※この記事はまだ完成していません。(執筆開始日:2020年7月6日 / 最終更新日:2020年7月8日)
※ブログ初心者なので、見づらいかもしれませんがご了承ください
※この記事に関する反論や質問はこの記事のコメント欄にお願いします。
↑こちらの動画についてです。
目次:
謝罪
・マレーシア人による暴言等について
・ラジャーノンチックさんについて
デマ / 印象操作の指摘・解説
・ラジャーノンチックさんの「日本軍はマレー人を一人も殺していない」発言について(途中)
・マハティール元首相について(未完成)
その他
・マレーシア独立と日本の関係について(未完成)
・マストゥラさんについて(未完成)
・最後に(未完成)
まず、動画の間違い指摘の前に
・マストゥラさんへの謝罪
いくつかマストゥラさんへ謝罪したいことがあります。それは、
1. マレーシア人の暴言・悪口について事前に注意 / 忠告をしておかなかった事。
2. ラジャーノンチックさんの存在を否定してしまった事。
この2つです。
1.マレーシア人のマストゥラさんに対する暴言・悪口について
何故これについて謝罪を申し上げたいのかと言いますと、この記事を書いている私本人がマストゥラさん炎上のきっかけになったからです。
↑このツイートです。
【翻訳】
マレーシア人へ
【このツイートを拡散してください】
日本に住んでいるマレーシア人がこう言いました:
日本軍のマレー半島侵略は正しかった、そして"日本軍によって殺されたマレー人は
居なかった"と。
だれか彼女に正しい歴史を教えてやってください。
というようなツイートをしました。
当初はツイートを拡散し、動画に低評価をさせてもらい、動画の視聴者に
「なんでこんなに低評価ついてるんだろ。ひょっとしてなにか間違った情報を言っているのか?」と思わせるのが目的でした。
このツイートをする前に一応マストゥラさんには動画のことについて注意をしていました。
↑このツイートのスレッド(リプライ欄)に注意の続きを書いています。
↑注意の最後のツイート
そして、マストゥラさんからこのようなリプを頂きました↓
一応2回くらい動画を視聴した上での指摘のつもりでした。
なによりも、悪口を言ったつもりはありません。
そこでもう2回マストゥラさんの動画を視聴し、確認しました。
しかし、このようなリプを頂いたこともあり、だんだん怒りを覚えた私は
やや挑発的なツイートをしてしまいました。
今よく考えたら「マレーシア独立は日本のおかげではない」と断言できない部分もあったな、と思ってます。
この事(マレーシアの独立と日本の関係)については後ほど説明します。
そして冷静さを失った私はこのようなツイートをしてしまった、という流れです。
多くの人がこのツイートに目を通している中、私はマストゥラさんのTwitterアカウントをこのツイートのスレッドに掲載してしまいました。
その結果、マストゥラさんのTwitterが炎上してしまったという流れです。
ただ、マストゥラさんのTwitterを掲載する際に私自身「悪口は書くな」とは書いていなかったため、一部(というか大半)のマレーシア人は、この動画とは全く関係のない事(容姿や、悪口など)について批判してしまいました。
そして騒動から3日後、この事に気付いたのにも関わらずそっと
【翻訳】
この件について、マレーシア人へ言いたい。彼女のアカウントに行って攻撃をしないでほしい。
歴史の訂正についてのコメントは良いが、彼女のメンタルを害するような攻撃をしないでほしい。
彼女は悪い人ではないと思う。ただ、(スレッドに続く)
↑このツイートをRTしただけでなんとか対処できるだろうと、甘く見ていた自分が愚かだと思いました。
この一連の騒動の流れ、今回の騒動の発端となった者として
深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
2.ラジャーノンチックさんの存在否定についての謝罪
この件に関しては私自身の調査不足により生じてしまったものです。
経緯を説明します。
マストゥラさんの動画に

「ラジャー・ノンチック」という人物が登場しました。
この動画によるとラジャー・ノンチックさんは
「日本軍はマレー人を一人も殺していません。日本軍が殺したのは戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した共産系ゲリラだけです。」
という発言をしたそうです。
後ほど下の方で説明しますが、この発言は明らかにおかしいです。
しかし、今はラジャー・ノンチックさんの存在否定について謝罪をしたいので、
話を戻します。
この動画で「ラジャー・ノンチック」という人物が登場した時、私は
「誰だろ、この人。調べよ。」
と思い、Googleで検索しました。



(↑この方がラジャー・ノンチックさんです。)
と、このように出てきました。
確認をするため、今度はローマ字で「ラジャー・ノンチック」
と検索してみました。


(↑Raja Nong Chikで検索した結果)
「えぇ...人違いかな?スペルミスかな?」と思い、その後いろいろと検索してみました。(日本語ページの一部には「ラジャー・ダト・ノンチック」と書かれている記事もあったので"Raja Dato Nong Chik"や、それに近いスペルも探しました。)
それでも日本語ページでみつけた画像を探し出すことはできなかったので、最終的には
「Raja Nong Chik Jepun (ラジャーノンチック 日本)」と検索しました。


日本語ページで検索したような画像、そして"Raja Nong Chik"と日本に関連するようなページは見つけられませんでした。
マストゥラさんの動画には「ラジャー・ノンチックは後に上院議員になった」と書かれていましたが、

