黒鍋副店長と二人の客
本編「兄妹話」(https://ncode.syosetu.com/n7787eq/86/)、黒鍋副店長のお話です。
店の多い通りでも、うちの店は特に目立つ、黒い屋根に黒いレンガの三階建てだ。
看板はなく、遠くからでも見えるよう、壁に白文字で『
料理のうまさとメニューの多さが売りである。
「お疲れ様でした、明日もよろしく頼みます」
「お疲れ様でした!」
店の掃除後、最後の店員達が出て行くと、ドアに鍵をかける。
戸締まり確認も終わったが、今日はもう少しだけ店にいることにした。
自分はここの副店長、店長は妻の父である。
結婚の挨拶をしに行ったとき、彼が出した条件は、魔物討伐部隊をやめ、この黒鍋を継ぐことだった。
「魔物討伐部隊の仕事が本当に大切なものであるのは存じております。それでも、私はいつあちらへ渡るかわからぬ方を、娘の夫としたくはありません」
そう、きっぱり言われた。
膝の上、握った拳は震えていた。
妻には父の許しが得られなくても結婚はできるのだから、気にしないでと言われた。
だが、本音で話せば、やはり安全な仕事をしてほしいと思われていた。
半年悩んだ末、剣を手放す決心をした。
二度目の挨拶に行ったとき、妻の父に深く深く頭を下げられた。
自分も下げ返した。
結婚で魔物討伐部隊をやめると告げた日、隊長にも副隊長にも祝いを口にされた。
仲間達には結婚がうらやましいと、大きい店の婿だから安心だな、飲みに行ったら割り引いてくれなどと、笑顔で言われた。
結婚と隊をやめる話をしたら、自分の家族もとても喜んでくれた。
魔物討伐部隊は名誉ある仕事だと、家族で祝ってくれたのはたった数年前。
十年も超えぬうちに隊をやめる自分を、誰も責めなかった。
ただ一人、残念だと言ってくれた者はいたが。
『追い出し会』という名の送別会をしてもらい、自分は笑顔で隊をやめた。
「こんばんは、久しぶり」
店に立つ自分に声をかけてきた男に、見覚えがなかった。
「いらっしゃい……あれ、ヴォルフだよな?」
「ああ。今日は奥、空いてる?」
一拍おいてからヴォルフだとわかったが、なんともいい変装用眼鏡をみつけたものだ。
緑の目は金の目よりは目立たないが、感じる優しさが増しており、結局は男前だった。
少しふくよかになった自分と違い、その長身痩躯は相変わらず、顔の艶まで上がっている。
神はこの男に盛りすぎである。
奥の個室へ通そうとして、後ろにいる赤髪の女性と目が合った。
会釈をしてくれたその優しげな目は、変装用眼鏡と同じ緑だった。
ヴォルフは今まで女性を伴って現れたことはない――そう考えて、訂正する。
彼が今まで、自分の隣に女性をおいているのを見たことはない。
相手から声をかけられた、告白された、くっつかれたは別にして。
個室へ行った二人に、酒と料理を運ぶ。
元隊員仲間なので、店員ではなく自分が行った。
ヴォルフに向かい、『妹さんに』と言ってみたら、さらりと否定された。
伯爵家の彼が隠すこともない、どうやら『いい人』らしい。
赤髪の女性は貴族か、大きな商家のお嬢様あたりだろうか。
口に合うか気がかりだったが、酒も飲み、料理もしっかり食べてくれているようだ。
時折わずかに聞こえてくる笑い声に安堵した。
「これはサービス。ヴォルフにはブラックペッパークラッカー。お嬢さんには、
ヴォルフの好物と、女性向けにかわいいピンク色のチーズケーキを持っていったら、よく似たうれしげな
どうやら自分のお勧め品は当たりだったらしい。
「ありがとうございました。またどうぞ、黒鍋へ!」
夜までゆっくりとしていった二人は、笑顔で店を出て行った。
ヴォルフは、こんなにやわらかく笑うことができる男だと初めて知った。
見送る自分も笑顔だった。
しばらくし、店を閉める時間となった。
片付けに掃除にと動き回り、店員を見送って店を閉めた。
身体はそれなりに疲れていたが、本日このまま帰るのはまずそうだ。
妻は察しがいい方だ、おそらくは気を使わせる。
好きな銘柄の蒸留酒を出すと、小さなグラスに
水も氷も足すことはない。
その辛さで、思い出を薄めたかった。
自分のように、魔物討伐部隊をやめる者は多い。
命懸けの戦いに長い遠征、結婚や家を継ぐ、あるいは心身の問題もある。
やめるのを引き止めてはいけない、それは暗黙の了解だ。
笑っておくってやるのが一番いい、そう自分も思っていた。
けれどヴォルフだけが、自分が隊をやめるとき、残念だと言ってくれた。
送別会、酒を注ぎに来たわずかな時間、小さな声で、『残念だけれど、元気で――』と。
ヴォルフは同期だが、友人と呼べるほど親しくはなかった。
話した回数もそう多い方ではない。きっと深く考えての言葉でもないだろう。
伯爵家の子息で、隊でも先陣を切る
どんな魔物も一切の迷いなく斬りに行く、勇猛果敢な騎士。
どこか人を寄せ付けぬ気配のある彼は、自分が見上げるばかりの存在だった。
それでも、まちがいなく仲間だった、彼にもそう思ってもらえていた、それがうれしかったなどと――
思い出すそれは少し痛く、それでいて忘れたくはない。
「未練、か……」
魔物討伐部隊への未練、騎士への未練、剣への未練。
内でわずかにくすぶるそれは、いつになったらきれいに消えてくれるのか。
己で決断しての今なのに、情けない話だ。
グラスの琥珀は薄めもしない辛さ。
これを飲んだら、あとはまっすぐ妻の待つ家に帰ろう。
明日もまた、副店長として『黒鍋』の切り盛りに頑張らなくては。
まだまだ店の運営も料理知識も足りぬ自分だ。
義父の力になるより、教えを乞うことの方がはるかに多い。
『黒鍋』という店の名は、その義父の命名だ。
客をとろけんばかりの幸せに浸らせることを目指してつけたそうだ。
自分は妻と生きるために、それを継ぐと決めた。
今度、魔物討伐部隊員達が来たら、とびきりうまい料理と酒で、財布の中身をとろかしてやろう。
ついでに遠征の辛さも魔物との戦いのしんどさも、ほんの少しはとけるように。
ヴォルフがまたあの赤髪のお嬢さんと来たら、ハート型の器のミルクプリンに、赤い薔薇のソースをたっぷりかけて出してやろう。
そして、二人が食べ終わってから、それが隣国の婚礼料理だと教えてやるのだ。
そのときヴォルフは、どんな