地獄への道、破滅への道5
ヴァン、ついに投獄。
顔色悪く横たわる少女を前に、ヴァニアは頭を掻き毟った。何とか小康状態を保たせていたのに、すべて水の泡だ。
盛っている魔法属性も、症例も珍しいものだから試薬を作るにも、用心深く観察していかねばならないと思っていた矢先であった。
やってくれるなよ、とずっと危惧していたことが起きてしまった。
「最悪。ダメだこれ。次に大きな発作起こしたら死ぬかもしれない」
「それほどに酷いのか?」
孫娘の異変にヴァニア卿を呼ぶより自分が行くのが早い叡智の塔から拉致するように連れてきたガンダルフ。
王宮には一定以上の身分や、階級がないと通過することすらできない場所もある。自分なら最短でいけると、その巨体に似合わぬ俊敏さで駆けて行ったのだ。
凄まじい形相のガンダルフの猛進に皆腰が引けて、声を掛けるどころではなかったのもあり、誰一人呼び止めなかった。
突然、巨大な熊如き老公爵に首根っこを掴まれたヴァニアは、流石に命の危機を感じた。
だが、この国の王太女の名前が出てきたところで納得した。
「ですね。殿下は『怒り』の感情のコントロールが下手くそか、相性が悪い……ううん、良すぎる。
感情の高揚で魔力に波ができることはあるけど、殿下は特にピーキーだ。
基本的な性格が穏やかだったし、自覚も薄かったんだろうね。
ラティッチェの公爵閣下が家に閉じ込めていたのも、今思えばこの性質が一番大きな原因じゃないかな」
「グレイルが知っていたと?」
「知らない方がおかしいよ。王太女殿下への溺愛は相当なものだった。使う物から関わる人間関係まで支配に近い管理をしていたって噂だし。
だって初診の時点でやることっていうか、できること殆どなかったですし?
王太女殿下には既に魔力の制御や循環をスムーズにして、体を保護する術式が張り巡らされていた。
あんな超絶技巧、並みの魔法使いじゃ一生かかってもできやしない。
それも、一度や二度じゃなくて何度も作っては変えて細かい調整も入っていたから、常に最適化してあった。
しかも相手が生体なうえ、魔法属性や特性がかなり稀少で変則的なタイプだからかなり難しいはず……下手に触る方が危ない。
殿下付きの侍女、薬草や香草に精通している。家に温室作ってたそうだし……滋養もそうだけど、精神安定に効くハーブティーを煎じている。健康面だけでなく、そういったところですら精神面の揺れに対しての対策を日常的に行っていた。
使っているのも、一匙で平民の月給以上だよ? あれだけガチガチに中からも外からも守ろうとしてんだから」
徹底しているにも程がある。
アルベルティーナの側近であるアンナから、ラティッチェ時代の幼少期からの生活を聞いて絶句した。箱庭育ちにも程がある。結界育ちといわれても納得した。
愛娘のためとはいえそこまでやるグレイルも凄いが、ヴァニアがアルベルティーナの立場なら窮屈過ぎて発狂する。
「……それほど凄いものなのか?」
「うん。どういう頭してたんだろう、あの人。しかも隠蔽工作済み。
私ですら、クロイツ伯爵と『なんか違和感ある気がするけどなんだかわかない』って頭付きあわせてたレベル。
何度か往診して気づいたから、魔法学と医学に精通していても感覚が鋭くないと分かんないレベル。
はあああ~、ったくあの魔王サマは本当に万能ですこと。
カインにライバル心燃やしている暇あれば、生きているうちに土下座して弟子入りすればよかった」
唇を尖らせて拗ねるヴァニアの頭を掴むガンダルフ。
節くれだった手でガッツリ掴まれたヴァニアは、頭蓋が軋む音がした。
「無駄口を叩くなら、アルベルティーナを治す方法を考えろ」
「無理っ! むぅりぃ~! 十数年の間、研究してたっぽいラティッチェ公爵閣下ですら緩和か延命治療どまりですよ!? 根治なんて無理!