こちらのRaja Nong Chik Zainal Abidinさんは上院議員。
マストゥラさんの動画ではラジャーノンチックさんは「南方特別留学生として日本へ留学した」
と書かれていました。
このRaja Nong Chik Zainal Abidinさんは1953年生まれ。戦後に生まれたうえ、日本ではなくイギリスに留学した、そして上院議員になったと書かれていました。
「名前が同じ+職業が上院議員」と重なっていたため、私はラジャー・ノンチックの存在を怪しく思いました。また、Raja Nong Chikという名前はマレーシアでは珍しい("Raja"は主にインド系もしくはインド系とマレー系のハーフなどにつけられる名前。"Nong chik"は初めて聞いた)ため、同じ名前の人が議会にいるわけがないだろう、と勝手な認識をしていました。
一応「下の名前("ラジャーノンチック"に続く名前)があるのではないか」と再度日本語ページへ行き、色んなサイトを調べてみましたが、"ラジャー・(ダト)・ノンチック"に続く下の名前は見つけられませんでした。
これを調べたうえで私は「日本側で出回っている"ラジャーノンチック"という人物は存在しない!」とツイートしてしまいました。
↑マレー語でラジャーノンチックの存在についてツイートしたもの(スレッドに続く)
このツイートを受け、何人かのマレーシア人が「ラジャー・ノンチック」に関して探し出そうとしましたが、
見つかったのは「幻想日本史」というインターネットに出回っている極右翼よりな日本史を英語で批判したりするwebサイトのみでした。
しかし、このサイトでは「ラジャーノンチック」という名前は最後のほうに少し載っているだけで詳しくは説明されていませんでした。
このように、マレーシア語/英語のネット上では日本のwebサイトで出回っているような「ラジャーノンチック」については殆ど書かれていません。
しかし、このツイートをした後で「もしかしたら本当に昔ラジャーノンチックという議員がいたのかもしれない」という考えを持ち始めたうえ、マストゥラさんが
このようなツイートをしたこともあり、さらに調査をしようと思いました。
私がまず調査したのは「今までマレーシアで開かれた下院・上院議会の名簿」です。マレーシア独立後の1957年~2020年全ての名簿を確認しました。

みつけました。このもう一人の「ラジャーノンチックさん」の本名は
Raja Nong Chik Raja Ishak 「ラジャーノンチック・ラジャーイスハク」
だそうです。下院・上院議会の名簿を探した限りですと、Raja Nong Chik Raja Ishakは1971年~1974年、下院議会。そして、1975年~1978年上院議会を務めていたそうです。
WikipediaにRaja Nong Chik Raja Ishakについて書かれた記事があったので読んでみたんですが、


https://ms.wikipedia.org/wiki/Raja_Nong_Chik_Raja_Ishak
長いので全て翻訳はしませんが、簡単にまとめると、
「彼は資産家であった」
「彼の総資金額は1600万リンギだった」
「1994年に2月10日に亡くなった」
「彼が亡くなったあと、彼の家族や彼に関わった企業との間で遺産相続問題が発生した。」
そして、「遺産がどのように分配されたか」ということしか書かれていませんでした。
それどころか彼の生年月日、生い立ち、学歴、彼が国会議員であったことすら書かれていません。
また、マレーシア語以外のWikipediaページは存在しませんでした。
そこで彼の本名をGoogleに検索してみました。
が、しかし

Wikipedia以外のページでもやはりRaja Nong Chik Raja Ishakについて詳しい情報は得られず、ただ見つかったのは「彼の遺産相続問題」のことくらいでした。

↑(日本語ページでの検索結果。後ろの名前「Raja Ishak」を含むサイトは見つかりませんでした。)
一応国会名簿で「Raja Nong Chik Raja Ishak」という人物をみつけた時点でもう既にこの人だろうとは思っていましたが、マレーシア語・英語ページでの情報があまりにも乏しすぎるため、存在証明を説明するにはまだ難しいと判断しました。

そんな中、清義明(せい よしあき)さんからこちらの件に関してDMが来ました。
清義明さんについてはこちら(wikipediaに飛びます)を確認してください。

清義明さんは「ラジャーノンチックさん」の勲章の記録について調べてくれた方です。
清義明さんによると、昭和59年(1984年)の名簿にはラジャー・ノンチックという方の名前は見つからなかったそうですが、

ネット上に出回っている1984年勲章授与というのは間違いで、
正しくは1983年だったそうです。

資料提供:清義明


発見しました。
しかし、ここには「ラジャーノンチック」や「ラジャーノンチック・ラジャーイスハク」という名では記載されておらず、下の名前の部分、「ラジャ・イサク」という名前で記載されていましたが、清義明さんによるとこれは新聞社が省略したものかもしれない、との事です。
後ほどの説明にも使いますが、先に清義明さんが探して下さった記事を載せておきます。

提供:清義明

提供:清義明

提供:清義明

提供:清義明
本当にありがとうございます。
そして、私もラジャーノンチックさんが言ったとされる「日本軍はマレー人を一人も殺していない」や「戦時中のマレー半島」についての資料などを集める際にいろいろなサイトを探し周りました。
「南方特別留学生」について調べている途中「ラジャーノンチックさん」の存在を確実に説明できるものを見つけました。

wikipedia 「南方特別留学生」より
「ラジャ・ノン・チック」と書かれていたこと、そしてなによりも亡くなった年が1994年とマレーシア語ページと合致していました。
これにより、私が流した情報「ラジャーノンチックは存在しない」というのは完全にデマ情報です。
マストゥラさん、Raja Nong Chik Raja Ishakさん、そしてラジャーノンチックに関して私宛に説明して下さった皆様方に謝罪を申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。
本来であればもっと早く謝罪すべきでしたが、私自身「指摘と一緒にまとめて動画で謝罪しよう」と思っていました。
しかし、動画作成は友人の家で行っているため、思った以上に動画作成は進みませんでした。
先に謝罪してしまうと、「この後説明・指摘する内容を聞いてもらえなくなるのでは」という心配をしていました。本当にすみませんでした。
ここからが本編です。
指摘内容:
1.ラジャーノンチックさんが言った言葉「日本軍はマレー人を一人も殺していない」という発言内容についての指摘
2.マハティール首相が日本統治時代をあたかも肯定的に捉えてることについての指摘
この二つに関して説明します。
1.ラジャーノンチックさんが言った言葉について

