-
社会 2020年01月09日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 2009年7月24日ひるがの高原キャンプ場女児不明事件
小学校の野外学習で岐阜県郡上市のひるがの高原キャンプ場に来ていた愛知県・常滑西小学校5年の下村まなみちゃん(当時10歳)が姿を消したのは2009年7月24日。間もなく10年になる。 事件当日は一般の宿泊客がなく、不審者の目撃情報も皆無。キャンプ場の周辺をはじめ、藪の中や林道の奥、周辺の建物、小川の中など、重機で崖を崩して土の中までも捜索したが、遺留品さえも見つからない。まさに「消えた」としか言いようがない状況だ。 まなみちゃんは同月24日の朝、他の女児3人と肝試しコースの下見に林道を歩いており、折り返し地点付近にいた学校長が「元気そうだね」と声を掛けると、まなみちゃんは笑顔を見せ、キャンプ場内に架かる橋を渡っていった。 だが、そこから先の目撃情報がない。他の女児たちは後ろを付いてきているはずのまなみちゃんの姿が見えないので、「まなみちゃんがいなくなった」と報告し、行方不明が判明した。「キャンプ場には取材が殺到し、『もうこれ以上受けられない』と悲鳴を上げている。警察の捜索もやりつくした感があり、事件当初は『何者かに連れ去られた可能性は低い』とみられていたが、『何とかして生存していてほしい』と一縷の望みを託すほどになっている」(地元記者) しかし、どんなに不可思議に見えても、これは悪意ある人間の仕業だ。一刻も早く見つかってほしい。
-
社会 2020年01月08日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1936年「阿部定事件」の足跡を訪ねて
東京・神田多町。現在オフィスビルが建ち並ぶ一角で、あの阿部定は生まれ育った。すでに生家の痕跡はないが、生家跡からほど近い場所に暮らす男性が、今も定のことを記憶している。 阿部定は1905(明治38)年5月28日生まれ。父親は腕のいい職人で、常時5〜6人の職人を雇うほど商売は繁盛していた。そんな環境で、末っ子ゆえ特に可愛がられた定であったが、次第に仲間と浅草へ繰り出したり、男が絶えないなど、立派な不良となっていた。そしてある日、見かねた父親により、「そんなに男が好きなら芸妓にでもなれ」と、横浜の芸妓屋へ売られてしまう。 その後、富山、長野県飯田、大阪飛田、兵庫県丹波篠山、神戸、名古屋と流れ、15年にわたり主に体を売って生活。そんな彼女の転機となったのは、1935(昭和10)年、名古屋で学校の校長を務める人物との出会いだ。真っ当な道を歩むように諭され、のちに殺害することになる石田吉蔵が経営する料亭で働き始めたのである。 だが、皮肉にも、淫売の道を離れたことが事件を起こすきっかけとなってしまう。定が愛人の吉蔵を殺害したのは1936(昭和11)年5月18日未明。性交中に男を扼殺し、局部を切り取ると、彼女はその血でシーツと愛人の太ももに「定、石田の吉二人キリ」と書き付けて逃走。20日になって、品川の宿に偽名で逗留しているところを逮捕された。★1987年以降は行方知れずに… 私は、定が事件を起こした地を訪ねてみた。 東京都荒川区尾久。かつて尾久三業地と呼ばれたこの旧歓楽街こそ、定が事件を起こした土地である。かろうじて、事件当時のことを記憶する老女に出会い、話を聞くことができた。「私は12〜13歳ぐらいだったかね。この通りに新聞社の車がだーっと並んじゃってね。家じゃ新聞社からの電話が鳴りっぱなし。あの頃、人殺しなんてなかったから、大変だったんだよ」 事件は今から80年以上前のことだが、大きな衝撃を人々に与えたことがよく分かる。 阿部定は逃走時、切断した吉蔵の男性器とともに血染めの股引やズボンを着込んでおり、逮捕後も警察によって吉蔵の衣服が押収されるのを拒んだという。妻帯者であった吉蔵との道ならぬ恋ゆえに、生かしておいたら他人の物になってしまうとも彼女は言った。純愛ゆえの殺人とも言えるだろう。 1941(昭和16)年5月17日、恩赦により、定は栃木刑務所を模範囚として出所。警察官たちの手で特別に変名の配給書類が手配され、彼女は「吉井マサ」となった。 出所後はドサ回りの役者、女中、浅草の小料理屋経営を経て、1971(昭和46)年に千葉県市原市のホテルに勤務していたのが確認されているが、それ以降の消息は分かっていない。 その間、阿部定は静岡県身延山久遠寺に吉蔵の永代供養を申し出ている。毎年、吉蔵の命日には花が届いたというが、1987年(昭和62)以降は届かなったという。 杳として行方の知れない定。一途な彼女は、最愛の人とあの世で逢瀬を重ねていることだろうか。
-
