SOUL REGALIA   作:秋水

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※19/11/10現在、仮公開中。
大幅な変更、改訂を行う可能性があります。


第四節 最初の死線

 

「それにしても、ちょっと妬けるな。その恰好」

 ヴェルフが、僕の装備を見て言った。

「誰の真似をしているか、一目瞭然ですからねぇ」

 一方で、リリは何だか微笑ましいものでも見つめるような生暖かい――もとい、優しい笑みを浮かべている。

「ええと……」

 二人が誰の姿を連想しているかは分かる。

「長衣の下には軽鎧を着込んでいますし、まさにその通りでは」

「そうだな。もっとも、俺のはまだあの鎧には届かないが……」

 そして、その連想は全く間違っていないのだった。

「ヘファイストス様が言うには、あの長衣は特に『火の耐性』が高いらしいからな」

 ある意味原典(オリジナル)に忠実だ――と、一転してヴェルフまでが笑う。

 

『パーティ分の『サラマンダー・ウール』を用意すること』

 

 晴れてLv.2となり、またリリとヴェルフとパーティを組めるようになったことでついに『中層』への進出が現実味を帯びてきた。

 その手ごたえの元で、エイナさんに相談したところ出された条件がそれだった。

 エイナさんから貰った割引クーポンを使ってもゼロが五つくらい並んだけど……まぁ、それはともかくとして。

 この『サラマンダー・ウール』というのはいわゆる『精霊の護布』――精霊が自らの魔力を練り込んで編み上げた特別な布地によって作られた装備品だ。

 あくまで()()なので、形状は色々とある。

 例えばヴェルフは装備の下に身に着ける着流し型で、リリは逆に装備の上から羽織るローブ型だった。

 そして、僕はと言えば……リリ達が言う通り長衣型だった。

 それをクオンさんと同じようにヴェルフの鎧の上から着込んでいる。

(まぁ、自分でもちょっと派手かなとは思うけど……)

 何しろ、『精霊の護布』は火の精霊(サラマンダー)の力を宿している。

 そのため、色も炎を思わせる鮮やかな赤。

 込められた魔力の表れなのか、表面にはきらきらきと光の粒まで散っている。

 ちょっと派手すぎるかなとは思ったけど……よく似ていたのでつい手を伸ばしてしまったのだ。

 神様たちは似合ってるって言ってくれたけど、自分ではよく分からない。

「ま、そうは言っても『最初の死線(ファーストライン)』に挑むわけだしな。オラリオ有数の実力者にあやかっておくのは悪くないじゃないか?」

「それは、逆に何だか色々へし折られそうな気もしますが……」

「まぁ、確かにな」

 リリがげんなりとして呻くと、ヴェルフも苦笑した。

「ところでベル様。さきほどの首飾りはどうされたのですか?」

 リリが僕の胸元を見て言った。

「え? ああ、これは霞さんから借りた物なんだ」

 万が一にも壊さないように鎧の下にしまっておいたそれを、そっと引っ張り出す。

 ダンジョンに入る前に一度だけ取り出したのをリリに見られていたらしい。

「霞様から? そういえば確かに……。ですが、急にどうして?」

「『中層』に進出するって言ったら、お守りに貸してくれたんだ。何でも……その、お姉さんとお揃いのものなんだって」

 ちなみに僕が貸りたのは、霞さん自身のものだ。

「ちゃんと()()()で返しに来なさいって」

「なるほど。それでは、必ず果たさなくてはなりませんね」

 霞さんの事情を知っているリリが、ことさら真剣な顔で頷いた。

 もちろん、僕だってそのつもりだ。

「なぁ、その霞ってのは誰なんだ?」

 逆に、そう問いかけてきたのはヴェルフだった。

「えっと、クオンさんのマネージャーなんだ」

「ああ、なるほど。噂のか」

 どんな噂かは聞かないでおこう。

 ……多分、ただの噂ではないだろうし。

「ま、最愛のマネージャーを泣かせた日には、流石のヘファイストス様もただじゃ済まないかもしれないからな。これはなおさら気合が入るってもんだ」

 ヴェルフの軽口に、小さく笑いあう。

「……それじゃ、そろそろ行こうか」

 そして、静かに先を見据えて宣言した。

「はい!」

「おう!」

 視線の先にあるのは、一三階層――『中層』へと続く連結路。

 こうして僕らは新たな領域(ステージ)へと踏み入れたのだった。

 

 ――この後すぐ、ダンジョンが閉鎖されたことを知らないまま。

 

 

 

(うぅ~ん……。本当にどうしたものかなぁ?)

 そろそろ勤務時間も終わりが近づき。

 帰宅前の掃除の一環として飾られた盾を磨きながら、しみじみと唸る。

 ボクを悩ませるのはもちろん、愛しいベル君に決まっている……と、言いたいところだけど。

(もちろん、ベル君たちも気になるけどね!)

 何しろ、今日はいよいよ『中層』に挑むらしい。

 心配にならないはずもないのだけれど……これはそれとは別だ。

 そもそも、厳密にはその子はボクの眷属ですらない。

 ……まぁ、それを言えばサポーター君もそうなのだけど、あの子の問題はとりあえず解決方法が分かっている。

 ただ、これからもベル君と一緒に冒険に行ってもらえばいいわけだ。

 問題は、つい最近ベル君がダンジョンで出会った女の子……アンジェという奇妙な子だった。

()()()()()()()()()()()()()けど……)

 そう。まずそこからして大問題だった。

 あの子(にんげん)が嘘をついているかどうか、(ボク)が分からないなんて。

 しかも――

 

『ですが、ヘスティア様。神様なら、嘘かどうかすぐにお分かりなるのではないですか?』

 

 と、サポーター君に指摘されるまで、そのことに全く違和感を覚えていなかった。

 まるで神同士で話している時のように、()()()()()()()と認識していたとしか思えない。

 そして、それはおそらくクオン君も同じだった。

(はぐらかされているって時点で気づくべきだったんだよなー…)

 大体、仮にも全知全能――いや、地上にいる間は全能とは言い難いけど――であるはずのボクらが『正体不明』なんて呼んでる時点で割とおかしい。

(あー…。でも、アンジェ君の言うとおりだったら、案外クオン君も嘘はついていないのかも?)

 竜殺しとか巨人殺しとか。武器とかは大体拾い物だとか。

 ……実際、ロードランとかドラングレイグとかロスリックは()()()()みたいだし。

(いやいや! そんなことはこの際どうでもいいんだって!)

 つい脱線したくなる自分を戒める。

 とりあえず、過去のことは今はどうでもいいのだ。

 

『ここには仲間も怨敵もいない。『最初の火』もない。それなら、私はどうすればいい? この『呪い』が体を完全に蝕む時をただ待っていろと?』

 

 迂闊な慰めに対して返された言葉は、今もはっきりと思い出せる。

 ()()()()()。あの子を蝕む……ボクらも知らないそれを、いったいどうしてあげたらいいのか。

(『最初の火』って言われてもなぁ……)

 その火が陰ると、子供達(にんげん)が不死の呪いにかかる……と、そういうことらしい。

 何でも、遠い昔、神々は小人――いわゆる小人族(パルゥム)とは違う種族のようだ――に『火の封』を施し、その結果小人は人間になったとかなんとか……。

 それで、『最初の火』というのが弱まると、その『火の封』の力も弱まって、『呪い』が発生する……という理屈らしい。

 少なくとも、あの子の話を要約するとそんな感じだった。

 だとするなら――

(話を聞く限り、聖火と同じかそれ以上の力があるとしか思えない)

 その火こそが世界の根源。下手をすると『神の力(アルカナム)』の源とすら言えるわけだ。

 なるほど、文句なく聖火と呼んでいい。

 そして、聖火だっていうならまさにボクの管轄だった。

 消えないように維持するなんて、ボクがやらないで誰がやるんだってくらいに。

(でもなー…)

 消えかけてるわけないんだよなー…と。天井を――その先にある()()を見上げて呻く。

 もし本当に消えかけているなら何が起こるかすら予想できないレベルで大惨事だけど……それなら、ボクが気づかないわけがない。

 例え下界にいて、『神の力(アルカナム)』を封じていたとしてもだ。

 つまり――というか、当然ながらというべきか――アンジェ君たちを苦しめている『火』は天界にある聖火ではないわけで……。

(そうなると、今度は一体何のことだかさっぱりってことになるよなぁ)

 それは微妙に、沽券にかかわってくる気がしてならない。

 だって、竈の女神だし。聖火の守り手だし。

 そーいう特別な火ならボクに任せとけ!――って言えないのはマズい気がしないでもない。

 しかし、あえて言うまでもなくさっぱり心当たりが……。

 

『いずれ、またお会いしましょう。竈の方』

 

 ずくん――と。

 頭の奥の方が痛んだ。いや、()()()()()()()()()()()()()

 ただ、何か大切な出会いがあって、それを忘れてしまっている。

 あるいは、その縁こそがアンジェ君をボクのところへと導いたのかも……。

「ヘスティア! いる?!」

 白昼夢めいた頭痛に、つい顔をしかめてしまう。

 血相を変えたヘファイストスが店に駆け込んできたのは、ちょうどそんな時だった。

「ほぁ?! べ、別に今日は何もやってないぞぉ……!?」

 多分。値札を間違えたのは、先週の話だし。落っことしたくらいで壊れるようなものじゃないし。

「……正直に言いなさい。怒らないから」

「嘘だ! それ、絶対嘘だぁああぁああぁああっ!!」

 この世には絶対に信じてはいけない言葉がいくつかある。

 怒らないから――と、いうのは、その中で常に上位争いをしているワードの一つだった。

「いえ、今はそれも後回しよ。あなたのところの眷属(こども)は、今日もダンジョンに行っているのよね? ヴェルフも一緒に」

「え? うん、そうだよ。今日は『中層』に進出するって……」

 よく分からないまま頷くと、ヘファイストスはさらに顔色を青ざめさせた。

「ちょっとついてきなさい。もう仕事上がりでしょう?」

「は、はい。そうですけど……」

 社長に問われ――と、いうより常ならぬその気配に圧されて――店長が戸惑ったように頷く。

「え? ちょっとヘファイストス?!」

 せめて着替えさせて!――と、そんなことを言う暇もなく、ボクはヘファイストスにバベルの外へと引きずり出されたのだった。

「急にどうしたってのさ?!」

「実は今日の昼頃、ダンジョンが閉鎖されたのよ」

「はぁ?!」

 いや、なるほど。だから、今日は妙にお客さんが少なかったのか。

 あと、バベルの出入り口の周りにたくさんギルドの職員がいたのもそのせいなのだろう。

(何だか冒険者君たちともめているなと思ったけど……)

 道中で見かけた光景を思い出し、ひとまず納得する。

 納得はしたけれど……そもそも、何でダンジョンが閉鎖されたのか。

「それと、何だかヤバい呪詛(カーズ)がまき散らされてるみたい。私もまだよく分からないんだけど、ミアハも怪我をしたって……」

 そんなことを考える暇もなく、ヘファイストスは新たな爆弾を投下した。

「な、なんだってぇ?! 大丈夫なのかい?!」

「幸い、傷は大したことがないみたい。ただ、その原因が……」

 呪詛(カーズ)によるものなのだとか。

 ……その、子供たちをモンスターへと変えてしまうという残酷な。

「で、でも。それとダンジョンの閉鎖とどういう関係があるんだい?」

「原因はダンジョンにあるみたいね」

 それが何だか分からないけど――と、ヘファイストスは険しい顔のまま言った。

「だから閉鎖された?」

「ええ。そして、今まで集まった情報からすると()()()()()()()()()みたいね。そして、ギルドが送った調査隊二六人はまだ一人も帰還していない」

 ……何だってそんな狙いすましたように。

 何に毒づけばいいかもよく分からないまま、呻く。

「【ミアハ・ファミリア】からも情報が――」

「念のため、確認を急がせろ。『青の薬舗』だけじゃない。オラリオ中の治療院と、薬舗をだ!」

「【ディアンケヒト・ファミリア】など大手には警備員を――」

「【戦場の聖女(デア・セイント)】なら、もうバベルの治療室に――」

「彼女だけじゃない。解呪師をかき集めてこい!」

 その間にもギルド職員達と、多分ガネーシャのところの眷属(こども)達とが夕暮れに染まる街の中を、必死の形相で指示を飛ばし、あるいは走り回っている姿を何度も見かける。

「アドバイザー君!」

「か、神ヘスティア?!」

 一番混雑しているのは、当然ながらギルドだった。

 人と神とをかき分けて、何とかアドバイザー君に声を届かせる。

「ベル君は……ベル君たちは戻ってきているかい?!」

「い、いえ。私のところにはまだ……」

 悲痛な顔で、アドバイザー君が首を横に振った。

 それは、分かっていた。ベル君たちが帰還するにはまだ少し早い。

 危険を感じて戻ってきてくれていれば――と。一縷の希望をかけたのだけれど……。

「まさか、ベル君たちも?!」

 人目のある所では、クラネル氏と呼ぶはずが――それも忘れてアドバイザー君が言う。

「か、換金所と連絡を取ります!」

 頷くと、半ば叫ぶように換金所の職員に問いかける。

「【未完の少年(リトル・ルーキー)】?! あいつらならまだ来てねぇぞ! こっちにはな!!」

 換金所の職員もその分厚いドアを開けっぱなしで叫び返してきた。

 今まで見た事のない光景は、ギルドの混乱ぶりが現れている。

「い、一体何が起こってるんだい?」

「それが、私達にもまだ――」

「――おい! うちの眷属(こども)達もまだ帰ってこない! 治療室にいるのか?!」

「す、すみません。神ヘスティア! ええと、あなたの眷属は――」

 そのアドバイザー君もまた、次々に詰め寄る神や冒険者たちの対応に追われている。

 これ以上の話はとてもできそうにない。

 それどころか、さっきかき分けた神と人に今度は押し出され、そのまま受付から引きはがされてしまった。

「ぐぬぅ……」

「ちょっと、大丈夫?」

 神や冒険者君たちにもみくちゃにされて唸っているところを、ヘファイストスが引っ張って少し空いた場所まで連れ出してくれた。

「……ほ、本当に何が起こってるんだい?」

「さぁ。私にもさっぱり。ロキもよく分かってないみたいね」

 ロキの名前に思わず眉間にしわが寄ったところで、ふと思い出した。

「そういえば、ヘファイストスのところの眷属(こども)たちも『遠征』についていってるんだっけ?」

 確か団長以下、腕の立つ上級鍛冶師(ハイ・スミス)達が総出でついて行ってるとかなんとか。

「ええ。それで、妖毒蛆(ポイズン・ウェルネス)の毒にやられて一八階層で足止めされてるわ」

 万が一のことがあったら、私の派閥も駆け出しからやり直しね――と。

 ヘファイストスは、らしくもない冗談を口にした。

「ヘファイストス……」

「大丈夫よ。椿はそんなに簡単に死ぬような子じゃないもの。他の子もね。それに、ロキのところの眷属(こども)達も一緒だし。私の事よりも――」

「うん。ベル君たちの捜索の冒険者依頼(クエスト)を発注したいところだけど……」

「普通でも一時間はかかるわね。今ならもっとかかるでしょ」

 混乱の極みにあるギルドを見やり、二柱(ふたり)揃ってため息を吐く。

「それに、ダンジョンは閉鎖されたまま。仮に発注できても、実際に捜索隊が派遣されるのはいつになるか……」

 その間に、最悪の結末を迎えてしまう可能性は充分にあり得る。あるいは、すでに――と。

 ヘファイストスはそう言った。

「ベル君は、まだ生きてる。少なくとも、ボクの『恩恵』はまだ消えていない……けど」

 気になるのはその『呪詛(カーズ)』だった。

 ボクの『恩恵』を宿しているそれが、()()()()()()()()()()()()なのかどうなのか……。

 おそらく、ヘファイストスも同じ不安を抱いているはずだ。

「私はここで冒険者依頼(クエスト)の発注ができるようになるまで待ってるから、あんたはちょっとミアハのところに行って話を聞いてきなさい」

「いいのかい?」

「いいもなにも」

 思わず問いかけると、ヘファイストスが肩をすくめた。

「これでも一応大派閥の主神だしね。もう少し混乱が治まれば、多少無理してでも発注できるでしょ。それに、私にとっても他神事(ひとごと)じゃないし」

 まぁ、そうなのかも。少なくともボクよりはずっとその可能性が高い。

「うちの子も戦力になりそうなのは皆で払っちゃってるしね。最悪はロキのところにも声をかけるけど……あんたはあんたで、何とか人手を集めてきなさい」

 まぁ、ロキも今なら嫌とは言わないでしょうけど――と、ヘファイストス。

 ……気は進まないけど、それこそ今はそんなことを言っていられない。

「ただ、ダンジョンを閉鎖するほどの異常事態(イレギュラー)なら、ロキのところはその対策に駆り出される可能性が高いもの。準備はしておかないと」

「うん、分かってるよ」

 頷いてから、ギルドを飛び出した。

 