動画内ではラジャーノンチックさんが
「日本軍はマレー人を一人も殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。」
というような発言をしたと説明しています。
このことについては土生 良樹さん著筆の「日本人よありがとう」という本に書かれています。ラジャーノンチックさんのこの発言は「日本軍は多くのマレー人を殺したはず。それを調べたい」と言ってきた日本の教師に対する発言だそうです。
ただこの発言、冷静に考えてみればおかしいと思います。
例え悪気がなかったとしても、特定の民族を「一人も殺してない」と断言するのは流石に無理があります。
実際に日本軍や日本軍による統治で犠牲になったマレー人は大勢居ます。
1.日本軍に対抗したマレー軍について
あまり知られていないと思いますが、日本軍に対抗した部隊の中にはマレー軍(正式名はRejimen Askar Melayu diRaja 日本語:王立マレー軍部隊)もいました。
この部隊は1933年1月にイギリスによって作られた部隊です。
今現在でもこの部隊はマレーシア軍に残っています。
1938年には767人のマレー人がこの部隊に所属していました。

1941年8月のマレー軍の訓練の様子
そして、シンガポール陥落までに152人が犠牲 / 処刑されました。(けが人も多数)
亡くなった方の名簿はこちらです。

アドナン中尉
このマレー軍部隊のなかでも有名なのは「アドナン中尉(Leftenan Adnan / Adnan bin Saidi)」です。中学4年生のマレーシア語教科に彼の話(小説)がでてきます。(もちろん、歴史でもアドナン中尉については軽く習います)

中学4年生のマレーシア語教科で習う実話に基づいた小説

中学4年生2020年版歴史教科書第三章。マレー軍部隊について。
アドナン中尉はシンガポールのBukit Canduにて日本軍に処刑されたそうです。
ここまでは
戦争で戦って亡くなったんだから仕方がない
と思う人もいると思います。
しかし、問題なのはここからです。
マレー語教科で習うアドナン中尉の小説によると、


(電子書籍版のものです。調査のために購入しました。)
簡単に説明すると、シンガポール陥落後、日本軍はアドナン中尉の家族を捕まえるべく、セランゴール州のカジャンにあるSungai Ramal村を訪れたそうです。
アドナン中尉の妻と子はアドナン中尉の父(サイディ)のおかげで逃げることはできたが、それを庇った父は村人の前で射殺されてしまった、との事です。
ただ、この小説には話が誇張されている部分があるのではないかと思います。
一応当時の村人や目撃者、関係者の話のもとで作られた小説ですが、牟田口廉也中尉が村に訪れたなどという話があります。
しかし目撃者によると、父が射殺されてしまったのは事実だそうです。
2.泰緬鉄道について
泰緬鉄道とはミャンマーとタイを結ぶ鉄道の事です。

(中学4年生歴史教科書第三章)


タイにある泰緬鉄道博物館及び研究センター
この鉄道は1885年にイギリスが建設を検討していましたが、地形が複雑なため、建設は行われませんでした。
しかし戦時中、物資調達をスムーズに行うため、日本軍の指導で1942年6月に建設が開始されました。
この建設に携わったのは日本軍(約1万2千人)だけでなく、連合軍の捕虜(約6万人)、東南アジア各地の労務者(20万~25万人)も建設に携わりました。このうちマレー人は8万人~10万人が携わっていたそうです。
マレー人の場合、基本的には強制連行されたとのことです。
「強制連行なわけがない。」
と言う方もいると思うので、親日家のマハティール元首相の証言に基づいて説明します。


(マハティール著作:Doktor Umum 第6章 ”Usahawan zaman perang” 83ページ)
これによると、
「何人かの私の親族や友達が(泰緬鉄道の)強制労働をさせられた。」
「戦後、生き残った者はミャンマーから徒歩で帰らなければならなくなった。」
「彼らはやせ細った姿で戻り、身体中には濃汁やカビのようなものが生えていた。」
と書かれています。
この泰緬鉄道に携わったマレー人8万人(または10万人)のうち、4万2000人(マレーシア側の主張では半数以上)が犠牲になったそうです。

(建設作業でやせ細った連合軍捕虜)
原因は食糧不足や薬品不足からなる栄養失調や伝染病などが原因だそうです。
この鉄道建設では1日10時間以上の労働させられたうえ、居住部屋も劣悪なものだったそうです。
(↑マレーシアメディアのStar紙が元泰緬鉄道労働者にインタビューした記事です。)
3.日本統治時代の食糧不足について

(中学4年生歴史教科書第3章より)
戦時中、食糧不足に陥ったのは日本だけではありません。
当時のマレー半島も同様でした。
深刻な食糧不足だったため、日本軍はマレー半島に住む人に「食糧増産」を命じたそうです。

(中学4年生教科書及びマレーシア国立公文書館(Arkib Negara Malaysia)より)

(中学4年生歴史教科書第4章の戦前、戦時中、戦後の物価の値上がりを示した表)
日本軍のマレー半島占領直後はさほど物価が高騰しなかったものの、
戦時中に生じてしまったインフレにより、物価は著しく高騰。
その結果、マレー半島に住む人たちは食糧を買う事が困難になってしまいました。
(図は上から米、砂糖、塩、卵、漢方薬、ガソリンの値段を示しています。表の一番右部分は戦後直後の値段です。)


