他人の感想を気にしすぎて固まっちゃう現象を緩和するための俺的心得です。

自分が吐いた言葉の意味を決めるのは自分ではない。
それを聞いた相手が勝手に決めるもの。

自分が言葉を吐くところから、相手に届くまでの流れは
以下の通りとなります。

①自分は、相手に伝えたい意味や思いを考える(A)

②自分は、意味を伝えるために言葉を選ぶ

③自分は、口から言葉を出す

④相手の耳に自分の言葉が届く
※文字でのやり取りなら、書く⇒見るという流れになります

⑤相手は、届いた言葉から意味を考える

⑥相手は、言葉についての感想を得る(B)

上記の①~⑥の流れで、
①の自分の意味(A)⑥の相手の意味(B)とが
同一になることもあれば、異なるものになることもあります。

この(A)-(B)間のギャップが大きいとコミュニケーション・エラーとなり、
相手にうまく意図が伝わらないという現象が発生します。
詳細解説も許されず相手から報復が始まると、自分のメンタルが削れてしまいます。

自分が吐いた同じ言葉で大感謝する人もいれば、
自分が吐いた同じ言葉で傷つく人もいる。

自分が複数の人に対し(A)の意味や思いを同じ言葉で伝えたとき、
ある人が捉えた(B)の感想は感動的なものであったりしますし、
ある人が捉えた(B)の感想は屈辱的なものであったりします。

自分は、自分以外のどのような人に対しても、
(B)の感想を強制することができません。
思想は各個人の自由に委ねられており強いたところで変わるものでないですし
何をどのように思うかという各自の思考回路は決してオープンにできないものだからです。

自分ができ得る注意や努力あるいは義務は、
せいぜい「事前に言い方をちょっと気を付けておく」というぐらいのものです。

自分で「事前に言い方をちょっと気を付けておく」この努力ができたのならば、
自分の口から言葉が吐かれた瞬間に自分の責任は役目を終えます。
あとは相手が感謝しようが傷つこうがどう思おうが、それは全て相手の責任です。

当然、相手に感謝してもらえるとこちらとしても嬉しいです。
当然、相手に意味不明に傷付かれるとこちらとしてもショックです。
この二つはどっちも当然なのですがそれはそれ、です。

どちらに転ぶかは自分ではコントロールできないので、
相手の(B)の結果に一喜一憂するのは自分の越権行為であり驕りです。
どちらに転んでも極力気にしないようにしましょう。

──

以上です。

相手のフィードバック(感謝 or 傷つく)を得て、
今後の自分の「事前に言い方をちょっと気を付けておく」これをどう改善するか?
というカイゼン活動を行うこと自体は非常に良いことです。
カイゼンがこなれてくると、あの人は丸くなった、という評価をもらえて生きやすくなります。

ただしそのカイゼン活動に、自分のメンタルの消費を伴うのであればそのやり方は間違ってます。
メンタルを削るぐらいならカイゼン活動などせず、付き合う人間を変えていった方がいいです。
いつか勝手に感謝感動してくれる人に巡り合うまで。

他人の感情や感想を、たかが他人である俺たちが操れる、そんな魔法はありません。
他人の感情や感想は、どっちに転んでも相手の勝手、すなわち相手の自由意志です。
あまり結果に着目し過ぎず、自分の行動を変えていくトライを淡々と続けましょう。
という提案でした。

**

メンタルSEの愛と勇気100%ブログでは、少しでもあなたのより良い人生に貢献できるよう、俺的心得の投稿を通じて日々あなたに新しい提案を行います。
Twitterでは投稿時の通知も行っていますので、よければこの青イルカをフォローしてあげてください。Twitterアカウントはこちら

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterもあるよ!

おすすめの記事