2A 2021/04/21版
第2回 怖いもの2
怪獣、聖獣—大きいモノと小さいモノ 巨人と人形のイメージの狭間
ゴジラとは、原爆と自然災害に怯える日本的な恐怖が作り出した巨大な存在である。
一方で、我々は新型コロナウイルス(COVID-19)という目に見えないほど小さなものの恐怖に怯え、世界が混乱のなかにある。その両方ともが、怪物といえる不気味な存在ではないか?
初めに 当講義の目的
「メディア・イメージ論」。第2回は怪獣、聖獣について論考する「大きいモノと小さいモノ 巨人と人形のイメージの狭間」です。
大きいものと、小さなものの両方について話したいのですが、時間の制約もあるので、片方の大きい方だけを授業で扱います。残りの小さい方の論考は、参照にして頂きたい文献とメモ的なものを別ページ(B)に、置いておきます。興味ある方は読んで下さい。
さて、怪獣なんて聞くと、特撮や、SFの世界が中心の話ばかりのようですが、そうではありません。もちろん、それも含みますが、怪獣もいれば聖獣もいるのです。
蛇は、火を噴く悪しき龍であり、そのパワーは、崇拝の対象として、崇められてきました。中国では皇帝のシンボルが龍でした。
そのような獣―ビーストは、人ではない特別なものとして、我々の自然観、世界観によって作り出されています。
見えざるものを、イマジネーションの力で可視化したものなのです。それら、怪獣や、聖なる獣は、人類の歴史とともに、生き続けてきました。
たとえば、一角獣をモチーフとした「マイ・リトル・ポニー」や、東欧の森の怪物トロールを、モチーフとする「隣のトトロ」なども、新しい聖獣のひとつに、あげられるかもしれません。
ギリシャの神話に、始まりを持つ、星座と、星占いも、広義的には、ここで取り扱おうとする、畏敬の存在、幻想的なものとしての、聖獣、「怖ろしいもの」のひとつに含まれるかもしれません。
そのようなモンスターたちは、必ず物語をもっています。
多くの場合、龍や、鬼や、妖怪は、気持ちが悪い、怖いものだけでなく、強大な力の象徴とされています。力をもった存在である神様も「触らぬ神に祟りなし」と怖れられ、崇められますが、それらは共通のものでもあるのです。
人間は怖いものを想像して、その怖さを崇めてきました。また、得体のしれないものに、物語や、形状を与え、自分たちの世界へ引き寄せてきました。
今回は、怪しげなるもの、未知なるものの表象から、人間とイメージの関係性を探求していきます。
A ビデオにより概要説明。(4分)
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第2回 怖いもの2 怪獣、聖獣—大きいモノと小さいモノ 巨人と人形のイメージの狭間
1 怪獣
・特撮展(2012年)
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/137/
特撮映画とはなにか?いったいなにを撮影していたのか、どういう視点を生成していたのか?
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巨大な生物と簡単に壊される街でありつつ、見るものにとっての小人の視点が生まれる。
・オリンピックとウルトラマン
日本の特撮映画の歴史におけるメルクマークといえる「ウルトラマン」は、前回の東京オリンピック(1964年)のあとに作られました。ウルトラマンとは、高度成長期、科学と進歩の時代を象徴するヒーローです。
そのデザインは、日本の国旗の赤、科学を象徴する銀色を彷彿させます。そしてその形状は弥勒菩薩と等しく、仏教的イコン性を伺わせます。まるで強大な仏像が動きだし、人々の街や財産に被害を及ぼす悪しき怪獣をやっつけるようでした。
東京オリンピックの時、Cという言葉が流行りました。いまなら優れているのは、Aですが、そのころはABCのCでした。凄い技が決まると「ウルトラC」だったんです。
ビタミンの重要性が叫ばれたのも無縁ではありませんが、「オロナミンC」、「ビタミンC」「アリナミンC」または「チオビタC」様々な商品のネーミングには、そんな時代の名残が伺えます。
このウルトラCが、発端となって制作されたのが「ウルトラQ」という特撮怪奇ドラマでした。怪獣や宇宙人がやってくる物語で、Qはクエスチョン、謎のQです。
大ヒットした「ウルトラQ」に続いたのが「ウルトラマン」です。
そのデザインは、仏教の弥勒菩薩でありながら、科学の銀色、さらに日本の日の丸の赤という、多くの人がオリンピックでみた、アスリートたちの姿とともに感じていた新しい時代の要素が散見されます。そういえば、この時代を代表するプロレスラージャイアント馬場のトランクスも赤でした。白人レスラーをやっつける馬場選手の赤いトランクスは、多くの人にがんばる日本を想起させたことでしょう。
ウルトラマンがやっつける怪獣や宇宙人は、その反対で、津波や、土砂崩れや、火事なおど、自然災害を象徴するようなデザイン、すなわち、メタ化して、オーバーに表された制御不可能な自然です。
そのように捉えて見ると、最初のウルトラマンとは、「科学VS自然」の物語なのです。自然、ネイチャーは破壊され、駆逐されるべき存在でした。
・機械化された超人の銀色と対応する、自然のディテールとデフォルメによる怪獣デザイン
ウルトラマン 怪獣ランド .Ultra-man monster land
・モンスター、怪獣とはなナニカ?
