ONE DAY MORE

漫画家・村田順子の
美食と薔薇 華麗なものが
大好き人生☆。.:*・°☆

萩尾先生と竹宮先生のこと

2021年04月26日 | 漫画

まさか、こんな日が来るとは思っていませんでした。

先生たちお二人がこの世からいなくなるまで、けっして公にされることはないと思っていた遠い昔の封印されたお話。

その扉をまず開けたのは竹宮先生。

今から5年前~2016年に『少年の名はジルベール』という自伝本を出して、禁断の大泉サロンの(萩尾望都先生と同居していた)話をはじめて公にしました。それは自叙伝を書くうえで避けては通れない話だったから。

竹宮先生は、当時-萩尾望都-という天才の才能に嫉妬していたこと、「少年愛には興味がない」と言いながらへろっといとも簡単に『11月のギムナジウム』という傑作を描いてしまうことへの恐怖、ずっと描きたいと温めていた寄宿舎の話を先に描かれてしまったことへの怒りを告白し、とはいえ当時自分が放った言動が大人げなかったことを心から謝罪し、あらためて萩尾望都という稀有な才能を称賛したのでした。

だいたいのいきさつを知っている私は、竹宮先生がこんな境地に至ったことに深く感動して泣きました。

でもこれは大泉時代のことがすべてではなく、竹宮惠子という漫画家の生い立ちから今日までの歴史の本であって、大泉の話はその長い年月の中の、ほんの一部分にすぎないはずだったんだけれど、先生がいくら「私の歴史のほんの一部分」だと言い張っても、長い長い間「何があったんだろう?」とみんなが知りたかったことだから、とうぜん飛びつきますよね。

あれから5年が経って、今回萩尾先生が『一度きりの大泉の話』という本を出されました。

ちょうど10年前、たまたま私は萩尾先生の住む飯能に気に入った土地を見つけて引越しました(しかも、まさに大泉学園から!)。近くに住む後輩の漫画家二ノ宮知子とのご縁でパーティーをご一緒したり、一時お互いの家を行き来したりするようになったので、なんとか竹宮先生と和解できないかとずっと心で願っていましたが、昔の話をなんとなく振ってみても、絶対にそれに答えが返ってくることはありません。どうしてこんなに頑ななのか?ノー天気な私には理解できなさ過ぎて、すっかりあきらめていたところにこの本が出版されると知り、発売日までの一か月間、どんな内容なのか?ドキドキして待ちました。

予約していた本が届いた時は仕事中で~アシさんが入っている時期だったので、夜中寝る前に3日に分けて読みました。

すさまじい内容でしたけど、止むにやまれぬ覚悟と受け取りました。

冷静に時系列に沿って、あったことを淡々と述べていて、私が知っていることと認識の解離もなく、真ん中辺りまでは大泉の生活に郷愁を感じていると思えるほどでしたが、途中から始まる怒りとも自虐とも取れる竹宮&増山さんへの徹底的な拒絶。竹宮先生が今さらどう詫びようと、どうにもならないんだということがわかりました。

4年前、九州に引っ越した竹宮先生の新居に遊びに行ったとき、先生から「萩尾さんに謝罪の手紙を入れて『少年の名はジルベール』を送ったんだけど、送り返されたの」と聞いて、「えええ~?うそ~」と絶句。送り返されましたか~!!しばらくうなだれました。そして湧き出る絶望。今回そのことも萩尾先生の本に書かれていました。それを機に私はお二人の和解のために暗躍するのをきっぱり断念したのです。・・・誰にも頼まれていませんが(;^ω^)。

竹宮先生の名誉のために少し補足させていただくと、先生は思っていることをストレートに言ってしまう人ではありますが、影で人を陥れようと画策したり、誰かのせいにしたりする人ではけしてありません。若干人ごとのように「俯瞰するとこういう構図で、こうだったのでは?」と状況を分析するので、だからそれが「別の原因のせい」だと言ったように勘違いされることはあるかもしれません。増山法恵さんは正義感の強い人。私はお二人からただの一度も萩尾先生の悪口を聞いたことがありませんし、萩尾先生の作品を妨害するようなこともない、、、というか、あり得ない!

