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最後にお尻をひっぱたかれた日のこと

翻訳
04 /07 2021
My Final Tanning From Mom
投稿者:Badpam


 私と二人の妹はティーンエイジャー[訳注:13歳から19歳の子ども]になってもそのまま母にお尻を叩かれ続けて育った。母お気に入りの得物は木製の平らなヘアブラシで、それを使われるとしばらくの間座れなくなってしまった。家でも学校でもお尻を叩かれているティーンエイジャーは私が育った地域では珍しくなかった。17歳の時に私は校長からバドルの罰を受け、校則違反のつけを尻で支払った経験がある生徒達の大きな隊列に加わった。私は友人たちが家でも学校と同じようにお尻を叩かれているのも知っていた。

 高校を卒業して大学に通い始める頃には、私は成熟して大人らしく振舞うようになっていたから、家でのお尻叩きは過去のものと思われる状態にまでなっていた。

 1978年8月14日。私はこの日付を生涯忘れないだろう。

 それは夏らしい天気のある午後のことで、うだるように暑かったわけでもなく、私は水色の花柄のスカートと淡い青色の表地の肩が出るトップスを合わせて快適な気分で過ごしていた。母はその日地元の病院で看護士の夜勤のシフトが入っていたので家で昼寝をしていた。私は運転免許を取っていたが、自分の車は持っていなかった。あてどなく旅したい気持ちは膨らむばかりだったので、母の車を借りてその欲求をクールダウンすることにした。母は寝ており許可を取れなかったが、思い切って鍵を手に取り快調にドライブしてハイウェイへと向かった。母が起きる前に戻るつもりだった。

 私は取っ手を回して窓を開け、通気口も開いた。ハイウェイに乗った私がスピードを上げると、柔らかな風が肩にぶつかって、下着のスリップの中まで入ってきて浮き上がらせた。涼しい風!赤毛のポニーテールはうなじのところで鞭のように行ったり来たりを繰り返して揺れていた。

 そして私は保安官を見落とした。

 彼はトランクにでも潜んでいたに違いない!保安官はどこからともなく現れ、パトライトが点滅したかと思うとサイレンの音が聞こえてきたのだった。誘導されて、私は車をハイウェイの脇に停車させた。

 違反切符を切ろうとしている保安官に泣き落としが通じないのは多くの女性の知るところである。私は55マイル[約88キロ]制限の区間を70マイル[約112キロ]で走行した違反で切符をすっぱりと切られてしまい、それから大きな農家型家屋の我が家に戻った。

 母の昼寝は終わっていた。彼女は病院の制服である白いナース服と白のストッキングを着用し、機能第一の白い靴を履いていた。

 母は怒り狂っていた。

 「パメラ・アン!一体あんたどこ行ってたの!」

 私は口ごもりながら答えた。「わ……私、昼寝をしている間にドライブしようと思って……。もう少し早く帰ってくるつもりだったんだけど、その……」そして私は違反切符を取り出して見せた。

 いまや母は怒りで顔面蒼白になっていた。「あんた、ママが今日仕事だって知ってたわよね。いつまでたっても戻ってきやしないから、病院には病欠の連絡を入れました。ママの夜勤の仕事はおじゃん、あんたはねずみ捕りにひっかかったですって?ほんと頭おかしいんじゃないの!?」

 「その」と私は弱々しく言った。「帰る時間忘れちゃってただけなの……」

 それを聞いて母の怒りは燃え上がった。

 「それじゃ、バスルームにご案内いたしますね。生きた心地がしないくらい尻をひっぱたいてやるから!」

 私は信じられない面持ちで母を見つめた。「尻を?ひっぱたく?!」もう少しで笑いだしそうになった。そんなこと、あってたまるか!「ママ、冗談でしょ?私投票権だってあるのに!」

 母の瞳は炎で燃え上がった。こんなに怒った母の顔は今まで見たことがない。「よくお聞き?いいですか、一人前の大人女子に成長したわたくしにはお尻の罰なんてもってのほか、あなた様はそう考えていらっしゃる。あのね、一人前というのはね、責任をきちんと果たせる人のことを言うんです。あんたは半人前で無責任だった、違う?だから責任も取れないおてんば娘よろしく尻をひっぱたかれるってわけだよ!だ・か・ら」と結論が下された。「バスルームまで駆け足!<いつものみんな>を出しておきなさい!」

 駆け足を止めた私は振り返ると母に向き合った。「全部?」私は<いつものみんな>の構成を知っていた。ヘアブラシ、スカートを背中のところで留めておく洗濯ばさみ、そしてもっとも恐ろしいメンバー、家庭用の浣腸キットである。母はお尻を叩いた後、身体へのストレスと羞恥の感覚を増すために必ずきつい浣腸を私たちに与えた。それも、ほかの姉妹たちの見守る前で施されるのである。

