないのね。エヘッ、エへへへ。だったら好きにさせてもらおっかなぁ。ほら、顔も治してあげる。このままじゃせっかくのカッコイイ顔が台無しだもんね」
再びキズを治し、さらに自分の体を密着させて押しつけるようにしてレインに擦り寄った。
「なんのつもり?」
「ふーっ。どう? この体もう大人になってるでしょ? 実はね、私のこのへんしんってあくまで人間になるためのものだからこの姿以外にはなれないの。だからこれは言うなれば第二のみゅー。この人間の私の体が、心の成長に合わせてそれに応えるように大きくなった。レインに好きになってもらうためにここまで大きく育ったんだよ? あの時あなたは子供だからダメだと言ったけど、これならケッコンもできるでしょ? 丁度あなたと同じぐらいの背丈だし、これなら文句ないよね?」
「人間の……第二のみゅー?」
ミュウは人間とは違う。時間ではなく精神の成長に合わせて肉体も成長する。それは“へんしん”した人間の姿でも同じ。老いない体……生きることに飽いて成長を止めたみゅーは悠久の歳月を過ごすことになった。幼いまま凍り付いていたみゅーの心は燃えるようなレインとの出会いを通じて融かされ、その瞬間から再び時を刻み始めたのだ。
永遠を生き運命を待つ幻の存在、それがミュウ。
「ねぇ、どうなの? 大人のみゅー、抱き着かれて興奮した?」
「……」
「あれれ? なんで黙ってるの? 本当に興奮してるの? こんなに痛めつけられて死にそうになっているのに?……フフ、みゅー知ってるよ。死にそうだから興奮するんでしょ? 死の間際、最後の命の輝き。みんな最後は必死になるからね。人間もポケモンと変わらないでしょ?」
「なっ!? それってまさかお前……」
「レインはどんな輝きを見せてくれるの?」
レインはみゅーの急激な成長の理由を悟った。しかしレインは悲しむことはなかった。
「それで急に……。ならもうわかっただろ? やり方はどうであれ、これでもう理解できたはずだ。みゅーに必要なのは俺じゃなかった、ただそれだけのこと。これでもう心配いらないな……。みゅー、俺の事はもう忘れて自分の本当の家族を大切にしてあげて。みゅーは優しくて愛情深いから、みゅーの子もきっと同じようになってくれるよ……」
「ちょっと! いきなり何言ってんの?! 余計なお世話! というかなんで泣いてんのよっ! ぐぅ……うぅぅ、みゅーだってもちろんタマゴは欲しかった。いや、どうしても欲しかった! でもね、1つたりともそんなのできなかった! ホントは最初からわかってた。みゅーは……どうせみゅーはっ、出来損ないのっ、クズポケモンなんでしょっ!!」
「え、なんで? みゅーはへんしんが使えるはず……」
「理由がわかれば苦労しないっ! レインには拒絶されて、ポケモンからも相手にされない。私はこの世界から呪われてるのよっ!! この体も、せっかく成長してもただの持ち腐れ。だからせめて、レインとは結ばれて私は幸せになるの。みゅっ、みゅへへ……レイン、覚悟はいい?」
「どうせ俺は何もできない。好きにしろ」
「何よそれ。もっと喜んでよ。本当はみゅーが好きなんでしょ? ねぇ、やめて。そんな悲しそうな目をしないで。やめてよ……。うっ、うぅ……」
とってつけたような楽し気な表情はすぐに消え去り、みゅーは泣き顔になってしまった。レインは静かにその様子を見つめていた。
「……」
「あっ、そうだっ。いいこと思いついた。レイン、取引しましょう? 力ずくでレインを服従させてもいいけど、それだとレインがかわいそうよね。私もレインに認めてほしい。だからレインが自主的に私のことを愛してくれるならずっと殺さないで優しくしてあげる。ちゃんと一生面倒も見てあげる。ね、悪い話じゃないでしょう?」
「悪いけど断る。別に無理して俺の面倒なんか見なくていいよ。もう俺に縛られるな」
「……じゃあ私なんでもしてあげる。お料理とか、けづくろいとか……ほらっ、レインがしてくれたこと……みゅーも、みゅーも全部するから。ダメなの? じゃあ欲しいものもなんでもあげる。レインの望みは全部叶えるから、何でもしてあげるから、それならいいよね?」
「聞こえなかったのか? もう俺に縛られるな。自由になれ」