 そして――…

 

「おお、ヘスティア。血相を変えてどうしたのだ?」

 そのまま『青の薬舗』に向かうと、いつもの調子で出迎えてくれた。

「どうしたのだ、じゃないやぁああぁい!!」

 ……店の中はまだガラス片が散乱したままだし、何だか血もついたままだし、ミアハ自身も頭に包帯を巻いたまま姿の癖に。

 思わず涙目になりながら叫んでいた。

「い、いや。これはナァーザが少し大げさに……」

 ガラス片を掃き集めていた箒を盾のように掲げながら、ミアハが歯切れ悪く言う。

 ちなみに、袖から覗いた腕にもばっちり包帯が巻かれていた。

「そーいうこと言うのは、その青白い顔色を何とかしてからにしろってば!」

「むぅ……」

 ミアハが唸った辺りで、ボクも大きく息を吐く。

 少し落ち着かないと。怪我神(けがにん)を怒鳴りつけに来たわけじゃないのだ。

「それで、一体何があったんだい?」

「……私にもよく分からぬ」

 深いため息とともに、ミアハが首を横に振る。

「『中層』から戻ってきた仲間がおかしいと、運び込まれてきてな」

 ここは薬舗で、治療院ではないのだが……まぁ、それで追い出すミアハではない。

「うちではできることも限られる。治療院に運び込むか、あるいは迎えに来てもらうまでの間は、安静に過ごせるようにと思ったのだが……」

 何しろ、ミアハとはそういう神格なのだから。

 ただ、その()()は、医神(ミアハ)をして初めて見るものだったという。

呪詛(カーズ)がどうとか聞いたけど……」

「おそらくは。最初は、毒か何かだと思ったのだがな」

 一般的なものから、少々特殊なものまで。

 店にある解毒薬と解呪薬を一通り試したが、どれも効果がなかったという。

「そうこうしているうちに、急に奇妙な()()()()()()()を纏い、そのまま見知らぬモンスターへと変貌してしまった」

 それは、何とも奇妙な言い回しだった。魔力ではなく、あえて魂と表現するなど……。

「いや、私も何故そう感じたのは分からぬのだがな」

 ボクが問いかける前に、ミアハは首を横に振った。

「それで、その怪我かい?」

「うむ。ナァーザが無理を押して庇ってくれたから、この程度で済んだが……」

「そういえば、そのナァーザ君は?」

「かなり嫌がったがディアン……と、いうよりアミッドの元に連れて行った。酷く傷を負っていたこともあるし、あれは薬師(ハーバリスト)ではなく、解呪に長けた治療師(ヒーラー)の出番であろう」

 あちらにも運び込まれているやも知れぬし、私達の見立ても多少の役には立つかもしれん。

 そう言いいつつも、ミアハは妙に言葉を濁した。

「どうかしたのかい?」

「うむ……。あれは、本当に『呪詛(カーズ)』と言ってよい代物だったのかと思ってな」

「え?」

「いや、毒ではない。病ではない。分類するのであれば、間違いなく『呪詛(カーズ)』であろう」

 ただ、とミアハは呻いた。

「その『呪詛(カーズ)』は何に対して作用していたのか……」

「んん?」

「一口に呪詛(カーズ)と言っても効果は千差万別だ。有名どころで言えば、『装備したら外れなくなる呪い』であろうか。まぁ、最近はあまり見かけなくなってきたが」

「あ~…、うん。暇を持て余した主神(バカ)が眷属に作らせてるって、前にヘファイストスが言ってた気がするよ」

 確か割と本気で怒っていたと思う。怒り指数六八%といったところだ。

 ……多分、ヘファイストスの子が作った装備にも、その『呪い』をかけられたことがあるんだろう。

 ひょっとしたら、見かけなくなった理由の一つになるのかもしれない。

 ……まぁ、一番大きな理由はただ単にその主神(バカ)たちが飽きたからだろうけど。

「あの結果からして、『呪詛(カーズ)』は体を蝕んでいた……と、いう事になるのだが」

 結果から察するに、まず間違いない――と、多分本神(ほんにん)が一番信じていない結論を、小さく呟いた。

「違うと思っているんだろう?」

「確証はまだない。だが、あの『呪い』は、もっと()()()()()()に作用していたのではないかと……」

 そんな気がする。ミアハは険しい表情でそう言った。

「本質的なもの?」

 ぞわり、と。訳も分からず背筋が凍てついた。

 そう。これとよく似た話を……子供(にんげん)の在り方を致命的に変えてしまう『呪い』を、つい最近、ボクは聞いたばかりじゃないか――…

「ああ。そして、もし私の仮説が正しいなら、()()()()()()()()()()()()()()

「どういう意味だい?」

 乾いた喉から、何とか声を絞り出す。

「仮にそうだとするなら、その『呪詛(カーズ)』は何人にも……例え、我ら神の力をもってしても、解呪することはかなわん」

「……何でだい?」

 いや、分かる。そんなことは、言われなくても分かっている。

「その者の『本質』を歪められた結果があの変容なら、()()()()()()()()()()()()()()?」

 その『元』そのものが歪んでしまっているというのに。

 ああ、それは……。その『呪い』の影響で変容してしまったなら、もう――…

「いや、事態はもっと深刻だ。その場合、解呪とは本質の否定となる。そのようなことはできん。できたとしたなら、それはその者自身の抹殺にしかなるまい」

「それは……」

「もし仮に、『神の力(アルカナム)』を用いたところで、()()()()()事が可能かどうか……」

 遠い昔、神々は小人に『火の封』を施した――…

(これは、本当に、無関係だって言えるのか……?)

 奇妙なまでに合致する符号に、悪寒は強まる一方だった。

「ヘスティアよ、そなたも顔色が悪いぞ。まさか、先日の風邪をぶり返したのではないだろうな?」

「そうじゃないよ! そうじゃないけど……」

 その懸念を言い出せず、とっさに話をそらしてしまった。

「そ、それで、その運び込まれた子たちはどうしたのさ?」

「うむ。たまたま通りかかった子供が……いや、案外とあの『呪い』の犠牲者を探していたのかもしれぬが。ともあれ……その、何だ。その者が()()してくれたのだ」

 解呪とは本人の抹殺に等しい。

 たった今告げられた言葉から、その結末を察する。

「そっか……」

 気の利いた言葉がすぐに出てこないのが歯がゆい。

 そして、自分がそれだけ動揺しているのだと、嫌でも思い知った。

「ヘスティアよ……」

「ミアハ様! ナァーザ! 大丈夫!?」

 微かな沈黙を破り、ミアハが何か言いかけたところで、新しい誰かが飛び込んできた。

「か、霞君!?」

「ヘスティア様?!」

 飛び込んできたのは、霞君だった。

 エルフにしては結構大胆なその格好は、フィリア祭で見かけた時と同じだ。

「ヘスティア様も大丈夫ですか?! というか、ベル君は……」

「あ、うん。ええと……」

「霞よ。ベルがどうかしたのか?」

「どうもこうも……。何か、妙な『呪詛(カーズ)』のせいでダンジョンまで閉鎖されたんですよ」

「ダンジョンが閉鎖……? では、まさかベルは?」

「うん。まだ、ダンジョンから戻ってこないんだ」

 先ほどと同じくらいの葛藤を飲み込んで、その先を続けた。

「今日、ちょうどその『中層』に進出している……」

「何と……ッ!!」

「やっぱり……!」

 ミアハと霞君が目を見開き、絶句した。

「あ、でも! ついさっきギルドが編成した調査隊が向かったそうなので、きっと大丈夫ですよ!」

 なんて。霞君の精一杯の励ましを嘲笑うように、夕刻を過ぎてもその調査隊はただの一人も帰還しなかった。……もちろん、ベル君たちも。

 ただ――

「ヘスティア、いるか!?」

 三人目の乱入者は神友のタケ――タケミカヅチだった。

 本当に珍しく、息を切らしている。

「タケ?! どうしたんだい、そんな血相変えて――…」

 後ろには、眷属らしい六人の子供達の姿も。ただ、それぞれが負傷していて――…。

「すまん、ヘスティア! お前の子が帰ってこないのは俺達が原因だ!!」

 ボクの言葉を遮るように、タケが真剣な顔でそう言って――

「え?」

 ボクらは、思わず顔を見合わせたのだった。

 

 

 

「おいおい! いくら何でもモンスターが寄ってくるのが早すぎるだろ?!」

「分かっています! ですから、無駄口を叩いている暇はありません!!」

「これが、『中層』……?」

 でたらめすぎる。と、内心で毒づいていた。

 

『各個人の能力の問題ではなく、()()()()()()()()()()()()()。中層とはそういう場所です』

 

 ランクアップのお祝いの席でリューさんが言った言葉が脳裏に谺する。

 忘れていない。忘れていないけど……。

 

「また来ます! 三時の方向。ヘルハウンド!!」

 焦りを宿した声に、思わず舌打ちする。

(いくらなんでも数が多すぎる!)

 以前経験した怪物の宴(モンスター・パーティ)がずっと続いているような錯覚を覚えていた。

 いや、案外錯覚ではないのかもしれない。

 嫌な予感はひとまず飲み込んで、行く手を阻むアルミラージの大群に斬り込む。

 もっとも、一対集団戦は厳に慎め――と、師匠の教えは忘れていない。

 まずは解体する……のが定石だが。

「うおおおおおおおッ!!」

 状況は相変わらずだ。なら、やっぱり危険な方法を選択せざるを得ない。

 両手でしっかりと構えた大剣――ヴェルフが打った一振りだ――を渾身の力で横薙ぎにした。

 一撃で複数の相手を巻き込み、一気に殲滅する。

 本来なら、乱戦中に活路を見出すための緊急処置だと言われたが……。

「はぁああぁあっ!!」

 攻撃が途切れ、モンスターの物量に圧し潰される直前、鋭い剣閃がその隙を補ってくれた。

「ありがとうございます!」

 その感謝を呪文代わりに、ファイアボルトを放つ。

 狙いは、今まさに一斉放火しようとするヘルハウンドの群れ。

「しまった!?」

 だが、数が多すぎる。倒しきれない。炎が放たれる――!

「うおおおおおおおおッ!!」

 一九〇Cはありそうな大柄の人影が疾走。

 そのヘルハウンドの群れを手にした剛斧でまとめて薙ぎ払う。

 だが、それでも足りない。まだ生き残っている。

「そこだッ!」

 とっさに足元に転がっていた石斧――アルミラージの遺物だ――を蹴り上げ、投擲する。

 狙い違わずそれは生き残ったヘルハウンドの一匹の眉間を叩き割り絶命させた。

 ほんの一瞬。ヘルハウンドが狙いを迷った。

 その男の人を狙うか。それとも、僕を狙うか。その結論を出す前に砲声をあげる。

「ファイアボルト!!」

 放たれた炎雷は今度こそその黒犬の群れを飲み込み焼き払った。

「流石は噂の【未完の少年(リトル・ルーキー)】。頼もしいな」

「ふざけろ。俺達を囮にする気だったんだろうが」

「そうです。ただ逃げ切れなかっただけではないですか」

 その人が笑い、ヴェルフとリリが険しい声で吐き捨てた。

 ……まぁ、多分二人の言う通りなんだと思う。

 負傷者を抱えたその六人一組のパーティが駆け寄ってきたのは、つい先ほどのはずだ。

 

「いけません! 押し付けられました――」

 と、リリが悲鳴を上げるより早く、そのパーティは()()()()()()()

 理由は単純で、彼らの行く手にも大量のモンスターが現れたからだ。

「……ッッ!!」

 リーダーと思しき大男の背中から憤怒の気配が伝わってくる。

「ふざけろ!」

 そして、彼らがやってきた方向からも驚くほどのモンスターが迫りくる。

「右の通路へ! 撤退します!!」

 圧倒的な劣勢を前に、それでも動きを止めなかったのはリリだけだった。

 弾かれたように全員が――僕らだけではなく、そのパーティまでが走り出す。

 そこからは、もう一蓮托生だった。

「どうする気だリリスケ?!」

「どうもこうも、あんな数を相手にはできません! 何としても、このまま逃げ切ります!!」

 他に手はない。手はないけど……。

「待って、リリ! あの人達が追いつかれる……!」

 僕達三人だけならまだしも、負傷者を抱えたパーティは逃げ切れない。

「リリ達には関係ありません! どうせ押し付ける気だったんですから!!」

 それは、確かにそうなのだろうけど……。

「ごめん、リリ!」

 それでも。

 

『追いついてきた奴らから各個撃破する。これを繰り返すのも一つの手だぞ』

 

 クオンさんから教わった、一人で集団を相手にする方法の一つを思い出す。

 そう。思い出した。なら、まだ何も諦める必要はない。

「はぁあッ!!」

 まずは横に反転。

 体に残る加速力を無駄にしないため、続けてバク転を決めてから、再び加速する。

「ああもう! 絶対にそうすると思いました!!」

 リリの涙混じりの叫びを振り切って、飛び掛かったのは一番近くにいたアルミラージ。

 狙うのは魔石のみ。猶予は一撃か二撃。それ以上は後続に追いつかれ、囲まれて蹂躙される可能性が高くなる。

 その教え通り、一撃で正確に魔石を貫く。

 もちろん、その隙を補うようにリリが援護射撃をしてくれる。

 おかげで、ひとまず先頭集団は一掃できた。

「ファイアボルト!!」

 ()()()()()()が追いついてくるまでの僅かな時間。その隙を利用して叫ぶ。

 狙いは近くの壁と天井。完全に崩落させられればいいのだが、僕の魔法は重さが足りない

 それでも、落ちてきた瓦礫はいくらかモンスターの足を止めてくれるはずだ。

 結果を見届けることもなく、リリ達を追って再び走りだした。

 

 そして。

 そんな戦闘を、それから何度か繰り返してきた。

 

