破滅を予感させるようなみゅーの狂気は眠りと共に消え去っていた。だがこの日を境にみゅーは一切の生きる気力を失ってしまった。レインが何をしても無反応。食事もまともにとらず、みるみるとやつれ果てていった。
「みゅー、もういい加減何か食べて」
「もういいの。おなか、へってない」
「……」
これで丸三日何も食べようとしていない。エスパーだから寝ていても喉を詰まらせることはない。なので寝ている間にレインがお粥などを少しずつ食べさせてなんとか生きながらえているが、今の状態では衰弱死するのも時間の問題だった。
まさかここまで酷くなるとは思わずレインは困り果てていた。レインは後悔と共にどうすることがみゅーにとって最善だったのか何度も考えた。しかし今のみゅーの姿を見るとどうすべきなのかますますわからなくなり自信を失いかけていた。
レインはもう万策尽きていた。
「ねぇレイン」
「みゅー!? どうした、何かあった?」
久々にみゅーが口を利いた。レインはそれだけで大喜びするが次にみゅーが言った言葉は予想を遥かに超えていた。
「みゅーね、もうすぐ死んじゃうと思うの。最後まで迷惑かけっぱなしでごめんね」
「なっ……! 縁起でもないこと言うな! みゅーが死ぬわけないだろっ!」
「みゅーにはわかるの。エスパーだから自分の最後ぐらいわかる。理由までは予知できないけど、もう長くないの」
どう考えても餓死だろうとレインは思うが、みゅーにはそれすらもわからないほど弱り果てたようだ。
「みゅー、そんなものまやかしだ。予知なんてなんの意味もない。みゅーは絶対に俺が死なさない! だから安心しろ!」
「レイン…………ありがと。でも運命だから変わらないと思うの。だからね、死ぬ前に最後にお願い。1回でいいから……本当に1回でいいから、みゅーにお別れのキスして」
表情は全く変わらないが、礼を口にした際にだけ僅かに笑みを浮かべ、みゅーの瞳からはゆっくりと一筋の涙が流れていた。
「それはできないな」
レインはみゅーの要求にきっぱりとした拒否を返した。みゅーは自嘲気味に笑った。
「……みゅー、やっぱりダメなのね。レインってホントに意地っ張りな性格なの。……みゅーね、それでもレイン好きだよ」
「お前、やっぱりバカだよ」
「……そうかもね」
「最後っていうのは却下だ。みゅーは死なせないってたった今言っただろ」
「んっ!?」
みゅーにとっては二度目の口づけ。突然のことでみゅーは身じろぎもできず、至福の時間は刹那の内に終わってしまった。しかし、みゅーはしっかりとレインの気持ちを全身を通して感じ取っていた。絶対に死なさないというギリギリの思いがレインの本心を剥き出しにして全て伝えていた。
口づけはエスパーにとって最もオーラを感じ取りやすい方法の1つ。レインの思いを受けてみゅーの顔にみるみると生気が戻ってきた。“じこさいせい”だ。
「どう、ご所望のキスのお味は?」
「みゅー? キスって味するの?……みゅーさっき頭真っ白になっててわかんなかった。でも、嬉しくて幸せだったの。みゅーすっごい幸せ。……ねぇレイン」
「なに?」
「さっきはあんなこと言ったけど、あの……みゅーね、やっぱり死なない気がするの」
「……だから言ったでしょ、俺が死なさないって」
「みゅっ、みゅへへ、みゅー生き返っちゃった。みゅー、なんか今までずっと眠ってたみたいな気分」
「灰かぶり姫の次は眠り姫?」
「そうね。みゅーが眠り姫。眠りを覚ます、魔法の口づけ……なの」
「お寝坊さんはこれっきりにしてね」
「みゅー、レインがそうしてほしいならそうしてあげる。みゅぅぅみゅふーっ! ……やっぱりキスすごい……」
それからみゅーは元通りになるが、これを契機にしてレインへの思いは臨界点を超えて天井知らずに昇り詰めていった。元々みゅーはレインに対し依存するような形で生活を共にしていたが、それがより顕著になり、酷い日には温もりとオーラを求めて1日中レインにくっついたままのこともあった。だが、当然のことながらオーラを感じるのはみゅーだけではない。心の奥底を揺さぶられるようなみゅーの熱烈さにレインは困り果てていた。
レインはみゅーのことを考えてこの依存関係には危機感を持っていた。だが先日無気力になって危険な状態になったばかり。レインはみゅーを強く叱ることができず半ば黙認していた。それでも極力甘えさせず、キスもさせないようには努めていた。
「ねぇ、みゅーはいつになったらちゃんとキスできるの? ねぇ答えて」
みゅーはレインの腕を引っ張って強引に尋ねた。レインは渋々振り返って引かれるままに膝をついて答えた。みゅーがより近くになって同じ目線で見つめ合う。レインはプイっと横を向いてしまった。みゅーの瞳はレインにはまぶし過ぎた。
「みゅーはまず大人になれ」
「なったらいいの?」
「……ポケモンだから俺に対してはダメ」
「みゅぅぅ……」
レインの言葉はそっけない。みゅーは恨めしそうにレインを睨んだ後、うんうん唸ってから再び口を開いた。
「じゃあ、みゅーがレインと同じ人間になれて、ちゃんと大人にもなって……望むべき姿にへんしんできる、そんな日がもしも来たら……みゅーのこと、今度こそ受け入れてくれる?」
「……ずいぶんと都合がいいな」
