「んみゅぅぅ……あれぇ?」
ベッドに寝かされていたみゅーは目が覚めると傍にいたレインと目が合った。
「おきた? 大丈夫?」
「レイン? ひゃぁぁ……みゅぅ」
心配するレインの顔を見るとみゅーは真っ赤になって顔を背けるが、すぐにまたレインを振り返って何か言いたそうな表情を見せた。何か大事なことを思い出したようだ。
「本当はこっちの方が言いたいことが山ほどあるんだけど、言いたいことがあるならみゅーの方からお先にどうぞ」
「レイン、さっき……みゅぅ、覚えてる? ここに……」
唇に指を当て消え入るような声でみゅーは言った。恥ずかしい……というよりレインが覚えているか不安な気持ちの現れ。みゅーの言わんとすることはレインにも察せられた。
「この大バカ! はっきり覚えてるからな! トレーナー相手にあんな技使ったらダメだろ!」
「みゅふぅー! ちゃんと覚えてるのね。良かった」
「良くない! なんで俺が覚えてるだけで嬉しそうなんだ!?」
レインはみゅーが気絶した直後こそ申し訳ない気持ちになったが、よく考えればみゅーの自業自得であり、時間を経るにつれむしろ怒りが増していた。
「だって、これでレインとみゅーは人間で言うケッコンをしたことになるんでしょ?」
「はぁぁ!? なんねーよ!! バカだろお前?」
とんでもない勘違いだった。当然レインは全力で否定。照れ隠しなのかレインの言葉遣いは荒くなっている。みゅーはレインの発言にウソがないことをオーラで知り、ショックで泣いてしまった。
「えっ!? なんで……違うの? そんなぁ……みゅぐっ」
「あぁ、ごめんごめん。別に泣かなくてもいいでしょ? みゅー、そもそもなんでそんなこと思ったの?」
レインはみゅーを泣かせてしまったので口調を優しく改めた。もっとも、みゅーが泣いたのは自分の考えが勘違いだと気づいたからだがレインにそれを知る術はなかった。
「みゅぐっ。だって、レインが前に言ってたもん。……お話で。それにケッコンするときキスするのみゅー知ってるもん。みゅー見たもん!」
みゅーはレインに尋ねられ、自分の正しさを主張するように何度も「見たもん! 見たもん!」と叫び続け、ベッドから身を乗り出してレインに迫った。
「わかったわかった。それって結婚式でする誓いのキスのこと?」
「みゅ!? やっぱり合ってるのね! みゅーうーっ! レイン、すぐにそれして!」
「ダメ。それはお互い真剣な気持ちじゃないとできないの! それにみゅーにはまだ早いからね。みゅーみたいな子供は結婚できない。最低でも……そうだなぁ……今の俺と同じぐらい大きくならないとダメ」
レインの言葉に対しみゅーは不満そうに口を尖らせた。
「みゅー子供じゃないの」
「じゃあずいぶん甘えん坊な大人なんだね、みゅーちゃんは」
「みゅみゅぅ……レイン、すっごくいじわる。体はすぐにおっきくなんないもん。どうしたらいいの?」
みゅーの体格と同じく小ぶりなワンピースをつまみながら寂しそうな声でみゅーは言った。だが、レインは素っ気ない返事を返した。
「へんしんできないんだろ? どっちにしろ俺にはそんな気ないし諦めな」
みゅーは一瞬悲しそうな表情を見せるが、すぐに笑みを浮かべてみせた。
「レイン、そんなこと言ってもムダなの。レインのことはみゅーにはオミトオシだからね。これはオーラを読んだわけじゃないから確実なの」
「……どういうこと?」
「レインならわかるかな。すごいトレーナーだもんね。メロメロって効く相手と効かない相手がいるのは知ってる?」
「同性なら効かないってこと?」
「みゅみゅみゅ。ちょっと違うの。正確にはね、少しでもかけられた方がかけた相手に恋愛感情を持つ可能性があれば発動するの。だからポケモン同士は絶対異性限定ってことね」
「へぇー、そういう理屈なのか。でも、それがどうした?」
みゅーは内心ほくそえんでいた。技の考察ならレインは必ず乗ってくる。そしてみゅーの話を信じている。ある程度の辻褄さえ合っていればレインはみゅーのことなら信用する。みゅーはあらゆる技を覚えられる力があるからだ。ここまでみゅーの予想通りだった。