「すみません……!」

 ともあれ。言ったのは、黒髪黒目の女の人。

 どうやら全員が極東生まれという、オラリオでは割と珍しい――と、思う――派閥だった。

「話は後です!」

「だが、地上に戻ったら、きっちり落とし前をつけてもらうからな!」

 落とし前はともかく……多少遠回りしたとはいえ、そろそろ一二階層への連結路が見えてきてもいいはず。

『上層』にさえ戻れれば、負傷者の手当てもできるし、状況は大分好転するはずだ。

 連結路まで、あと一息――

「また来ます!」

 今まで通りその女の人が警告の声を上げた。

 よく分からないけど……多分、『スキル』なんだと思う。特定の条件下でモンスターの接近を把握するとか、そんな感じの。

 少なくとも、今までそれが外れたことはない。

「前方にアルミラージ……ッ?!」

 そう。今この瞬間までは。

「おい、どう見てもアルミラージじゃないぞ!」

 現れたのは三匹の……何とも不気味なモンスターだった。

 見た途端、背中に焼け付くような悪寒が駆け抜けた。

 矛盾しているその感覚に訝しむ暇も惜しみ、そのモンスターを観察した。

 大きく肥大した頭。赤く光る複数の眼。不自然に長く歪んだ腕。

 口と思しき場所からは何かが詰まっていて、さらに何本かの手のようなものが手招きしている。

「ベル様?!」

「ごめん、分からない!!」

 こんな不気味なモンスター、エイナさんから聞いたことがない。

『ギギギギギギィ!!』

 笑い声――何でそんなことを思ったんだろう――を上げながら、その見覚えのないモンスターたちが襲い掛かってくる。

「命! ベル・クラネル!」

「承知!」

「はい!」

 幸い、数はまだ少なく、僕らも足を止めてはいられない。

 そして、いずれにしてもあれが『中層』のモンスターなのは間違いない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 ならば、ここは先手必勝。Lv.2三人で速攻を仕掛け、一気に殲滅する――…

「何……ッ!?」

 つもりだった。

 

 …――もちろん、神ならぬ彼らが知る由もないことだが。

『ほとんど見た目だけだ』

 と。ほんの少し先の未来で、とある冒険者達は異形化したモンスターの潜在能力(ポテンシャル)を結論付けた。

 それ自体は決して間違いではない。ただ、万人にとって常に正しいかと言われればそれも違う。

 何しろ、彼らは最低でもLv.3。【ステイタス】は言うに及ばず、超えてきた死線の数が違う。

 しかも、同じように数多の死線を超えた者たちが多く集まる大派閥に所属しながら、それぞれが第一線で活躍する精鋭たちだ。

 その彼らにとってすれば、所詮は微々たる差でしかなかった。

 だが、今日初めて『中層』に進出した彼ら……まだ小さな派閥の新人(ルーキー)達にとって、それは決して軽視できない差となる。

 まして、ここまで連戦を何とか切り抜け、相応に消耗した状態ならなおさらだ。

 これは、ただそれだけの話でしかない。

 無論、だからと言って彼らでは決して倒せない敵などではない。

 あくまで『通常種』より()()強い程度だ。彼らに倒せない敵であるはずがないが――…。

 

「何だと……ッ?!」

「桜花殿、危ない!!」

 しかし、その異形を一撃で確実に斃すにはまだ()()()()()力が足りていなかった。

「ぐお……ッ!?」

 それどころか、即座に反撃してくる程度の余力を残してしまう。

 そして、その事実に対して速やかに対応するには、まだ僕らには経験が足りなかった。

 動揺が僕らの攻撃の手をほんの少しだけ鈍らせてしまう。

「いけません! 追いつかれます!!」

 速攻が失敗した。

 例え一手でも無駄には打てないこの状況では、ただそれだけで危険だった。

 まして、主力であるLv.2が全員押さえられるなど、おおよそ最悪の状況と言える。

「ファイアボルト!!」

 その状況を否定するつもりで叫ぶ。

 続けざまに放たれた誰よりも早いその炎雷が、今度こそその異形たちを焼き尽くす。

 もっとも、状況としてはあまり好転していない。

 リリが警告した通り、後方からモンスターの大群が迫ってきていた。

「多いぞ?!」

「ま、前にも来ています!!」

 通路を埋め尽くすほどのモンスターの群れ。

 全員あわせて十人に満たないパーティ。

 まして、負傷者を抱えたままではとても切り抜けられない。

 いいや――…

 

『君のスキルは、逆転の力だ』

 まだだ。

 

「―――――」

 神様の言葉を思い出しながら、畜力(チャージ)を開始する。

 これは、どんな窮地も覆す可能性。そのための力だ。

 リン、リン――と。(チャイム)の音を聞きながら、その大群を睥睨する。

 あまり、時間はない。その群れが動き始める一瞬――いや、半瞬前に砲声を上げた。

「ファイアボルトォォオォオオオォッ!!」

 白い炎雷が、行く手を塞ぐモンスターを悉く飲み込み、消滅させる。

「走って!!」

 その火の粉が消えないうちに叫んだ。

 まだ、背後にはモンスターの群れが残っている。

 黒髪の女の人――確か命と呼ばれていた――と共に、後方の敵を迎え撃つ……。

「え?」

 その直前。不意に、その群れが()()()()()()

 この状況で、モンスターが追撃の手を緩める?

 その理由は、すぐに分かった。

「下……ッ?!」

 迷宮の陥穽(ダンジョンギミック)――地面の崩落だ。

 足場に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。

「止まるな! 走れぇッ!!」

 大柄の男の人――多分、桜花さん――が叫び、それより早く一斉に走り出す。

 でも、間に合わない。崩落に追いつかれ、足場を失う。

 どれ程の俊足でも、蹴りつける地面がなくては意味がない。

 内臓が浮き上がるような感覚に吐き気を覚えたのも束の間のこと。

「ベル様――ぁッ!?」

「リリスケ、止まるな――ッッ?!」

 リリとヴェルフの悲鳴が聞こえる中、僕にできたことはたった一つだった。

「何を?!」

 すぐ近くにいる命さんの腕を掴み、全力で上へと放り投げる。

 文字通り、自分の手の届く範囲でできたのはそれだけだった。

 そして、反動で加速する世界の中で。

 最後に、桜花さんが確かに命さんを受け止めるのを確かに見届けた。

 

 

 

 ひとまず、場所をボクの教会に移してから。

「それは……何ともベルらしい話であるな」

 改めてタケたちの話を聞き、ミアハが小さく呟いた。

 まぁ、そうだろうな――と。ボクも声にしないまま、呟いた。

「すまん。こいつらも必死だったとはいえ……」

 タケのところの眷属(こども)達も、たまたま今日初めて『中層』に進出し――そして、手痛い洗礼を受けたらしい。

 モンスターに追われつつ、何とか地上への帰還中、これまた偶然見かけたベル君たちのパーティにその追手を押し付けようとして――まぁ、失敗して、みんなで逃げる羽目になったのだとか。

 それで、もう少しで『上層』というところで迷宮の陥穽(ダンジョンギミック)に巻き込まれ、ベル君たちはさらに下に落ちたのだと。

 最後に、タケの眷属(こども)の一人を……一緒に落ちかけた命君を助けて。

「ベル君達が帰ってこなかったら、君達の事を死ぬほど恨む」

 そう。それは、どこまでもベル君らしい話だった。

 なら、ボクが言えることなんて、そう多くはなかった。

「でも、憎みはしない。約束する」

 そうだとも。絶対に、ベル君だって憎みはしないはずだ。

 あの子は、ボクの大切な――何よりも自慢の眷属(こども)なんだから。

「今は、ボクに力を貸してくれないかい?」

 そして、ベル君達は絶対に今も必死に戦っている。

 ボクが与えた『恩恵』は、まだ消えちゃいない。

 だから、ボクが助けてあげなくちゃ。

「―――仰せのままに」

 片膝をついてそう言ってくれた子供たちに感謝していると、ヘファイストスが言った。

「確認するけど、確かに()()()()()()()落ちたのよね?」

「はい。ベル殿に投げられた時、その先にもう一つ崩落が見えました」

 頷いたのは、命君だった。

「となると、ベル達がいるのは一五階層ということになるな……」

「ええ。普段なら最悪だけど……今回は、最悪よりは少しだけ幸運かもね」

 ヘファイストスが呻く。

「例の『呪詛(カーズ)』の元凶は、一四階層に存在しているみたい。そのまま一五階層で救援を待ってくれていた方が、ひょっとしたら安全かもね」

「ギルドが派遣した調査隊は、未だ一人も帰還しないんだったか……」

 タケもまた、重苦しい声で唸る。

「時に、タケミカヅチよ。そなたの眷属(こども)達は無事か?」

「はい。少なくとも件の『呪詛(カーズ)』に関しては、全員問題ありません。【戦場の聖女(デア・セイント)】からもお墨付きをもらっています。……だから、少々強引に治療室から抜け出すことができました」

 その問いかけに、団長の桜花君がしっかりと頷いた。

「それは何よりだが……やはり、あれはアミッドでも手に負えぬか」

 ミアハが少し微笑んでから、小さく首を横に振った。

 そっちはそっちですごく気になるけど……。

「当面の問題は、ダンジョンが閉鎖されたままだってことね」

「ああ。それと、単純に戦力が足りん」

 ヘファイストスとタケが、それぞれ唸る。

「うちから出せると言ったら、桜花と命……それと、千草もサポーターとしていけるな?」

「は、はい! 連れて行ってください!」

 大人しそうな女の子が、真剣な顔で頷いた。

「他は……すまんが『中層』だと足を引っ張りかねん。まず何より足の速さが必要な救助隊ではなおさらな」

 力を封じているとはいえ、タケは武神。

 戦いのことなら、間違いなくこの場にいる誰よりも熟知している。

「ヘファイストス。お前のところはどうだ? 確かLv.5が一人いるんじゃなかったか?」

「それが、戦える子たちは今、ロキのところの遠征についてってるのよ。もちろん、椿もね」

「ロキの? それは凄いな……」

「ありがとう。……でも、残っている子だけだと『中層』は厳しいわね」

 ふむ……と、そこでミアハが小さく唸った。

「時に霞よ。クオンは今、どこで何をしておるのだ?」

 その言葉にギョッとしたのはタケ達だけだった。

 そういえば、まだタケ達には霞君についてちゃんと紹介していなかったっけ。

「ええと……。あえて詳しくは言いませんけど、今あいつはオラリオにいないんですよ」

 困ったように、霞君が言った。

 でも、オラリオにいないとするなら……

「メレンか」

「メレンね」

「メレンだね」

 ますます困ったように、霞君が苦笑した。

 うん。間違いない。何かもう、『神の力(アルカナム)』とかそんなの使わなくても分かる。

「『メレンの悪夢』か……」

 メレンの街に、フィリア祭で暴れた――らしい――新種と闇派閥(イヴィルス)残党が現れ、大被害を出した……と、いう話ならボクだって知っていた。

「確か、ガネーシャのところの子供たちが鎮圧したんだよね」

「うむ。彼女らが尽力したことは疑いない。そして、少なくない犠牲者を出している」

「……まぁ、でも。間違いなく彼も関わってるでしょうね」

 三柱(さんにん)で顔を見合わせてため息を吐く。

 となると。ひょっとしてメレンは噂よりも酷いことになっているんじゃ……。

「しかし、そうなるとまだオラリオには戻ってきておらぬだろうな」

「でしょうね。ここにいるよりは多少なりと安全でしょうし」

 あるいは、逃げるにもちょうどいい立地だと、ヘファイストスが呟く。

「戻ってきますよ。今日明日中に、とは言いませんが」

 しかし、霞君はあっさりと言いきった。

「そうね。あなたが残っているものね」

「そうだったらいいんですけどね」

 からかうようなヘファイストスに、霞君は肩をすくめた。

「オラリオにダンジョンがある限り、あいつは戻ってきますよ」

 諦観――いや、達観だろうか。とにかく悲しそうな顔で、霞君は小さく呟いた。

 帰ってきたら、まずとっちめてやろうと静かに心に決める。

「すまん、ヘスティア。私は力になれぬ。ナァーザはダンジョンに潜れんからな」

 ほんの少しの沈黙の後で、ミアハが言った。

「うん。分かってる」

 ナァーザ君の事情は、つい先日聞いたばかりだ。

 流石に無理強いはできない。

「となると、やはり戦力が足りん。特に今は『異常事態(イレギュラー)』が起こっているからな。閉鎖が解除されたとしても、完全に普段通りとは限らん。念入りに準備しておいた方が良いだろう」

「ええ。できることなら、二級冒険者が二人くらいいてくれると心強いんだけど……」

「今の状況では、ガネーシャに相談してもな」

「そうね……。私のところと同じでしょうね」

 今、ガネーシャは歓楽街とメレンに大勢の眷属を派遣している。

 どちらも闇派閥(イヴィルス)が絡んでいる以上、相当な戦力を送っているだろう。

 そこに加えて、ダンジョン閉鎖という異常事態(イレギュラー)ときたなら、余力はないだろう。

 そんなことを、ヘファイストスとタケが言った。

(っていうか、それどっちもクオン君絡みじゃないかー!)

 ――と、胸中で叫んでおく。

 まぁ、それでどうにかなる訳もないけど。

「あ~…。具体的なランクは分かりませんけど――」

 と、そこで霞君が言った。

「強くて、ベル君を助けてくれそうな冒険者なら少しだけ心当たりがありますよ。いえ、あいつから聞いただけですけど……」

 もし留守中に何かあったら、そいつらのところに行け。

 クオン君が、そんなことを言っていたらしい。

「ちょっと行って、相談してみますね」

「あ、待って。ボクもついて行くよ――」

 と、霞君を追って走りだそうとしたところで、隠し部屋から声がした。

「戦力がどうとか聞こえたが、何かあったのか?」

 紫紺の瞳。色白の肌。灰色の髪は襟首辺りで切り揃えられている。

「アンジェ君……」

 半ば無理やり引き留めていた――自らを不死人(のろわれびと)と呼ぶ女の子だった。

 今は鎧ではなく、白を基調としたゆったりとした仕立ての上着とズボンを身に着けている。

 何となく、ボクらが降りてくる前に存在した聖職者を思わせる……というか、実際に一応そういう系統の血筋に生まれたらしい。

 まだあまり詳しくは聞いていないけど……何でも聖職の騎士だったんだとか。

「あら、ヘスティア。あなた、新しい眷属ができたの?」

「い、いや。そーいうわけじゃないんだけど……」

 返事に困っていると、アンジェ君が改めて問いかけてくる。

「戦力が必要なのか?」

「う、うん。ベル君達が、ダンジョンから帰ってこないんだ……」

「あの少年たちが?」

 頷くと、アンジェ君は感情を感じさせない声で言った。

「なら、私が行こう。ダンジョンというのは、あのドラゴンがいた場所なのだろう?」

「ドラゴン?」

 その言葉に、ヘファイストスが小さく呟いた。

「あまりよく覚えていないが、小さな竜だった」

「……まさか、インファント・ドラゴンのこと?」

「名前は知らん。だが、見掛け倒しだったな」

 怪訝そうな顔をしているのは、やはりタケたちだけだった。

「ヘスティア……」

 あっさりと言いきったアンジェ君に、ヘファイストスがボクへと視線を向けた。

「うん。それでいいと思う」

「……そう」

 霞君は言うに及ばず。ヘファイストスもミアハも()()()()()()()()()()()()のだ。

 ボクらの血を寄る辺としないまま、ダンジョンに挑む――挑める力を持った子供(にんげん)を。

 なら、推測するのは簡単だろう。

「い、いや! でも、君の鎧はまだ壊れたままじゃないか!」

「あれくらいなら、まだ役に立つ。それに、どうせお互い朽ちるのを待つだけだ」

 この子が()()()()を探しているのは分かっている。

 それに、この子の()()からして、ダンジョンこそが理想的な場所だと考えていることも。

「安心しろ。あの少年たちは生還させる」

 やはり、自分は含めていない。

「―――――――」

 でも、この子の協力が必要なのも事実だった。

(だからって……)