 「お願い、叩かれるのも浣腸も嫌です!」懇願する私。

 「パメラさん、そろそろ躾の時間なんだけどいいかしら」と母が言った。「いつも通りフルセットでお仕置きしてあげます。さあ、駄々をこねるのはやめて入った入った!」

 もはやいくら会話をしたところで無駄だった。打ちひしがれて、私はメインのバスルームに向かい戸棚を開けて木製の大きなヘアブラシとオレンジ色のボックス、スカートをたくし上げて留めておく洗濯ばさみの入った袋、そして黄色ワセリンを取り出した。オレンジ色のボックスの中身は、赤いゴム製のバッグとホース、そして母が病院から持ってきたバリウム剤用の太い浣腸ノズルだった。一方グレッチェンとオードリーの妹二人は、一階に降りてきてお仕置きを見るように母から指示を受けていた。道具をすべて化粧台の上に並べていると二人がバスルームに入ってきた。母はキッチンで浣腸液を調合するのに忙しくしている。

 「パメラ・アン!」とグレッチェン。「ママ、あんたのお尻を叩くつもり?」

 会話したい気分ではなかったけれど私はなんとか言葉を返した。「みたい」

 「そんな!」とオードリーが信じられないといった面持ちで言った。

 我が家の尻叩きは厳格な式次第に則り行われるものだったが、それはお仕置き内容のすべてを重大なものとしてはっきりと会得させるためのものだった。まもなく、お湯と石鹸水と重曹、それから塩を混ぜ合わせたミルク色の液体で満たされたガラス製の水差しを手にして母が姿を現した。母は浣腸バッグにその液体を注ぐとホースを接続しクランプ部分を締めつけ、バスタブの真上、シャワーカーテンのロッド部分に逆さにして吊り下げた。

 「パメラ・アン、靴を脱ぎなさい」 ママの命令が飛ぶ。「気を付け!」

 靴を脱いでおくルールは、母の膝上で少女達が足をばたつかせのたうち回る時にすっぽ抜けて飛んでいくのを防ぐためだった。母は注意深く私のスカートとハーフスリップの後ろの裾を持ち上げて丁寧に折り畳み、洗濯ばさみを四個手に取ってベルトに固定した。それから私の薄いストッキングは膝まで下げられ、しまいにレース飾りのついた白いショーツも同じ位置まで引き下ろされてしまった。殺傷兵器たるヘアブラシを握りしめたまま、私は衝撃を隠せないでいる姉妹たちの顔を見つめていた。

 いつも通りに、母はガードルとストッキングが見えるまでワンピースの裾をまくり上げ、バスタブの幅広の縁に腰を下ろした。彼女はストッキングの上端を指さした。

 「ママのガーターに腹ばい!」

 この指示は母の膝の上に乗るようにという意味だった。身長がそこまで高くなく5フィート5インチ(約162.5センチ)しかなかった私は、母の広い膝の上にぴったりとおさまった。そうして横たわると何にも覆われていないお尻が姉妹達二人の眼前にさらけ出されることになり、私の心中は「私もう20なのに!もうすぐ20歳なのに!」の一色となった。

 「ヘアブラシ!」と母。私は手を後ろに回して、フラーブラシ社製の赤褐色をしたブラシの持ち手側を前にして手渡した。いまや、罰の宣告の時間である。

 「さてパメラ・アン」と母が宣告を開始した。「どうしておしりペンペンされるのか、言ってみなさい」

 「考えなしで、無責任だったからです」もはや、これ以外何も言うことは残っていなかった。

 「その通り!」母はぴしゃりと言った。「あんたが許可なしにドライブしたせいでママは遅刻の時間になるまで何もできなかった。それでもって、支払いもできないくせに違反切符まで切られて!一人前の大人女子の振る舞いですかそれが!」

 「いいえ…。ママ、反省してます!」

 「反省?そうね、反省なら後でたっぷりするといい。罰を宣告する。おしりペンペン100発!」

 お尻のお仕置きを「おしりペンペン(paddywhacks)」と呼ぶのが母のならわしで、その台詞を聞くと幼児扱いされている思いがさらに強まった。私はその言葉が大嫌いだった。しかし今回母に宣告されたのは、いままで一度も聞いたことがない容赦のない回数だった。

 「ママ、お願いです!」私は懇願した。「今まで一度も100発ぶたれたことなんてないのに!」今の私はお仕置きを受ける姿勢を取っているので、床のタイルに必死に話しかけている塩梅である。