「わかんないの? つまりね、普通は人間に対しても効果がないの。ポケモンを好きになる人間はいないから。同性を好きになるポケモンがいないのと同じ。つまり……みゅふっ」
「お、俺がみゅーのことを……」
「愛していたの。少なくとも心の奥ではね。だから発動しないはずのメロメロに引っかかった。みゅみゅ、隠そうとしてもムダなの」
「くっ……」
目を逸らして唇を噛みながら額に手を当て、見るからに悔しそうな表情になるレイン。それを見てみゅーの心に歓喜の渦が沸き上がった。
(やった……やっっったぁぁぁ!! カマかけ成功! 上手くいったの! やっぱりレインはみゅーのこと本気で愛してる! みゅぅぅぅ、幸せ過ぎて脳ミソ溶けちゃうの~)
みゅーは放心状態になってしまい、レインも反応のないみゅーの様子に気づいた。そしてすぐにダマされたことに気がついた。
みゅーはとんでもなく幸せそうな表情をしているが、今急にこんなふうになるのはおかしい。今の話が本当ならレインの気持ちはメロメロをかけた時点で判明していたのだから今改めてわかることは何もない。なら急にみゅーが豹変した理由は簡単。この話がウソで、今のは全部レインを試していたのだ。
「みゅーっ! お前ダマしたな!」
「みゅっ!? んみゅぅぅ、みゅーのバカッ! バレちゃった……。で、でも、もう遅いもん。レインのことはもうわかってるもん」
「今のでみゅーのことキライになった」
「みゅ!? ヒドイ……なんでずっといじわるばっかりするの? みゅーの気持ちもわかってよ!」
「わかってないのはお前の方だよ……」
「え?」
レインは僅かにしんみりした表情を見せるが、すぐにいつもの表情に戻り幼子を諭すようにしてみゅーに言い聞かせた。
「あのな、誰もすきこのんで意地悪してるわけじゃないの。今自分で言っただろ? ポケモンを好きになる人間はいない。みゅーと俺では絶対結婚とかはできないの。だからみゅーはちゃんとポケモンを好きになって。……できたら早くちゃんとしたみゅーのタマゴも見たいんだけど…」
「じゃ、レインのっ!」
「俺はタマゴなんかできないに決まってるでしょ」
「え?」
「みゅーが凄過ぎるからぴったりの相手を見つけるのは大変だけど、それでも俺がちゃんと高個……つまりいい相手を探してあげるから、ね?」
「……ウソ、ウソ言ってる。そんなのウソに決まってる。だって、おかしいもん。みゅーはこんなにレインが好きなのに、タマゴはできないなんて……ねぇ、ウソなんでしょ? ねぇ」
「もう何も言うな」
いきなりの突き放すような冷たい言葉にみゅーは我慢の限界を超えた。
「なんでなのっ!? ウソって言ってよ!」
「……ウソじゃない。お前の相手はポケモン。そんなことは最初から決まっていたこと」
「みゅぐっ! うぅぅぅぅ! いやいやいやぁ。なんでそんなこというの? みゅーはウソじゃなくてもウソだよって言ってほしかった。よりによってレインにそんなこと言われたくない。絶対にイヤ……レイン以外イヤ!」
「なんでそんなこと……! みゅー、一生不幸せになるよ? お前の人生はこれからだろうにそれでもいいの?」
「なんないもん。レインがいたら不幸になんかなんないはずなの。同じ波長の相手を見つけたら幸せになるって、みゅーでもなれるってそう言ってたのに……!」
頭を抱えてうわ言のようにぶつぶつと呟き続けるみゅー。レインが少し心配して様子を見ようと腰を屈めた。
「なんのこと? それは誰に……」
「もういいの。レイン昔言ってた。手段なんか選んでたらダメだって。だからこうする。みゅーは自分の力で絶対幸せになる。力ずくでレインを骨抜きにしてみゅーの虜にしてあげる……メロメロ!」
「またっ!?」