 この子を犠牲にして助けるというのは間違っているはずだ。

 

『例え、我ら神の力をもってしても、解呪することはかなわん』

 

 絶対に、間違っているはずだ。

「……一つだけ、お願いがあるんだ」

 だとして。ボクに何ができるだろうか。

「ボクの眷属になっておくれ」

 ……いや、地上にいる間なんて、できることはごく限られてしまう。

「もちろん、君の信仰を捨てろとは言わない」

 この子は、いわば『古代』の聖職者そのものだ。

 かつて信仰を奪われた小人族(パルゥム)がどうなったかを思えば、これは酷い冒涜なのかもしれない。

「ただ、君に助けてもらう代わりに、ボクにも少しだけ助けさせて欲しい」

 それでも。地上にいる(ボク)がこの子の力になる方法はそれしかなかった。

「よく分からないが……あの少年と同じようになれということか?」

 頷くと、彼女は小さくため息を吐いた。

「いいだろう。どうせ、私の信仰などたかが知れている」

 言うが早いか、彼女はためらいもなく上着を()()()

 もちろん、クオン君と同じ『スキル』だ。

「うわぁ!? タケ、ミアハ! むこう向けぇ!?」

 意外と大きな胸が無造作に晒された辺りで、叫んでいた。

「お、おう?!」

「う、うむ?!」

「というか! 【ステイタス】更新なら、自分たちがいてはまずいでしょう! すぐ表に出ます! そうですね、桜花殿?!」

「そうだよ、桜花?!」

「分かっている。分かってるからその手を下げろ?!」

 今すぐにでも目潰しかましそうな命君に背中を押され、千草君に手を引かれタケたちが礼拝堂から出ていく。

 ……あと、霞君はすでにいなかった。しまった、置いていかれてしまった。

「……で、私はいていいわけ?」

「えっと……」

 そして、思わずヘファイストスの服のすそを掴んでいた。

 い、いや、だって。……ちゃんと『恩恵(ファルナ)』が刻めるか少し不安だし。

(確かクオン君、自分には刻めないみたいなことを言ってたしなぁ)

 ええい、ヘタレっていうな! これこそパーフェクトに『未知』って奴なんだい!

 ――と。どこからか届いた伝言(メッセージ)に反論の念を送っておく。

「よし。それじゃ、いくよ……」

 ともかく、いつもの針を取り出し、指先に小さな血玉を作る。

 そして、それをその白い背中に垂らして――

「ほぁ?!」

 その血が()()()()()()()()

(ええ?! まさか弾かれた?!)

 まさか、それほどに強固な信仰……いや、違う。これは――

(足りてないんだ……っ!!)

 もっと単純な話だ。

 血なんて所詮は触媒でしかない。

 本当に【ステイタス】を綴るのは、そこに込められた『神の力(アルカナム)』。

 それが、逆に取り込まれた。彼女の『器』を包みきれず、逆に中に納まってしまった。

 つまり、単純にボクの力が足りていない。

(ど、どうする?)

 一滴の血に宿せる『神の力(アルカナム)』は一定だ。

 元々がそういうものなのだ。その法則(ルール)に逆らっては天界に送還されかねない。

 でも、一滴では足りないというのも事実だった。

 それなら――…

(ええい! 一滴じゃ足りないっていうなら!!)

 とっさに思い付いた。

「ちょっと待ってておくれ!」

「あ、ちょっとヘスティア?!」

 アンジェ君とヘファイストスをおいて、いったん隠し部屋に飛び込む。

 そして、それを片手に掴むともう一度戻って―――

「いくぞぉおぉおおおぉぉっっ!!」

 覚悟を決めて、持ってきた包丁で指先を思いっきり切る。

 ぼたぼたと垂れ落ちる血は、いつもの何倍になるのだろうか。

 ようやく、慣れ親しんだ感触が伝わってきた。

 

 Lv.1

 力 :I0

 耐久:I0

 器用:I0

 敏捷:I0

 魔力:I0

 

 その背中に、彼女の物語が記され始める。

 もっとも、例え歴戦の戦士であっても最初は全員がLv.1。オールI0からのスタートだ。

 誰でも同じ。ここまでは。

 

≪魔法≫

【 】

【 】

【 】

 

 魔法の発現はないけど、スロットは三つ存在する。

 魔導士としては最高の資質だ。

 ただ……予感だけど。これで驚いていては身が持たないだろう。

 

≪奇跡≫

 

 ほら、やっぱり。

 ベル君と同じだ。いや、同じじゃないけど。同じように()()()()()()

 

 

『奇跡とは、神々の物語を学びその恩恵を祈り受ける業である。その威力は術者の信仰に依存する』

 

 ――と。その【奇跡】というのが何なのかが()()()()()にも追加される。

 ベル君の【呪術】とは違う。彼女は確かに『古代』の()()()と同じなのだと改めて思う。

 

≪奇跡≫

【回復】

・聖職者の初歩的な奇跡

・自身や他者の体力を回復する

 

 記されたのは、詠唱文ではなかった。

 その『物語』の概要。これもまた、ベル君の【呪術】と同じような感じだ。

 

【フォース】

・武器を持つ聖職者の初歩的な奇跡で、衝撃波を発生させる

・直接的なダメージを与えるものではないが、周囲の敵を吹き飛ばしよろめかせる

・飛来する矢を防ぐ効果もある

・聖職の騎士は、これを頼りに単騎敵中に突撃するのだ

 

【導きの言葉】

・迷える者たちの奇跡

・聖職者の道標は信仰の中にあり、故知らぬ導きなど知る必要はない

・だが、この奇跡は語り継がれ迷える者たちの微かな望みとなり続けた

 

【武器の祝福】

・武器に祝福を施す。

・祝福は攻撃力を高め、僅かずつ体力を回復する。

・死して彷徨う亡霊や骸に対しては特に脅威となるだろう。

 

【白教の輪】

・白い光輪は敵を斬り裂き、やがて術者の元に戻る

・かつて、神々の名残が濃い時代には白教の奇跡は光輪と共にあったという

・そして、それを偲ぶ者達はいつの日かそれが戻ると信じていた

 

「―――――?!」

 かつて、神々の名残が濃い時代には――

 いつの日かそれが戻ると信じていた――

 最後に綴られたその『物語』において、『神時代』は何故か過去形で……いや、()()()()()()()()()()()()として語られていた。

 けど、それに驚いている暇すらなかった。

 本当の衝撃は、その直後に叩き込まれたのだから。

 

≪スキル≫

闇の刻印(ダークリング)

・不死の証。死亡しても蘇生可能。しかし、その度に人間性を喪失する。

・ソウルの器の証。ソウルを奪い己のものとして取り込める。

・ソウルを代償に最後に休息した篝火に帰還できる。篝火こそが不死人の寄る辺である。

・人間性の減少により亡者化が進行。心折れれば、完全なる亡者となり果てる。

 

 確かに、その背にはそう記された。

(スキル。()()()だって……?!)

 ゾッとした。血が凍ったのかと思うほどだ。

 そう。それは、まさにミアハが言っていたように――…

 

『その者の『本質』を歪められた結果があの変容なら、()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 ありえない。こんな『呪い』はあり得ない。あってはいけない。あってはいけないはずなのに……っ!

 そのあり得ない『呪い』は、止める間もなくそこに具現化した。

 いや、止められるはずもない。

 そもそも、『恩恵(ファルナ)』とは、何かを打ち消すものではない。経験を発掘していくものだ。

 あえて埋もれたままにしておく事は可能だけど、すでにあるものを埋めなおす事はまずできない。

「終わったよ……」

 たった今【ステイタス】が綴られたばかりの背中に額を押し当てて呟く。

 眷属(かぞく)が増えたんだ。嬉しくないはずがない。でも、今はなんだか泣きたい気分だった。

「ヘスティア。あなた、大丈夫なの?」

 しばらくそうしていると、ヘファイストスが静かに尋ねてきた。

「何とかね……。何だか、すごく疲れたけど」

 これ、一体何回分の【ステイタス】更新を同時にやったことになるんだろう。

 流石に疲れた。体がじゃなくて、精神が。この辺はベル君達と同じだ。

 まぁ、まだ流石に精神疲弊(マインドダウン)を起こすほどじゃないけど。

「いや、そっちもだけど。指は?」

「えっ?」

 ダバダバと、まだ豪快に血が滴っていた。

 それを見た途端、忘れられていた恨みでも晴らすかのように指が痛みだす。

 っていうか、本当に痛い?! 火傷したみたいに痛い?!

「いたたたた?! 痛いよおおおおぉっ!?」

「当たり前でしょ、このバカ! ちょっとミアハ――」

 ヘファイストスがミアハを呼ぶより先に、誰かがボクの手を取った。

 いや、誰かなんて分かりきっていた。

「――――――」

 その物語を口ずさむのは、ボクの新しい眷属(かぞく)

 黄金の輝きが、その傷を優しく包んで消していく。

 これは【回復】の物語か。前にクオン君も口ずさんでいた気がする。

「ありがとう」

 見れば、アンジェ君の体には生気が戻っていた。

 今までの燃え尽きた灰のような白さではなく、人間のぬくもりが感じられる。

 ……それならきっと、少しはボクの血にも意味があったんだろう。

 ホッとしてると、アンジェ君はそのままそこに跪いて――

「これより私は、炉の神ヘスティアの陰となり、貴女を守護し、神の敵を狩る剣となりましょう」

 ――そんな宣誓を口にしたのだった。

 いや、だから信仰は棄てなくたって――と。

 そう言おうとして、やめた。

「なら、約束しておくれ」

 今、ボクが伝えなくちゃならない言葉は別だった。

 だから、少しだけズルをさせてもらう。

「生き急いだりしないで。これで、ボクらは家族になったんだ」

 その『呪い』を解くことは、ひょっとしたら本当にできないのかもしれない。

 でも、

「ボクはずっと君の傍にいる。約束する。だから、亡者になんてなるんじゃないぞ」

 ボクらだって不老不変の存在だ。時の最果てまでだって付き合える。

「……神命、拝受しました」

「ああ。約束だ。忘れないでおくれ」

 

 

 

 あれからしばらくして。

 何とかして辿り着いたその小広間(ルーム)の中に、僕達は身を潜めていた。

 通じる道は酷く狭い。身を潜めるには都合がいいけど、勘づかれたら逃げることもままならない。

 そういう意味では、決して安心できる状況ではなかった。

「ヴェルフ、脚はもう大丈夫?」

「ああ。……いつも通りとはいかないが、何とか戦えそうだ」

 間違っても勘づかれないよう息を潜めたまま問いかけると、少しだけ苦痛を宿した声でヴェルフが頷く。

「……何よりです。今のダンジョンで、戦力の欠落は致命的すぎますからね」

 小さく呟くリリの声もまた、酷く固い。

 理由は、もちろん一つしかない。

(落ちた……)

 一二階層まであと僅かというところから一転して、ダンジョンのさらに奥へと。

 それだけでも最悪だが、すでに現在地を見失っている。

 ダンジョンの中で迷子。最悪過ぎて、いっそ笑い出したくなる。

 ただ、それも仕方がないことだった。

(エイナさん……)

 真紅の長衣を握りしめ、信頼するアドバイザーの顔を思い浮かべる。

 落ちた先――ようやく、何とか、体勢を立て直した直後に遭遇したのはヘルハウンドの一団だった。迫りくる炎は、あまりに絶望的だったが……

(この『サラマンダー・ウール』がなければ全滅していた)

 そう。エイナさんの助言のお陰で何とか命拾いできた。

 長衣の胸元を握りしめながら、小さく感謝の言葉を口にする。

 これを着ていなかったら、爆炎に紛れて逃げ出すどころか、あの場所で消し墨になっていたのは間違いない。

「いくら何でも、モンスターの数が多すぎる……」

 今立てこもっているこの小さな広間(ルーム)――入り口が一つしかないこの場所に逃げ込めたのは、多大な『幸運』に恵まれたからだろう。

 あのヘルハウンドの大群に限らず、道中で見かけたモンスターはあまりに多すぎた。

「多いが……何か、()()()()()()()ようにも感じるな」

「ええ。明らかに何か異常事態(イレギュラー)が起こっています……」

 イレギュラー。その言葉は、別の存在を思い起こさせた。

「ごめん、ヴェルフ。ちゃんと治してあげられなくて……」

 ヴェルフの脚は瓦礫に挟まれ、骨が折れていた。

 何とか、【ぬくもりの火】で癒しはしたけれど……。

「クオンさんだったら、きっと完全に治せるのに……」

 今の僕では、完全に癒しきれない。それより先に、『火』は消えるか使()()()()()()()

「気にするなって。何とか戦えるようになっただけで充分だ」

「ええ。ヴェルフ様には負担をかけますが、今は少しでも精神力(マインド)を温存しないと。それに――…」

「うん、分かってる」

 その『火』の明かりは、モンスターを呼び寄せる目印にもなってしまう。

 だから、今まで灯した【ぬくもりの火】はいくつか途中で破棄することになってしまった。

「ここで、もう少し休憩(レスト)を取りましょう」

 リリの言葉に頷く。

 とはいえ、ダンジョンの中だ。充分に休めるはずもない。

 特に精神的な疲労はなかなか抜けない。文字通り、気を休められないのだから当然だが。

「念のため、もう一度壁に傷を。なるべく音をたてないように」

 傷をつければ、ダンジョンはその修復を優先する。その間は、モンスターが生まれない。

 ダンジョン内で最低限の安全を確保する方法だった。

 ……今にして思えば、クオンさんがこまめに採掘していたのは、僕達の背後でモンスターが生まれないようにするためでもあったのかもしれない。

「うん……」

 そんなことを思いつつ、壁に傷をつける。

 これで、もうしばらくこの辺りではモンスターが産出されないはずだ。

 もっとも、岩の壁に音もなく傷などつけられない。

 今はモンスターの耳に届いていないのを祈るしかなかった。

 何しろ、ここで襲われたならもう逃げ道がないのだから。

「……装備の、確認をしましょう」

 それから、しばらくして。新しくつけた傷が、あまり目立たなくなってきた頃。

 リリが言った。

「まずは治療用のアイテムです。リリは、回復薬(ポーション)が四、解毒剤が二」

 半ば燃え尽きたバックパックを探りながら、リリが告げた。

「俺は何も残っちゃいない」

 落ちた時に、全部割れた――と、ヴェルフが苦々しく呻く。

「僕は、レッグホルダーにいくつか……」

 中身を確認しながら、答える。

 特にとっておきの二属性回復薬(デュアル・ポーション)は、まだ割れずに残っている。

「でも、精神回復薬(マインド・ポーション)は、もう……」

 つい先ほど、最後の一本を飲んでしまった。

 ここまでのように魔法と呪術に頼った強行軍はできそうにない。

「次に武器です」

 弱気になりそうな僕を叱咤するように、リリが言葉を続けた。

「リリのボウガンは……」

 まだリリの手元にあるものの、落下した時に酷く叩きつけたらしく破損してしまっている。

「悪いな、ボウガンの機構には詳しくないんだ。それに、道具も材料もない」

 それでも、ヴェルフの手で簡単な応急処置は施されている。

 もっとも、いざという時に一回か二回撃てるかどうか……と、言ったところらしいけど。

 もちろん、威力もいつも通りとはいかない。本当に、気休め程度だとも。

「ですが、ベル様からお借りしているショートソードは無事です。……使い手がリリでは、これも気休め程度ですが」

「僕は、大剣をなくしただけ」

 やっと手に馴染んできたところだったけど、知らないうちに手放してしまっていたらしい。

(多分、落ちてすぐの一斉放火から逃げ出す途中だと思うけど……)