 「あら、いままでそんなことがなくてラッキーだったわねー!さあ、どちらのお尻からペンペンをはじめればいいのかしら?」

 左右のお尻のどちらか片方にきつい5発を与え、それからもう片方のお尻に5発を与える。それが母のやり方だった。この方法で叩かれたお尻には大量の熱が蓄積し、すぐに燃え上がるような痛みに襲われた。私たちは叩かれるごとに回数を大きな声ではっきりとカウントする必要があり、しくじればその度にむきだしの左右のふとももに4発のヘアブラシが追加されることになっていた。

 「みっ……右のお尻からお願いします」

 母はヘアブラシで右のお尻を撫でてから、びしりと振り下ろした。私はいつもより力が強いことに気づいた。

 「いたっ!ひとつ!」

 びしっ!またヘアブラシが弾ける。

 「いだっ!ふたつ!ママ、そんなに強くしないでっ!」

 いつだって、泣き叫ばずに20発をカウントすることなど到底不可能だった。今回は10発が限界だった。堰を切ったように熱い涙があふれだす。

 「わあぁっ、わあああーっ!じゅうぅ!あう、あううう、じゅういちぃ!あひぃーーーーっ、じゅうにっ!おねがい!だめ!むりぃ!」

 私は脇目もふらずに泣き喚き始めていて、オードリーとグレッチェンがそこに加わって生まれたのは泣き声のコーラスであった。二人は私に同情して涙を流し、100発は勘弁してあげて欲しいと母に嘆願してくれた。母はお尻をひっぱたく前に感情を鎮めるといういつも通りのやり方を忘れていた。怒りにまかせてお尻をひっぱたき、憤りの全感情をどんどん赤くなりどんどん悲惨な有様になっていくターゲットにぶつけたのである。私は身をよじり、両脚を蹴り上げ、いつまでも終わらないかのように思える強い力で振り下ろされるヘアブラシの雨から逃れるためにむき出しのお尻を振り動かそうと努めた。力づくのバタ足を続けているうちに、パンストが膝の下までずり落ちていき裏返しになっていくのがわかった。

 それからの私の記憶は少し飛んでいる。グレッチェンによれば、私は金切り声で回数をカウントしていたというが、さもありなんだと思う。お尻は炎に包まれたようで、パンパンに腫れ上がっていくのもわかった。

 「ひっ、ひっ、きゅうじゅななっ!あぎいぃぃっ!きゅうじゅはちぃ!あ゛あ゛っ!きゅうじゅきゅ!うぁーーーっ!!ひゃくーーーっ!」解放感に息を吐きだした私は、母のガーターストッキングの上にただ横たわって涙の流れるままにむせび泣いた。

 母が私に催促をかける。「何か忘れているみたいですけど?ふとももをヘアブラシでぶってあげればちょっとは思い出すかしら?」

 私は大声で叫んだ。「おしりペンペン、ありがとうございました!」私はまたしても自分がお転婆な幼女になった気分に襲われた。

 母はヘアブラシを置くとワセリンの瓶を拾い上げ、待ち構えていた浣腸罰用の赤いホースを引き下げた。それから彼女はお饅頭みたいに膨れ上がった尻を割り広げ、菊門(rosebud)に潤滑剤をなすりつけた。「やだ、やめて!」とすすり泣く私だったが、オーバーサイズのノズルが体内に滑り込んできたのを感じて息を呑んだ。カチリと鋭い音がして弁が開かれ浣腸液が流れこんでくる間も、便座に座るのは無理だと私は母に懇願を続けていた。私は2クォート[約1.9リットル]の浣腸液を丸々流し込まれた。そのためにはおなかの膨満感の解消が必要だったから、母は浣腸液を注ぎ込む作業をたびたび中断して私の背中とあばらをほぐし、何度も深呼吸させた。最終的にストップ栓を締めると、母は私の焼けただれたお尻の左右の肉をつかむと肛門に挿入されたままのノズルを挟むように中央に引き寄せた。母の手がお尻に触れた時、私の口からは悲鳴が上がった。

 「さあ、パメラ・アン。今日の教訓、言ってごらん」

 ウンチを今すぐ出したくてたまらないという感覚と闘いながら、私は母と姉妹達に反省の弁を述べた。これからは自分勝手な行動は慎み責任感を今まで以上に意識します。車を運転する時は細心の注意を払うし、人の所有物を借りるときは許可を頂きます!苦悶の5分間が経過した後でノズルが引き抜かれると、濃厚なキスをした時みたいな音がした。それから母は私を立ち上がらせた。

