正義感がない人は好かれる

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今日において一介の素人がネットで何かをやろうと思ったら、「まとめ」ということになる。決してそれは無為な作業ではあるまいし、有益な発言だけ拾い集めることは効用があるだろう。まとめてる側に深い知識があるわけではないから、デマをまとめてしまう問題もある。レスの内容の真偽を精査した上でまとめていては速度に欠けるし、吟味するのに膨大な時間を掛けるくらいなら、自分で記事を書いた方がいい。だから何となく見てよさそうだと思ったレスなら、検証せずに載せるわけだ。これは倫理的に問題がある。だが倫理的に問題があるのは好かれるので問題がない。街を歩いていて、いかにもクズというヤンキーがいたら、一般人は嫌悪感を抱くわけだが、彼らは仲間内では好かれていて友達もたくさんいる。悪人は好かれるのだ。友達が多いし、女にもモテる。人間が最も嫌うのは正義である。その一方、ワイドショー的に(愉快犯的に)誰かを攻撃する正義は大好きだというのもあり、そこがまとめブログの人気のひとつだ。まとめブログの管理人は人間のクズなので親しまれている。個人がガチで正義を唱えるのは憎悪されるが、みんなでワイドショー的に(愉快犯的に)晒し上げるのは好まれるので、浮浪者と同程度の知能のまとめサイト管理者は時代をリードするのである。

素人ブロガーとして過去最高の影響力を誇った真性引き篭もりが落ちぶれたのも、正義で他人を吊し上げる性格の問題だった。真性引き篭もりは恐らくアスペルガー症候群であろうし、視野が狭く偏執的な性格の持ち主ではあるが、それでも天才的な観察力があった。アスペルガーは視野が狭いかわりに、一部分にロックオンして掘り下げていくので、鋭い洞察をしてみせることもある。真性引き篭もりはネットで他人を攻撃し続けていた。真性引き篭もりは、まとめブログと違って、決して愉快犯ではなかった。真性引き篭もりはガチの正義だった。本来こういう人間はすごい嫌われるのだが、はてな界隈では真性引き篭もりがワイドショー的に消費されたので、かなり多くの読者を得たのである。

真性引き篭もりが落ちぶれたのは、彼が自己嫌悪に陥り、更新が止まり、一時はブログを閉じたからである。その後に復活はしたのだが、ブログは更新を長期間止めてしまうと終わりである。真性引き篭もりはアクセスを回し合う集団にも入っておらず、また彼が復活した頃にはアルファブロガー文化は終わっており、津田大介をはじめとする二軍の文化人がネットを支配していた。真性引き篭もりははてな運営をよく糾弾していたが、これは本当に嫌っているのではなく、はてなと親和性があったからである。長文で他人を糾弾するスタイルが、はてなダイアリー的だったので、真性引き篭もりは文化的共通性を感じていたはずだ。真性引き篭もりが再開した頃には、はてなダイアリーの活気もなくなっており、素人ブロガーなど相手にされない空気が作られていた。実名の文化人が偉くて匿名の素人はクソという風潮を津田大介が作ったからだ。

真性引き篭もりが長期的に停滞し、「僕は他人を傷つけてきた」とか反省の言葉を泣き言のように述べていたのは、決してネットでの行為の反省ではあるまい。正義の化身である真性引き篭もりが、リアルライフで底なしに嫌われてきたということなのだ。真性引き篭もりがリアルで嫌われてきたのは想像に難くないし、彼自身も、リアルでいじめられ続けた人生であることを書いていた。彼が生涯通して嫌われる原因だったアスペ的正義感は、はてなではワイドショー的に楽しまれており人気があったのだから、ネットで挫折したわけではないだろう。あの長期の更新停滞は、自分が嫌われてきた生活史への無力感だったのだ。他人の矛盾を暴き立てる能力が、他人から嫌悪される最大の理由であることへの絶望だった。

普通のわれわれの人生経験から考えても、真面目で好かれているのは、温厚で人当たりのいい人間だったはずだ。正義の怒りを抱えているようなアスペは「真面目」ではあるのだが、彼らは好かれない。真性引き篭もりのような激昂型の人間から「おまえは矛盾している」と糾弾されて喜ぶ人間はひとりもいない。彼は観察眼があるから、その正義による指摘は正しいのだが、図星を突かれれば突かれるほど憎悪は膨らむ。

言うまでもなく、憎まれたから駄目だという話ではない。温厚で人当たりのいい真面目な人は好かれるから、そうなりなさいというわけでもない。真性引き篭もりは、どれだけ嫌がられ憎まれても、激昂しながら他人の図星を突き続けるべきだったとも思う。不正義を暴き立てられて喜ぶ人間などこの世にはひとりもいないが、その一方ワイドショー的な娯楽は求められている。真性引き篭もりというガチの正義を唱えて激昂するアスペが、はてな民からワイドショー的に消費され愛されるという幸福な状況はあったのだが、彼はその均衡を破壊してしまった。このあたりは人生の選択の問題であり、真性引き篭もりは日和ったのだ。その日和ったことは過去に確定的になされたことなので、タイムマシンで戻って日和らなかったことにするわけにはいかない。正義というのは嫌われて挫折するものだが、真性引き篭もりの終わりもそういうことなのである。
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