(Pendudukan dan pentadbiran Jepun di Melaka (1942-45) 第5章 / Md. Azman bin Abdullah(マラヤ大学修論))
そして騒動から3日後、この事に気付いたのにも関わらずそっと
【翻訳】
この件について、マレーシア人へ言いたい。彼女のアカウントに行って攻撃をしないでほしい。
歴史の訂正についてのコメントは良いが、彼女のメンタルを害するような攻撃をしないでほしい。
彼女は悪い人ではないと思う。ただ、(スレッドに続く)
↑このツイートをRTしただけでなんとか対処できるだろうと、甘く見ていた自分が愚かだと思いました。
この一連の騒動の流れ、今回の騒動の発端となった者として
深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。
2.ラジャーノンチックさんの存在否定についての謝罪
この件に関しては私自身の調査不足により生じてしまったものです。
経緯を説明します。
マストゥラさんの動画に
「ラジャー・ノンチック」という人物が登場しました。
この動画によるとラジャー・ノンチックさんは
「日本軍はマレー人を一人も殺していません。日本軍が殺したのは戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した共産系ゲリラだけです。」
という発言をしたそうです。
後ほど下の方で説明しますが、この発言は明らかにおかしいです。
しかし、今はラジャー・ノンチックさんの存在否定について謝罪をしたいので、
話を戻します。
この動画で「ラジャー・ノンチック」という人物が登場した時、私は
「誰だろ、この人。調べよ。」
と思い、Googleで検索しました。
(↑この方がラジャー・ノンチックさんです。)
と、このように出てきました。
確認をするため、今度はローマ字で「ラジャー・ノンチック」
と検索してみました。
(↑Raja Nong Chikで検索した結果)
「えぇ...人違いかな?スペルミスかな?」と思い、その後いろいろと検索してみました。(日本語ページの一部には「ラジャー・ダト・ノンチック」と書かれている記事もあったので"Raja Dato Nong Chik"や、それに近いスペルも探しました。)
それでも日本語ページでみつけた画像を探し出すことはできなかったので、最終的には
「Raja Nong Chik Jepun (ラジャーノンチック 日本)」と検索しました。
日本語ページで検索したような画像、そして"Raja Nong Chik"と日本に関連するようなページは見つけられませんでした。
マストゥラさんの動画には「ラジャー・ノンチックは後に上院議員になった」と書かれていましたが、
こちらのRaja Nong Chik Zainal Abidinさんは上院議員。
マストゥラさんの動画ではラジャーノンチックさんは「南方特別留学生として日本へ留学した」
と書かれていました。
このRaja Nong Chik Zainal Abidinさんは1953年生まれ。戦後に生まれたうえ、日本ではなくイギリスに留学した、そして上院議員になったと書かれていました。
「名前が同じ+職業が上院議員」と重なっていたため、私はラジャー・ノンチックの存在を怪しく思いました。また、Raja Nong Chikという名前はマレーシアでは珍しい("Raja"は主にインド系もしくはインド系とマレー系のハーフなどにつけられる名前。"Nong chik"は初めて聞いた)ため、同じ名前の人が議会にいるわけがないだろう、と勝手な認識をしていました。
一応「下の名前("ラジャーノンチック"に続く名前)があるのではないか」と再度日本語ページへ行き、色んなサイトを調べてみましたが、"ラジャー・(ダト)・ノンチック"に続く下の名前は見つけられませんでした。
これを調べたうえで私は「日本側で出回っている"ラジャーノンチック"という人物は存在しない!」とツイートしてしまいました。
↑マレー語でラジャーノンチックの存在についてツイートしたもの(スレッドに続く)
このツイートを受け、何人かのマレーシア人が「ラジャー・ノンチック」に関して探し出そうとしましたが、
見つかったのは「幻想日本史」というインターネットに出回っている極右翼よりな日本史を英語で批判したりするwebサイトのみでした。
しかし、このサイトでは「ラジャーノンチック」という名前は最後のほうに少し載っているだけで詳しくは説明されていませんでした。
このように、マレーシア語/英語のネット上では日本のwebサイトで出回っているような「ラジャーノンチック」については殆ど書かれていません。
しかし、このツイートをした後で「もしかしたら本当に昔ラジャーノンチックという議員がいたのかもしれない」という考えを持ち始めたうえ、マストゥラさんが
このようなツイートをしたこともあり、さらに調査をしようと思いました。
私がまず調査したのは「今までマレーシアで開かれた下院・上院議会の名簿」です。マレーシア独立後の1957年~2020年全ての名簿を確認しました。
みつけました。このもう一人の「ラジャーノンチックさん」の本名は
Raja Nong Chik Raja Ishak 「ラジャーノンチック・ラジャーイスハク」
だそうです。下院・上院議会の名簿を探した限りですと、Raja Nong Chik Raja Ishakは1971年~1974年、下院議会。そして、1975年~1978年上院議会を務めていたそうです。
WikipediaにRaja Nong Chik Raja Ishakについて書かれた記事があったので読んでみたんですが、
https://ms.wikipedia.org/wiki/Raja_Nong_Chik_Raja_Ishak
長いので全て翻訳はしませんが、簡単にまとめると、
「彼は資産家であった」
「彼の総資金額は1600万リンギだった」
「1994年に2月10日に亡くなった」
「彼が亡くなったあと、彼の家族や彼に関わった企業との間で遺産相続問題が発生した。」
そして、「遺産がどのように分配されたか」ということしか書かれていませんでした。
それどころか彼の生年月日、生い立ち、学歴、彼が国会議員であったことすら書かれていません。
また、マレーシア語以外のWikipediaページは存在しませんでした。
そこで彼の本名をGoogleに検索してみました。
が、しかし