社会 2020年01月07日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1997年6月13日三重県明和町少女行方不明事件
1997年6月13日午後8時頃、三重県明和町に住む女子高生・北山結子さん(当時17歳)が忽然と姿を消した。塾で採点のアルバイトを終え、迎えに来た母親と一緒に塾を出たが、この日は「友人の家に行く」ということで、塾から少し離れた五叉路で母親の車と別れていた。だが、それっきり消息を断ってしまったのだ。 それから1カ月後、結子さんのポケベルを持っていた男(46)が逮捕された。男は結子さんの友人に連絡を取り、「会いたい」などと連絡。友人から通報を受けた警察が逆探知で割り出し、公衆電話にいた男を逮捕したのだ。 ところが、男は完黙を貫いた。それもそのはず、その男は強姦や強盗などで逮捕され、懲役12年の刑に服して出所したばかりの人物だったのである。しかもその手口というのが、自転車に乗っている女性に体当たりし、強姦して金を奪うというものだった。さらに家宅捜索では、結子さんのものと思われるハンカチまでが出てきている。状況証拠は真っ黒だ。なのに男は何も喋らない…。ついに拘留期限を迎え、「このまま起訴しても無罪になる可能性が高い」ということで、釈放されてしまったのである。 警察は「今もマークを解いていない」と言うが、事件発生から22年になる。失踪ではなく、明らかに事件。なのに未解決という歯がゆさ…。結子さんは今、どこにいるのだろうか。
-
-
社会 2020年01月06日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1998年5月赤城神社主婦失踪事件
日本では古来から人がある日、突然いなくなってしまうことを「神隠し」と呼んだ。その犯人は天狗であるとされてきた。江戸時代には、江戸の街から突然消えた寅吉という名の少年が数年後にひょっこり戻ってきて、「天狗のもとで修行した」と証言した話を、平田篤胤が『仙境異聞』という本に書いている。 寅吉の場合、無事に戻って来ることができたから良かったものの、いまだに行方知れずとなって真相が分からないままの事件がある。その一つが、群馬県前橋市三夜沢で起きた「赤城神社主婦失踪事件」である。 標高1828メートルの赤城山は群馬県を代表する名峰で、ゆるやかに広がる山裾が印象的である。その中腹に三夜沢赤城神社はある。創建は平安時代で、平将門の乱(939〜940年)を鎮圧した藤原秀郷も参拝したことで知られ、そのことにより多くの武将たちに崇拝されてきた神社でもある。 この歴史ある神社で事件が起きたのは、1998年5月のゴールデンウイーク中のこと。千葉県に暮らしていた主婦の志塚法子(当時48歳)さんは、夫、義理の母、叔父、叔母、娘、孫の7人で参拝のため神社を訪れていた。ちょうどその頃、神社へと続く参道はツツジの名所としても知られていて、ゴールデンウイーク中ということもあり、多くの人で賑わっていた。 しかし、その日の天気は雨。そのため、神社への参拝は叔父と夫だけが行くことになり、法子さんら5人は車の中で待機していた。だが、しばらくすると法子さんも参拝に行くと言いだし、賽銭代の101円だけを持って、2人の後を追うように神社の方へと向かった。法子さんが車を出た直後、娘が子どもをあやすために車外に出たが、その時、法子さんの姿を目撃。法子さんは参道へと向かわず、駐車場から神社へと続く林道の中で佇んでいたという。 この娘による目撃を最後に法子さんは忽然と姿を消し、そのまま家族の元へは戻って来ていない。家族は付近を捜したが見つけることはできず、すぐに警察に通報。地元の消防団も含めた大規模な捜索が10日間にわたって行われたが、法子さんは現在も見つかっておらず、いまだに真相は分からないままである。★家にはその後無言電話が数回かかってきたが手掛かりはなかった 6月上旬、私は赤城神社に向かった。北関東自動車道の伊勢崎インターを下りてからゆるやかな山道をのぼり、30分ほど走ったところで赤城神社に着いた。 現場を見て思ったのは、境内と駐車場を含めた広さが、思ったより狭いということである。あの日、法子さんの家族が車を停めた駐車場から神社の境内までは、50メートルほどの距離しかない。彼女が佇んでいたという神社へと続く林道も、社殿から駐車場にかけて5分とかからない短いものだ。この狭い空間の中で、彼女はどこに消えたのだろうか。 事件当時のことについて、神社近くに暮らす女性から話を聞いた。「あれは不思議な事件だったね。あの日は雨が降っていたけれど、人もいっぱいいたしね。ただ、誰もあの人の姿を見ていないんだよね。ピンクの服に赤い傘を差していたっていうから、目立つはずだけどね。家族の間だけに、何かトラブルがあったのかもしれないよね。