最終更新: hitoshinka 2020年07月23日(木) 18:52:56履歴
表現規制派が、嫌いな表現の有害性などを示せないとき(つまりいつも)に多用する「規制・排除のための別の言い訳」のひとつ。いわゆる【ラブジョイの法則】と呼ばれるものである。
この言葉が茶番であるのは、彼らは必ず自分自身が嫌いな表現を「子供に見せられない」から規制しろと言うのであり、自分が好きな表現を、それにもかかわらず子供のためだけに規制してくれと望むことは決してないということである。
フェミニストが表現規制のために意図的にこの言い訳を用いたことを、自白した例が実際にある。
なお『子どもの権利条約』第13条1項に次のようにある。
参考資料・リンク
北原みのり『フェミの嫌われ方』新水社(2000)
「子どもの権利条約」全文(政府訳)
この言葉が茶番であるのは、彼らは必ず自分自身が嫌いな表現を「子供に見せられない」から規制しろと言うのであり、自分が好きな表現を、それにもかかわらず子供のためだけに規制してくれと望むことは決してないということである。
フェミニストが表現規制のために意図的にこの言い訳を用いたことを、自白した例が実際にある。
「ポルノ表現が女性差別である、という風に訴えていたら、きっと時間がかかったでしょうね。今回の規制をかける時に、私は意図的に子どもに見せることができない、という風にしたの。そうでなければ、なかなか変わらない」(北原みのり『フェミの嫌われ方』より)
なお『子どもの権利条約』第13条1項に次のようにある。
第13条1項 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
参考資料・リンク
北原みのり『フェミの嫌われ方』新水社(2000)
「子どもの権利条約」全文(政府訳)
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