Wikipedia以外のページでもやはりRaja Nong Chik Raja Ishakについて詳しい情報は得られず、ただ見つかったのは「彼の遺産相続問題」のことくらいでした。
↑(日本語ページでの検索結果。後ろの名前「Raja Ishak」を含むサイトは見つかりませんでした。)
一応国会名簿で「Raja Nong Chik Raja Ishak」という人物をみつけた時点でもう既にこの人だろうとは思っていましたが、マレーシア語・英語ページでの情報があまりにも乏しすぎるため、存在証明を説明するにはまだ難しいと判断しました。
そんな中、清義明(せい よしあき)さんからこちらの件に関してDMが来ました。
清義明さんについてはこちら(wikipediaに飛びます)を確認してください。
清義明さんは「ラジャーノンチックさん」の勲章の記録について調べてくれた方です。
清義明さんによると、昭和59年(1984年)の名簿にはラジャー・ノンチックという方の名前は見つからなかったそうですが、
ネット上に出回っている1984年勲章授与というのは間違いで、
正しくは1983年だったそうです。
資料提供:清義明
発見しました。
しかし、ここには「ラジャーノンチック」や「ラジャーノンチック・ラジャーイスハク」という名では記載されておらず、下の名前の部分、「ラジャ・イサク」という名前で記載されていましたが、清義明さんによるとこれは新聞社が省略したものかもしれない、との事です。
後ほどの説明にも使いますが、先に清義明さんが探して下さった記事を載せておきます。
提供:清義明
提供:清義明
提供:清義明
提供:清義明
本当にありがとうございます。
そして、私もラジャーノンチックさんが言ったとされる「日本軍はマレー人を一人も殺していない」や「戦時中のマレー半島」についての資料などを集める際にいろいろなサイトを探し周りました。
「南方特別留学生」について調べている途中「ラジャーノンチックさん」の存在を確実に説明できるものを見つけました。
wikipedia 「南方特別留学生」より
「ラジャ・ノン・チック」と書かれていたこと、そしてなによりも亡くなった年が1994年とマレーシア語ページと合致していました。
これにより、私が流した情報「ラジャーノンチックは存在しない」というのは完全にデマ情報です。
マストゥラさん、Raja Nong Chik Raja Ishakさん、そしてラジャーノンチックに関して私宛に説明して下さった皆様方に謝罪を申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。
本来であればもっと早く謝罪すべきでしたが、私自身「指摘と一緒にまとめて動画で謝罪しよう」と思っていました。
しかし、動画作成は友人の家で行っているため、思った以上に動画作成は進みませんでした。
先に謝罪してしまうと、「この後説明・指摘する内容を聞いてもらえなくなるのでは」という心配をしていました。本当にすみませんでした。
ここからが本編です。
指摘内容:
1.ラジャーノンチックさんが言った言葉「日本軍はマレー人を一人も殺していない」という発言内容についての指摘
2.マハティール首相が日本統治時代をあたかも肯定的に捉えてることについての指摘
この二つに関して説明します。
1.ラジャーノンチックさんが言った言葉について
動画内ではラジャーノンチックさんが
「日本軍はマレー人を一人も殺していません。日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、それに協力した中国系共産ゲリラだけです。」
というような発言をしたと説明しています。
このことについては土生 良樹さん著筆の「日本人よありがとう」という本に書かれています。ラジャーノンチックさんのこの発言は「日本軍は多くのマレー人を殺したはず。それを調べたい」と言ってきた日本の教師に対する発言だそうです。
ただこの発言、冷静に考えてみればおかしいと思います。
例え悪気がなかったとしても、特定の民族を「一人も殺してない」と断言するのは流石に無理があります。
実際に日本軍や日本軍による統治で犠牲になったマレー人は大勢居ます。
1.日本軍に対抗したマレー軍について
あまり知られていないと思いますが、日本軍に対抗した部隊の中にはマレー軍(正式名はRejimen Askar Melayu diRaja 日本語:王立マレー軍部隊)もいました。
この部隊は1933年1月にイギリスによって作られた部隊です。
今現在でもこの部隊はマレーシア軍に残っています。
1938年には767人のマレー人がこの部隊に所属していました。
1941年8月のマレー軍の訓練の様子
そして、シンガポール陥落までに152人が犠牲 / 処刑されました。(けが人も多数)
亡くなった方の名簿はこちらです。
アドナン中尉
このマレー軍部隊のなかでも有名なのは「アドナン中尉(Leftenan Adnan / Adnan bin Saidi)」です。中学4年生のマレーシア語教科に彼の話(小説)がでてきます。(もちろん、歴史でもアドナン中尉については軽く習います)
中学4年生のマレーシア語教科で習う実話に基づいた小説
中学4年生2020年版歴史教科書第三章。マレー軍部隊について。
アドナン中尉はシンガポールのBukit Canduにて日本軍に処刑されたそうです。
ここまでは
戦争で戦って亡くなったんだから仕方がない
と思う人もいると思います。
しかし、問題なのはここからです。
マレー語教科で習うアドナン中尉の小説によると、
(電子書籍版のものです。調査のために購入しました。)
簡単に説明すると、シンガポール陥落後、日本軍はアドナン中尉の家族を捕まえるべく、セランゴール州のカジャンにあるSungai Ramal村を訪れたそうです。
アドナン中尉の妻と子はアドナン中尉の父(サイディ)のおかげで逃げることはできたが、それを庇った父は村人の前で射殺されてしまった、との事です。
ただ、この小説には話が誇張されている部分があるのではないかと思います。
一応当時の村人や目撃者、関係者の話のもとで作られた小説ですが、牟田口廉也中尉が村に訪れたなどという話があります。
しかし目撃者によると、父が射殺されてしまったのは事実だそうです。
2.泰緬鉄道について
泰緬鉄道とはミャンマーとタイを結ぶ鉄道の事です。
(中学4年生歴史教科書第三章)
タイにある泰緬鉄道博物館及び研究センター
