この引越しで、断捨離できない自分に気がついた
ビックリだった
笑
だって何でもかんでも、片っ端から捨てて来たと思い込んでいたから・・・
まずうちには本が半端なく多い。
書籍が詰まった重たいダンボールは、そのままになっています。笑
私自身は最近は読んだら売る、というのを繰り返しているので殆ど手持ちは無いのだけど、夫と子供たちの本の数はスゴい…
だけどそれを、引越しの時「処分してよ、邪魔だよ」とは、思わなかったのよ
それでこの大量な本の山と、
あと子供達の作品集も、今までの学校の課題なども一つも捨てられなかった
全部丸ごと、持ってきました。
教科ごとの終わったノートなどは捨てたけど(息子のはまだ一年分だし、見返したいので捨てられないが…)
人間関係も、
重たくなったら捨てる、去る去られるを
ずっとやって来たかと思っていたが、
本当はただ、寂しかっただけだった

寂しくなる前に自分から去っただけだった
去られた場合も同じ、
「人間関係とはそういうものだ」と慰めてきた
そうじゃなかったら、苦しく寂しくなるだけだったから。
でもわざわざ捨てては、結局は寂しい思いをすることが多くて、それは
愛がそこにあるのに
愛を置いて来たからじゃないかと気がついた。
世間では断捨離とか、ミニマリストとか
なるべく身軽に生きていくことが
流行っている風潮があるけども、
確かに本質的に、その人にとって大事なことを当たり前に大事にするのにその思考は必要と思うけど、
あまりに何でもかんでも「断捨離」すればいい、スッキリさせればイイというものでもなく
・・・言語化が難しいのだけども
そのまま置いておく。という事柄も、
世の中にはいっぱいあるんだな
ということかな
なんか、よーわからんけど、これはこのままでもイイかなということは、きっとあるんだと思う
あとわざわざ断捨離しなくても
本当に要らなくなった時は、
自然と別のものに置き換わっていくという事も、
この引越しでとても感じた。
前の家は結婚当時、手頃な中古マンションを買い、好きなようにリフォームして暮らし始めたのだけど
16年も住む間に、あちこち細かいところが壊れて、気が向けば修理もしてきたが、
いずれ新しい家に引っ越すつもりでいたから、そのままで暮らしていた部分も結構あった。
壊れた箇所もあったけど、
中古マンションだったけど、
景色が綺麗で、海が見えて、
何より家族がみんな、仲良く健康に暮らして来たあの家が大好きだった
当初は、周りの新築マンションを見て、羨んだりもしたけれど、
結局は本質的なところを大切にしていたからなのか、
購入時よりだいぶ高く売れた。
スムーズに手放せた。わざわざ断捨離しようとした訳でなく、私たち家族にとって、もうあの家は「おしまい」だったということだろう
そしてまた、リノベして生まれ変わって、次の誰かが有効活用してくれるだろう

そんな風に、そのときそれぞれのための
お役目みたいなのがあって、
人間関係もモノもなんでも。
順繰りその時に必要なものが自然とやってきて、巡りめぐって行くのだろうなーと
体感しました

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