生活保護当事者への
「らしさ」の呪縛

「健常者にとっては、駅の階段を上り下りすることも、エスカレーターを使うことも当たり前です。バリアフリー化されてエレベータが設置されたら、便利な手段が増えるだけです。でも障害者は、エレベータを利用せざるを得ない状況があるから利用するわけですよね」(ミサトさん)

 生活保護叩きについては、どうだろうか。

「生活保護もまた、利用せざるを得ない状況があるから利用するわけです。そこにぶつけられる『自分はこんなに苦労しているのに、ナマポもらって、のうのうと暮らしやがって』という悪意は、完全な『やっかみ』だと思います」(ミサトさん)

 伊是名さんの今回の出来事との共通点は、どこにありそうだろうか。

「共通点というより、似ているところは、『らしくしろ』という見方にあると思っています。『生活保護受給者なら受給者らしく』『障害者なら障害者らしく』というところでしょうか。だから、生活保護や駅員の介助が『特別扱い』に見えるのでしょう」(ミサトさん)

 生活保護を必要とする事情は、個人の努力ではどうにもならない形で押し寄せることがある。私たちは今、コロナ禍でその状況を経験し続けている。そして健常者は、誰もが「まだ障害者になっていない人」である。健康に高齢期を迎えても、加齢の影響は必ず現れる。

 国交省鉄道局鉄道サービス政策室の職員は、今回の伊是名さんの経験について、「詳細には把握していませんし、JRさんという会社の対応について役所として申し上げることではありませんが」とした上で、「基本的に、乗り降りに制限があるべきではありません」と述べる。

「最終的には目的地まで移動できているわけですが、時間はかかっています。JRさんとしても、今回の件が全く問題ないとは考えていないでしょう。国もそうですが、経験値を重ねながら、改善していく必要があると思っています」(国交省鉄道サービス制作室)

 個人が経験する困難やトラブルを、希望ある未来へとつなぐことはできるだろうか。それは、行政や施策に対する市民の視線と関心にかかっている。

(フリーランス・ライター)