中腰の姿勢で油断していたので避けられず、レインは至近距離でダイレクトに技を受けた。そのままみゅーとは反対側に倒れこみ、しばらくして自力でフラフラと立ち上がった。正気を失ったようなレインの動きを見て、みゅーは歓喜の予感にゾクリと身を震わせた。
「あ……かかったのね。みゅへへっ。またすごいキス、来るの。今度は1回で堕ちちゃったみたいね。レイン、エスパーとしてはよわっちぃのね……へーなちょーこさんっ。みゅー、みゅうみゅうみゅー! レイン……たっぷりしてあげるから……。んー!」
「……」
目をつぶって唇を突き出すみゅー。しかしその思いが届くことはなかった。
「みゅぶぅ!? ぶぇいん、ぶぁんで!?」
「お前……本当にドジになったな。詰めが甘いんだよ。俺がトレーナーだってこと忘れてるだろ?」
レインは正気だった。みゅーの両サイドのほっぺを片手でつかんで、感触を確かめるようにぐにぐにと押し潰しながら相手を見下すような表情で冷たく言った。
「これふぁなしへ……ぷはっ! みゅぅぅ、なんで効いてないの!」
「メロメロ状態なんてこれさえあればすぐ治るんだよ」
「なにそれ……草?」
「ボケたか? これはメンタルハーブ。他ならぬお前の故郷で集めた道具。お前は性懲りもなくまた同じことをすると思ったから、さっき寝ている間にあらかじめすぐ使えるように準備しておいたんだよ。……さて、これでお前は二度もトレーナーに対して刃を向けたわけだ。しかも意図的に。これは厳罰に値する」
「みゅっ……でも、みゅーは悪くないもん。レインが悪いの」
「お前の意見は聞いてない。いいわるいは俺が決めること。どうせみゅーは逆らえないから」
レインは低い声で高圧的な態度を取った。仲間になってから今までみゅー相手には決して見せなかったレインの姿にみゅーは少なからぬ恐怖を感じた。
「え……レイン、なんか急に怖いの。どうしたの? いつもはみゅーが失敗とかしても優しいのに」
「こうでもしないとみゅーは言うことを聞かない。だから仕方ない。もうキスだの結婚だのみたいな話はうんざり。これからは二度と結婚してとか俺の前で言うな。これが1つ。みゅーの方からキスすることも禁止。これで2つ。そして最後にもう1つ、今後一切俺に向かって技を使うことも許さない。この3つを守れ。みゅー、わかったな?」
「イヤ……そんなのイヤッ。イヤなものはイヤだもん」
「そう。俺の言うことは聞けないってことだな。いいよ、じゃあ勝手にすれば?」
「みゅ? いいの?」
「いいよ。その代わり破ったらもうお前の面倒は見ない。ギアナへ帰れ」
レインはびっくりするほど冷たい声で言い放った。みゅーはまるで心臓に氷柱を突き刺されたようなショックを受けた。
「え……レイン、どういうことなの」
「約束を守る気がないならお前とは絶交するってこと」
「……レイン、ウソでしょ? 今の、みゅーの聞き間違いだよね?」
「ウソじゃない。俺の言うことを聞かないポケモンなんて要らない。どこへでもいけばいい」
あんまりにもショックな言葉に涙が出そうになるが、泣けば嫌われると思い必死でみゅーは堪えた。それでも絞り出した声は震えてしまっていた。
「そんな……ずっと一緒じゃないの?」
「もちろん一緒だ。お前がいい子ならばな。俺だってみゅーとはずっと一緒にいたい。でもお前が悪い子なら話は別。お前が約束を守ってくれさえすればずっと一緒にいられるんだから問題ないだろ?」
「でも、みゅーのこと追いだしたら……レイン、ウソついたことになるの!」
「追い出す時点で先にみゅーが約束を破っているのだから文句は言えないはずだ」
レインの言葉を受けてみゅーは一瞬押し隠せない激しい怒りをあらわにするが、すぐに脱力して人生を諦観するような悟りきった表情になっていた。
