ブックマーク機能を使うには ログインが必要です。
召喚された花嫁
作者:アーニャン

よくあるテンプレのような話です。


「ちょっと!樗木(おとき)さんが帰ったってどういうこと!?」


 その(ひと)は目の前にいる深く項垂れた男達を見ていた。

 男達は皆やたら無駄に美しく、大きな声を発したその女を見ようともしない。


「無視なの?無視するの!?」


 男達の中の一人がぼそぼそと話す。


「…………ナオは帰ったよ。この一ヶ月楽しかったとだけ言ってね」


 その女の身体は沸々と湧く怒りで震えるのを止めることが出来なかった。


「『楽しかった』ですって!?そりゃぁあれだけ贅沢三昧して、綺麗な男侍らしていたら楽しいでしょうよ!楽しんだだけ楽しんだら、後は知らないっていうの?あの自己中女!!ふざけんなっ!!」


 彼女の名前は社本(しゃもと) 椛葉(なぎは) (29歳)。

 中小企業に勤めるごく普通の一般職事務職の少しばかり婚期に焦るアラサーだった。


 それがある日何が起こったのか、後輩の樗木(おとき) 捺愛(なお) (23歳)と一緒に訳もわからず異世界にやってきてしまったのだ。

 辿り着いたその先はその世界の聖なる場所であるらしく、真っ白なローブやロングチュニックの衣装を纏った人間ばかりだった。


 彼ら曰く、神託で花嫁を召喚したのだそうだ。

 本来ならば一人だけのはずが二人現れてしまい呼び出し側の皆が困惑気味。

 呼び出された側も大困惑だったのだが。

 樗木は嬉しそうにほほを染めて「やだ、花嫁だなんて♡」などと発言した。


 椛葉は樗木の頭がおめでたいのは知っていたが、ここまでひどかったのかと呆れるしかなかった。


 椛葉は即刻帰してくれるようにと彼らに抗議をした。

 幸いにも浮かれ喜んでいる阿呆の樗木が椛葉の隣にいる、帰る事ができるのなら別に帰ってしまっても構わないだろうと思っての発言だ。


 しかし彼らは皆は首を横に振るとこう言ってきた。


「とりあえずは王と会って頂く」


 その発言でまた盛り上がる樗木は「きゃあ、王様♡」っと黄色い悲鳴を上げると瞳を綺羅綺羅と……いやむしろ肉食動物の様に爛爛と輝かせた。


 椛葉はもう勘弁して欲しいと深くため息をついた。


 二人が拝謁した王様は推定年齢40~50歳ほどの銀髪(シルバーアッシュ)青い瞳(アイスブルー)の渋い素敵なおじ様だった。


『あら素敵。まさか花嫁ってこの渋い王様がお相手なの?』


 一瞬気持ちが揺らいでしまった椛葉だったが、どうやらお相手は王様とは違うようだ。


 お相手は王様の息子、つまり本物の王子様だ。

 これぞ王道といった金色の髪(ホワイトブロンド)青い瞳(アイスブルー)で、それはそれは美しい王子様、名前はシンヴォレオ(25歳)。


 椛葉の予想通り「きゃあ♡きゃあ♡」と黄色い悲鳴を上げ♡を撒き散らす樗木。

 樗木に反応したシンヴォレオは優雅に優しく微笑んだ。


 樗木の騒がしい黄色い悲鳴が鳴りやむことはなかった。

 王子様の他にも綺麗どころがあちらこちらにいたからだ。

 弟君の王子様(21歳)、国の若き宰相(27歳)、近衛隊長(32歳)、王子様の親衛隊の方々(20歳~30歳)などなど……。


 椛葉の目はちかちかして眼精疲労をおこしそうだ。


 これだけたくさんの美しい男たちが一堂に会すると、ありがたみが全くなくなりどうでもよくなってくるものである。


 シンヴォレオをはじめ他の殿方はどうやら樗木を大変お気に召したらしい。

 樗木は社内でも屈指の可愛さだ。自分がいかに可愛いか、どうすれば魅力的に見えるかを知っている女の中の女である。

 その可愛らしさは異世界にも通用したようだった。


『よかったね樗木さん、無駄にぱちぱち瞬き多くしたり、首を傾げたりした甲斐もあったんじゃない?』


 椛葉はふっと鼻で息をした。


 このように満場一致で椛葉が元の世界に帰ることが決定した。


 ただし再び空間を繋げるには力を貯める必要があるとのことで、帰るのは残念ながら一ヶ月後になるという。