この鉄道は1885年にイギリスが建設を検討していましたが、地形が複雑なため、建設は行われませんでした。
しかし戦時中、物資調達をスムーズに行うため、日本軍の指導で1942年6月に建設が開始されました。
この建設に携わったのは日本軍(約1万2千人)だけでなく、連合軍の捕虜(約6万人)、東南アジア各地の労務者(20万~25万人)も建設に携わりました。このうちマレー人は8万人~10万人が携わっていたそうです。
マレー人の場合、基本的には強制連行されたとのことです。
「強制連行なわけがない。」
と言う方もいると思うので、親日家のマハティール元首相の証言に基づいて説明します。
(マハティール著作:Doktor Umum 第6章 ”Usahawan zaman perang” 83ページ)
これによると、
「何人かの私の親族や友達が(泰緬鉄道の)強制労働をさせられた。」
「戦後、生き残った者はミャンマーから徒歩で帰らなければならなくなった。」
「彼らはやせ細った姿で戻り、身体中には濃汁やカビのようなものが生えていた。」
と書かれています。
この泰緬鉄道に携わったマレー人8万人(または10万人)のうち、4万2000人(マレーシア側の主張では半数以上)が犠牲になったそうです。
(建設作業でやせ細った連合軍捕虜)
原因は食糧不足や薬品不足からなる栄養失調や伝染病などが原因だそうです。
この鉄道建設では1日10時間以上の労働させられたうえ、居住部屋も劣悪なものだったそうです。
(↑マレーシアメディアのStar紙が元泰緬鉄道労働者にインタビューした記事です。)
3.日本統治時代の食糧不足について
(中学4年生歴史教科書第3章より)
戦時中、食糧不足に陥ったのは日本だけではありません。
当時のマレー半島も同様でした。
深刻な食糧不足だったため、日本軍はマレー半島に住む人に「食糧増産」を命じたそうです。
(中学4年生教科書及びマレーシア国立公文書館(Arkib Negara Malaysia)より)
(中学4年生歴史教科書第4章の戦前、戦時中、戦後の物価の値上がりを示した表)
日本軍のマレー半島占領直後はさほど物価が高騰しなかったものの、
戦時中に生じてしまったインフレにより、物価は著しく高騰。
その結果、マレー半島に住む人たちは食糧を買う事が困難になってしまいました。
(図は上から米、砂糖、塩、卵、漢方薬、ガソリンの値段を示しています。表の一番右部分は戦後直後の値段です。)
(Pendudukan dan pentadbiran Jepun di Melaka (1942-45) 第5章 / Md. Azman bin Abdullah(マラヤ大学修論))
↑これによると、
イギリス統治時代のマレー半島の経済はスズ鉱石やゴム製品の輸出と他のイギリス植民地からの物品の輸入によって支えられていました。特に食糧品に関しては輸入品が多かったとのこと。
しかし、日本のマレー半島占領により、今まで行われていたイギリスやアメリカへの物品の輸出入は途絶えてしまったうえ、日本はマレー半島に大量に余っている輸出物品を買い取れなかったため、マレー半島の経済は一気に減退してしまっただけでなく、インフレ化も進んでしまったとのことです。
これにより、多くのマレー半島の住民は職を失い、闇市の商人以外は殆ど貧困に陥ってしまったそうです。
(戦時中、住民に配布された配給管理本(Kuala Lumpur Dewan Bahasa dan Pustaka より))
そして、マレー半島も日本と同様に食糧が配給式となりました。
経済衰退や輸出入の停止により、各地で食糧不足問題が発生、中には餓死してしまう住民も出たため、住民は安易に手に入るゴムの実や簡単に育つキャッサバ(イモ類の一種)などを食べて空腹をしのいだそうです。
(ゴムの実)
(ゴムの実を使った食べ物(テンペ))
(調理したキャッサバ)
しかし、キャッサバやゴムの実には炭水化物以外の成分は殆ど含まれていないため、住民の多くは栄養失調を起こし、「脚気(Penyakit beri-beri)」というビタミンB1不足からなる病気を発症してしまいました。
(マハティール著作:Doktor Umum 第6章より)
マハティールさん自身も栄養失調に陥っただけでなく、他の住民も脚気に襲われたとのことです。マハティールさんによると、
「住民の多くは脚気を発症し、身体中が腫れた。それだけでなく、結晶化した濃汁が身体中に生えたり、半死したかのような熱に襲われ苦しんだ人もいた。」
「当時は薬がなかったため、冷水で体を洗うかハーブの草を入れた温水で洗うしか対処方法がなかった。」
とのことだそうです。
(↑マレーシアメディアのHarianMetro紙とBeritaHarian紙に取り上げられたものです。日本統治時代の事について書かれていますが、マレー語です。後ほど更新して解説します。)
4.その他
(後ほど更新いたします。)
5.動画に登場した「ラジャーノンチックさんの言葉」について
このマストゥラさんの動画に疑問があります。それは、
この「ラジャーノンチックさんの言葉」を入れる必要があったかについてです。
「何言ってんだお前」と思う方もいるかもしれませんが、
11:04秒からの動画内のマストゥラさんの解説を文字起こししてみます。
「さっきマレーシアは多民族国家でマレー系、中国系、インド系と話したよね」
「日本軍はインド系やマレー系には友好的だった」
「ただし、中国系のマレーシア人についてはもっと複雑なんだ」
「その後に続いてしまう悲しい事件、5月13日事件(殆どの方がこの事件を存じないと思うので、後ほど説明します。)」
「中国系とマレー系の確執でもあったし」
「日本人の中でわりと有名な話しかもしれません」
「マレーシアの議員、ラジャーノンチックさんが言った言葉」
(~ここでラジャーノンチックさんのあの言葉がテロップに入ります。~)
「日本軍も中国系マレーシア人に対しては言葉にできないようなこともいっぱい心の傷跡を残しているんだ」
「でもね、マレー系と中国系は仲良くはない部分も多くあったよ」
「だけど、中国系マレーシア人だと皆思っている(恐らく、マレーシアにいる中華系は皆マレーシア人だと認識 / 受け入れていると伝えたいのではないかと思う)」
「だから、そんなに簡単には片付けられないような思いもあるんだと思います」
よく読めば分かると思いますが、話がつながっていません。
ここの部分では「マレー系と中華系の関係」について説明したいのでしょうか。
