あれから、あの日から一年が経とうとしていた。
二人、明るい未来があると信じて、別の道を歩き始めたあの夏から、もう一年だ。
その間、悠介と僕の道はまるで天国と地獄ほどの差だった。
悠介は出す曲出す曲ヒットして、今や業界で押しも押されぬ音楽プロデューサーになっていた。
でも、僕は。
・・・いつでも会える、会いに行くから・・・
と、言っていたけど、悠介は忙しく、僕はそんな悠介に対するどうしようもない嫉妬から会いにいけないでいた。
でも、心はいつも悠介を想い、求めていた。
それが今、爆発したようだった。
「どうして逃げるの、悠介」
僕は懐かしい想い出を必死に心の奥に押し込めようとしながらも、どうしようもなく溢れてくる情熱に身を焦がしながら悠介をやっと掴まえて言った。
「別に逃げたわけじゃないよ。そろそろスタジオに戻ろうと思って。零が気づかないうちにそっと来て、そっと戻ろうって思ってたから」
悠介は掴んでいる僕の手を振り払うようにして言った。
「いつでも会えるって言ったのに、もう一年だね。零、一度も僕に顔を見せてくれなかったね」
「悠介だってそうだろう。忙しい人だから、わざわざ会いには来てくれないか」
「零、そんなことないよ」
口調がきつくなっていた。
何故か久しぶりに、そしてやっと会えた唯一の友人なのに傷つける言葉しか口から出てこない。
「ごめん。でも、あのときの誓いの握手、悠介はちゃんと守ったよね。今じゃ、音楽業界の寵児だもの。僕はあんな狭いライブハウスでさえ埋められない。雲泥の差だ。やっぱ世間の目は厳しいよ」
「零、やめなよ。そんなふうに言うの。僕は信じてる。必ず零なら出来るって。だって、強い人だもの、零は」
悠介がそう言って僕の腕を掴んだ。
「やめろよ。強い人なんて言うな。僕はそんな悠介がいうほど強くないよ。やっぱり傷から立ち上がれない。一人では、独りは辛いよ」
僕はコントロール出来ないほど取り乱していた。
あの日、全てがうまく行くと思って互いの道を歩く互いの気持ちを理解したはずだったのに、それなのに。
「零、そんなに苦しんでるなら、曲、僕が作るよ」
僕は驚いて悠介を見つめた。
「それって一緒にまたやってくれるってこと?二人で、二人でやるってこと?」
酷な質問だとわかってながら僕は悠介にそう言った。
悠介は酷く動揺し、明らかに迷ってうつむいた。
「それは、それは無理かもしれない、けど、でも、零の苦しむの見たくない。何とかしたい」
そう言った悠介を遠くで呼ぶ声が聞こえた。
僕はハッとした。
また、我儘になって自分のエゴで悠介を潰そうとしていることに気がついた。
「ごめん、悠介。大丈夫。心配しないで、行きなよ。僕もライブの途中だったんだ」
僕は精一杯の努力で笑いそう言った。
悠介は心配そうに僕を見つめる。
「忘れてよ。さっきの言葉。僕、どうかしてたんだ。久しぶりに何でもぶつけられる悠介に会ったから、少し我儘言いたくなっただけ。悠介、レコーディング中なんだろう?」
「ああ、新人の子。女のコであやかちゃんと同じ事務所で彼女の後輩なんだけど」
悠介は何とも言えない顔でそう答えた。
嫉妬した。
焦げるような想いで胸の傷痕が痛み始める。
やっぱり、とても大丈夫じゃない。
誰でも悠介と一緒に時間を分け合うことになるやつが許せなかった。
そして、同時に悠介がもう僕じゃない誰かと心を結び始めてることにも嫉妬していた。
僕はどうあがいても独りだ。
でも、もうやめよう。
この気持ちを悠介にぶつけてはいけない。
「本当にそろそろ行かなきゃ、悠介」
悠介は顔を上げ、僕の疼いている傷痕を手で触れた。
そして、少しだけ背伸びして僕の唇にキスをした。
一瞬疼いてる傷痕が鋭く甘く痛んだ。
「零、大丈夫じゃないときは、いつでも僕を呼んで。僕はすぐに行くから。君のことを全て受け止められるのはこの僕だけなんだから。何があっても飛んでいくから。この傷痕に誓って」
僕は離された唇にまだ悠介を感じながら、その熱さとその言葉と手の暖かさに心を癒やされて頷いた。
「そして、覚えておいて。僕はいつもここにいるってこと」
悠介はそう言って、もう一度背伸びしてキスをする。
僕は傷痕に置いてる悠介の手を掴んで、ギュッと抱きしめたかったけど、抑えた。
もし、そうしたら、そして悠介が抗わなかったら、僕はもうこの想いを止められずに、悠介に無理やりにでも注いでしまうだろう。
そんな僕のことを唇を離して見つめる悠介と僕を蒼い月が照らしていた。
人工的で嫌いな月が、何故か今日はダブって見えた。
目を閉じた瞬間に滴が悠介の手を濡らす。
「好きだよ、零。ずっと、好きだった。そして今も、この先も」
「悠介」
涙で濡れた僕の頬を悠介の手がそっと拭った。
やっと岸が見えて孤独の海から上がることが出来そうだった。
悠介は僕に笑いかけ、そして言った。
「じゃ、また」
「うん」
頷くしか出来ない僕にもう一度笑いかけ、悠介はそっと手を離して僕から離れていった。
華奢な背中を見ながら僕は胸の傷痕をギュッと掴んで、瞳を閉じた。
・・・ありがとう、悠介・・・
「零、何してんだよ。早く戻れよ。客が怒ってるぜ」
しばらくして木之本さんが探しに来て僕に言った。
「ごめん、ごめん」
僕は最近にはない明るさでそう答えた。
嘘のように明るい都会の夜の月。
今の僕にはそんな月でさえ眩しく見えた。
傷痕はもう疼かない気がした。
あいつがいてくれるから、ここに。
僕はそっともう一度胸の傷に触れると木之本さんの後を歩き出した。
また、暑い夏が始まろうとしていた。
完