 その間はちょっとした海外旅行だと思うことにしようと椛葉はそれなりに満喫していた。


 幸い言葉は通じたので椛葉はこれといった不便は感じる事はなかった。

 話し相手は主に椛葉の世話をしてくれる侍女たちだ。

 彼女たちの完璧な所作やマナーに感心し椛葉はぜひ教えて欲しいと願い出た。

 初めはとんでもないと断られたが、椛葉の事務の営業話術で鍛えた粘りでなんとか説得に成功したのだ。

 他にもこの世界特有の珍しい楽器や料理に興味を持ったり、時々侍女たちと一緒に刺繍をしたりと楽しい時間を過ごした。


 その間、樗木はどうしたのかといえば

 シンヴォレオたちに囲まれて、酒池肉林とまではいかないけれど結構な状態だったようだ。

 実際には椛葉は見たわけでは無かったのだが、侍女たちからそういった話を聞いていた。

 やりたい放題とかで、樗木の担当侍女たちからは評判が最低らしい。

 椛葉からすれば知ったことではないのだが。

 きっとこれからもそれは続くのたから『侍女たちは可哀想だな』とは思っていた。『あんな娘が王子様の花嫁で大丈夫なのかって』椛葉は他人事だけど心配になった。

 何故なら王子様の花嫁ってことは、行く行くは王妃になる可能性が高いからだ。


『ありえない、どう考えても国が傾きそうだ』


 椛葉は『この国の皆様ご愁傷様です』と心中両手を合わせていた。


 ―――それなのに


 ようやく一ヶ月経ち、椛葉は侍女たちと別れを惜しみつつも例の聖なる場所に赴むいた。

 だが、なんと樗木が先に帰ってしまったというではないか!


 椛葉は話が違うと白い衣装の皆さんに詰め寄った。


「どういうことだ」と―――


 樗木はお得意の女を武器に、とある魔術師の男を使って勝手に帰ったというのだ。

 その魔術師の男は罪を問われ、現在囚われているという。


 だが椛葉にとってそんなことはどうでもよかった。


「さらに一ヶ月待たなければいけないのか」


 大きなため息を吐き椛葉が意気消沈していると、白い衣装の一人が申し訳なさそうに言う。


「それは無理なのです。召喚は一度だけと決まっておりまして。あの、その……ナギハ様には花嫁となって頂くしかありません……」


 椛葉は大きく目を見開く


「なっなんですって!」


「申し訳ありません」


「………………」


 椛葉は言葉もなく呆然自失しているシンヴォレオたちに足を向けた。




 ―――そして冒頭に戻る。




 男のくせにいつまでもウジウジしているシンヴォレオたちに椛葉はイライラした。

 椛葉とて落ち込みたいけれど、怒りの方が勝ってそれどころでは無かったのだが。


「貴方たちは一体何をやっていたの!?どうしてそんな危険人物を一人にしたのよ!!」


 顔が般若の様に厳めしいものになっているのは椛葉は自覚している。

 大きな声がうるさいのも十分自覚していた。

 だが感情をぶちまけないとやってられなかった。


「樗木さんを野放しにするなんて本当にありえない!!四六時中一緒にいたんでしょう!?しっかり掴まえてなさいよっ!!これだけの男が雁首揃えてなんて情けないのっ!!」


 さすがに椛葉の罵倒にシンヴォレオは苛立ちを覚えたようで、椛葉に鋭い視線を投げてくる。

 樗木を見つめる甘ったるい眼差しとは全く異なる。


「君に何がわかる。私は愛しい(ナオ)を永遠に失ったのだぞ!キャンキャンと喚くのはやめてくれないか」


 シンヴォレオの声は冷たいもので、他の殿方たちからも椛葉は冷たい視線を注がれる。

 椛葉はそんなものに怯みはしない。

 だが―――


「……っ」


 椛葉の目からぽろぽろと涙が溢れた。

 これが泣かずにいられようか、もう二度と帰れないと宣言されてしまったのだ。

 それなのにシンヴォレオは独りよがりに自分たちだけが哀しいと言う。


『なんて身勝手なの、君に何がわかるって?アンタたちの気持ちなんて知りたくもないわ!私なんて帰る場所を奪われてしまったのに!家族や友人、彼らは私にとって大切な人たちなのに』