それならわざわざ「ラジャーノンチックさんの言葉」を入れる必要はなかったのではないかと思います。
また、解説内に出てきた5月13日事件というのは日本とは全くなんの関係もない事件です。
【5月13日事件とは】
1969年5月13日、クアラルンプールにて起きた民族衝突・暴動のことです。
簡単に言うと原因は総選挙で、与党の議席を減らした野党がお祝いとしてクアラルンプールにて警察の許諾を得て行進を開催。
しかし、Kampung Baruにて約3万人の与党支持者と衝突。
結果、196人が死亡、439人が怪我、33人が行方不明、9000人以上が拘束されたという事件です。詳しくはこちら
また、中国系マレーシア人の説明も「複雑 / 言葉に出来ないような思い」というように都合の悪い部分は遠回しに説明しているようにしか見えません。
当時の中国系と日本の関係については後で記事を更新します。
・マハティール元首相について
(後ほど記事を更新します。)
・マレーシア独立と日本の関係について
・マストゥラさんについて
・最後に
↑こちらの部分についても後ほど記事を更新します。
最後に言います。右翼の方が私の事を反日だ中国の工作員だといいますが、
私は反日でも中国や他の国の工作員でもありません。
正真正銘のマレー系マレーシア人です。
以上です。閲覧ありがとうございました。
今後も記事を更新しますので、よろしくお願いします。
コメント
コメント一覧 (21)
若い人なのかな?
細かいところはともかく、瞬間的に思ったのは、検索で人物をグクッタからと言って出てこないこともあるのは当たり前のことなんだよ。本当に調べるなら私なら最終的には国会図書館で確認してあなたの言うように、
「いない人」でねつ造だーって指摘します。
自分がたどり着けないだけで、「いない人」扱いして、
悪く言うのは違うよ。すごくここは反省をしなさい。
これは、あなたの資質がそこまで注意深く調べられないと表しているんだよ。
私は戦史を調べておマレーシアのことは全く知りません。
マレーの虎の山下氏の事くらいかと思います。
良かったら教えてくださいね
アジアにヒドイ迷惑を掛けたと思います。ごめんなさいね。個人的にそう思います。
左翼や朝鮮系の人々やアメリカなどに史実以上に残酷さを誇張され、それをネチネチいう韓国人達への反動なのだとおもうのですが。
(彼らが煽らなければ大東亜戦争?太平洋?に対して神経質になってないと思う)
まあ、「金よこせ!」「過去にひどいことしたんだから謝罪しろ!特権よこせ!」なんて毎日のごとく罵倒されたら頭にくるのも理解できます。
真実については、誰も直接見ていないしはっきり言ってどうでもいいのですが、日本に於ける「一方的な日本人極悪論」のみなのもいかがなものかと。
(この記事についてではなく、一般論として)
あ、マレーシアとは関係ないですね(゚ω゚)
現在のマレーシア軍も共産ゲリラを殺していたよね。
君はイギリス製の捏ち上げ歴史観の奴隷になっている。国が日本のおかげで独立したのだから、イギリス歴史観の奴隷になるの止めませんか?
上に日本軍はアジア各国に迷惑掛けたといってる人がいるが、それは大間違いだ。何故なら当時アジア各国などなかったからだ。全部白人の植民地だった。その白人植民地を拠点にして白人達は日本まで植民地にしようと攻めてきた(薩英戦争)だから日本はアジアを独立させる必要に迫られた。日露戦争後アジアの独立指導者が日本に亡命してきて、日本政府に亜細亜の解放独立を頼み込んでいた。だからアジア解放を実行した。君ら白人の奴隷だったアジア人が誰のおかげで白人と対等になった?
日本軍とインド国民軍、インドネシア義勇軍、タイ国軍、汪兆銘中国軍、ベトナム義勇軍、満州国軍、モンゴル義勇軍、ビルマ国軍、マレー義勇軍が白人軍と武力を持って戦ったからだ。あの戦争がなければイギリス軍のアジアからの撤収はなく、ビルマ、ベトナム、インドネシアと異なり、まともな自国軍など持たなかったマレーシアの独立などあり得なかった。今もマレー人は奴隷だったであろう。
独立より飢餓やインフレのない植民地の方が良いと思うなら植民地に戻りなさい。ところでゴムやコーヒーばかり栽培させられていたマレーに本当に飢餓はなかったのかね?
なぜいまだに人種差別が根強く残っているのか。それはイギリスなどの白人たちが世界中を侵略して巨大な植民地帝国を作ったからだ。
なぜ今は表面的には人種差別はいけない世界になったのか。それは日本がアジアの仲間たちとともにその白人による人種差別的植民地帝国をぶっ潰したからだ。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%92%E8%A7%A3%E6%94%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E2%80%95%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E3%81%AF%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%A7%E3%81%AF%E6%83%A8%E6%95%97%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F-%E5%AE%89%E6%BF%83-%E8%B1%8A/dp/4886564976/ref=pd_sbs_14_1/355-1564486-3547151?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4886564976&pd_rd_r=0c082780-8d6b-43de-8935-948c823b95a5&pd_rd_w=o5XL1&pd_rd_wg=ZLEHW&pf_rd_p=7642417c-6494-4d06-a2b0-fcb0e0b3c563&pf_rd_r=RX1V0XBDW53SNVR195PT&psc=1&refRID=RX1V0XBDW53SNVR195PT
プランテーション野郎の反論は、かなり手慣れていますね。謝罪しながらも切り返しで日本の軍事侵攻を批判的に書いています。マレーの人々はプランテーションだらけの植民地経済のほうがマシな生活が出来たと書いています。
阿呆のSGAWも同じ事を言っていた。(笑)
wikiプランテーションより抜粋。
経済・飢餓の問題