 もっとも、今さら回収に戻れるはずもない。

 モンスターから逃げるのに必死で、どこをどう逃げたのか分からない。

 ……と、いうか。それが分かっていれば、今いる場所も少しは見当がつくんだけど。

「ナイフとショートソードは無事」

 もちろん、手甲と一体化している小盾も。

「俺の大刀も無事だ」

 つまり、武器に関して言えば消耗は決して深刻というわけではない。

「『サラマンダー・ウール』も、無事だな」

「うん。焦げてもいない」

 念のため、お互いに確認し合うが、これといった問題は見当たらない。

 これで、ひとまずヘルハウンドの攻撃もまだ耐えられる。

「まだ、ギリギリ命運は途切れてない、ですね……」

「うん、そうだね」

「ああ、その通りだ」

 三人で何とか笑いあう。

 もっとも、リリもヴェルフも笑顔とは言い難いような引きつった顔だった。多分、僕もそうだろう。

「だが、これからどうする? 現在地が分からないうえ、モンスターの大量発生ときてる」

 少しして、表情を改めたヴェルフが切り出した。

「現在位置、ですか……」

「どうしたの、リリ?」

 まさか、見当がつくのだろうか。

「いえ、あくまでリリの主観での話です」

 なのでどうか、お二人とも取り乱さずに聞いてください――と。

 リリは真剣な顔で念を押し、僕らが頷くのを見届けから、後を続けた。

「今いるこの階層は、()()()()かもしれません」

「―――――」

 呼吸が止まる。取り乱さなかったのは、多分奇跡に近い。

 ……いや。それとも――

「落ちてから、地面につくまでの時間を顧みると、二階層分の距離を落下した可能性は充分あります」

 ――そう。予想していたからだろう。

 リリの言葉に納得するほど、あの落下は酷く長く感じた。

「一五、階層……」

 ひとまずの安全階層となる一二階層まで、三階層も踏破しなくてはならない。

 万全の状態ですら困難だというのに、今の状態で本当に踏破できるのか……。

「一つの選択として、ですが。あえて、上層(うえ)を目指すのではなく、さらに下を目指すという方法もあります」

「さらに、下……?」

「はい。一八階層は安全階層(セーフティ・ポイント)……モンスターの生まれない階層です。ほら、ベル様。覚えていませんか? あの変な女の方と、赤い幽霊と出会った時のことを」

「女の人と、幽霊……」

 それは、覚えていた。

 僕が初めて――多分、本当の意味で【正体不明(イレギュラー)】クオンの姿を見た日の事だ。

「そのあと、クオン様はどうされました?」

「えっと、ダンジョンの中にこもるって……」

 

()()()()までたどり着ければ、お前にも意味が分かるさ』

 

「あ……!」

 そう。確かにそう言っていた。

 一八階層。安全階層(セーフティ・ポイント)。モンスターの生まれない階層だからなのか。

「はい。一八階層までたどり着ければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()が必ずいます。何しろ、『下層』に挑むための重要な拠点でもありますからね」

「拠点……」

「ええ。クオン様がしばらく滞在できる程度には()()()()()と聞いたことがありますよ」

 野営地のようなもの、ということなのだろう。

「辿りつけさえすれば、あとはそこから地上に戻る連中に合流させてもらえるってわけか」

 ヴェルフもまた、小さく唸った。

「だが、階層主はどうする? 確か一七階層だろ、産出されるのは」

 一七階層――ダンジョンで最初に遭遇する階層主。その名を『ゴライアス』といった。

 もちろん、見た事などある訳もない。エイナさんから、名前を聞いたことがあるだけだ。

「今なら、ギリギリ素通りできるかもしれません」

 しかし、リリは澱むことなく言った。

「どうして?」

「『ゴライアス』が産出されるのは一八階層への連結路の手前だと聞きます。そして、次産期間(インターバル)は約二週間。そして、【ロキ・ファミリア】が遠征に向かったのもおおよそ二週間前ですから」

「【ロキ・ファミリア】が討伐しているなら、確かに間に合うかもしれないが……」

「それはまず間違いなく仕留めていると思います」

「何でだ?」

「【ロキ・ファミリア】の遠征先は五九階層。必然、用意する物資の量も多く、それを運ぶためのサポーターも多く連れて行きます。それほどの大人数を引き連れて、階層主を素通りするのは難しいはずです。少なくとも、彼らにとっては仕留めた方が遥かに楽でしょう」

(そういえば……)

 アイズさんは、単独で階層主を――ゴライアスよりさらに深いところにいる怪物を倒したのだと。

 その事実を思い出す。

 そして、そう言った実力者が集まっているのが【ロキ・ファミリア】だ。

 なるほど、確かに倒してしまった方が楽で安全なのか。

「…………」

 憧憬との距離を、改めて思い知った気分だけど……今は落ち込んでいる暇もない。

「そういや、今回はうちの団長達もついて行ってるんだったか」

「ええ。ですから、なおさら安全優先で攻略を進めると思います」

「そいつは納得だが……正気(ほんき)か?」

「現在地が不明の今、一つしかない上への階段を見つけるよりは、確実に複数ヶ所にある縦穴の方が見つけやすいと、リリは考えます。それに……」

 少し口ごもってから、リリは続けた。

「ダンジョン内では何か深刻な『異常事態(イレギュラー)』が発生しています。それも、おそらく()()()()()()()()()()()()()で」

「何でそう思うんだ?」

「下なら、ギルドが派遣した調査隊なり一八階層の冒険者なりが探索していておかしくありません。ですが、今のダンジョンはあまりに静かすぎます」

 つまり、今のダンジョンには――この階層には冒険者がいない。もっと上の階層で足止めされている。

 そういう可能性が高い。

「もちろん、まだ調査の手が届いていないだけの可能性もあります。もしくは、『異常事態(イレギュラー)』なんて起こっていないのかもしれません。その場合は、上を目指した方が安全なのは間違いないでしょう。連結路とは言わずとも、正規ルートにさえ近づけば他のパーティと出会える可能性が高まりますから」

 ただ、仮に上で『異常事態(イレギュラー)』が発生しているなら、自分からそれに飛び込むことになる。

 そこまで言ってから、リリは告げた。

「このパーティのリーダーは、ベル様です。ご判断は、ベル様にお任せします」

 息が止まり、心臓だけが跳ねた。首筋辺りが凍えたように震えだす。

 ダンジョンの薄闇が、質量を持ったように肩へとのしかかってきた。

「いい、決めろ。どっちを選んだって、俺はお前を恨んだりしない」

 それは、信頼と絆の言葉だった。

 しかし、同時に僕から逃げ道を奪うものでもある。

 乾いた喉が痛みすら発する。

 これからする選択は、まず間違いなくパーティの……リリとヴェルフの生死を決定づける。僕一人が死ぬだけでは絶対に済まされない。

 今まで感じた事のない恐怖だった。ミノタウロスに襲われた時も――二度目の対峙の時とも違う。

 他者の……大切な人達の命の重さ。それが、心臓を圧し潰しそうだった。

 だが――これこそが、パーティの頭目の役目なのだと……そう理解してもいた。

 リリとヴェルフの信頼の応えるなら、それは今だ。

(階段を探すか、縦穴を探すか……)

 いずれにしても、モンスターとの接触は最小限にしなくてはならない。

 その前提の上で、どちらを見つける方が現実的か。

 どちらにしても、相応の『幸運』に恵まれなければならないだろうけど……

「――――――」

 それでも。最大限、自らの手で帰還への道を切り拓くならば――やはり、冒険をするしかない。

 決断を、下した。

「進もう」

 そう。前進(ぼうけん)をするのだと。

 

 

 

 そして、眠れぬ一夜が明けて。

 

「【正体不明(イレギュラー)】クオンへ。神ウラノスはあなたを招聘します! オラリオにいるのであれば、直ちに応じてください。またすべての派閥へ。彼の所在を知る方はギルドへ連絡をお願いします!!」

 

 事態は、大きく動き出した。

 

「ヘスティアよ。ダンジョンの閉鎖が解除されたぞ」

 ヘファイストスのお店に、ミアハが駆け込んできたのはその日の夕方過ぎだった。

 クオン君が戻ってきてから、およそ半日といったところか。

「本当かい?!」

「うむ。確かだ」

「ごめん、店長! ボクこれで上がるよ!!」

 ミアハの言葉に頷くより先に、店の奥へと叫ぶ。

 もうヘファイストスが話を通してくれているので、これで充分だ。

「タケ達は?」

「準備は整っている。傷もすっかり癒えた。そなたの子の装備も直ったようだぞ」

 バベルのエレベーターの中で、そんなやり取りを交わす。

 

「今回だけは、特別にただでやってあげる」

 

 アンジェ君の鎧を見ただけで――いやまぁ、その前に最初の誓約の様子を見てるけど――ヘファイストスは大体の事情を察してくれたらしい。

 そう言って、アンジェ君の装備一式を持ち帰って……本当に一夜で仕上げてくれたらしい。

「みんな!」

 バベル前の広場から少し外れ、なるべく人目につかないその場所に、タケたちが集まっていた。

「おお、ヘスティア! やっと閉鎖が解除されたぞ!」

「第三次調査隊も派遣されたわ。結構な人数がね」

「だが、彼らはベル達を積極的に探してくれるわけではあるまい。やはり自ら探すしかなかろう」

「うん! 分かってる!」

 頷いてから、皆を見回す。

「改めて。みんな、ボクに力を貸しておくれ!」

「仰せのままに」

 頷くのは、タケの眷属(こども)たち。

 そして――

「微力を尽くしましょう」

 霞君の隣にいる、覆面をつけた女冒険者。

「えっと、君は?」

「助っ人ですよ。あいつ一押しの」

「……そうなります」

 あいつとはクオン君の事だろう。つまり、超強いってわけだ。

「ちなみに、素性の詮索は禁止ですよ?」

 剣闘士の礼儀(マナー)です――と。霞君が冗談交じりに笑う。

 冗談交じりだけど……実際、本当にそうなんだろう。

「……まぁ、私が言っても説得力がないかもしれませんけど」

「いえ、お気になさらず」

 あれは無理です――と、覆面君がため息を吐いた。

 そりゃまぁ、クオン君を隠し通すなんて、それこそウラノス(ギルド)でも無理だろう。

「それより、そちらの方は?」

 アンジェ君を見て、覆面君が問いかけてくる。

「ボクの新しい眷属だよ」

「新しい? では、ランクは……」

「あ~…。そっちは問題ないよ」

「そう仰るのでしたら」

 お互いに詮索なし――と。そんな暗黙の約束を結んでから。

「ヘファイストス! 直してくれてありがとう!」

 そのアンジェ君はすっかり全身鎧を着込んでいて、顔も見えない。

「いいわよ。今回は特別。それに、やっぱり楽しかったし」

 それより――と。ヘファイストスが白い布に包まれた何かを差し出してくる。

「これは?」

「あの子……ヴェルフの作品よ。今まで私が預かっていた」

 ずしりとした感触。多分、剣……いや、魔剣だろう。

「危なくなったら使ってもいいけど……ヴェルフを見つけたら渡してちょうだい。あと、『意地と仲間を天秤にかけるのはやめなさい』とも伝えておいて」

「う、うん?」

 よく意味は分からないものの……多分、ヘファイストスとヴェルフ君の間ではそれで通じるのだ。

 しっかりとその言伝を記憶に書き留めておく。

「閉鎖は解かれたとはいえ、まだギルドやガネーシャの子らの監視の目がある。……ヘスティアよ。本当について行くつもりか?」

「うん。そのつもりだ」

 ミアハの問いかけに、しっかりと頷く。

「諦めなさい。この子、最近妙に頑固なのよ」

 ヘファイストスが小さく肩をすくめた。

「では、予定通り一芝居うってもらうしかあるまい」

「その代わり。頼むぞ、ヘスティア。無事に帰ってこい」

「もちろんだとも! みんな揃って帰ってくるさ!」

 しっかりと頷く。

「それと、まだクオンはダンジョンの中にいるみたい。多分、『中層』にいるはずよ」

「可能であれば、合流するとよい」

 それは、朗報だった。合流できるなら、それだけでかなり心強い。

「それでは、ヘファイストスよ。名演技を期待するぞ」

「私は芸能の女神じゃないんだけどね」

 まぁ、でも。完全に演技ってわけでもないか――と、ため息を吐いてから、

「ごめんなさい。今の状況について、少し話を聞いてもいいかしら? 実は私の子供達がまだダンジョンの中にいて――」

 ヘファイストスが、入り口で監視しているギルドやガネーシャの子供達に声をかけた。

 そのまま、少し込み入った話をはじめて――

「少々お待ちください。確認してみます」

 少しだけ、監視が緩んだ。

「よし、行け!」

 小さくも鋭い声で、タケが言った。

 頷いてから、足早に――ではなく。普段通りの足取りで、他の冒険者に紛れて入り口に近づく。

 解除されただけあって……あと、安全調査を請け負ったパーティがいるので、それなりの数が出入りしている。

 そこに紛れてしまえば――

「あれ? あのパーティは【タケミカヅチ・ファミリア】ですね」

「治療室から脱走したってところか?」

 ヤバい。全員の顔が引きつりかけた時――

「あ、でも。そっちはテアサナーレ氏が問題なしって判断したそうですよ?」

 ナイスだ、ピンク君!――と、ピンク色の髪をした女のギルド職員君に喝采を上げる。

「あれれ? でも、あのマントを着た女の子、ヘスティア様に似てるような……」

 しかし、裏切られた。そーいう余計なことには気づかないでいいんだよ?!

「ごめーん! お待たせ!!」

 と、そこで。素知らぬ顔で霞君が駆け寄ってくる。

「さぁ、行きましょう!」

「え、ええ?」

「ほーら新入り! そんな緊張した顔しない!」

「ふぎゃ?!」

 状況について行けずに戸惑っていると、びろーんと霞君が頬を左右に引っ張った。

「ひたいひたい?!」

 いや、それなりに加減はされてるけども!

 あまりに急なことだったので、思わず悲鳴を上げていた。

「まる一日稼ぎがなかったんだから、気合入れてかないと!」

「お、おう! ま、任せておけ!?」

 こっそりと肘で小突かれた桜花君が、実に不器用に不自然に胸を叩き、頷いて見せた。

 マズい。これ絶対にバレる流れ――…

「さぁ、行くわよ! 折角助っ人も捕まえたんだし! ほら、早く!」

 しかし、霞君が勢いで押し切った。

 全員を引きずるようにして、ダンジョンの中へと突進していく。

 そして――

「大変失礼しました、ヘスティア様」

 それなりに置くまで踏み込んだところで、ぺたりと最終奥義(ドゲザ)を披露した。

「うわぁ!? 別にいいって!! 気にしないでおくれよぉ?!」

 おかげで助かったし。

(というか、万が一クオン君に知られたら後が怖いよーな気がしてならない!)

