人権問題で踏絵を踏まされる側にだけ行動が求められ踏ませる側は何もする必要がないとされる異常さ | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ

人権問題で踏絵を踏まされる側にだけ行動が求められ踏ませる側は何もする必要がないとされる異常さ

テーマ:教育

 人は生きて行く上で夫々多様な人権問題を抱えていますが、今の日本で自身が抱える人権問題を口にすると、ウイグルでの人権侵害の方が酷い、ウイグルを語ってから言えとされてしまいます。

 ああそうか先にウイグルという踏絵を踏んでおけば、自分が抱えている人権問題を言って良いのだなと思って、「ウイグルで行われていることは悪いと思います」と言うと、そう思っているのであればオマエが中国へ行って止めさせて来い、それが終わってからオマエが抱えている人権問題を語れば良いと言われてしまい、自分のことは語れなくなってしまいます。

 10年前はそれが拉致問題でした。自身が抱えている人権問題を口にすると、拉致問題の方が大きな人権問題だ、拉致問題を語ってから自分の人権問題を言えとされました。
 

 ああそうか先に拉致問題という踏絵を踏んでおけば、自分が抱えている人権問題を言って良いのだなと思って、「拉致問題は悪いことだと思います」と言うと、そう思っているのであればオマエが北朝鮮へ行って拉致被害者を全員連れ戻してこい、それが終わってからオマエが抱えている人権問題を語れば良いと言われてしまって、自分のことは語れなくなってしまいます。

 日本で自身が抱える人権問題を語ろうとすると、ウイグル、拉致という踏絵を先に踏まされて、踏んだからこれで良いとして語ろうとすれば、次は出来るはずもないことの実行を迫られる、それを実行しなければ自身が抱える人権問題は話せないというのが現実なのです。

 その一方で、ウイグルを先に言え、拉致問題を先に言えと人に迫っている側は、国内で人権を主張する者に踏絵を踏ませているだけで良くて、自分は外国へ行っての行動はなにもしなくて良いとされる、余りにも不公平で理不尽なルールがこの国には存在しています。



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