排他的独占願望もよくわかりません。寺山修司さんや光瀬龍氏に関しては、あちらが同時期にお二人にアプローチして来ただけで、竹宮先生がお好きなものに近づいちゃいけない!という恐怖心に関しては、もちろんトラウマは理解できますが、誤解があるな~という気がしました。(追記:被害妄想は言い過ぎだ!というご指摘がありましたので、撤回して他の言い回しに変更しました。申し訳ありませんm(__)m)

ずっと後になって、竹宮先生からポツポツと大泉時代に起きたことを直接聞くことがありましたけど、ご自分が言ってしまった言葉に対して「私はこんな風なことをモー様に言ってしまったの」と言うだけでした。

増山さんに関しては、ずっと「私はケーコタンとモー様の間に何があったのか、よく知らないのよね!」と言っていました。そんなまさか!!と思っていたんですけど、どうやら本当のようなのです。ある意味天然です。

今回、特に私は竹宮惠子派の立場に立つつもりはなかったんですけど、本の所々に流れる竹宮惠子=ダークなムードにちょっと違和感を感じました。これは身内びいきというやつでしょうか?増山さんの発言にも(言っている意味は同じだとしても)ニュアンスが違うというか、あの強烈で辛辣な発言の数々はもうちょっと愉快なんですよね。私は増山さんの暴言を楽しく聞くことができるみたいです。そこが竹宮先生と同類なのかな?

まあ50年も前のことですし、立場が違うと同じことがまったく違う風に見えますから仕方ないことですね。

あと最後にもうひとつ、ドラマ化の話を断っても断っても食らいついてくるメディアに困り果てていたのは竹宮先生も同じで、もう断るすべがなくて、萩尾先生が了承するわけがないことを見越して「じゃあもう、萩尾先生がいいと言えば・・・いいです」という返事をしてしまったんですね。もちろん乗り気だったわけではまったくなく。

でも結果的に、それがいけなかったですね。

自分で蒔いた種なのに、萩尾先生に丸投げしてしまった形で迷惑をかけてしまった。そしてこの本を書かざるを得なくなった流れは、もう運命?宿命?因縁?

(憶測でものを言うな!と言われたので補足しますが、これはマネージャーのH子さんから直接聞いたことです)

ドラマ化の件は、実はまず私のところに話が来て「竹宮先生に打診して欲しい」と頼まれたので、もちろん私が橋渡しをしなくても話は行っただろうけど、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまいました

私は竹宮先生が『風と木の詩』の連載を開始するまでの苦しみを側で見ていたので、萩尾先生は天才ゆえの鈍感さで人を傷つけているのでは?と思っていましたが、そのことも本の中で何度も触れていましたね。自分が至らなかった、自分が鈍感だった、自分さえいなければ・・・。

ああ~~もう

もう、やめましょう。

あきらめましょう!!!

また永久凍土に戻ってしまった出来事を掘り返すことはやめて、そっとしておいてあげましょう。

竹宮先生は強いのでどんなことも乗り越えられるけど、萩尾先生は無理なんだから。

新刊を2冊いただきました。この感想はまたいつか。

 

私と竹宮&増山さんとのいきさつをちょいと書きます。

私は高校1年生(15歳)の夏休みに、小学館主催の竹宮惠子先生のサイン会に駆けつけて以来、毎日のようにファンレターを書いて情熱をぶつけまくり、それから3カ月後の晩秋に突然のんたん(増山法恵さん)から電話をもらい、「遊びにいらっしゃい」と言われました。

今回萩尾先生の本にも何度か出て来ますが、増山さんはファンレターを読んで、気にいるとその人を呼び寄せることをずっと前からしていたようです。私が呼ばれたのは大泉サロンが解散した後でしたけど、そのおめがねにかなったんだなぁ~と、今さら知る。

当時竹宮先生はすごい人気だったから、私の手紙をちゃんと読んでくれているとはぜんぜん思っていなかったので、ビックリ仰天!!舞い上がった私は高校のマンガ部の仲間を3人引き連れて下井草のOSマンションにうかがいました。

そこには先生はいなくて、最初は増山さんとだけでいろんなお話をしていたら、しばらくして仕事場から先生が戻られて、一緒にケーキを食べながらお茶をしました。

その後、数か月後にまた呼んでいただいたときに、「ファンクラブをやらない?」と増山さんから持ちかけられ、二つ返事で「やります!!」と叫んだことは昨日のことのよう。

以来、45年!!