「もしもなんだからいいでしょっ。ねぇ、レインはそれでもダメなの? お願い、ちゃんと答えて」
レインは呆れ顔だがみゅーは至って真面目なようだ。レインは仕方なく正面から向き合ってみゅーの話に付き合うことにした。
「そうだなぁ。もし本当にそんなことがあったら……みゅーの全部を受け入れてあげるよ」
「レイン……あなたのその気持ちにウソはない? みゅーに誓える?」
レインは一瞬みゅーの顔が歪んで見えた気がした。瞬きのうちに突然みゅーから子供らしさが消え去り、悠久の時を思わせる厳かな口調に変わった。思わずみゅーを見て目が合ったレインは瞳の奥の深淵に引きずり込まれるような錯覚を覚えた。今この一瞬だけ明らかにみゅーの雰囲気が一変していた。
「自分の全てをかけてもいい。全て受け入れるとみゅーに誓える」
「ホントなのっ!? みゅーでいいの?! やったー! 約束だからねっ!」
レインは心が体から離れるような浮遊感に包まれ、気づけば無意識に口が動いていた。しかし無意識だからこそ、それはレインの心の真実だった。
なぜ自分がこんなことを言ったのかわからずにレインは混乱する。すでにみゅーはすっかり元通りに戻っていて、子供のように喜んでピョンピョンと飛び跳ねている
レインは自分の言葉を取り消そうとした。
「……約束なんかしても意味ないよ」
「えっ?」
「そんなありもしない仮定の約束なんてするだけムダ。現実を見ろ」
「でも……もしかしたら上手くいくかもしれないの」
「いいや無理だ! ありえない! 不可能だ!!」
「ひぅぅ……そこまで言わなくてもいいのに……」
レインは思わずキツイ言い方になってしまった。どうしようもなくイライラした気持ちを落ち着け、冷静になってから静かに謝った。
「ごめん、言い過ぎた」
「レイン……うぐぅ……」
苦しそうなみゅー。レインから離れて顔を背け、トボトボと歩き出した。復活後のみゅーが自分から離れようとするのは初めての事だった。見えないはずのみゅーの表情が容易に想像できて、考える前にレインは思わず引き留めていた。
「待って!」
「……」
みゅーは黙ったままだが足を止めた。
「今はこれで我慢して」
「あっ」
みゅーは優しい感触を得て、じんわりと暖かいものが心の中に広がっていくのを感じた。みゅーはレインのことがわからなくなり、気づけば涙が出ていた。自分でも何に対する涙なのかわからず、みゅーはそのまま走り去ってしまった。
その後顔を合わせることはなかった。
◆
……チューチュー、ちゅーちゅー
……チューチュー、ちゅーちゅー
「んぅ……? なに……?」
「みぅっ! みぅっ! みぅっ! えぅ……んっ! みぅっ! みぅっ!……」
次の日、目を覚ませばみゅーがレインの寝床に忍び込んでいた。見れば何かに憑りつかれたかのような表情で甲高い鳴き声を漏らしながら一心不乱にレインの指を吸っている。レインは慌てて手を引っ込めた。
「こらっ! みゅーっ!! これはどういうこと?! まさか約束を忘れたわけじゃないよな?!」
「みゅっ!? あ……レインッ。ち、違うの! みゅーはお口にキスはしてないよ? だから約束は守ってる」
「お前、だから代わりに顔以外で直接触れる指を……げっ! これは……!?」
いったいどれだけの時間しゃぶられ続けたのだろうか。指がふやけてぐちゃぐちゃになって、その上、表現しにくいほど皮がえぐれている。ちょっとグロい。何時間吸っていればこんなことになるのだろう。レインの考えの中に一晩中舐め回されていた可能性も浮上していた。
「みゅ……ごめん」
「……これからは舐めるのも禁止」
「そんなっ! でもみゅーもうがまんできない」
「どうしてもしたいならポケモンにすればいい。ボールから自分で呼べるでしょ。人間にこんなことしたらダメ。いいな?」
「レインー、レインー」
「そんなせつなそうな声を出してもダメなものはダメ。約束は覚えてるな?」
「……みゅぅぅ」
だが人の気持ちというものは抑えてどうにかなるものではない。それはポケモンであるみゅーも同じ。何日かはみゅーも辛抱を続けたが、何気ないことがきっかけでそれは限界を迎えた。
「やった! 特大の“こんごうダマ”と“しらタマ”ゲット! でもこれだと大き過ぎてトレードするには勿体ないなぁ。んー、せっかくだしこの2つはブルーにあげようかなぁ。この前はサファイアあげたらすっごい喜んでたし。ブルーの顔見るのが楽しみだなぁ」
「っ!」
「なぁ、みゅーも楽しみだろ?」
レインは何となくみゅーに話しかけるが反応はなかった。
「……」
「ん? みゅーどうしたの?」
「ねぇ、みゅーといるのは楽しくないの?」
「え? 急に何?」
「みゅーは人間じゃないからどうでもいいんでしょ」
「みゅーさん、もしかしてヤキモチ?」
レインはみゅーの心情を読み取って思ったままに発言してしまった。しかしこの不用意な一言がみゅーの逆鱗に触れた。
「みゅっ!? ……んん……んみゅぅぅーーっっ!! みゅーーっっ!!」
「ぐっ?! 待ってみゅー、これは何のつもり?!」
いきなり“ねんりき”で縛られレインは完全に身動きできなくなりそのまま突き倒された。みゅーは馬乗りになってレインに大声で叫んだ!