できるのは精々微調整くらいしか……」
「――治らない?」
ガンダルフの巨躯で気づかなかったが、後ろにはジュリアスがいた。
眼鏡の奥の瞳を大きく見開き、顔をこわばらせている。
ガンダルフを突き飛ばすように押して、ヴァニアに近づくと胸倉を掴んだ。
あっさりと体を持ち上げられ「ぐぇ」と小さく潰れた悲鳴を上げるヴァニア。
「どういうことだ。そんなにアルベル様のお加減は悪いのか? そんなこと聞いていないぞ」
今にもヴァニアを縊り殺しそうな眼光だ。
流石にこの状態ではふざけることもできないらしく、ヴァニアは説明を始める。
「そりゃ、今回で一気に悪化したんですから。言っていたでしょう? あのお姫様は肉体に対して魔力が強すぎるって。
強いストレスを与え過ぎると、体に思いっきり影響が出るって」
「ストレス? ストレスからくる魔道具への干渉も減っていた。あの人の面会人は厳選していたはずだ!」
だからこそジュリアスが小まめに様子を伺いに行っていた。
キシュタリア、ミカエリスが不在の中ではジュリアスが顔を出すしかない。信用できる味方の少ないアルベルティーナの、僅かな安らぎにでもなればと心を砕いた。
その裏で己の地盤を固めながらも、アルベルティーナの害悪を着々と排除しに動いていた。
「ヴァンの奴ですよーっ! 懲りずにまた殿下に無心しにきたんですーっ! よっぽどの地雷を踏んだんじゃないですかー? あっちが餌かネタを持っているか知らないけど―!? どんな弱みを握ってるかは知らないけど、姫様が会いに行っちゃったんですよー!」
ヴァンのことだって落ちぶれる寸前まで追いつめながらも、暴走しない様に手加減した。
アルベルティーナだって留飲を下げ、落ち着いたはずだった。
ヴァンは先触れ無しに来れる立場ではない。あちらからの打診なら、ジュリアスが止められたはずだ。恐らくアルベルティーナから呼び出した可能性が高い。
ジュリアスはアルベルティーナの怒りを読み違えたのだ。
彼女の決して多くない地雷を次々踏み抜くマクシミリアン侯爵家一家を、彼女は悪い意味で執着している。
「クソ! ……殺しておけばよかった」
小さく悪態をついたが、傍にいたヴァニアにはばっちり聞こえていた。
ジュリアスの憎悪の滲み出る声に「ワー、物騒。こっわぁ、姫様この男ヤベーよ」と顔を背けている。前々から物騒な色男だと思っていたが、予想以上に危険だった。
吠えるだけの馬鹿などはヴァニアも良く知っているが、ジュリアスは言葉を事実にしておかしくない男だった。
アルベルティーナに接するときの甘やかな声音とは違い、ドスの利いた鋭く低い声だった。
ヴァニアは、さっさとこの危険人物を何とかできそうな相手に押し付けることにした。
「ジュリアス様、元気が有り余ってるなら殿下に会いに行っては? ずーっとアンナっていう侍女が看病についてるけど、いい加減寝ずの番もきついはずなんで」
アルベルティーナは心を許していない人間が近づくだけでストレスだ。
魔力の感知能力が非常に鋭く、余り人を多く近づけられないのだ。
ジュリアスも、アルベルティーナの前では殺気は仕舞うだろう。
「……そうさせてもらいます。よろしいですね、お義父様?」
それは確認というより決定に近い響きを持っていた。
それでも、可愛い孫娘の体調を優先させたガンダルフは無言で首を縦に振った。
ここには用はないとばかりに立ち去ろうとする背に、ガンダルフは声をかける。
「ヴァン・フォン・マクシミリアンはアルベルティーナへの暴行で牢に入っている」
「あの男、ついに暴力を?」
思わず、ジュリアスの脚が止まった。眼差しが冷ややか過ぎて、近くの騎士がたじろぐほどだ。
マクシミリアン親子の横暴は顰蹙の的だった。今までアルベルティーナに免じていたところが大きかったが、ついにフォルトゥナが動いた。
「今回は触れてもいない。だがそれに匹敵する妄言を吐いていたこともあり、誰も庇うことなかった」
「そうですか。縋ろうにもアルベル様が倒れてしまえば誰も聞き入れてはくれないでしょうしね」
「下手に口封じされても困るからな。あの家には裏がある。
最近、王都では変死体が多い。ヴァンが脱獄し、同じように偽装されてしまえば無理やりこの件も終わらせられそうだからな。
その死体も顔の判別できないもの、体の足りないものなどピンキリだがな」
どこでどんな涙ぐましい庇い合いが起こるか分からない――口封じも起こる可能性もある。
あの単細胞がどれだけ真相を知っているかも怪しいが、そもそも言動が悪すぎて恨みを買い過ぎている。
「……レナリアの件といい、碌でもない息が掛かっていそうですからね。
しかし、変死体ですか。何かの事件? それとも例の魔物の残党が王都に?」
「解らんが、どうも出口は一つでない気がする。わざわざ出所を誤魔化すためやっているのだろう」
「死体を傷物に揃えるとは、何とも気味が悪いですね」
「これは伏せられているが、この変死体は平民だけではなく多くの貴族出身者が犠牲者にいる可能性が高い。
死体を検分した医者によれば平民にしては随分よい食事を摂っている。最低でも中流、もしかしたら上流階級らしい。
どうもきな臭い。お前も怪しげな誘いにはくれぐれも気を付けろ――義理の息子とはいえ、フォルトゥナを名乗るならへまはするな」
「承知いたしました。情報提供に感謝します」
険しいガンダルフの表情とは正反対に、ニコリと何か裏を感じる程に完璧な笑みを浮かべるジュリアス。
社交界で怪しげな話は少なからずある。
ジュリアスも虎穴に入らずんば虎子を得ずというし、それなりに足を踏み入れたことはある。当然、引き際は心得ている。危機察知能力だって高い。
そうそう失敗はしない――だが、改めて用心をするに越したことはなかった。
ジュリアスは例えるなら蛇です。シルバーと黒のバイカラー。細くて華奢で美しいのですがとんでもない猛毒を持っている。きっと舌が鮮やかな紫色。
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