「どうして……どうして……今日なのよ…………」


「ナギハ様……」


 椛葉の涙に驚いているシンヴォレオたちをよそに、恐らく白い衣装の人の中で一番偉いと思われる人がそっと声を掛けてくる。


「今日一日、一日、樗木を引き止めるだけでよかったのよ。そうすれば私は帰れたのに……」


 椛葉は耐えられなくなり、両手で顔を覆った。


 するといつの間に呼んだのか、お世話になっていた侍女の一人が椛葉の横に来て、宥めるように背中を撫でてくれた。


 そして優しく背中を押し、椛葉はここから出るように促された。


「ナギハ様、ここは冷えます。お部屋に戻って温かいお茶を飲みましょう?」


 椛葉は涙で前が見えないながらも、侍女に支えられて部屋へと戻って行った。





 ―――そして椛葉は盛大に不貞腐れていた。


 いい大人が人前で泣いてしまった気まずさを隠すためでもあるが、一番の理由はもちろん帰れないからである。


 しかも腹が立つ事にシンヴォレオへ嫁に行くことは決定事項だ。


『理不尽すぎる』


 またシンヴォレオたちに言われた言葉や視線を思い出すとイライラしてくるのだ。


『駄目だ!この苛立ちをどこに打っ付けたらいいのかわからない』


「ナギハ様。そんなお顔をなさらないで下さい」


「無理よ」


 侍女たちは困った顔でお互い顔を見合わせている。


『ごめんなさいね、今は到底そんな余裕がない。怒ったかと思えば、泣き、そしてまた怒っている私……駄目ね……』


 椛葉は自分でも忙しないとは思うが、情緒不安定なのだ。


『今は許して欲しい』




 それからかれこれ一か月近く、椛葉は自身に与えられていた部屋に籠っていた。

 完全に引きこもりである。

 暗いと言われようが、うっとうしいと言われようが構わないと思っていた。

 それほどまでに椛葉の心は疵付(きずつ)きダメージを受けていた。

 そんな椛葉を根気よく世話してくれる侍女たちに椛葉は本当に感謝していた。


 時々、シンヴォレオたちも椛葉の様子を窺いに来ていたようだが、やんわりとお断りしてくれたらしい。

 立場は彼らの方が上なのだが、少しは椛葉に対して罪悪感があるのか、特に何も言わず去って行くらしい。


 侍女ももしかしたら、椛葉に気を遣ってそう言っているだけなのかもしれないのだけれど。


 そんな椛葉でも、侍女たち以外に接する人物がいた。

 樗木にまんまと引っかかって、彼女を帰してしまった張本人である。


「この度は真に申し訳ない事を致しました。心より深く反省しております」


「……」


 この男は事が起こってからおよそ一週間後、椛葉に直接謝罪をしてきた。

 椛葉は本当は会う気はなかったが、一度憎き男の顔を見ておかなければ気が済まないと思ったから会った。

 むしろ一発殴ってやりたかった為と言った方がいいかもしれない。


 男の名前はイリオルストスというらしい。

 イリオルストスは銀髪ホワイトシルバーブロンドで前髪を目にかかるほど厚く長く伸ばした辛気臭い男であった。

 白のロングチュニックに青白い顔、ひょろっとした体。

 背は高いが猫背の為、椛葉はますます頼りない印象を受けた。


 イリオルストスには失礼な話かもしれないが


 きっと女性に言い寄られることもなかったのだろう、だから樗木に擦り寄られて嬉しかったに違いない。

 樗木は中身は非常に残念だが、外見はすこぶる可愛い女だ。

 頼られて悪い気はしなかっただろう椛葉はそう結論付けた。


 だが、そこに全く関係ない人間を巻き込んでしまっては困るのだ。

 他人の見栄の為に、椛葉は帰れなくなってしまった。


 その上、あんな身勝手で独りよがりなシンヴォレオの花嫁。


 シンヴォレオだって椛葉が花嫁だなんて冗談でも望まないはずだ。

 お互いに望んでいない結婚なんて不幸でしかない。

 どうにかこの結婚を撤回して欲しいものだ。