得体が知れないものを、おおきすぎて理解出来ないもの強大なものの象徴です。規模や、恐怖の対象であれば、政府や国家などの力と権力の象徴となる場合もあります。
旧約聖書に登場する海中の怪物「リバイアサン」は海の悪魔ですが、トマス・ホッブズが著した政治哲学書(1651年)にも同じ名前が与えられて、表紙には多くの人々が合体して成立している王の姿をした巨人が描かれていました。
台風、地震、目に見えない疫病、どくの存在なども怪獣(モンスター)として喩えられます。特撮ものでは、それらの象徴が、受肉化した生き物として登場します。
一方で、その存在は、映画やテレビだけでなく、太古から、伝説や、民話や、説話として表されてきました。
ハイブリッド
レオポン
化け物
化身
変身(メタモルフォーゼ)するもの。表れたり消えたりするもの、妖怪などです。
2 聖獣
・竜の信仰
モンスターといわれる存在は、伝説や、宗教にも登場します。
龍、ドラゴンは、火を吐く魔物でありながら、守り神として世界中で崇拝される対象です。中国では皇帝のシンボルとされます。火を吐く龍は、地脈、大地、火山または、川や、雲など、様々な自然のパワーの象徴として、世界中に神話をを残しています。
竜、龍は、蛇とも深く繋がりをもつモンスターです。食べなくてもいきていく蛇の生命力は、「ウラボロスの蛇」の表象により、循環や、継続の象徴とされます。
WHOのマークや、アルファロメオのマークにも、そのような蛇があしらわれています。
前回の講義で取り上げた、「ドラキュラ」は、ドラクル—竜王、ドラゴンと深く繋がりを持つ名前です。
八岐大蛇を退治するスサノオの尊の伝説など、世界中の英雄神話は、ドラゴン・スレイヤー(龍を退治する物)の神話でなりたっています。
雲や、川の流れや、森や、霧に霞む山並みなど、様々な物が、龍に喩えられます。人間はそのDNAに蛇の恐怖を記憶しているといいますが、同じく、巨大な蛇のうねりを感じさせる様々な自然現象に、私たち人間はは龍を奇想してきました。
龍の流動的な形状は、パターン(文様)として、世界中の美術
表現やデザインと深く結びついています。
・美術作品における神話的表層
ゴヤ、ブリューゲル、ボッシュ、プッチーニ…
現代の神話的絵画およびその周辺—やなぎみわ、やのべけんじ、相田誠、小沢剛、岡本太郎の仮面…
または、水木しげるの妖怪など、モンスターは怖さや象徴性を越えた、新しい社会的コードとして表象されてきました。
・身体が捉える大きさ
当講義は、最初に特撮展覧会の紹介、日本を代表する怪獣退治の物語—ウルトラマンにおける怪獣の存在について紹介した。巨大なモンスターの物語は、小さくなった自分という、映像的身体—イメージの生成を発動する装置でありながら、壊される都市を眺めている客観的視点—神のように俯瞰の眼差しの両方を生成する。
備考:建築家コルビジェ、ダ・ヴィンチは、ともに身体モジュールを描いている。それは彼らにとって、芸術作品、また建築的空間を作り出すための尺度であった。
ここで考えて頂きたいのは、大きさについての感覚である。コルビジェが「モジュロール」によって思考したのは、身体と建築空間であり、ダ・ヴィンチは、人間そのものの身体、形状やディテール、様相であった。しかし、それとは別に、世界をそう理解するか、把握するか、イマジネーションの発動には、同様に身体のスケーリングが関係しているということである。
犬でも、猫でもいいし、他人でもいい。大きな犬だなと思うのは、なぜか?そこには、自分が抱えている、対外的なイメージの規約が存在する。
ふたたび、今回論考してきた「怪物」や「聖獣」の場合、だれもが見たことがなく、想像の中で思いをはせる対象であるが、それゆえ、自由自在に、大きくもできる。その場合は、個人の大きさへの想像力の限界といった、物理的な世界観の規約も発生する。