それ以外に考えられないよ…」 警察による大規模な捜索も行われ、この女性宅にも聞き込みに来たという。「ウチにも刑事が2回ぐらい来たかね。『あの人を見なかったか?』と聞かれたね。神社に来た人だけじゃなくて、この辺の人も誰も目撃していないんだよ」 失踪からしばらくして、法子さんの姿が映り込んでいるというホームビデオの動画などがテレビで公表されたりしたが、家族は別人だと否定。彼女の行方に関する情報は皆無に等しい。家には米子と大阪の局番で無言電話が数回掛かってきたが、手がかりを掴むことはできなかった。 法子さんが最後に目撃された林道は、境内とは別の方向にも道が延びている。すぐに行き止まりとなるが、その向こうには広大な森林が広がっている。彼女が何者かに拉致され、車などで連れ去られたのでなければ、その森林に紛れ込み、行方不明になることも考えられる。 赤城山周辺には昔から神隠しの伝説のあり、この山には杉ノ坊という大天狗が住むという。現代の叡智を結集しても何の手がかりも見出せないこの事件。赤城山に住まう物の怪による仕業なのだろうか。
-
社会 2020年01月05日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1996年5月5日坪野鉱泉少女2人失踪事件
1996年5月5日、廃墟になっていたホテル跡地が心霊スポットと聞いて、富山県氷見市に住む会社員とスーパー店員の女性2人(いずれも当時19歳)が肝試しに出かけた。ところが深夜未明、「いま魚津市にいるよ」というメッセージを友人に送ったきり、2人はそのまま行方不明となっている。 この事件は地元でも大きく報じられ、彼女たちが乗っていた車が氷見市内で発見される。しかし、車内に失踪に結びつく手がかりはなく、捜査は迷宮入りしている。場所柄から北朝鮮拉致説も噂されたが、神隠しのように消えた2人の足取りは今も不明のままだ。 坪野鉱泉は山の中腹に位置する6階建ての建物。80年代半ばに倒産した後、「経営難を理由にオーナーが自殺した」「併設しているプールで小学生が溺れ死んだ」などの噂が流れ、地元では格好の肝試しスポットとなっていた。 事件以降、「北朝鮮工作員がアジトにしている」などの噂が流れている坪野鉱泉。リアルな怖さがここにはある。
-
-
社会 2020年01月04日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1998年3月7日徳島県貞光町男児行方不明事件
1989年3月7日、両親らとともに徳島県貞光町(現・つるぎ町)にある親戚宅を訪れていた松岡伸矢くん(4歳)が、親の目を離した隙にこつ然と姿を消してから、今年で30年もの長い年月が経過した。その間、テレビの公開捜査番組で「同一人物では?」と言われる人物が登場するなどしたが、いずれにしろ、伸矢くんは親のもとへ戻っていない。 伸矢くんが失踪したのは、茨城県に暮らす松岡さん一家が徳島での親戚の葬儀を終えて、親戚宅に泊まって迎えた朝のことだ。父親が親戚と一緒に長女、伸矢くん、次男の3人の子どもを連れての散歩から戻ったところ、父親は抱いていた次男を母親に戻すためいったん家の中に入り、玄関先に戻った。ところが、いるはずの伸矢くんの姿が消えていたという。この間、わずか20秒ほど…。 父親はすぐに辺りを捜し、家族、親類、地元の消防団も捜索に加わったが、伸矢くんの行方は分からず、その日のうちに県警以下100人、翌8日には200人を動員しての大捜索に発展。それでも当日は林道の終点付近に地元の人間以外はほとんど出入りがなく、車を見かけた者もいなかったということから、手掛かりすら掴むことができない。そのまま事件から数日経ってしまったが、翌日には茨城に帰ろうという16日になり、謎の電話が宿泊先である親戚宅にかかってくる。「奥さんはいますか?」 父親が受話器をとると、徳島訛りの声で女は母親を呼び出すのだった。母親に代わると「ナカハラマリコの母」と名乗るその女は、「◯◯幼稚園の◯組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送ればいいのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねる。◯◯幼稚園とは、伸矢くんと長女が通う幼稚園。母親は「明日帰ります」と伝えたが、茨城に戻って確かめたところ「ナカハラマリコ」という園児は存在していなかった…。「ナカハラマリコの母」が徳島の人間だとすれば、なぜ茨城の幼稚園のことを知っているのか? また、茨城の人間であればなぜ親戚宅の電話番号を知り、徳島訛りで喋るのか? どちらの事情にも通じ、すぐ近くから松岡さん一家の動向を見張っている者なのか…?