 「さて、パメラ・アン。ウンチして良し」

 私は足を引きずりながら硬いプラスチック製の便座のところまで歩いていった。「座るのは勘弁してください!」私は嘆願した。「痛くてたまらないの!」

 「決まりはどうしたの!」と母。「早く!お尻を下ろしてしっかり座るんです!」

 腰を下ろした私は狼の遠吠えみたいな悲鳴を上げた。その日私が受けたのは、人生で一番きつい尻叩きであった。

 母、そしてこちらをしっかりと見つめる妹二人の目の前で用を足した後、私はたどたどしい足取りで後ろにパンストを引きずりながらリビングへと向かった。これから始まるのは<反省の時間>だった。部屋の隅に鼻を押し付けるようにして両手は身体の横。丸々1時間、懲らしめられたお尻をそうして晒し続けるのだ。

 お立たせの位置につくと妹二人が近くに寄ってきた。母は次回の犠牲者のためにバスルームで道具類を掃除し消毒する作業に余念がなかった。

 グレッチェンが言った。「なんてこと、パメラ・アン!」

 すすり泣きながら私は言った。「グレッチェン、私今おしりの感覚がひどいことになってるんだけど、見た目もやっぱりひどい?」

 グレッチェンは率直に言った。「ひどいなんてもんじゃないよ!」

 バスルームから母の声が聞こえてきた。「パメラ・アンは反省の時間中!おしゃべり禁止!」

 無味乾燥な60分が過ぎた後キッチンタイマーが鳴った。過酷な罰が終わる合図だ。母は部屋に入ってきてスカートをたくし上げていたクリップを外した。元の位置に戻った薄くて軽いスリップ下着が叩きのめされたお尻に触れると、まるで紙やすりでもかけられているみたいな感覚が肌を襲った。下ろされて丸まったショーツとストッキングを後ろに従えて、足を引きずり部屋まで上がった。

 お尻のダメージを確認するために、ドアについている鏡を肩越しにおずおずと覗き込んでみる。私は息を呑んだ。大きなお尻は腫れあがって真紅に染まり、青黒い楕円形の痣が一面を覆い、たくさんの水ぶくれがそこかしこに生じている。お尻がこんな有様になったのを見たのはこれがはじめてだった。やりすぎなのは火を見るよりも明らかだった。

 苦労しながらスカートとハーフスリップ(petti)を脱ぎ去り、ストッキングとショーツから足を抜くと、ナイトウェアの上だけを身に着けて枕に顔をうずめて涙を流しながらすすり泣いた。どうして私はあんなに軽率で馬鹿なことをしちゃったんだろう!

 母はいつも通りに、私のお尻の様子を吟味し鎮静用のクリームを塗るために部屋に入ってきた。そして、いつもとは違うことが起きた。母は自身が与えたお仕置きのダメージを一目見るなり泣き崩れたのだ。

 「どうして、パメラ・アン、ほんとうにごめんなさい!」母はすすり泣いていた。「考えなしにこんなこと。ああ、可哀想に、ママを許して頂戴」

 娘のお尻をひっぱたいた後に、母がこんなに後悔しているのを見たのはこれが初めてだった。私は自分のお尻よりも母のほうが心配になってしまった。

 「まず冷やさないと」と母は続けた。「ママ、やりすぎてしまった。あまりにも怒っていたから。約束する。もう二度とお尻をひっぱたくことはないからね」

 母は冷却効果のある医療用クリームを私の大きなお尻にそっと塗り広げ、熱を冷まし腫れを抑えるために氷嚢を作り持ってきた。母はまだ泣いている。

 私は言った。「ママのこと責めたりしないよ。わかってる。大丈夫だから」

 お尻をひっぱたかれた後で母を慰める日が来るなんて、私はよもや想像もしていなかった。

 次の日、私は一番薄手のショーツすら履くことができなかった。私はブラと長い丈のエプロンだけを身に着けて、叩かれて傷んだお尻を覆うものが何もない状態で朝食を取らなければならなかった。キッチンカウンターのところで立ったまま食べざるを得なかったのは言うまでもない。私のお尻は激しく日焼けをした後みたいな感覚で、普通に座れるようになるまで9日間を要した。これは私の人生で最高に厳しいムチであった。しかし、母は約束を守った。私もグレッチェンもそれから決してお尻を叩かれることはなく、一度オードリーがひっぱたかれたきりであった。ヘアブラシは二度と使われることはなかった。別れを告げた浣腸との再会は今でも金輪際願い下げである。とはいえある意味で、お饅頭みたいに腫れあがったお尻を贖いに妹二人を救えたのは喜ばしいことだと私は思っている。母の記憶を引き出して狼狽させたくないから、この最後のムチについて二人で話したことはこれまで一度もない。私は今も、母と良い関係を築いている。

iwayuru