 イリオルストスにしてもいいことなど何もない。

 せっかく樗木の期待に応えたものの、それにより皆から責められ罪を問われた。

 そして樗木はすでにもうおらず、代わりに椛葉が残っているだけだ。

 彼は自身や椛葉を犠牲にしてまで、樗木を助けたかったのだろうか。

 そんなに樗木は価値がある女だとは思えないが、実際やってのけたイリオルストスにとってはそうだったのだろう。


『あぁ、また腹が立ってきた!』


「……殴ってもいいですか!平手ではなく拳で!」


「…………」


 周りにいた侍女たちやイリオルストスを連行してきた兵士、お偉方はギョッとしていた。

 しかし言われたイリオルストスは無言で左頬を差し出した。

 彼は椛葉が思っていたより根性はあるようだ。


 椛葉は椅子から立ち上がると、イリオルストスの前に仁王立ちをした。

 その時、初めてイリオルストスと目が合ったような気がしたが、気にせず勢いかぶって拳を振り下ろした。

 イリオルストスは少しだけ体勢を崩したがすぐに元の位置へと戻り、深く椛葉に頭を下げた。


 初めて人を殴った椛葉は『殴ることは自分も痛い思いをする事』なのだと知った。

 当たり所が悪かったのか、椛葉の拳はジンジンと痺れた。

 それなのに頬を椛葉に殴られたイリオルストスは堪えた様子を見せない。

 イリオルストスはそれを隠しているのかもしれないが、椛葉は割に合わないような気がしてくる。


 スッキリしたようなそうでないような微妙な気持ちに椛葉はなった。





 それから、椛葉はイリオルストスにねちねちと愚痴をこぼす事にした。

 鬱憤が溜まって仕方がないのだ。

 侍女たち相手ではどうも申し訳がなく、思い切り吐き出せない。

 というわけで、元凶となったイリオルストスには嫌がらせを含めて付き合ってもらっているのだ。


 イリオルストスは時折相槌を打ちながら、文句の一つも言わず黙って椛葉の聞いてくれた。


 イリオルストスが頷く度に長い前髪も一緒に揺れ、彼の目がちらりと覗く。


 垣間見たイリオルストスは意外にも綺麗な目をしていた。

 髪は銀髪をしていたが、目は透き通るような菫色(バイオレット)だ。

 きっとうっとうしい髪を切れば、存外見られる顔をしているのではないかと思う。

 顔色が悪いのが難点ではあるが。


 それなのになぜ隠すのかと疑問に思ったが、イリオルストスに問うことはしなかった。

 イリオルストスを気にしている侍女たちが思いの外いることから、女避けなのかもしれないと思い至ったからだ。

 過去に嫌な経験があるのだろうと勝手に想像し納得する。


 だが椛葉はある矛盾に辿り着く、もしそうならば樗木の件はどう説明するのかと。

 女避けまでしていた男が果たして樗木に近づくようなことをするのだろうか。

 普通に考えたらありえない。


 椛葉は苦笑した。


 イリオルストスのことはあくまで椛葉の想像にすぎないので、こんなことに意味はないのだ。

 少し引っかかりを覚えるが、気のせいだと無理やり頭の隅に押し込んだ。


 そして今日も今日とてイリオルストスに八つ当たりをする。

 椛葉の心に平穏が戻るその時まで。




 そんな日々が続いた甲斐があったのか、椛葉の心には平穏が戻りつつあった。


 腹が立つことに変わりはないが、済んでしまったことをいつまでも言っても仕方がない。

 駄々をこねたところで時間を戻すことはできないし、元の世界へ帰ることもできないのだから。

 むしろこれからどうするかが重要なのだ。

 これから先に待ち受けていることを考えると、正直滅入りそうではあるけれども。


 イリオルストスは何を思ったのか、椛葉の元を訪ねる時に本を持参するようになった。

 椛葉は何故かこの国の文字を読むことが出来たので、それを素直に受け取る。

 国の成り立ちや王族の系図といった歴史から始まり、地理や政治経済、外国語に至るまでと内容は幅広い。