「みゅっ! みゅぐぅぅぅ。ふーっ……。レイン、本気なのね。みゅーのことやっぱりうっとうしいんだ。みゅーだってわかってるの。いっつもレインにつきまとって、迷惑ばっかりかけて、みゅーはわがままだからレインいっつも困ってるの。それぐらいみゅーだってわかってる。オーラ感じてた……みゅー、エスパーだから。それでも優しくしてくれるところが嬉くて好きだった……。でもね、わかってほしいの。みゅーはこうすることしかできないんだよ。みゅーは何にもわかんないから、レインに甘えて、頼って、迷惑かけないと自分の気持ちを伝えられないの。みゅぅ、みゅーは“へんしん”と同じ。相手がいればなんでもできるけど、独りではなんにもできない。みゅーはレインがいないと生きてる意味ないんだよ」
「そこまでは言ってないよ」
みゅーの重い言葉に対して返す言葉が見つからず、レインは満足な返事はできなかった。
「レインー、みゅーはどうしたらいいの? みゅーフラれちゃったよ? たった1人の同じ波長の運命の相手、ようやく見つけたのに。みゅーはやっぱり幸せにはなれないんだね。いっそ嫌われていれば好きになってもらえるかもって思えるのにね。相思相愛で拒絶されちゃった。もう絶対に変わんないね。今はっきりわかっちゃった。みゅーがミュウである限り、みゅーは不幸なままなのね」
「……」
他人事のように淡々と語る姿が痛ましい。レインは黙り込んでしまった。
「ねぇレイン、みゅーどうすればいいの? みゅーはなんのためにここにいるんだろう。もうなんにもしなくていいのかな。もう辛いことしかない。これならいっそ……」
みゅーの姿に危うさを感じてレインは割って入って口を挟んだ。
「みゅー、落ち着いて。深刻に考え過ぎ。別に今まで通りで問題ないでしょ? な、たまにはこうやって頭撫でたりしてあげるから」
とっさに思い浮かんだのはみゅーが大好きなこと。頭を撫でて落ち着かせようとしたがそれはこの場に限っては逆効果だった。
「みゅぅぅぅ! やめてよ、やめてっ! そんなことしないでよ! こんなの感じたらみゅーまたおかしくなる! 諦められなくなるっ!」
「ごめん……」
「謝らないでよ! それだったらみゅーのことずっと大切にして!」
「これは全部お前のためなんだ。だから落ち着いて。俺の気持ちをわかってくれ」
「わかってないのはレインでしょ?! どうしてっ!? どうしてこんなに思ってるのにみゅーを拒むの!? みゅーがポケモンだからなの? みゅーが人間だったら愛してもらえたのに、ポケモンとして生まれたからみゅーを拒むの?……ねぇ、みゅーは一体誰を恨めばいいの?」
みゅーの瞳にすでにレインは映っていない。レインにはとても正気とは思えなかった。感じるオーラは原型を留めずぐちゃぐちゃ。にわかにバランスを失い始め脆く崩れ去ろうとしている。さっきまでたしかにみゅーから感じられた愛情は段々と真っ黒で恐ろしい別の感情に成り代わっていた。
「みゅー、落ち着いて!」
「こんなのおかしい。イヤイヤイヤイヤ!! うぅぅ……なんで思い通りにいかないの……レインはこんなことしないはずなのに、みゅーには優しいはずなのに……なのになのに、レインどうしてっ!」
「ぐっ!?」
エスパーの力が暴走しているようだ。自分の周りを手当たり次第に攻撃し始めた。レインは攻撃がほんの少し掠っただけで吹っ飛ばされそうになった。
以前にもこんなことがあった。みゅーの感情が我慢の限界に達したのだろう。こうなれば力ずくで止めるしかないが今のレインの力では到底太刀打ちできそうにない。策を講じるしかない。
「攻撃がダメなら……出てきてくれユ―レイ、さいみんじゅつ!」
「ゲェェン」
「みゅぅぅぅ……スースー」
レインはみゅーを強制的に眠らせた。眠って落ち着きを取り戻したのかオーラは安定している。穏やかな寝息を立てるみゅーの姿を見てレインは胸をなでおろした。
しかしそれは束の間の安息。霞のようにぼやけていた夢が徐々に形を成し、悪夢は現実になろうとしていた。
とうとう運命の歯車が狂い始めてしまった。
いい雰囲気の前回とは一転して悪夢のような展開に
簡単にパッピーになれるほど甘くないですね
レインが冷酷に見えるかもしれませんが無意味にみゅーを遠ざけているわけではありません
気持ちがすれ違っているような感じですね