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国境を越える食:ガルガンチュアの楽園の行方

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 2009年の秋、ドイツ、ヨーロッパの食の歴史研究で抜きん出た成果をあげておられる南直人先生(京都橘大学)からメールをいただき、「東京大学の中島康博先生(大学院農学生命科学研究科准教授)を中心とした味の素の共同研究に参加しませんか」というお誘いを受けた。
 共同研究に参加してから後に知ったことであるが、ぼくが大商大の図書館広報「ぶっくすナウ」で書評(『おみやげ:旅と贈答の文化)をしたことがある神崎宣武先生は、味の素のその共同研究で出版されている「食の文化フォーラム」のシリーズ本の第20号『旅と食』の編者であった。何か不思議な因縁を感じた次第。

 南先生、中嶋先生との共同研究の共通テーマは「食の経済」。民博の共同研究の時と同様、ぼく以外は錚々たるメンバーで、少なからず緊張を覚えた。

 いろいろ構想を練った上、ぼくは「国境を越える食:ガルガンチュアの楽園の行方」と題して、次のような構成の論稿をまとめあげることになった。


    はじめに:「いただきます」の様変わり
    1. ガルガンチュアの楽園:食のグローバル化の実像
     (1)過食の楽園の創出
     (2)食のグローバル化の歴史条件
    2. 楽園のフードシステム:基礎的食材と奴隷制経済圏
     (1)香辛料:辛さと辛さの合体
     (2)砂糖:近代フードシステムの鋳型
     (3)食肉フロンティア:Big Eating の無法と放埓
    3. 楽園の中の戸惑い
     (1)世直しと菜食主義
     (2)奴隷不使用商品とフェアトレード
    おわりに:楽園の行方
  

紙数の都合で、書きたい事の3分の1ほどしか研究内容を盛り込むことは 出来なかったが、特に、「香辛料と奴隷制」の関わりを具体的に考察した点と、菜食主義の多様な歴史的意義を示唆出来た点は、一定の成果だったと思う。商品 別に近代奴隷制史を30年ほど解析して関連文献を渉猟してきたことと、Timothy Morton 編の3巻本、Radical Food を精読したのが幸いしたのだろう。

まず、「はじめに」は次のような内容。

 「元 来、食は命の連鎖の中に現れたものであり、本来は「有り / 難い」「頂く /べき」ものだった。魂が宿る動植物の命を傷つけ殺すことで得られるのが食の素材であったから、天上の神や祖先の霊に「頂く」ことや「祓う」所作を行うこ とで、はじめて食はヒトのモノとなっていた。今でも「頂きます」という言葉がのこるのは、そうしたモノとの関わりの貴重性・重要性に、ヒトが非常に強烈な 心性を長いあいだ絡めつづけていたからである(櫻井治男氏 2009年、味の素食の文化センターフォーラム報告、下山 2003)。

 ところが15世紀末葉以降、近代化、グローバル化という事態がヒトの歴史に現れた時、何が起こっただろうか? 

「近 代」世界は多くの人々の間に豊かさや快適さや便利さをもたらした反面、実のところ、「征服し支配すべき自然や他者」を創出し拡大するシステムを展開させ た。それは、「ヨーロッパの商業的進出」(川北 1970)をきっかけにまずは広大な南北アメリカの土地を略奪、やがては、あろうことか奴隷貿易と奴隷制 定住農園の有機的な連関(三角貿易網、プランテーション体制)をつくり上げ、砂糖、タバコ、カカオ、コーヒー、米、食肉などの食糧・嗜好品を世界商品化す るプロセスの展開ともなった(池本ほか 1995)。


pantaguruel.jpg 「自由」や「権利」の名の下に、社会的紐帯の軸芯に共食や直会(なおらい)といった食の作法を置いていた世界は、近代以後いわば「共食いをする世界」に転じてしまっ た、といえる面がある。16世紀以後に猖獗(しょうけつ)を極めた植民地主義や奴隷制システムの広がり、帝国主義列強の「共食いの歴史」に思い至ると、「いただきます」 とは、「オレ様がソイツをいただく」というのが第一義のトレンドになってしまったような感さえ抱かされることになる。つまりは、利己心・営利心を「自由」 という言葉で飾り、他者を薙ぎ払い、Bonanza を求め、Wilderness を Frontier と称して exploit する世界が展開したと指摘せざるを得ないことになる。 神や生き物の精霊との調和や交歓のあり方、ヒトとヒトとの相互の交わりを易くするための「交易」のあり方は、ヒトを「ホモ・コメルキウム」(交易・交歓す るヒト)として存在させ「経世済民」という本義を志向した経済を営ませていた筈であるが、近代に至って、ヒトは利己心や私的所有、市場活動の中での合理性 のみを前提として利益や財の物的価値・貨幣的価値に重きを置く存在「ホモ・エコノミクス」に成り下がったと見ることも出来る(宇沢 1977、下山 2012)。