「ヤキモチ焼くに決まってるでしょっ!! ポケモンのみゅーにはなんにもくれないで、人間のブルーにはどっちもあげてっ!! いっつもブルーにばっかり宝石送って、やっぱりレインはブルーが好きで、ブルーとケッコンしたいんでしょっ?! だからみゅーとはイヤなんだっ!! レインは無神経で、みゅーにブルーの話を楽しそうに言って、いつもみゅーがどんな気持ちだったかわかる?! 悔しくて悔しくていっつも口の中血塗れだった! 苦くって不味くって、何より敗北の味がたっぷりした! 惨めで辛くて……でもみゅーはじこさいせいで治るから、レインは気づきもしないっ……! ブルーを見る度に変な気起こさないように堪えるの大変で、頭おかしくなりそうだった! みゅーの苦しみがレインにわかる?! ねぇっ、わかるの?!」
「わかった。お前の気持ちは本当によくわかったから」
「お前って言わないで!! みゅーって言ってよ!!」
「……みゅーの気持ちはわかった。無神経で本当にごめん。でも、宝石は一緒に旅できないブルーのためにお土産として渡すだけで深い意味はないし、差別したつもりもない。みゅーもほしいなら言ってくれればいくらでもあげる」
「みゅーは宝石がほしいわけじゃないっ! レインに選んでほしくて……」
レインにはそれがケッコンしてほしいという意味だとわかった。なのできっぱりとその言葉を跳ねつけた。
「……それはダメ。約束しただろ。その話はするな。それにこれも約束違反だよな? 俺に技使ったらダメって約束しただろ。今回は俺も悪かったと思うから、すぐにやめたら今日は大目に見てあげる。だからこれを解いてくれる?」
「……イヤ」
「みゅーっ!?」
「イヤなものは……イヤーーッッ!! みゅぅぅぅ、んーっ!!」
「!?」
みゅーは約束を破り、“ねんりき”をかけ続けた上にとうとうキスまでしてしまった。みゅーは約束を3つトリプルで破ったことになる。当然レインは尋常ではなく怒った。
――今すぐそこをどけ!――
――ひぅっ!?――
情緒不安定になっており、かつ元々調子の悪いみゅーの拘束はあっさりと解けた。
「この……大バカッ!!」
バチン!
一瞬何が起きたのかみゅーにはわからなかった。徐々に自分の頬が熱を帯びて痛みが広がり、思いっきり平手打ちをされたのだとわかった。熱を持った頬に手を当て、信じられないという様子でみゅーはレインを見た。そして突然レインの姿がグニャリと歪んだ。いや違う。涙で歪んで見えたのだ。ひりつく痛みから、レインのハッキリした拒絶が心の奥底まで突き刺さるように感じられ、みゅーは心が痛くなり苦しみ始めた。
「あぐぅ、はぁーっ、はっ、はっ、ぐぅぅぅ、ううっ、うぐぅっ」
みゅーにとってレインから直接手をあげられたのは初めてのこと。そのショックは甚大で精神的に異常をきたしていた。体を上下にゆすって必死に苦しみを耐えており、相当な痛みであることは見て取れた。
「みゅー、だい…」
「ヤァァァッッッ!! 言わないでっ!! 聞きたくない聞きたくないっ!!」
“大嫌い”……ではなく“大丈夫か”と続けようとしたレインの言葉は勘違いしたみゅーに遮られてしまった。レインから逃げるようにしてフラフラと飛んでいき、最後にチラリとレインを振り返った。レインの元まで届かないほど小さな声で何かつぶやいた後、みゅーはテレポートを使って消えてしまった。
その日を境にみゅーは姿を消してしまった。
またこの展開かよとか言わないでくださいね
4話が今後の重要な伏線になります
この先で見覚えがあるなぁという言葉が出てきたらここに戻ってくるといいですよ
色々と繋がってくる……はずです