見るべきは、指標の選定がしっかりしていて、独自のデータ収集も行っている指数
私が見るべき価値が高いと判断するジェンダー平等に関する国際的な指数・ランキングは、OECDのSIGIと、世界銀行のGBLの二つです。
指標選定の根拠について言えば、先月ご紹介した世界銀行の「Women, Business and Law 2021」の場合、①女子差別撤廃条約などジェンダー平等に関する条約上に根拠があり、②経済学の論文でも実証されている、③統計分析をかけてみると女性の経済機会と相関が出る、という基準をもって指標を選定しています。
また、2019年の記事(「日本は先進国の中でも女性差別が酷い国? ランキングの順位だけをみても意味がない」「家庭・身体・経済・市民…すべての指標で女性差別が酷い国としてランキングされた日本」)で紹介したOECDのSIGIも、①社会制度に関連があり、②ジェンダー不平等を生み出す要因であり、③データの質・比較可能性・カバレッジに問題がないこと、④指標間でダブりがないこと、⑤評価している4つの領域内それぞれで、指標間に統計的な関連が認められること、となっています。つまり、理論的な背景もしっかりしているし、統計的にそれを確かめてもいるということです。
また、世界銀行のGBLは、8領域の32指標全てが、各国の法曹関係者との話し合いを基にスコアが決まっている独自データですし(指標数が多いので紹介は割愛します)、SIGIも表が示すように、4領域16の指標の中で、出来合いのデータに頼り切っているものは僅か3つで、それ以外の指標は政府関係者と法曹関係者との話し合いを基にスコアが決められている独自データです。
そして、それぞれのジェンダー指数がカバーしている領域にも大きな特徴があります。表が示すように、国連開発計画のジェンダー開発指数・ジェンダー不平等指数は、人間開発指標を基に作成されているので、ジェンダー領域の中でも人間開発(人的資本)の領域しかカバーされていません。ジェンダーギャップ指数も、国連開発計画のものよりは、政治分野がカバーされている分だけ扱っている領域が広いのですが、問題は、家庭・慣習というジェンダー問題が発生する根本である部分へ着目していない点です。
世界銀行のGBLは、その名が示す通り、経済的な機会に関する法整備が主眼であるため、上の3つのジェンダー指数と異なり家庭領域についても分析を加えられているのは大きな強みです。OECDのSIGIは、世界銀行のものよりも人間開発の一部(健康)と慣習や実態にまで視野を広げているので、全てのジェンダー指数・ランキングの中で最も包括的にジェンダー問題を分析していると言っても良いでしょう。
しかし、先ほど紹介した男女共同参画局の男女共同参画に関する国際的な指数でも触れられていないことが象徴的ですが、いずれの指標も日本ではあまり評価されていませんし、話題にもなりません。恐らく、日本の状況・順位が、2番手グループ・80位とそれほどセンセーショナルなものではないのと、毎年発表されるものではないという点が響いているのだと思われます。
大事なことはジェンダー平等実現に向けてどれだけ有用かであり、200近い国の状況について毎年も発表できる指数がどのようなものにならざるを得ないかを考えれば、この二つの指標がそれほど評価されていない現状は、不毛な議論が横行する下地になっています。
教育に関する指標を作るのであれば・・・
しかし、SIGIとGBLも完璧ではありません。教育領域をまったくカバーしていないのです。
では、SIGIとGBLに加えて、どのような教育指標を考慮すると、より的確に先進国のジェンダー状況について理解できるか、提案してみたいと思います。
一つ目は、教育支出の男女間格差です。以前、男子は大学・女子は短大、特に国公立大学で女子が少なくなりがち、大学院で女子は男子の半分しかいない、ということが公教育支出上どのような意味を持つのかを解説しました。また、一般的にSTEM系の教育は非STEM系の教育よりも、実験設備の整備などに費用が掛かるため、一人当たりの教育コストで見ると高くなります。つまり、「公教育支出の男女間の帰着差」は、男女間の教育水準と教育内容の差を同時に包括的に見ることが出来る指標だと言えます。
教育支出は投資ですから、税金による補助が男女のどちらかに偏っている場合、税金が男女間格差を拡大させる役割を果たしてしまっています。そういう意味でも見る価値が高い指標だと私は考えます。
同様に、私教育支出の男女間格差もグローバルに見れば面白い指標になると考えています。例えば、私はネパールの子供達の教育支援を副業的にしていますが、ジェンダー問題が厳しい南アジアでかつ最近まで低所得国であったにもかかわらず、10代後半になっても学校に通っている子供の割合に男女間格差は見られません。しかし、私立学校に通っている子供の割合や、塾に通っている子供の割合となると、明確に男女差が現れます。恐らく日本でも、都心の豊かな家庭を除けば、男女のきょうだいで、かつ教育費に厳しい制約がある時に、家計がどういう教育支出のパターンをしているのかは興味深い傾向を見つけられるかもしれません。
もう一つは、STEM系、特に工学系を大学で学ぶ女子学生の割合です。2月11日が科学における女性と女子の国際デーに制定される程度には、工学を学ぶ女性が少ないことが世界的に問題視されています。なぜこれが問題なのかというと、アメリカなどでは高卒と大卒の賃金格差以上に、大卒者間の賃金格差が大きくなっていますが、基本的にはそのトップに君臨するのは工学部なのです。そして、人文系と比べた時の一人当たりの教育コストも工学部は高く、日本の国公立大学のように学部を問わず授業料が一律の場合、人文系の学生と比べて工学部の学生の方が多く公的助成をされていることが示唆されます。
そして、この3指標は、政府データ・家計支出データがあれば計測できる比較的容易に整備が出来る指標です。それゆえ、公教育支出の帰着先としての男女差、私教育支出の男女差、STEM系を学ぶ学生の男女差、の3つこそがグローバルにジェンダー平等を教育という側面からランキングする時に見るべき指標だと、私は考えます。
まとめ
日本はAというジェンダー指数でX番だからジェンダー平等から程遠い、Bという指数でY番だからジェンダー平等だという議論が如何に不毛なものか理解してもらえたと思います。妥当性や質が低いジェンダー指数の順位に基づいて日本の現状をあれこれ論じるのは、名古屋市の観光案内を見ながら岐阜観光の話をしているようなものです。
まず見るべきは、日本政府が策定した目標に対して、現状はどうなのかという点ですし、もし国際比較をするのであれば、OECDのSIGIでトップランクにいないこと、世界銀行のGBLで80位であること、STEM系や大学院で学ぶ女性の割合が先進諸国で最下位であること、という3点が優先して見られるべきものです。
人生の時間は有限なわけなので、不毛な議論で貴重な時間を浪費しないようにしたいものですね。
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