  近代には実は、民族文化や歴史の蓄積と関わってこそ意味を持つ筈の経済、歴史と文化の一部にしか過ぎない経済が、私的な営利活動のとめど無い拡散という形 で、むしろ多くの国々や民族の歴史と文化そして環境( = 共生があってこそ成り立つもの)を復元不可能なまでに破壊してしまう事態も起こったのである。「世界 の関節がはずれた」という表現で近代の成立を直感したシェイクスピア(『嵐』)の視点、自由を奉じた近代文明がいたるところで奴隷制や差別の軛に覆われて いることを見透かしたルソー的な視点が、もっと長い歴史の展開、現時点のグローバル化の展開の中で改めて思い起こされて良いのではないだろうか?」



 香料、香辛料と奴隷制については、「香辛料:辛(から)さと辛(つ ら)さの合体」と題して、アジアにおけるコショウやナツメグなどの奴隷制プランテーションの成立と展開を一望し、そのグローバルな歴史的意義を考察した。 菜食主義は、改めて調べてみて、それが単に食の趣味や生活態度の問題だけにとどまらず、キリスト教の復興運動やロマンティシズム文芸、選挙法改正運動、奴 隷制廃止論 Abolitionism や奴隷解放運動 Emancipation movement、女性解放運動、動物愛護運動、穀物法廃止運動など各種社会改良運動とも密接な繋がりをもった極めてラディカルな社会運動だったことに気 づき、論稿をまとめながら大きな驚きを感じたものである。論稿をまとめるにあたって参照した主な参考文献は以下の通り、みなさん、ぜひ『食の経済』(ドメ ス出版出版)を買い求めて、食の経済のグローバルな拡がりの中に展開した思いもかけない史実に驚きの目をみはっていただきたい。

   

池本幸三・布留川正博・下山晃 1995 『近代世界と奴隷制』人文書院

宇沢弘文 1977 『近代経済学の再検討』岩波新書

川北稔 1970「ヨーロッパの商業的進出」(岩波講座『世界歴史』16)岩波書店

下山晃 2005『毛皮と皮革の文明史』ミネルヴァ書房

下山晃 2009a『世界商品と子供の奴隷』ミネルヴァ書房

下山晃 2009b「ゴースト・ネイチャー:北米における毛皮フロンティアの展開とエコクライシス」池谷和信編著『地球環境史からの問い』岩波書店

下山晃『ホモ・コメルキウム:交易するヒトの世界史』出版予定

鶴見良行 1990『ナマコの眼』筑摩書房

中瀬寿一 1980「大塩事件イギリスでも注目」(『読売新聞』12月11日付け)

福地曠昭 1983『糸満売り:実録・沖縄の人身売買』那覇出版社

マーチャント、キャロリン 1985『自然の死』工作舎

リッツァ、ジョージ 1999 『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版会


Garrison, W.P. 1868. "Free Produce Among the Quakers." Atlantic Monthly 22.

Glickman L.B. 2004. "'Buy for the Sake of the Slave':Abolitionism and the Origins of American Consumer Activism." American Quarterly 56.

Knaap, G.J.1996. "Slavery and the Dutch in Southeast Asia." In Fifty Years Later: Antislavery, Capitalism, and Modernity in the Dutch Orbit. Ed. Gert Oostindie. University of Pittsburgh Press.

Midley, Clare. 1992. Women Against Slavery: The British Campaigns, 1780-1870. Routledge.

Morton, Timothy, ed. 2000. Radical Food: The Culture and Politics of Eating and Drinking 1790-1820. 3 vols., Routledge.

Nuremberger, R.K. 1942. The Free Produce Movement: A Quaker Protest Against Slavery. Duke University Press.

Reid, Anthony, ed. 1983. Slavery, Bondage, and Dependency in Southeast Asia. New York: St. Martin's.