「なんで? なんで、どうしてなの? わかんない。私がダメなのかなぁ。ミュウだから? ポケモンだから? それともミュウとしても出来損ないだから? こんなのウソよ、ありえない。こんなの、レインじゃない。いらないっ。いらないいらないいらない! もういい! 死んでっ! あんたなんか、生きてる価値もない! もう二度としゃべらないで!」
「ぐっ、がはっ!」
“サイコキネシス”と“10まんボルト”がレインに襲い掛かる。意識が飛びそうになるのをなんとか堪えた。
「しぶとい人間。だったらこの包丁であんたの首をかっさばいて確実に殺してやる」
「!!」
みゅーはレインを見下ろしながら包丁を振り上げた。いよいよという時になってレインの両目から涙があふれてきた。
「あ……アハッ、アハハッ! 泣いてるの? ねぇ今泣いてるの? 土壇場で怖くなったの? 私が本気になったのがわかったんだ。あーあ、あんなに強くて3つの地方を渡り歩いたのに、死ぬ前は惨めなもんね。ウフハハッ、やっぱりしょせん人間ね。この恐怖には抗えない。いくら強がってみてもいざとなれば体がすくむ! さいっこうにおもしろい。ねぇ、最後に言ってみなよ。死ぬのは怖い? 怖いんでしょ? ほら、言ってよ、早くさぁっ!」
「……あぁ、怖いよ。怖くて仕方ない」
「!?」
みゅーは驚いて声も出なかった。恐ろしいものを見るような目でレインを見た。
「ウソでしょ? 怖くないの? なんで、あなた人間じゃないの? どうなってるの?」
みゅーはレインが意地を張って最後までウソを言って強がりな姿勢を崩さないと思っていた。だからこそ念入りにオーラを見ていた。そのオーラが今はっきりと乱れた。怖いと口にしたにも関わらずだ。それはつまり恐怖を感じていないということ。みゅーは戦慄した。
みゅーは今まで何度もポケモンを手にかけた。その全てが生の崖っぷちで見せる感情はたった1つ。例外はない。そのはずなのにレインはそれを破った。
「お前……視ていたのか。ごめんね、最後にウソついて」
「んなっ! そんなのどうでもいいでしょ!? なんで怖くないのっ!」
みゅーは乱暴にレインを掴んで体を激しく上下に揺すった。あまりに強くしたため、レインのズボンのポケットから何かが落ちた。
気になったみゅーが手に取るとそれは究極のモンスターボール、通称……
「まっ、マスターボール! そんなっ、なんで?! なんでこんなもの持っているの?! なんでずっとこれ使わなかったの! これなら確実に私を捕まえて、レインの言う封印ってやつができたはずでしょっ! 自分が死にそうな時に何を考えて……あっ、そういえばさっき一度ボールを投げられた。考えてみればレインがあのボールじゃダメなことぐらいわからないはずがない。だからマスターボールがここにある。ならなんで出し惜しみなんかしたの? ねぇ、どういうこと!?」
「出し惜しみじゃない。ハナっからそれを使う気はなかった」
「えっ、ホント……なのね。じゃあなんで用意していたの」
「正確には使うのをやめたと言うべきか。もちろんそのボールはお前を封印するため。計画した時はそのつもりだった。不意を突いて一発で仕留める予定のはずだったんだけどな」
「!」
さすがに面と向かってはっきり言われるとみゅーも冷や汗をかいた。今みゅーは封印されていてもおかしくはなかった。いや、本来みゅーは封印されているはずだった。みゅーは内心レインのとんでもない隠し玉に感服していた。
「でも、いざみゅーの姿を見たら簡単に決心が揺らいでしまった。どうしてもお前を閉じ込めることはできなかった。最後にはわかってくれるって気がして……いや、そうやって願って希望に縋り付いていたんだ。甘過ぎるよな。お前の言う通り、俺は大バカだ。こんな情けないことをしたのは初めて。これで死んでも自業自得だ。諦めもつく」
「そんな……でもわかってたよね。私が本気だって」
「あぁ、わかってた。最初に見たときから薄々な。船でお前の頼みを断ったとき、俺はもう覚悟は決めていた。死ぬ覚悟を」
「みゅっ! ありえない……」
一度死ぬ覚悟を決めた者は強い。全てを失う覚悟を決めれば、もう恐れるものは何もない。野心に満ちた頃なら絶対こんなことはできなかっただろう。だがみゅーと会ってその気持ちは変わってしまった。
「もういいだろ。殺せよ。憎いんでしょ?」
「まだよ! 先に聞きたいことには答えてもらう。いい? さっきウソついて後悔してるなら今度は正直に全部答えて。レイン、死ぬことは……怖い?」