 学ぶことは嫌いではないが、その膨大な量に少しうんざりする。

 これは復讐なのだろうかとも思ったが、イリオルストスは丁寧にわかりやすく解説してくれるのだ。

 さらにイリオルストスの声は、椛葉にとって低すぎず高すぎず非常に心地よい声だった。

 その為なのか内容が自然に椛葉の頭に入ってくる、実のところ椛葉はあまり苦痛を感じてはいなかった。


『受験の時に是非ともイリオルストスが居て欲しかった』


 椛葉はそんなどうでもいいことを考えつつイリオルストスを眺めていたら、分厚い前髪越しに目が合ったような気がした。

 するとイリオルストスは形のよい薄い唇の両端を緩やかに上げ、椛葉に優しく問いかけた。


「どうかしましたか?」


「ううん、なんでもない。ねぇ、ここはどうしてこうなるの?」


「ああ、これは―――」


 開け放たれた窓からは爽やかな風が入り、鳥の鳴く声が聞こえてくる。

 休憩時間には侍女たちが美味しいお茶とお菓子を用意してくれ、彼女たちも交えながら楽しくおしゃべり。

 こんな穏やかな日が続けばいいなと椛葉は願った。


 もちろんそれはありえないとわかっていても―――




 ある日、椛葉はついに王様に呼ばれた。

 もう何ヶ月も放置されていたので椛葉のことなど忘れたかと思っていたが、そうでもなかったようだ。


『私のことは忘れていて欲しかった。そうすればイリオルストスや侍女たちとの穏やかな日々が過ごせたのに』


 椛葉の中ではすでにイリオルストスは欠かせない存在になっていた。

 当初は一番憎い人だったはずなのに、今ではすっかり一番頼りになる人となっている。

 彼の人となりのせいなのかそれとも狙ってやったことなのか定かではないが、それが事実だ。

 椛葉はイリオルストスと離れたくなかった。


 シンヴォレオの花嫁となったら、王子以外の男―――イリオルストスを側におくことは可能なのだろうか。

 残念ながら、そこに邪な関係がなくても却下されそうな気がした。

 イリオルストスはたぶん20歳後半から30歳前半の精力溢れる年代の男だ。


 王子妃ともなろう女の側に、醜聞のネタになるような者は決して近づけないはずだ。


 イリオルストスと過ごす日々も昨日で終わりだったかと椛葉は肩を落とした。


『彼は昨日会った時何も言っていなかったが、知っていたのだろうか』


 知らなかったのならまだいいが、知っていて何も話さなかったのなら、イリオルストスにとって椛葉の存在はその程度だったということなのだろう。


 椛葉自身が無理やり付き合わせていたことなのだと思い出し、さらに落ち込む。


 椛葉の背後では侍女たちがああでもないこうでもないと嬉しそうに椛葉の衣装を揃えている。

 椛葉も女なので着飾ることは好きだが、今は到底そんな気分になれなかった。




 王様の横にはもう一つの椅子が用意されており、そこには一人の見知らぬ男が座っていた。

 椛葉の予想とは裏腹にシンヴォレオではない。

 否、正確に言うと色彩的には非常に見覚えがある。

 銀の髪に菫色の瞳、不健康な白い肌。

 綺麗な菫色の瞳と視線がぶつかり、椛葉はデジャビュを覚えた。


「―――イリオルストス?」


「そうですよ」


 恐る恐るかの人の名を呼ぶと、男はにっこりと微笑んで頷いた。


『本当にイリオルストスだ。私が彼の声を聞き間違えるはずがない』


 うっとうしかった前髪を後ろに撫でつけ、すっかり額が全開だ。

 思っていた通り整った顔をしており、シンヴォレオにも決して負けてはいない。

 華やかさでは少々劣るが、上品で落ち着き払ったその姿は貫禄さえ感じる。


 だが、椛葉には状況がつかめなかった。

 どうしてイリオルストスがその席に座っているのか。

 王様の横に並んで座れるのか。


 イリオルストスはそれに相応しい地位にいるということなのだろうが、それに見合うものと言ったら―――