そうはいっても、あいまいなのだ。あいまいだから怖いし、あいまいだから、ロマンをかき立てる。SFのドラマや、CGIや特撮によって作りだされる、怪獣の物語が、提示しているのは、そのようなあいまいな我々の感性の発動を補助するようなものなのかもしれない。
相変わらず、ビデオ・プロジェクションや、マッピングなんてものが、もてはやされています。地域と直接的結びつきをもたない、新しい祝祭的体験空間として、多くの人たちを魅了しているようです。
ところで、よくよく考えて見て下さい。これらのショーは、もうなにかしら、サイトスペシフィックなその場所に特化したプロジェクションなどおこなっていません。
実は、巨大な映像に内包される体感的な映像のショー、すなわち、今回論考した、大きなものと対峙する体験を提供しています。
padから、サイネージ、ウォール、その先には都市自体が映像化してしまうような、世界を私たちはデザインする日が、あっというまに来るのかもしれません。
3 まとめ
「怖いもの―モンスター、怪獣、妖怪」とは、人間の恐れが、想像するもの、についての考察でした。
大きいモノに向けられる恐怖、不確かさは、目眩(めまい)にも似た、幻惑を生成します。
外界を知覚しようとする人間にとって、心象から誕生する内的なる未知なものは、割り切りようもなく、よりいっそう、得体がしれないものへと、フィードバックをおこすのです。
人間は、怖さを増長させるとともに、エレガントで、ロマンにみちた想像の袋小路を、精神の中に作り出すのです。
そのような人間的な感性が、これらの怪物や聖獣を創造してきました。
このような人間の感性が、信仰、あるいは、文学、ゲームや、映画、文様といった、芸術やデザインの形成にに深く関係してるのです。
崇高さとは、畏敬の念によって成立する、もっとも人間的美意識のひとつです。
それは深く、信仰や、神話と結びついて、文化的創造性の原動力となってきました。崇高さを思う意識にも、怖さの要素が、深く含まれるのです。
以上 約 3000文字
大きいものについては、以上です。 以外とコンパクトにまとまってしまいました。
ここまでを読んで終わっていただいてもOKですが、もしまだ足りないと思う方は、Bの小さいものについて—「北山晶さんのテキスト」を読んで下さい。人形というもの、つまり人の形をしたアバターとなる表象—イメージについての論考です。
ビデオ。プロジェクションやマッピングなんて、手法が、現在巨大な映像を体験するイベントと化している。
『ブレードランナー2049』や『ゴースト・イン・シェル』に登場する巨大な女性たちのイメージ。
・出籍(レポート提出)に関して :内容、〆切、提出先など
今回配信分(4/21)の授業の、小レポートの提出をお願いします。
150文字以上で感想、質問、ご意見を書いて下さい。これで出席とします。
簡単な文章で構いません。
提出期限は、当講義公開日から7日後の 4/27日火曜日の24時までとします。(〆切日程が変更になりました。)
トップページにあるとおりのルールで、必ず、あなたの学籍情報を提出ファイルの冒頭に書いてください。
学籍番号+学科とコーズ名(メ芸か情デか)+学年+氏名+氏名のカタカナ表記+「授業が配信された日付」
「」は、—4/21 とか、そのデータが公開された日付です。
記載例 : 90417003-情報-情デ-5年-佐々木成明-ササキナルアキ-5/27
提出先はグーグルクラスルームに書いてあります。
・次回予告
4/28㈬ 9:00に、第3回講義「ヤンキー芸術論1 中世 仏教と闘神 風流と芸術」を配信予定です。
毎回YouTUBEや、ウィキペディアなど、外部リンクに、たくさん接続していますが、見るのは適当にし下さい。 自己責任で、指定した時間程度で聴講・視聴するよう、心がけて下さい。