 想像の中で、クオン君が爽やかに笑う。

 ……その手に、赤熱した焼き鏝を持ちながら。

「しかし、困りましたね」

 ガクブルしていると、覆面君が小さく唸る。

「ここから彼女だけを地上に帰すのは、少々不安です。それに、あまりに不自然だ。特に今は地上とも密に情報のやり取りを交わしていますから……」

 不審人物として目をつけられると、各地に散会している調査隊全てを振り切る羽目になる。

 その言葉に、全員が顔をひきつらせた。

「そして、第三次調査隊の中核を担っているのは【フレイヤ・ファミリア】です」

 加えて言えば、団長である【猛者(おうじゃ)】が直々に陣頭指揮を執っている。

 あのクオンさんと組んで『深淵』の討伐に赴いていることも併せて、主神(フレイア)の神意が働いているのは疑いない。

 であれば、彼らは一切の容赦をしない。振り切ろうとしたところで、とても振り切れるものではない。

 ――と、追い打ちをかけるように、覆面君は続けた。

「えっと、つまり――」

「ええ。このままついてきてもらうしかありません」

 不審な行動さえとらなければ、フレイアの子供達の注意を惹くことはない。

 ダンジョンの閉鎖は解かれている。調査隊以外のパーティがいたとして、不自然ではないのだ。

「ですよねー…」

 ちょっと泣きそうな顔で、霞君が呻く。

「ま、まぁ。一応はエルフだし。魔法の心得もあるから少しくらいなら」

 念のため動きやすい服に着替えておいて良かった――と。

 すぐさまそんなことを呟けるあたり、やっぱりクオン君の関係者だと思う。

 ちなみに、今日の霞君の服は卵を取りに行った時と同じだった。

「幸い、予定は大きく変わりません。あなた達は、神ヘスティアたちの護衛を優先してください」

「ああ、分かっている」

「前衛は私が。あなたは中衛を。今の後衛はサポーターより脆いということを忘れないように」

「そのつもりだ」

「モンスターの異常発生が確認されていると聞きます。あなた達も警戒を怠らないように」

 覆面君が、桜花君とアンジェ君にそれぞれ声をかける。

 そして、最後に――

「あなたがいるなら、クオンさんの協力を取り付けやすい。それは大きな利点です」

 と、霞君を見ながらそんなことを言った。

 果たして本気だったのかどうなのか……。

「それでは、行きましょう」

 全員が頷くのを見届けてから、覆面君は改めてダンジョンの奥へと向かって歩き始めた。

 

 

 

(なるほど、妙なことに巻き込まれやすいのは主神も同じですか)

 中層――彼らが落ちたはずの一五階層に至ったところで、そう結論付けた。

「はぁあッ!」

 斧槍(ハルバート)を巧みに扱い、白兎(アルミラージ)を一掃する女騎士。

 彼女は、驚くことにクオンさんと同じ『スキル』の使い手だった。

 ただ、明らかに彼女は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして――…

(彼よりは、まだ甘いか)

 もっとも、今見せているのが本気かどうかはまだ分からないが。

 加えて言えば、

(それでも、私より強い)

 その力量はLv.5以上と見ていい。

 ヘスティア様は自分の眷属だと言ったが……下手をすれば、彼女もまたLv.0なのだろうか。

(ランクの壁は、随分と低くなったものだ)

 覆面の内側で、人知れず苦笑した。

 思えば、クラネルさんの『飛躍』もまた、ある意味ランクの壁を揺るがす壮挙だと言える。

「――――」

 ふと、クオンさんが戻ってきた日――正確には、私がそれを知った日の事を思い出す。

 確か、あの時クオンさんは後継者を探しに行ったと。そして、見つけたから戻ってきたとも――…。

(いえ、まさか)

 流石に結論を急ぎすぎだ。

 自制しつつ、行く手を阻むアルミラージの群れを駆逐する。

 それにしても――…

「死ね」

 蹴り倒したアルミラージに、その斧槍(ハルバート)を無造作に突き立てて抉る。

 騎士然とした装備に反して、その戦い方は案外と粗野(ダーティ)だ。

 ……もっとも、前線で戦う騎士が全て物語のように高潔だとは思っているわけではないが。

「どうかしたか?」

「いえ……」

 視線に気づいたのだろう。問われて、思わず言葉を濁した。

 まさか本人に言えるはずもない。……随分と血の匂いのする戦い方をするなどと。

(今となっては私も同じか)

 自嘲してから、別の事を呻く。

「モンスターの異常発生というのは確かなようですね」

 この階層は今までも何度となく通ったが、これほど大量のモンスターを見かけた経験は少ない。

 あったとしても、それは『怪物の宴(モンスター・パーティ)』によるものだ。

 だが、今は恒常的に多すぎる。

 唯一の救いは、感じる殺気に対して襲ってくる数が少ないことか。

 もっとも、それとて安心していいことではないが。

(まるで、まだ何かを警戒しているような……)

 しかし、ダンジョンから生まれた存在を、同じくダンジョンから生まれたモンスターがここまで警戒するだろうか。

(共食いに手を出した『強化種』なら……)

 いや、確かに『強化種』のようなものは発生しているのか。

 何でも『深淵種』と呼称されたのだとか。

 仮にモンスターが警戒しているのがそれなら、この近くにも潜んでいる可能性がある。

 異形とも違う、未知の存在が。

「そうなのかい?」

 思考を巡らせていると、【タケミカヅチ・ファミリア】に守られたヘスティア様が言った。

 その隣には霞さんの姿もある。

 ……正直、彼女達の同行を許可したのは失敗だったと言わざるを得ない。

 後衛は思った以上に優秀だが、それを差し引いても戦力的にはギリギリと見積もった方が良い。

 このまま何事もなくクラネルさん達を見つけ出せればいいが……。

(やはり、クオンさんと合流するべきでしょうか……)

 もっとも、それも現実的とは言い難い。

 何しろ、彼らが今どこを探索しているか全く分からず――そして、合流できたなら、高確率で彼らが追いかけている異常事態(イレギュラー)に巻き込まれることになる。

「ええ。……クラネルさんの『恩恵』はまだ無事ですか?」

 そもそも、この状況だ。最悪の事態がすでに起こってしまっていることも考えられた。

「大丈夫。途切れてないよ」

 なるほど、私が思っているよりずっと彼は成長しているようだ。

「しかし、生きているとして。例の『呪詛(カーズ)』に巻き込まれているのでは?」

 確かカシマ・桜花と言ったか。【タケミカヅチ・ファミリア】の団長が唸る。

「昨日、ミアハ様たちが言ってたけど、やっぱり一五階層は安全みたいよ」

 言ったのはアンジェリックさんだった。

「ミアハ様がね。情報を集めてきてくれたの。ナァーザがお手伝いに行ってるしね」

 それによると、件の『呪詛(カーズ)』――『深淵』なるものは、一四階層に発生していたらしい。

 そして、その『深淵』自体はクオンさん達によって、すでに消滅させられているとも。

 彼らが――第三次調査隊が行っているのはあくまで残党狩りというわけだ。

 もっとも、それとて彼女たちを連れた状態で遭遇すれば充分に危険だが。

「いや、それは分かっている。俺達もそれなりに情報は集めた」

 傷の手当てを優先したから、そこまでではないが――と、小さく付け足してから、

「だが、地上への帰還を目指すならやはり一四階層を通るだろう?」

 懸念しているのはそれだ――と、彼は言った。

 確かに正論だと言っていい。言っていいが……

「彼らが本当に一五階層まで落ちたとするなら」

 その言葉を聞きながら……ひとまずの指針を打ち出すことにした。

「おそらく、現在位置を見失っているとみていい。そして、彼らもまたこの異常発生の影響を受けているでしょう」

 その状態で、闇雲に地上への道を探し回る――と、言うのは下策だった。

「ならば、地上への帰還を諦め、一八階層を目指しているのではないかと」

 一つしかない地上への連結路を探すより、無数にある縦穴の方が遥かに見つけやすい。

 そして、一七階層までたどり着いたなら、あとは進むか戻るかの選択だ。

 いや、時間との勝負というべきだろうか。

「あえて、下に進む……。そんなことを本当に実行するのか?」

 だとしたら、正気じゃない――と。桜花が唸る。

 確かに、未知の階層に挑むことは恐ろしい。特に彼らはその洗礼を受けたばかりだ。

 だが――

「私なら、そうする」

 この状況なら、その恐怖に挑むことこそが、最も生存確率の高い選択となる。

 そして――

「一度冒険を超えた彼なら、振り返らず前に進むと思います」

 視線をヘスティア様へと向ける。

「うぅん……。ボクも、ベル君は下にいる、ような気がする……」

 左右に結った黒髪を波打たせながら、彼女もまた頷く。

 いくら『恩恵』を与えているとはいえ、その位置が正確に分かる訳ではない。

 まして、地上にいる限り神と言えど人智を超えられない。

 それでも、結ばれた絆を必死に手繰っているようだった。

「ヘスティア様……」

 そこで、今まで沈黙を保っていた女騎士――アンジェさんが声を上げた。

 片膝をつくその先には、焼け焦げ、溶解し、半ばから折れた大剣の残骸が転がっている。

「あの少年たちが、ここを通ったのは間違いないかと」

「うん。……確かにこれはベル君の大剣だね」

 鍛冶師君から貰ったって喜んでいた――と、ヘスティア様が呟く。

 クラネルさん達が落下した場所と照らし合わせても、彼らの装備の残骸と見ていいか。

(ここでヘルハウンドの一斉放火を受け、全滅という可能性もありますが……)

 道中で見かけたモンスターの量を考えれば、文字通り灰も残さずに焼き尽くされたとしても驚くには値しない。

 ……もっとも、神ヘスティアがまだ生きているというのだから、その可能性は低いが。

「――――――」

 雑念に気を取られている間に、アンジェさんが聞き取れない言語を用いて何か物語を口ずさむ。

「ひゃ?! 幽霊?!」

 程なくして、半透明の――まさに幽霊のような人影が……その幻影が周囲に現れた。

「【導きの言葉】。大した奇跡ではない。迷える者たちに僅かばかりの導となるくらいか」

「奇跡……?」

 魔法ではなく?――と、問いかけそうになったが……。

(いえ、詮索は無用ですね)

 ハラハラとしている神ヘスティアを見て、自省する。

 素性を探られたくないのはお互い様だ。私だけが問うのは道義に反する。

 それに、今はその時間も惜しい。

「あのパーティは……」

 所詮は幻影。はっきり見えないが……装備や背格好からして、クラネルさん達のように見える。

 三人がお互いを引きずるようにして、必死に走り抜けていく。

 ここでヘルハウンドに襲われ、それでも何とか逃げ延びたと言ったところか。

「どうやら、ここでは死んでいない。いえ、主の言葉を疑ったわけではありませんが……」

 行きましょう。そう言って、彼女はその幻影を追って走り出した。

「仕方ありません。なるべくはぐれないようにお願いします」

「分かったよ!」

 と、いっても。冒険者の脚に、恩恵を持たないヘスティア様とアンジェリックさんが追いつけるはずもない。となれば、前衛と後衛の距離が開くのは必然だった。

 あまり好ましい陣形ではないが――…

「ヘスティア様、ご無礼を!」

「し、失礼します!」

 ヤマトさんとヒタチさんが、それぞれ抱き上げた。

 まぁ、これなら追走は可能か。護衛が二人封じられたが、パーティを伸ばすよりはいくらか安全だと言える。

「行きましょう」

 それに、今は巧遅よりも拙速を貴ぶべき局面だった。

 

 そして――…

 

『進もう』

 やや幅の狭い道を超えた先。さらに細い小道の奥にひっそりとあった小さな広間(ルーム)

 そこに残されていた橙色の文字のようなものに触れた瞬間。

 確かにそんな伝言(メッセージ)を聞いた。

「今のは……今のはベル君だよ! 絶対に間違いない!!」

 感極まったように、ヘスティア様が叫ぶ。

 生憎と神ならぬ私には、そこまでの確信は持てなかったが……。

「行く先は決まったようだな」

「ええ。……そうでなくては」

 しかし、疑う余地もまたないように思えた。

 アンジェさんの言葉に、私も奇妙な感慨と共に頷く。

(本当に強くなったのですね、クラネルさん……)

 ミノタウロスの単独撃破が街で囁かれているようなもの――偶然だの、おこぼれに授かっただけだのというような――ではないのだと、改めて確信を抱く。

「ベル・クラネル達は、本当に一八階層を目指しているというのか……」

 一方で、【タケミカヅチ・ファミリア】の驚愕も理解できる。

 何しろ、彼らはクラネルさん達を襲った苛酷の目撃者であり、ある意味においては当事者でもあるのだ。

 この状況下で更なる未知の階層に挑むなど、正気を疑う行為に感じられるだろう。

「自分たちと同じく『中層』に進出したばかりのパーティが、この状況でさらに下を目指すとは……」

「あの子、思ったより度胸あるわねぇ……。それとも、リリルカちゃんかしら?」

 畏れすら宿すヤマトさんの呻き声に、アンジェリックさんは素直に感心した様子で頷いた。

 ……もっとも、度胸というなら、この中で()()()()()でありながら、これといって大きな恐慌も混乱も見せず、ここまでついてこられる彼女も大概のように思うが。

(まぁ、荒事には慣れているのでしょうが……)

 これまで荒くれの剣闘士を相手にしてきているせいだろうか。

 その立ち振る舞いは、不思議と全くの素人には見えなかった。

 ありがたい話だった。ここで錯乱などされては、流石に手におえない。

「……では、ここからは俺達も縦穴を利用するのか?」

 これまでは、クラネルさん達が自力での帰還を選択した可能性も考慮し、正規ルートを利用してきた。

 彼らが一八階層に向かったとはっきりした今、その必要はなくなったと言えるが……。

「いえ。それはこれまで通り正規ルートを利用します」

 首を振って、その問いかけを否定する。

「理由は大きく二つ。まず、ヘスティア様とアンジェリックさんの安全確保。正規ルートであれば異常事態(イレギュラー)にも気づきやすい」

 それに、縦穴の移動中はどうしても無防備な姿をさらさざるを得ない。

 加えてそれなりの高さを降りることになる。常人では、足を滑らせただけでも命取りとなりかねない。

「もう一つは、結局のところ、それが一八階層までの最短ルートになるからです」

 もちろん、危険地帯を避けた上での。いくら『中層』とはいえ、今の状況でわざわざ困難な個所を通る必要はない。

 特に一八階層までのルートは、長い時間、多くの上級冒険者達によって吟味され続けてきたものだ。

 安全面と効率の両方を見ても、文句はない。

「それが良いだろう。救援隊が迷子というのは少々情けない話だからな」

 アンジェさんが初めて冗談のような事を言った。

 いや、本気だったのか。やはり、彼女はダンジョンに慣れていないとみていい。

 だとするのであれば――…

「モンスターが来ます! ヘルハウンドが二……」

 ヤマトさんが警戒の声を上げる。

 その声に応じるように、ヘルハウンドらしからぬ重い足音が聞こえてきた。

「もう一つは分かりません!」

 どうやら彼女は、索敵系のスキルを保有しているらしい。

 斥候(スカウト)なら喉から手が出るほど欲しい希少スキルといえよう。

 もっとも、無条件ではない。識別には何かしらの条件がある。

(おそらくは、交戦経験の有無といったところでしょう)

 あるいは、そのモンスターから経験値(エクセリア)を得たかどうかだろうか。

 いずれにしても、彼女がまだ遭遇していないモンスターが迫っているらしい。

「少々マズいですね」

 ここから小広間(ルーム)までは概ね一直線。しかも、決して広いとは言えない。

 退路はなく、サポーターよりも脆い人員が()()()存在している。

「そうだな。こちらから仕掛けるしかない」

 アンジェさんの言葉に頷く。

 もう少し前方――小広間(ルーム)に通じる小道より先の通路だ。

 そこも広いとは言い難いが、戦闘可能な空間ではある。

「ヒタチさんは、神ヘスティアたちを。お二人は、小道を塞いでください」

 選択の余地はなかった。接敵される前に、こちらから打って出るしかない。

「迎撃は私達で行います。よろしいですか?」

「ああ、構わん。上手く使ってくれ」

 その返事を聞くより早く、小道を駆け抜ける。

 この小道の中でヘルハウンドに炎を吐かれては流石に危険だ。

 何しろ、こちらは誰も『サラマンダー・ウール』を装備していない。

 私はともかく、【タケミカヅチ・ファミリア】の団員と……何より、神ヘスティアとアンジェリックさんは間違いなく致命的なことになる。

 速やかに接近し、初手で必殺を仕掛ける。懸念は足音の主だが――…

 

「やれやれ。どうやら、まだ異常事態(イレギュラー)は収まっていないようだ」

 

 足音の主は、すぐに分かった。

 ()()()()ミノタウロス。出現階層はもう少し下だが……問題はそんなことではない。

 

「これが、噂の『深淵種』というものですか……」

 階層を無視して姿を見せたミノタウロスは、明らかに一回りは大きかった。

 そして、全身は暗く染まり、眼は赤く輝いている。

 手にはいつもの大石斧ではなく、大石鉈とでも呼ぶべき凶器を携えている。

 それも、左右の手にそれぞれ。

『オォ―――ッッ!!』

 こちらを見据え、ミノタウロス深淵種が吼えた。

 Lv.4の?精神が、その咆哮(ハウル)を前に、瞬間微かだが確かに()()()()

 いや、それどころかすでに物理的な衝撃すら宿り始めている。

(いや、違う)

 これは、ただの恐怖ではない。

 恐怖に震えたわけではない。もっと別の何かだ。

 例えていうなら、共感……いや、もっと深くて近い――

「―――ッ!?」

 余計なことを考えている暇もない。続けて放たれた()()()から飛び退く。

「―――ふっ!!」

 同時、その炎を飛び越えて仕掛けてきたもう一匹を≪アルヴス・ルミナ≫で叩き落す。

 だが――…

(浅かった?)