-
社会 2020年01月02日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1992年11月「風船おじさん」行方不明事件
風船の名は「ファンタジー号」、乗り込んだ男の名は鈴木嘉和。自作のゴンドラ風船に乗ってアメリカへ飛んだ男はあれから二十数年、現在も行方知れずのままだ。“事件”は1992年11月23日に起きた。滋賀県の琵琶湖畔より、大小26個の風船を檜の風呂桶にくくりつけた鈴木は、「アメリカに行ってきます」と言い残し、ふわりと空に舞い上がった。 鈴木の挑戦は、出発前から無謀だった。「ヘリウムガスを詰めた風船に乗って、高度1万メートルに上昇すれば約40時間でサンフランシスコに行ける」計画だったが、もとより彼の自作ゴンドラにはそんな機能も耐久性もなかった。当日の天気は晴れ、北西の風1メートル。その様子を見ていた地元タクシー運転手はこう語る。「風船は重りを積み過ぎていたのか、あまり高く上がらなかったね。風船もパンパンではなく、ちょっとたるんだ感じになっていたから、アメリカは厳しいなあ…って」 そう、この風船には決定的な欠点があった。アメリカに行くには、最低でも高度6000メートル以上のジェット気流に乗らなければならないが、この風船は5000メートルにすら上昇することができなかったのだ。★餓死、凍死、墜落死……あるいは帰国している可能性も? そして出発から40時間後の25日午前8時30分。彼はアメリカではなく、宮城県金華山沖800キロ、高度2500メートル地点を漂っていた。距離にすると、琵琶湖からはまだ1400キロほど。40時間で1万2000キロを飛んでいるはずが、予定時間を過ぎても約10分の1以下。思えば、ここでギブアップしても良かったのに…、誰もがそう思った。 その後は海上保安庁の捜索機が彼の生存を確認したのが最後。前日夜半の救難信号を受けて発進したが、捜索機がゴンドラを見つけると彼は手を振ったり、ゴンドラから荷物を次々に投げ落として高度を上げたため“飛行意志あり”と見なされ、3時間の監視の後に捜索機は帰還した。 風船は1日に約1割ほどガスが抜け、放っておいても勝手に高度が下がる状態であったが、識者の見解では、「捜索機の最終確認から早くて3日、最長でも1週間で高度はゼロになっただろう」という。 彼が25日にいた北緯約40度・東経153度地点、そこを吹いた風の向き、台風の位置、気圧、その他さまざまな条件を考えると、彼は目指す東の方角からやや北に流されはじめ、千島列島の島々と並行するように飛んでいったことが予想される。とすると、彼はロシアのカムチャッカ半島界隈まで飛べたことになる。だが、残念だがまだ陸地には届いていない。ベーリング海手前の太平洋上だ。ここまで餓死や凍死、墜落死などをしていなければ、風船おじさんは見事着水。今度は風まかせではなく、潮にまかせて、親潮に乗って東北の三陸海岸、場合によっては千葉の九十九里海岸まで戻されているのかもしれない。そう、風船おじさんは日本に帰っているかもしれないのだ。 仮に本人は見つからなくても、せめてゴンドラだけは見つけたい。手がかりは、ゴンドラに書かれた『ファンタジー号』の文字。日本のどこかに流れ着き、ひょっこり我々の目の前に再び現れることを祈らずにはいられないのだ。
-
社会 2020年01月01日 22時30分
本当にあった恐怖の神隠し事件 1979〜1996年北関東連続幼女失踪事件
日本では数多の未解決事件が発生しているが、子どもを持つ人たちにとって、これほど関心を持たれる事件も少ないのではなかろうか。北関東で連続して起きている「連続幼女失踪事件」である。 狙われるのは皆、幼女ばかり。失踪、または殺害という悲惨な結末を迎える事件が、1979年から96年までの18年間で、栃木県と群馬県を中心に5件も続けて発生しているのだ。 最初の失踪事件が起きたのは79年8月。当時5歳の福島万弥ちゃんが栃木県足利市の神社で遊んでいるうちに行方不明となり、6日後になって渡良瀬川の河原で、リュックサックに詰められた遺体となって発見されたのである。 