現在体を壊されて療養している増山さんに時おり寄り添って、今でも美少年やジャニーズの話、そしてここ数年彼女がのめりこんでいるフィギュアスケートの話に花を咲かせています。

今回の本のことで「元気ですか?何か大変なことになってない??」と特に具体的なことは書かずにメールをしたら、「あまり体調は良くないけど、コロナウィルスに怯えつつ、なんとか生きていま~す(笑)」と明るい返事がきました。

耳に入っていないはずはないと思うけど、言わないなら聞かない・・・。

竹宮先生には「読んだよ」と連絡してみるけど、たぶん先生はあまり多くは語らず「仕方がないわね」と言うかな?

コメント (7)   この記事についてブログを書く
« 36年ぶりの孝玉『桜姫東文章... | トップ |   
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2021-04-26 20:12:35
>竹宮先生がお好きなものに近づいちゃいけない!という恐怖心は被害妄想だと思います。

同じ環境で、同じ人に、同じ物をすすめられて影響を受けたんですよね。
それなのに突然盗作したと呼び出し2-1で吊し上げ、書棚をやスケッチブックを見るなと怒り、手紙まで送りつけて別離したんですよね。
これがトラウマになったんでしょうね。
それを被害妄想呼ばわりは酷いです。

竹宮先生は疎遠になった理由を綺麗に隠していました。卑怯です。
Unknown (Unknown)
2021-04-26 23:49:25
『少年の名はジルベール』は竹宮先生の自伝であり、暴露本ではありません。
公表していいことと悪いことが冷静に選別されていると思います。
都合の悪い事を隠す意図があったとは思いません。
決別時の両先生のやりとりの記憶と発言意図に関し、双方の認識にあるいは食い違いがあるかもしれませんが。
Unknown (Unknown)
2021-04-27 02:14:38
いじめた方は覚えてないけれど、いじめられた方は忘れないということです
あの本を読んでも「被害妄想」と侮蔑する人が竹宮さんの周囲には多い…類は友を呼ぶということか…
Unknown (Unknown)
2021-04-27 02:29:44
盗作疑惑をふっかけてきて疎遠にしていた人が50年ぶりに手紙と著書を送ってきたら本当に嫌だし、迷惑ですよ。
あなたは平気なんですか?
Unknown (unknown)
2021-04-27 02:32:26
「竹宮先生は強いのでどんなことも乗り越えられるけど、萩尾先生は無理なんだから」

竹宮先生は何でも乗り越えられるんですね。

であれば、
嫉妬の苦しみも、他者にぶつけず乗り越えていただきたかった。

萩尾先生に言いがかりのような発言をしたり、
傷つける事が容易に想像できたはずの「一方的な絶縁状」を渡すような事をしなければ良かっただけです。
Unknown (Unknown)
2021-04-27 03:09:11
私はモー様信者ですがこちらの記事を読んでほっとしました。
竹宮先生・増山さんが盗作の噂を流したに違いないという憶測がネットで流れていて辟易したので。
たしかに絶縁に至る流れや自伝を送りつけられたくだりについては、萩尾先生のファンとしては到底受け入れがたいものでした。萩尾先生の当時から変わらぬ怒りと悲しみが伝わってきました。

ですが、萩尾先生は書籍の中で、噂を流した本人が誰かなんて断定していません。
むしろ盛り込まれた「銀河荘なの!」等のエピソードを見るに、思い込みによる断定やウワサ全般を厳しく批判しているように受け取れました。どこにでも疑惑をかけてくる人はいるのだと。

「盗作疑惑の噂は竹宮先生・増山先生が流したに違いない」という一部読者の憶測による断定は、同じ轍を踏んでいることに気づかないんですかね…。

別視点からの記事を書いてくださってありがとうございました。
竹宮先生達が影で人を陥れようと画策したり、萩尾先生を妨害するわけがないというお言葉、私もそうであることを願っています。
Unknown (ブルー)
2021-04-27 03:24:40
もう、知ったかぶりの解説や、偏った立場からの推測での話はやめませんか。
私はお二人のファンです。
こんなふうな方が周りにいたことも、萩尾望都先生があの本を書かざるを得なくなった理由の一つなのではないでしょうか。
このブログを読んで、残念ながら、悲しみに押しつぶされそうです。
竹宮恵子先生は、若き日の贖罪を告白した。萩尾望都先生は永久凍土に閉じ込めることを希望している。
だから、いかなる方ももう触れてはいけない。そっとしてあげてほしい。
それがお二人へのリスペクトなのではないでしょうか。

コメントを投稿

漫画」カテゴリの最新記事