Interview

月9『ラヴソング』ヒロイン・藤原さくらの音楽家としての顔。

月9『ラヴソング』ヒロイン・藤原さくらの音楽家としての顔。

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あのときにしか作れなかったアルバムだなと思って

ご自身で作曲をするようになったのはスクールに通い始めてからですか?

そうですね。通い出してすぐに、無料で100日間レッスンが受けられるオーディションがあると言われて。そのときにオリジナル曲が3曲必要だったので、そこで初めて作りました。そのオーディションに合格して、今の所属事務所の育成の方とも出会って。夏休みや冬休みに東京に来てライブをするようになって、高校3年生のときにちゃんとアルバムを制作しようということになりました。

高校を卒業した春にインディーズから初のフル・アルバム『full bloom』をリリースしています。

今、聴くと、“こんなのもう作れないな”っていう曲ばっかりなんですよね。もともとJ-POPを聴いていたのがちゃんと洋楽を聴くようになった、ちょうど中間くらいの頃の曲ばかりなので、J-POPと洋楽がうまく共存してるような気がするし、日本語の曲も多いし、あのときにしか作れなかったアルバムだなと思ってて。そういう意味では、自分にとってすごく大切なアルバムだし、それを出して上京するっていう流れは良かったなって思いますね。

上京した当時の心境は?

最初はすっごい暇で、どうしようって思ってました(笑)。でも、デビューに向けて1年間、いろいろ準備をする時期だなと思っていたので、たくさん曲を作ったし、暇だと言いながらもいろんなことに挑戦することができて。事務所が主催してるフェスで2万人の前で歌ったのも初めてだったし、いろんなところでライブもさせてもらって。あと、フラメンコを習いに行ったりとか、いろいろやりたいことに挑戦できた1年でしたね。

そして、2015年3月にミニ・アルバム『à la carte』でメジャー・デビューを果たします。

錚々たるメンバーに演奏していただいて。SPECIAL OTHERSのYAGI & RYOTAさん、H ZETT M(H ZETTRIO)さん、秋田ゴールドマン(SOIL&“PIMP”SESSIONS)さん、Curly Giraffeさんと、もう大好きな人たちばかりで。

豪華なメンツですよね。多様な音楽的バックボーンを持っていて、妥協のないクリエイティビィティを追求しているミュージシャンばかりだし。

もう、夢のようでしたね。“なんで!? 本当?”みたいな(笑)。自分で作った曲がとんでもなくカッコよくなっていくんですよ。あのときは付いていくので精一杯な感じでしたけど、いろんなことを教えてもらったし、すごくいい経験になりました。

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さらに、今年の2月には1stフル・アルバム『good morning』がリリースされましたが、当初、どんな作品にしたいと考えてました?

『à la carte』は英語の曲が多かったので、もうちょっとポップな感じにしたいと考えてました。あと、アルバムを作ろうとなったときに、夜に曲を作っていたら苦情が来たんですよね。マンションに住んでる全員のポストに“うるさいです!”っていう苦情が届いてたみたいで……(苦笑)。

あははははは。それは大変ですね。どうしたんですか?

掲示板とかにも貼ってあるので、“これはマズいな”と思って、朝に曲を作るようにしたんです。そしたら精神状態が落ち着いてきたのか、夜だと悶々と考えてしまって“つらくてさ……”みたいな曲が出来やすいのが、朝にしたらポップな曲がいっぱい出来るようになって。いい意味でいろいろ考えなくなったというか、楽しければいいじゃんみたいな気持ちに……上京して2年目にしてなりました(笑)。1年目は、ホームシックもあったけど、いろんなところでライブもできて、毎日が本当に楽しかったんですよね。もちろん、悩みもありましたよ。でも、みんなやさしいし、結構、ポッピーな感じで。

あははははは。ポッピーでした?

はい(笑)。本当に楽しく制作ができて。デビューしたら、もっと強制されることも多くなるのかなって思ってたんですけど、好きな音楽を好きなようにやらせてくれたから、曲作りもすごく楽しくて。その結果、ポップなアルバムが出来たし、20歳(ハタチ)になったタイミングで素敵な始まりになるような作品になったなと思いますね。

さくらさんは、1995年12月30日生まれですが、このアルバムには「1995」という曲も入ってますね。

「1995」とか「これから」「I wanna go out」は高校生の頃に書いた曲で、あとは全部上京してから書いた曲なんですけど、20歳になったっていうことで「1995」は絶対に入れたいなって思ってて。1995年に生まれて、(発売時の)2015年の今、みんなの前で歌えてる。そんな気持ちもあったし、お母さんに対しての感謝やファンの人たちに対しての感謝を込めている曲だし、アルバムに入れられて良かったです。

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このアルバムの制作と並行して、ドラマ『ラヴソング』のオーディションがあったわけですよね。

そうですね。12月末にオーディションがあって、1月頭くらいに合格です、ってなって。

どうして受けようと思いました?

ユニクロにいるときに(笑)、マネージャーさんから電話で「ドラマのオーディションがあるけど、受けてみる? 歌う子の役だけど」って言われたんです。それが、例えば「月9のオーディション受けますか?」ってストレートに言われたら受けないですよね、絶対!

あはははは、絶対に受けない?

受けないですよ! でも、「歌う女の子の役です」って言われたから、それならと思って受けることにしたんです。最初は「演技をやったこともないし、絶対落ちますけど」って言ってたし、ちょうど『good morning』の発売やツアーも決まっていたので、「難しいからやめとこうか」っていう話も出たんです。でも、「いいチャンスだし、やってみるに越したことはないかもね」っていうことになり、オーディションを4~5回、受けに行って。そのときに“あ、すごい演技って楽しいな”って思ったんです。

では、そんなに抵抗はなかったんですね。私はシンガー・ソングライターで、女優ではないっていう気持ちはなかった?

それは全然なかったです。私はいつも“楽しいことしかしたくない!”って思ってて。だから、歌しか歌いたくないとかじゃなくて、自分が楽しめることであればなんでもやりたい。だから、演技をすることに抵抗はないんだけど、絶対に落ちるみたいなところから始まったので、決まってしまって……“ヤバイ!”みたいな(笑)。

はははははは。福山さんとの会見も緊張してなさそうに見えてましたが。

いえいえ、緊張してましたよ! でも、これだけやってダメならもうしょうがないっていうところまでやってみようという気持ちがあったので、ここで絶対にチャンスを掴まなければっていう極度の緊張とかプレッシャーはなく、自分を出せたのかなって思いますけど。

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