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いざというとき、男は女を守らねばならぬ。何が悪い?/倉山満

いざというとき、男は女を守らねばならぬ。何が悪い?

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歴史学者の呉座勇一氏の発言は、英文学者の北村紗衣氏に対する一連のSNS上での投稿を謝罪し、アカウントを1週間後に削除するとの投稿が最後になっている 写真/朝日新聞社

 私は、礼儀正しさが取り柄の、国士舘大学で教員をしていたことがある。ある日の授業光景である。授業中におしゃべりをやめない学生が少なからずいたので、次のようなお話をしてあげた。ちょうど東日本大震災の記憶が新しい頃である。  仮に関東大震災が起きたとする。警察も自衛隊も何もできない。夜中に女の子が出歩いていたら何をされるかわからない。家に隠れていても忍び込んでくる輩が現れるのが、大災害の時だ。現に東日本大震災でもいたし、阪神大震災でもいた。だから、君たちには関東大震災が起きた時には、倉山先生と一緒に武器を持って戦ってもらう。夜中に見回り隊をやってもらう。君たちには、どの武器を持ちどのように戦うかの選択肢はあるが、戦うか戦わないかの選択肢はない。さて、いざというときに命を捨てて女の子を守る男には授業中におしゃべりをする特権を与える。命が惜しい奴は黙っていろ。  喜んでいいのか悪いのか知らないが、誰もおしゃべりをしなくなった。  当時はゆとり教育の全盛期である。ある年など教員一同が集まる年始の挨拶で、学部長に「授業中におしゃべりをやめない学生がいても、先生方の責任ではありませんから」と先に謝られたこともあった。礼儀作法が取り柄の国士舘でこれかと、頭が痛くなったものだ。  そうした時代にも、自慢ではないが私の授業は学生が静かなので有名だった。なにせ期末の授業評価アンケートで、「倉山先生の授業では、他の授業と違って、おしゃべりをする学生がほとんどいなかった。いても先生が注意をして黙らせてくれるので、授業が受けやすかった」などと書いてくれたものだ。もっとも「他の授業と違って」の部分が、極めて気にはなったが……。
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この意味で私は差別主義者である
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