 相手の加速すら味方につけた一撃だ。

 例え『下層』のモンスターであれ痛撃となる。あるいは、致命傷を負わせられたはずだ。

 しかし、地面に叩きつけられたそのヘルハウンド深淵種は、平然と跳ね上がり再び牙を向く。

 中空では身動きが取れない。呻く暇もなく、その牙の隙間から黒い火の粉が舞い上がって――…

「死ねッ!!」

 炎を放つべく開かれたその口に、無造作に突撃槍の穂先が突き立てられた。

 驚くべきことに、それでもヘルハウンド深淵種は絶命していない。

 が、それだけだ。そのヘルハウンドはちょうど私の足元にいる。

 落下の速度と体重を≪アルヴス・ルミナ≫の切っ先に託してその体を穿った。

 狙いは魔石。例え『深淵種』であろうとモンスターはモンスター。

 ならば、その急所は絶対だ。

「はぁあッッ!!」

 落下距離が短く、また硬い毛皮に阻まれたせいで切っ先はさほど深く潜り込まなかった。

 が、関係ない。狙い通りの位置に刺さっている。ならば、強引に貫き通すのみ。

「グルゥ――…」

 魔石が砕ける感触が、はっきりと伝わってくる。

 それでも反撃を警戒し、速やかに間合いを開く――が、黒く染まり、変容したその巨体はすぐさま色を失い、灰となって崩れ落ちた。

 舞い上がる灰燼が視界を塞いだその一瞬。

「――――ッッ!!」

 即座に飛び退いていた。

 一瞬前まで立っていた場所を、二振りの大鉈が薙ぎ払っていく。

 まったく、驚くべき膂力だ。これでは思ったよりも錆びついていない勘に感謝する暇もない。

「ふっっ!!」

 仕返しとばかりに振ったは≪アルヴス・ルミナ≫は、しかし弾き返された。

 通常のミノタウロスより一回りは大きい体。纏っている筋肉もまた分厚い。

(……いや、この通じづらさはそれだけが理由ではない?)

 微かな違和感。だが、それが何に対してなのかはっきりしない。

 そして、考えている暇もない。

 壁や地面すら軽々削り取る重撃を避ける方が先だった。

(なるほど、これが『深淵種』ですか……)

 軽々と抉り取られたダンジョンの壁や床を見やり、胸中で呻いた。

 元がミノタウロスとはいえ、この膂力……いや、潜在能力(ポテンシャル)は異常だ。

 まず間違いなく『下層』域に……下手をすれば『深層』域に届く。

 それ以上に恐ろしいのは、件の『呪詛(カーズ)』が発生してまだ数日だという事実だ。

 通常の『強化種』の成長速度の比ではない。そして、冒険者の成長速度は『強化種』にすら劣るというのが現実だ。

 こんな怪物を放置しておけば、すぐにでも手に負えなくなってしまう。

 ギルドがなりふり構わず、徹底した殲滅作戦を展開するのも納得だった。

 ……もっとも、『深淵種』とは深淵から発生した存在だと聞く。

 つまり、これはまだ()()()()()()()とも言える。この上さらにモンスターとして成長する可能性もあるという訳だ。

 そこまで大きく考えずとも、『中層』に『下層』域のモンスターが生まれる時点で多くの冒険者にとっては致命的だが。

「だが、まだこれなら――…」

 両手で構えた≪アルヴス・ルミナ≫が今度こそ深淵種の横腹を抉る。

 微妙な違和感こそあるが、攻撃が通じないわけではない。

 所詮というのも何だが、その潜在能力(ポテンシャル)は『下層』域止まり。単なる難敵というだけでしかない。

 ……そう。ミノタウロス一体だけなら。

「避けろッ!」

 その叫びが終わるより先に、再び黒い炎が襲い掛かる。

 ……しかも頭上から。

「ッッ?!」

 ヘルハウンド深淵種がそこから放火してきたのだ。

 壁にある僅かな凹凸を足場に、天井へと駆け上がりながら。

 こちらとて通常種より一回りは大きくなっているというのに、驚くべき素早さだ。

「無事か?」

「すみません。助かりました」

 無事だったのは。ひとえにアンジェさんが斧槍(ハルバート)でヘルハウンド深淵種を薙ぎ払ってくれたおかげだ。

 それで狙いが逸れた。

 でなければ、直撃を受けていただろう。

「チィ!?」

 もっとも、礼を言っている暇もない。

 ヘルハウンド深淵種はまだ健在。壁すら足場にして、素早く追撃を仕掛けてきた。

「くぅッ!?」

 そちらに気を取られている隙に、ミノタウロス深淵種の重撃が襲い掛かった。

 辛うじて防御は間に合ったが、衝撃を受け流すことまでは出来なかった。

 その威力に負け、≪アルヴス・ルミナ≫が弾きとばされる。

「伏せろ!」

 言われるまでもない。……が、実際にはほとんど尻餅でもつくような有様だった。

 ともあれ、その空いた空間を斧槍(ハルバート)が断ち割った。

 斧槍の名の通り、『斧』の刃はミノタウロス深淵の脳天を直撃したが――…

「チッ、硬い……ッ!!」

 しかし、致命傷ではない。

 ヘルハウンド同様に硬い毛皮と、それ以上の硬度を持つ頭蓋骨がそれ以上の傷を許さない。

 そして、私達の動きがそれぞれ停滞した瞬間。

「くッ……!!」

 アンジェさんの肩に、ヘルハウンド深淵種が食らいついた。

 そのまま肩もろとも腕を喰いちぎろうとする――が、しかし。

「ギャン!?」

 柄の悪い酔っ払いに蹴られた犬のような悲鳴と共に、地面に転がり落ちた。

 その直前に聞こえたのは風切り音。

 視線だけ向ければ、そこにいたのは【タケミカヅチ・ファミリア】の二人。

 いや、違う。もっと奥だ。

「見事な腕です」

 小広間(ルーム)で最後の守りを受け持っているヒタチさん。

 ヘルハウンド深淵種の片目を貫いた矢を放ったのは彼女だ。

「うぉおおおおおおぉおッッ!!」

 思わず賞賛の言葉を零していると、さらなる雄叫びが響き渡った。

 一気呵成に突進してくるのは、桜花さん。

 手にしているのは、先ほどアンジェさんが使った突撃槍だった。

「グルゥゥ―――!?」

 跳ね起きたヘルハウンド深淵種は、なりふり構わぬ跳躍を見せた。

 が、それこそが彼の狙いだったらしい。

 その先にいたのは、ヤマトさん。

「はぁあっ!!」

 理想的な太刀筋を描く白刃が、ヘルハウンド深淵種の毛皮を深く断ち切った。

 もっとも、それでもまだ致命傷というには浅い――が。

「貰ったぁ!!」

 悲鳴を上げて地面に転がるヘルハウンド深淵種。それを桜花さんが手にした槍で地面へと縫い付ける。

 ひとまず、それで動きは封じた。

「いい槍だな……」

 見事な誘導……いや、連携だった。

 深追いせず、冷静に小道の防衛に戻るというのも素晴らしい。将来有望な冒険者だと言えよう。

 であれば、私もいつまでも座り込んでいる場合ではない。

「―――――ふッッ!」

 友から貰い受けた≪双葉≫を抜刀。

 その友の技(いあい)を真似して、迫る石鉈を――正確にはそれを握る腕を狙って迎撃する。

 もっとも、流石に硬い。切断とはいかなかった。

 とはいえ、相手の攻撃の軌道は変わった。そして、この小太刀は一対二振りのものだ。

 生み出した隙を逃さずその片割れを抜刀。魔石を狙い、突き出す――

『ガァ!!』

 ――が。しかし、流石にそう簡単に勝負を決めさせてはくれなかった。

 左腕を盾として胸を守り、ミノタウロス深淵はなりふり構わず後方へと飛び退いていった。

 その途中で左の石鉈を落としていったが……しかし、私も筋肉に締め上げられた小太刀を抜いている暇がなかった。

 武器の片割れを手放したのはお互い様。もっとも、向こうは素手でも私を殺すくらいはできるだろうが。

「―――――」

 それ以上に問題なのは、咆哮(ハウル)だ。

 Lv.4の私でも揺らいだとなると、Lv.2の【タケミカヅチ・ファミリア】は全員が強制停止(リストレイト)させられかねない。

 反射的に、残されていた大石鉈へと手を伸ばしていた。

 思った以上に重いが、だからどうという事もない。大体の狙いを定め、そこに投げ飛ばせればいいのだから。

「おおおおおッッ!」

 背負い投げでもするような気分で、その大石鉈を投擲する。

「ヴォオオオ―――ゥォ?!」

 珍しく私の勘が当たったらしい。

 投げつけたそれが、咆哮(ハウル)を強引に打ち切った。

「くたばれッ!」

 やはり、彼女は意外と口が悪い。いや、それとも戦闘中だからだろうか。

 その叫びと共に、アンジェさんが斧槍(ハルバート)――いや、『槍』を突き出した。

 狙いは魔石(きゅうしょ)を捉えている……が、あと少しのところでミノタウロス深淵がその柄を握りしめ食い止めている。

「馬鹿力が……ッ!」

 ミノタウロスは力に長けた種だ。まして相手は『深淵種』。力比べでは流石に分が悪いらしい。

 だが、充分だ。力で勝てないなら、別のものを使って勝てばいい。

 先ほどのヘルハウンドと同じく、壁と床を蹴って跳躍。私とて神々から【疾風】の名を賜った者。

 素早い身のこなしにはそれなりの自負を持っている。

「これで終わりです」

 ミノタウロス深淵種の背後に着地。

 小太刀を両手で構え、背後から魔石(しんぞう)を狙う。

 反応などできるはずもなかった。手を離せば、その瞬間に斧槍が魔石を貫くのだから。

 ヘルハウンドは【タケミカヅチ・ファミリア】の二人が見張っている。ならば、横やりもない。

 そして。突き出したその切っ先は、狙い違わず分厚い毛皮と筋肉を貫いて魔石を粉砕した。

「こちらも終わった」

 再び舞い上がる灰燼の向こう側から、アンジェさんの声がする。

 灰の霧が散る頃には、彼女の足元――突撃槍の周りにも灰の山ができていた。

「肩の傷は平気ですか?」

「ああ。この傷薬はよく効く」

 先ほど食いつかれた肩にポーションをかけながら、アンジェさんは兜の向こうで小さく笑ったらしい。

 その姿に、私も安堵する。彼女が無事なのはもちろんだが、この状況下で怪我人を抱えるというのはあまり好ましくない。

 まして、それが彼女ほどの戦力を欠くならなおさらだ。

「それにしても、これが『深淵種』ですか……」

 ここまでのモンスターを相手にしたのは久しぶりだった。

 もちろん、主に私事(わたくしごと)でダンジョンには定期的に潜っているものの……その場合は概ね一八階層まで。

 それも、異常事態(イレギュラー)が起こっていない状況だ。今と簡単に比較はできない。

 言うまでもなく、酔った冒険者を相手にするのとはわけが違う。

 ある種の昂揚感がまだ体に残っている。久しぶりに、正しく『戦闘』と呼ぶに値する戦いだった証拠だ。

 それほどの敵だった。

(他にもまだ『深淵種』が残っているとなると……)

 しかし、一方で寒気も覚えていた。

 これほどのモンスターがまだ他にもダンジョン内に――しかもこんな浅い階層に存在しているなど、まったく悪い冗談だった。

 神ウラノスが直接指示を出すだけの事はある。 

「お前達は無事か?」

 胸中で呻いている間に、アンジェさんが問いかけた。

「ああ。……いい槍だな」

 ひとまず【タケミカヅチ・ファミリア】の二人は無傷だったらしい。

 武神から直接手ほどきを受けているだけあって、こと技量に関してはLv.2の中でも上位に食い込んでいるだろう。

 それでも……。

(彼らだけで、果たして『深淵種』を相手にできるか……)

 かなり厳しい。そう言わざるを得なかった。

 特に、あのミノタウロスは危険だ。Lv.4の精神ですら揺らぐ咆哮(ハウル)など、Lv.2では耐えられない。

 まして、クラネルさんのパーティは残り二人がLv.1となる。普通のミノタウロスでも充分すぎる脅威だ。

「みんな、大丈夫かい?」

 ヒタチさんに先導され、神ヘスティアとアンジェリックさんが小道から出てくる。

「神ヘスティア。一つ確認をさせてください」

 最悪の事態は、常に想定しておくべきだ。

 そして……

「クラネルさんは、本当に無事なのですか?」

 目を逸らさず問いかけた。

 だが、今のダンジョンは普段よりも遥かに危険だった。

 もし、その事態が起こってしまっているならすぐにでも帰還する必要がある。

 でなければ、さらなる悲劇が起こりかねない。

「ああ、無事だ。絶対に嘘は言っていない。聖火とベル君に誓う」

 神ヘスティアもまた、目をそらさず静かな面持ちで頷いた。

 人が神を量ろうとするのは、不敬かもしれないが……この女神は嘘を言っていない。

「分かりました」

 かつて友に叩き込まれた技術と、自らの司る事象、そして眷属への誓いを信じることに決めた。

「では、急ぎましょう。彼らが『深淵種』と出会ってしまう前に合流しなくては」

 いずれにしても、少し行軍の速さを上げなくてはならない。

 それは、常人と変わらない神ヘスティアと、常人のアンジェリックさんにとっては大きな負担となる。

「もちろんだよ!」

「ええ!」

 それでもかまいませんか?――と。

 その問いかけに、彼女達は迷いなく頷いたのだった。

 

 

 

 彼は、生まれつき他の個体より少しだけ大きく、そして力が強かった。

 それだけであれば、良い群れの長になれただろう。

 実際、それなりの間、群れからは頼りにされてきた。

 

 しかし、悲しいかな彼は何よりも貪欲だった。

 

 その貪欲さゆえに、ついに群れから追放されることになる。

 生まれついての力も、群れを相手にするには非力だった。

 本来であれば、すぐにでも侵入者(ぼうけんしゃ)に殺され、魔石(しんぞう)を抉られていただろう。

 

 ただ、そうはならなかった。

 彼が追放されてすぐ、侵入者の数が減ったからだ。

 理由は、彼の知るところではなかったし、興味もなかった。

 考えることは、他にあったからだ。

 

 ひとりで生きていくには、力が足りない。

 それをどうするか。

 まずは、武器か。母なる迷宮が生み出すものでは限界がある。

 ならば、侵入者から奪う?