コーヒー、カカオ、タバコ、天然ゴム、サトウキビ、アブラヤシ、綿(綿花)その他、バナナなど果物類がプランテーション作物として良く知られている。プランテーション作物の多くは商品作物であり、生産国はこれを輸出することで外貨を稼ぐが、これに依存している度合いが高い国の場合、自然災害などの影響を受けると経済が立ち行かなくなってしまう。こういった経済構造はモノカルチャー経済とも呼ばれる。こうした構造が原因で国内で必要とされる食物の生産がおろそかになり、飢餓の原因の一つになっているとされる。また単一作物を大量生産して国際市場に出荷するため、時折供給過剰による価格の暴落を招くことも多い。
以上。
つまり、イギリスのチャーチルはマレー住民の食糧事情なんて考えていない。住民の食糧を作るスペースがあれば、そこに輸出品のゴムの木を植えるのがイギリスチャーチルの植民地主義ってもんだ。
このようなモノカルチャー経済から脱出させてくれたのが、アジア解放者たる日本による「軍事侵攻」。結果、パーシバルは日本に降伏しシンガポールは陥落した。イギリスの植民地支配は終わりを告げて、マレーはイギリスから独立出来た。
マレー半島・インドネシアを占領した日本軍は現地人に対し、米麦の増産を奨励し、米麦農家へは優遇策をとった。
プランテーション野郎の反論は、かなり手慣れていますね。謝罪しながらも切り返しで日本の軍事侵攻を批判的に書いています。マレーの人々はプランテーションだらけの植民地経済のほうがマシな生活が出来たと書いています。
阿呆のSGAWも同じ事を言っていた。(笑)
wikiプランテーションより抜粋。
経済・飢餓の問題
コーヒー、カカオ、タバコ、天然ゴム、サトウキビ、アブラヤシ、綿(綿花)その他、バナナなど果物類がプランテーション作物として良く知られている。プランテーション作物の多くは商品作物であり、生産国はこれを輸出することで外貨を稼ぐが、これに依存している度合いが高い国の場合、自然災害などの影響を受けると経済が立ち行かなくなってしまう。こういった経済構造はモノカルチャー経済とも呼ばれる。こうした構造が原因で国内で必要とされる食物の生産がおろそかになり、飢餓の原因の一つになっているとされる。また単一作物を大量生産して国際市場に出荷するため、時折供給過剰による価格の暴落を招くことも多い。
以上。
つまり、イギリスのチャーチルはマレー住民の食糧事情なんて考えていない。住民の食糧を作るスペースがあれば、そこに輸出品のゴムの木を植えるのがイギリスチャーチルの植民地主義ってもんだ。
このようなモノカルチャー経済から脱出させてくれたのが、アジア解放者たる日本による「軍事侵攻」。結果、パーシバルは日本に降伏しシンガポールは陥落した。イギリスの植民地支配は終わりを告げて、マレーはイギリスから独立出来た。
マレー半島・インドネシアを占領した日本軍は現地人に対し、米麦の増産を奨励し、米麦農家へは優遇策をとった。
マレー人には国籍もなく、戸籍もなく、小学校にも入れず、病院は白人専用であまりの医療の貧弱さに、コタバルに上陸した日本軍が野戦病院を住民にも開放したところ人々は殺到した。国籍、戸籍などないからパスポートもなく、マレー人は白人と華僑の奴隷として存在していた。
拙ブログより引用:
http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/archives/51446232.html
GREAT EMPEROR HIROHITO SAVED BOTH COLOREDS AND WHITES. 昭和超帝は白人と有色人種の両方を救った
アジア解放は欧米植民地主義からの解放であり、日本の自存自衛は欧米植民地主義からの自存自衛である。アジア解放においても、自存自衛においても、その敵手は欧米植民地主義である。欧米植民地主義からの解放という意味ではアジア解放と自存自衛は同義語である。簡単な式で表してみよう。次式で(FROM)という記号は何処(から)の(から)と言う意味を表すと定義する。
式A=(FROM)Bを例に取って説明すると。この式の意味は
AとはBからのAであると定義される。自存自衛=(FROM)植民地主義---(1)
:意味は(自存自衛とは「植民地主義」からの自存自衛である)植民地解放=(FROM)植民地主義---(2)
:意味は(植民地解放とは「植民地主義」からの植民地解放である)(1)式において
植民地主義=自存自衛/(FROM)、
(2)式において
植民地主義=植民地解放/(FROM)(1)式と(2)式において
植民地主義=植民地主義
であるから
自存自衛/(FROM)= 植民地解放/(FROM)---(3)
が成り立ち
(FROM)は両辺で共通であるから互いに消去すると自存自衛= 植民地解放---(4)となり、日本軍による”日本の自存自衛”と”アジア解放”は同一であると結論される。文学的に表現すれば以下の通り
「日本の自存自衛を図るためにはアジア解放が必須であり、アジア解放のためには日本の自存自衛が必須である」以上
自存自衛=植民地解放であることを数理的に証明した。以上の(4)式を著者が創設した数理歴史学の成果に加える。
白人(イギリス人など)からの残酷・悪逆無道な
植民地支配約400年を大日本帝国・陸海軍約35,000名により
開放されました。
これにより長年の白人達の悪政暴政を日本が糺して
現地マレー人の人達に医療・農業・工業・商業・産業・教育などを
教えて、イギリス植民地時代よりも豊かで快適な生活を
出来るようになりました。
なので、日本軍が現地人に対して残酷な行為をした
と言うのは真っ赤の嘘・出鱈目・でっち上げです。
で検索してください。
繰り返しコメント投稿しているニセ右翼がいます。
彼らは日本人なりすましですね。
愛国日本人のふりをして日本人の評判を落とすのがお仕事の人たちです。
彼らは最近日本で正体がばれて居心地が悪くなったのか、
次はマレーシアに寄生しようとしているのかもしれません。
気を付けてください。
彼らの特徴は一言でいうと乞食です。
とにかく被害者になりたがります。
被害者は何をしてもいいと思っています。
そもそも脅迫のせいで店が潰れたといってますが、
そんな程度でつぶれる店はありません。
マレー人は彼らのような乞食とは正反対なのはよくわかっています。
マレーシアの今後のご発展をお祈りしております。
つまらない男だな!
人は間違うことわ当然有る。ただそのままにしてるとそれを真実と思っている。
間違いと気がついた方が言わなければ治らない。しかもそれが当たり前となる。