「ナギハ殿。貴女にはこの不肖の息子、イリオルストスの花嫁となっていただきたい」


「……はい?」


 椛葉はイリオルストスから一旦視線を外し、王様を見た。

 王様はまだ混乱している椛葉に申し訳なさそうな顔をして、自ら説明してくれた。


 イリオルストスはなんとこの国の第一王子だという。

 てっきり最初に会った王子様がそうだとばかり思っていたが、考えてみれば誰もシンヴォレオを第一王子だと呼んでいないことに椛葉は気付いた。

 イリオルストスは政にはあまり興味がなかったので一線を引き、第二王子で弟であるシンヴォレオにほとんど権限を譲っていた。


 なんでも魔力に長けていたので、魔術の方面に力を注いでいたのだとか。

 白い衣装の皆さんと同じ格好をしていたのもそのためだ。


 政に関しては滅多に口を挟まないイリオルストスだが、今回のことは我を通した。

 椛葉を自分の花嫁にすると。

 異世界からやって来た女性を花嫁にする権利は王族の血筋の男子にあるだけであって、何も王位を継ぐ王子に限ったことではないはずだと主張したらしい。

 王様は今までの様子を全部静観していた。

 それを鑑みた結果イリオルストスの主張を受け入れた。


 その方が椛葉の為にも良いだろうと考えてくれた。


 部屋に戻ってきても、急展開なことで俄かに信じられない椛葉をイリオルストスが不安そうに見つめてくる。

 椅子に私を座らせると、イリオルストスはその隣に腰を下ろしそっと椛葉の手を握った。


「ナギハは私が相手では不服かい?それともシンヴォレオの方が良かった?」


 沈んだイリオルストスの声に椛葉はハッと意識を戻すと、盛大に首を振って否定した。


『イリオルストスが不服だなんてとんでもない』


「まさか!ただ突然のことに驚いているだけよ」


「私のことは嫌ではない?」


「もちろんよ!最初はなんて人だと思ったけど……今は違うもの……」


 椛葉はイリオルストスの瞳を見ながら話していたが、徐々に恥ずかしさを覚えて俯いてしまう。

 イリオルストスの瞳があまりにも優しかったうえに、言葉にすることで自身の想いをより自覚してしまったのだ。


 椛葉の手を握るイリオルストスの力が強くなる。


「……それは…期待していいのかな?」


 イリオルストスの熱が籠った声に、椛葉はおずおずと顔を上げた。

 菫色の瞳も声と同じで熱を帯び、椛葉の身体は一気に火照った。

 きっと顔は真っ赤なはずだ。


 椛葉は想いを口にすることが出来ずただ小さく頷くと、大きな温もりに包まれた。

 ひょろひょろで頼りないとばかり思っていたイリオルストスだが、どうやら着痩せする気質だったのか意外にもがっしりしている。


 やはり男の人なのだと思うと、ますます熱が高まる一方だ。

 嬉しく思うがそろそろこの状態から椛葉は逃れたかった。

 このままいくと椛葉は破裂してしまいそうだった。


 だが、イリオルストスは椛葉に止めを刺した。

 椛葉の耳に唇を寄せると、甘い声で囁いたのだ。


「ナギハ、私の愛おしい花嫁。……逃がしはしないよ」


 恋愛経験がほとんどなく免疫のない椛葉はここで完全に腰が砕けて、何も考えられずイリオルストスに全てを委ねる事となったのだった。




ブックマーク機能を使うには ログインが必要です。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。
感想は受け付けておりません。
※イチオシレビューを書く場合はログインしてください。
Twitter・LINEで送る

LINEで送る

+注意+

・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はパソコン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
▲ページの上部へ