「怖くないよ」
「ひぅっ! こんなことって……」
「俺は怖くないし、お前を恨んだりもしない。自分のせいだと思ってる。だからみゅーが罪悪感を覚える必要もない。俺の覚悟は決まってるから、もう殺していいよ」
「違う! 罪悪感を減らすためにこんなこと尋ねたわけじゃない!」
「何をためらってる? ひとおもいにすればいいだろ? このために今まで何度も同じことをしてきたんだろ?」
しかしみゅーはふと思った。いくら死ぬのが怖くないとしても、それが早く死にたいということにはならないはずだ。生を諦めヤケになっているようにも見えない。むしろ焦っているようにみゅーは感じた。よく考えるとさっきウソをついた理由もわからず、泣いていた理由もはっきりしない。……死人に口なし? ハッとしてみゅーは気づいた。
「ねぇ、なんでそんなに早く死にたいの?」
「……」
「それにさっきウソついたのはなぜ? レイン、何か言いたくないことがあるんでしょ? なんで泣いてたの? 答えて!」
レインが目を逸らしたのでみゅーはぐっと近づきレインの心臓に手を当てながらストレートに訳を尋ねた。みゅーはオーラの乱れを僅かに感じた。これは図星だという兆候。レインも心を読まれていることには気づき、逆に開き直った。
「……イヤだ。答えたくない」
「本当になんでなの? 死ぬのが怖くないなら何に対する涙なの? まさか……私?」
「!」
ピクリと今度は体が反応した。間違いない……みゅーは確信した。
「私なのね。じゃあなんで? お願い、これであなたとは一生離れ離れになる。最後に何を思ったのか……みゅーに教えて?」
みゅーの瞳にギアナにいた頃の面影を感じ、走馬灯のように今までの思い出が蘇る。とめどなく涙があふれてきた。レインにとっても辛い選択だった。レインは己を捨て、心までも捨てる覚悟だった。だが最後の最後、レインは自分を捨てきれなかった。
「最後に……本当は言いたかった。言っちゃダメだってわかってた。言えば永遠にみゅーを孤独にしてしまうから、もうみゅーを独りにはしたくなかったから、自分じゃみゅーと、うぅっ、一緒に……いてあげられないから、みゅーのために何もしてあげられないから……だから、みゅーの幸せのためだって言い聞かせて、ずっと我慢してきた。でも……ごめんね。昔のみゅーを思い出したらね、思い出しちゃいけないのに、わかってるのに、忘れようとしてた気持ちまで思い出しちゃって……もうみゅーと二度と会えないと思ったら、みゅーの顔が見れないって思っただけで、なぜか涙まであふれちゃって……。俺にはこんなこと言う資格ないんだけど、許して……。本当はずっとずっと言いたかった。……みゅー大好き。ずっと一緒にいたい。もうどこにもいかないで。本当はね……みゅーのこと、世界で一番愛してるよ」
「あ……あぅぅ……ううっ、みゅぅ、みぅ、ゅっ……!!」
カランカラン……
みゅーは包丁を投げ捨ててレインを抱きしめた。レインもゆっくりと抱き返した。みゅーに伝わるオーラは底なしの愛情。みゅーは目頭が熱くなるのを両手で抑えて必死に堪えようとしたが溢れる感情が止まらない。心の底から泣いていた。
感情が爆発して、みゅーは涙が止まらない。嗚咽を漏らしながら延々と泣き続けた。2つの波が重なってシンクロする感情の揺れ幅は際限なく大きくなる。レインもみゅーも自分の気持ちを抑えられなかった。
深過ぎた。レインの愛情はあまりにも深過ぎたのだ。自らの感情も命も、全てを犠牲にしてもなお、最後の瞬間までみゅーのことを思い、自らの死と引き換えに口を閉ざそうとした。ありあまる気持ちを抑えて苦しんでいたのはみゅーだけではなく、むしろレインの方こそより大きな苦悩を抱えていた。
人には避けられない寿命がある。だがみゅーにはそれがない。愛ゆえにレインしか見えなくなればみゅーに未来はない。本当にみゅーを孤独から救うこと、それは絶滅したとされる同族のミュウにしかできない。レインはみゅーに本当の家族、ミュウの子供が生まれることを望んでいた。
だが……すでにみゅーの運命は決した。
真実の愛を得て、みゅーの気持ちはすでに愛を捧げるべき相手を決めてしまったのだから。
やっと分かり合えた!
でもまだ終わりません
問題の解決にはなってませんからね
みゅーの思いは報われるのか
この章の着地点はどうなるのか
色々楽しみながら続きを楽しんでください