 いいや、と彼は必死に頭を働かせた。

 ひとりでは無理だ。ひとりで返り討ちにできる相手が持っている武器など奪っても意味がない。

 考えて考えて――ふと思い出した。

 驚くほど強い侵入者たちでさえ、自分たちの魔石(しんぞう)をかき集めていくことを。

 なるほど、これが奴らの力の源に違いない。短絡的に、彼はそう結論付けた。

 となれば、まず適当に同胞の死体でも探してみよう。

 その望みは、思った以上に容易く叶った。

 かなりの数の死体が、連なって転がっている。

 とりあえず一つ拾い上げ、やはり短絡的に彼はそれを口の中へと放り込んだ。

 噛み砕き、飲み干す。

 

 彼の考えは見当外れだったが……しかし、正解でもあった。

 その魔石は、彼ら自身の力の源になる。

 とり憑かれたように彼はその死体の列を追いかけ、魔石を拾っては噛み砕き、飲み干していく。

 何故か今日は、至る所に死体が放置されていた。

 

 見渡す限りに同胞の死体が放置されている広間があったのだ。

 今の彼には、もはやご馳走の山にしか見えなかった。

 狂笑と共に、端から貪り喰う。喰らって、喰らって、喰らいつくした。

 

 ――無論、彼が知ることではないが。

 モンスターの異常発生と、それから逃走する冒険者たちが放置していった大量の魔石および予備の武装。その後の、ダンジョンの完全閉鎖。

 状況は、最悪なまでにこの『強化種』に味方していた。

 オラリオ開闢より千年。彼よりも早く成長した『強化種』はおそらく存在しない。

 そこに、さらなる災悪が絡みついた。

 

 彼が、その奇妙な存在と出会ったのは、魔石を平らげた頃。

 体が大きく、強くなり、毛皮も分厚くなり――そして、妙に上質な武器をいくつか拾った時だった。

 それは侵入者(にんげん)のように見えた。ただ、何か奇妙な『闇』にとり憑かれてもいた。

 しかし、そんなことはどうでもいい。侵入者(にんげん)侵入者(にんげん)

 やはり襲い掛かってきた。

 例によってかなり強い侵入者だった。

 何とか殺せたのは大量の魔石(しんぞう)を喰らったおかげだろう。

 ……それと、何だか闇雲に暴れ回るばかりで隙が多かったというのもあるか。

 いや、それどころか――…

 

 これは、本当に侵入者(にんげん)だったのか?

 その死体を見て、首をひねる。

 何だか同胞のような姿に変わりつつあるようだが……などと、考えていた時。

 その死体から何かが彼の中に入り込んできた。

 

 暗く、ほの温かい何か。

 

 それが自分に宿った瞬間、大量の魔石(しんぞう)を喰らい、体を満たしていた万能感が反転した。

 まだ足りない。全然満たされない。

 もっと。もっとこの暗い何かを――!!

 ……そう。あの、侵入者はどこにいる?

 母なる迷宮の外……今までそれを試そうとしなかったのが不思議なほど軽々と、階段を駆け上げる。

「うひひ……。こいつぁいいぜ」

 そして、見つけた。その暗く、ほの温かい何かを持った存在(にんげん)を。

「マジでやべぇな。深淵とかいう呪詛(カーズ)様々だぜ!」

「だろう? しかも、今は【フレイヤ・ファミリア】までがこんな『上層』にいやがる。この千年で一番安全ってわけだ」

「つまり、ヤバくなりゃ押し付けりゃいいってかぁ?」

「ばぁか! 積極的に押し付けんだよ! 今なら、何があったって異常事態(イレギュラー)のせいにできるからなぁ!!」

「んで、魔石だけはいただくってか?」

「運が良けりゃ、武器やアイテムも手に入るぜぇ? 調査隊に参加してんのは、お強い【フレイヤ・ファミリア】の連中ばっかじゃねえからなぁ!」

「カヌゥ、てめぇ天才か――ぁげぇ……っっ?!」

 まず一匹。もはや手に馴染まなくなった石斧を投げつける。

 それは、狙い違わず後ろから頭へとめり込んだ。

「あ?」

 二匹目。心臓の位置は、音を聞けばすぐに分かった。今更外すものか。

 先ほど拾った剣を正確に滑り込ませた。

「な、なんだァ?! てめぇ、何なんだよ?!」

 最後の一匹が喚きながら、何かを取り出した。

 小さな、赤い剣。本能が悲鳴を上げた。

「くたばりやがれ!?」

 その剣が、炎を吐いた。まだ持っていない武器だった。

 魔石(しんぞう)を喰らう前なら、そのまま焼かれていただろう。

 だが、遅すぎる。容易く掻い潜り、そして――…

 

 …――

 

 ダンジョンに潜ってから、どれだけ時間が過ぎただろうか。

「……探そうと思うと、案外見つからないもんだな」

 すっかりその感覚がなくなった頃、滲む汗を拭いながらヴェルフが呻いた。

「うん……」

 場所は、多分一六階層。一七階層へ通じる縦穴は、未だ見つかっていない。

「ですが、できれば、もう少しペースを上げたいところです」

 一番つらそうなリリが、それでもそんなことを言った。

「……手持品(ストック)には限りがありますからね」

 相変わらず、モンスターの数は多い。

 そんな中で、僕らが何とか無事に探索を続けていられるのは、ナァーザさんが作った『新製品』のお陰だった。

「しかし、本当にこの匂いはどうにかならないのか?」

「なりません。諦めてください」

 その新製品の名前を『強臭袋(モルブル)』といった。

 名前の通り、超強烈な悪臭を放つアイテムだ。

 何でも、試しに匂いを直接嗅いだナァーザさんはリリの前でひっくり返り、床をのたうち回ったのだとか。

 元より嗅覚が敏感な犬人(シアンスロープ)なうえ、『器』を昇華させているナァーザさんがこの匂いを直接嗅いだなら……まぁ、納得かなと思う。

 それほどの悪臭だ。モンスターもほとんど近づいてこない。というか、遭遇したのは全部、逃げそこなった不運なモンスターだったのかもしれない。

 もちろん、その臭いはこうして僕達も苦しめているわけだけど……それでも、これが僕達の命綱だ。

 リリの言う通り、なくなる前に一八階層に到達したい。

「え?」

 その時、リリの耳が――少しでも聴覚を研ぎ澄ませるため、泣く泣く獣人に変身したままだ――ピクリと動いた。

「どうかしたか?」

 即座に周囲を警戒しながら、ヴェルフが問いかける。

「いえ、今何か、妙な気配が――…」

 リリの声が、不自然に途絶えた。

 代わりに聞こえてくるのは、引きつった声。

 ……理由は、分かっていた。

 そう。本来、このモンスターの出現階層はまさにこの辺りだ。

 

 ミノタウロス。

 

 何かと因縁のある怪物は、こんな時にまで僕の前に立ちはだかるつもりらしい。

「ありえねぇ……」

 ヴェルフが、噛み締められた呻き声を上げる。

(マズい――!?)

 ミノタウロスはマズい。この状況で、こいつだけは絶対に――…

『ヴォオオオオオオオオオオオ!!』

 その悪寒を肯定するように、ミノタウロスが咆哮(ハウル)を上げた。

 誰よりもよく知っている。その恐怖は本能すら……死の恐怖すらも容易く凍てつかせるのだと。

 リリとヴェルフが、そのまま強制停止(リストレイト)へと追いやられた。

 これ以上、一歩でも二人に近づけさせたら、死ぬ。

 それは恐怖を超えた激情となり、瞬く間に体を満たした。

「―――――ッ!!」

 雷霆より早く。世界を置き去りにして――少なくとも、そう錯覚するほどに加速する。

 手にはナイフ。そして、ショートソード。あの時と同じだ。

 それなら、勝てない理由なんて何もない――!

(反撃の隙を、与えるな……ッ!)

 ランクアップを果たしてから今まで、体に絡みついていた微妙な違和感――神様の言っていたランクアップ直後の誤差が完全に消える。

 同時、体はさらに加速した。

 紫紺の斬光が奔り、炎の円弧が闇を払う。

 最後に、その胸にナイフを突き立てて――…それで、ひとまず仕留めた。

 魔石からは外れたが、もうミノタウロスは動かない。

 ……少なくとも、その一匹は。

 その一瞬で呼吸を整え、続けて現れた、もう一匹のミノタウロスへと再び連撃(ラッシュ)を仕掛ける――…

「なッ?!」

 より早く、そのミノタウロスの胸から()()()()()

 それは何となく、初めて憧憬(アイズさん)と出会った時のようでもある。

 ――が、決定的に違う。感じるのは単なる悪寒。さらなる厄災の気配でしかなかった。

『ヴォオ?!』

 その剣は容易く捩じられ、器用にミノタウロスの魔石を抉り取る。

 巨躯がたちまち灰になり、一瞬だけ視界を塞ぐ。

(冒険者……じゃない!)

 灰燼の向こうから、硬質な何かを噛み砕くような音がした。

 

『魔石は可能な限り回収するか、粉砕すること』

 

 それは、冒険者の鉄則の一つだ。

 もちろん、回収しなければ収入にならないというだけが理由ではない。

 魔石はモンスターを強化する。五つも取り込めば、その違いは明確になるとエイナさんから教わっていた。

 魔石を捕食し強化されたモンスターはそのまま『強化種』と呼ばれるようになる。

 だから、回収できないなら粉砕しなくてはならないのだ。

 

 そして、灰燼の向こう側にいる何かは、今、ミノタウロスの魔石を食べた。

 間違いなく、そこにいるのはモンスター。それも『強化種』だ。

 そこまでは、予想が立てられた。そして、その予想を超えるのがダンジョンだった。

 

「あれは、アルミラージ……?」

 強制停止(リストレイト)から復帰したリリが呻いた。

 黒く湿った毛皮。赤く暗く輝く瞳。長く伸び、いっそ角のようにも見える耳。

 兎と言えば、兎だろう。そう言えないことは、多分ない。

 しかし――…

「馬鹿言え。デカすぎる……」

 そう。通常のアルミラージなら、リリと同じくらい……一〇〇Cを少し超えるくらいだ。

 目の前にいるのは、僕と同じくらい。大体、一六五C前後ある。耳の長さを足せば一七〇Cほどか。

 手には、大剣。明らかに冒険者の遺物らしきものを握りしめている。

 あれほど容易くミノタウロスの胸を貫いたのだ。三等級兵装以下という事はあり得ない。

(まさか、二級冒険者まで返り討ちにあったんじゃ……)

 確か、エイナさんも……上級冒険者が五〇人以上殺されたことがあったと言っていた。

 目の前にいるソレはそう言う次元の怪物なのでは――…

「来る……ッ!!」

 その可能性にはあえて気づかなかったことにした。

 どのみち、退路などない。相手が何であれ、乗り越えていくしかなかった。

 

 …――もちろん、彼らが知る由もない。

 それは、迷宮より生まれ、闇を宿したもの。

 デーモンではなく。深淵の異形ではなく。しかして、もはやモンスターとも言い難い。

『闇の時代』……否、『神時代』と『火の時代』。いずれ異なる『時代』の因果。その狭間に生まれ堕ちたもの。

 世界の終わりを旅した不死人達。『深層』にすら至った冒険者達。

 数多の脅威を乗り越えてきた彼らですら未だに出会ったことのない、最も新しい『未知』であることなど。

 

 

 




―お知らせ―
 お気に入り登録していただいた方、評価いただいた方、感想を書き込んでいただいた方、誤字報告くださった方、ありがとうございます。
 次回更新は11月下旬から12月中を予定しています。

 19/11/10:一部改訂
 19/11/12:誤字修正・一部改訂
―あとがき―

 桜花たちは逃げ出した!
 しかし、回り込まれた!


 …ええと、すみません。
 結構難産だったのと、ちょっと問題が発生したせいで大幅に遅れてしまいました。
 申し訳ありません。
 
 さて、そんな感じで【タケミカヅチ・ファミリア】との初顔合わせです。
 少しだけイベントの前倒しといった感じでしょうか。
 
 そして、いよいよ新規の不死人本格参戦です。
 大雑把なイメージとして、近接戦を主体としつつ、奇跡も使える信仰戦士系のキャラとなります。
 これでヘスティア様の心労はさらにマシマシです。
 しかも、これからはどこかの灰の人が暴れ回るととばっちりでさらに増えるなんてことも…!?
 あと、【白教の輪】を使えますが、間違ってもアリアンデル絵画世界には到達していませんし、関係もありません。
 詳しい話はまた追々作中でとなりますが…どうしても、この奇跡のフレーバーテキストを使いたかったんですよ!!

 ちなみに、ダンまち側のステイタスは、普通にLv.1、オールI0からのスタートです。
 誰もが最初はLv.1、オールI0から始まる――と、原作の作中でも書かれてますからね。
 奇跡の方は実際に使えるので表記されてますが、アビリティの数値はあくまで『神の恩恵』の強化度合いということでひとつ。
 
 それと、アスフィさん好きの方々はすみません。
 ここでヘスティア様たちと一緒に行動させると、そのまま退場することになりそうなので…。
 なんと言っても、主人公と遭遇(エンカウント)≒YOU DEADですからね、主に主神が。
 
 で、もう薄々気づいている方もいるかと思いますが…
 発生した問題は、このようになります。
 
 Q.これ、次の話で本編5巻の最後まで行ける?
 
 多分、無理っぽいです。
 まだイベントが最低二つは残ってますし…
 今までは1巻につき1章(5節)で統一してきたんですが、今回はちょっと納まりそうにないですねー…
 ただでさえ本編と外伝が重なり合ってるのに、深淵イベントまで突っ込んだら、そりゃ足りる訳がないと言いますか…そもそも、何でプロット組んでる時に入ると思ったのか。
 なので、この章は一八階層到達まで。リヴィラ編は新章になる予定です。
 予定なんですが、今度はリヴィラ編だけで1章分(大体4万2千字×5)も書けるのかという問題が…
 新章に突入すべきか、無駄にこだわらずこの章を継続するべきか。
 なんて。そんなしょうもないことでこれ以上更新を滞らせるのもアレなんですけどね。
 今ならヴェルフの気持ちがちょっとだけ分かるような気がします(苦笑)
 
 と、そんなわけで今回はここまで。
 
 どうか次回もよろしくお願いいたします。
 また、返信が遅くて恐縮ですが、感想などいただけましたら幸いです。

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