84年11月には栃木県足利市で、両親とパチンコ店に来ていた5歳の長谷部有美ちゃんが一人で遊んでいるうちに連れ去られ、その2年後、自宅近くの畑から白骨となって発見。さらにその3年後の87年9月、群馬県太田市に暮らしていた8歳の大沢朋子ちゃんが自宅近くの公園で目撃されたのを最後に行方不明となり、その翌年、利根川の河川敷で白骨死体の一部が発見されている。 悲劇はこれだけにとどまらない。90年5月には4件目にあたる事件が起こる。やはりパチンコ店から足利市に住む4歳の松田真実ちゃんが連れ去られ、渡良瀬川の河原で遺体が発見されたのだ。この「足利事件」ではそれから1年半後、当時、幼稚園のバス運転手をしていた菅家利和さんが逮捕されたが、のちにDNA鑑定によって無罪が証明され、2011年に釈放。警察の杜撰な捜査に批判が集まったのは記憶に新しい。★“作業服の男”は同一人物か? 松田真実ちゃんを殺害した真犯人は、今も社会のどこかに息を潜めているわけだが、実は事件発生前から真実ちゃんが連れ去られたパチンコ店の周囲で不審な男の姿が目撃されていた。事件発生の前日にも、パチンコ店に隣接する幼稚園の周りを身長165センチほど、丸顔、無精ひげを生やして作業ズボンをはいた男がうろついているのが目撃されている。この男は1年ほど前にも幼稚園を訪れて、園内を覗きこんでいたという。 真実ちゃんは殺害当日の午後6時半頃にパチンコ店を訪れ、父親がパチンコに興じているところを何者かによって連れ去られた。パチンコ店からほど近い渡良瀬川の河川敷で、40代の中年の男と幼女が歩いている姿を、ゴルフをしていた男性が目撃している。おそらく、この人物こそが真実ちゃんと犯人の男なのだろう。この男は、パチンコ店に現れた男と同一人物なのか。 足利事件から6年後の96年7月には、群馬県太田市内のパチンコ店から、横山ゆかりちゃん(当時4歳)が連れ去られた。ゆかりちゃんは現在も行方不明である。この事件でもパチンコ店の防犯カメラに、身長158センチ前後で、ニッカポッカをはいて、パチンコをするでもなく何かを物色するように歩く男の姿が防犯カメラに映っていた。他の角度から映された映像には、ゆかりちゃんと長椅子で話し込む姿が映っている。足利事件と横山ゆかりちゃん事件では、作業服姿の男が両事件の重要参考人である。 私は5件の事件が発生した現場のうち、4件の死体遺棄現場を歩いてみた。特に福島万弥ちゃん事件、長谷部有美ちゃん事件、松田真実ちゃん事件は、車で20分もあれば全て回れてしまうほど狭い範囲の中で発生している。しかも、そのうち福島万弥ちゃん、松田真実ちゃん事件は、渡良瀬川の川岸に死体が遺棄され、長谷部有美ちゃんの事件は、地元の人間でないと分からない畑に死体が埋められていた。 この3件は、同一犯による可能性が高いのではないか。★事件発生から40年__懸命の捜索は現在も続けられているが… 最初に起きた福島万弥ちゃん事件から40年の年月が経ち、最後にあたる横山ゆかりちゃん事件からも20年以上の年月が過ぎた。少女たちが連れ去られた公園や神社は今も変わらずその場所にあったものの、松田真実ちゃんが連れ去られたパチンコ店は潰れ、長谷部有美ちゃんが消えたパチンコ店は食堂になっていた。 松田真美ちゃんが連れ去られた現場には、犯人と思しき男が中を覗いていたという幼稚園は今も変わらずその場所にあって、子どもたちの笑い声が響いてきた。事件発生から30年近い年月が経とうとしている。真実ちゃんが生きていれば、彼女も幼稚園に通う年頃の子どもを育てていても何ら不思議ではない。そう思うと何ともいたたまれない気持ちになってくる。 真実ちゃんの遺体が発見された渡良瀬川の河川敷へと向かった。川の流れは当時と変わらず、広々とした河川敷には、夕暮れ時ということもあり人の姿はなかった。 遺体発見現場は、葦などの雑草が生えているだけの茂みである。彼女は河原の茂みに頭を突っ込むように投げ捨てられていた。さらに彼女の赤いスカートやTシャツ、サンダルなどが遺体発見現場からほど近い場所で見つかっている。衣服には犯人のものと思われる精液が付着し、遺体の首には絞められた跡があった。 この現場を訪れる人は、ほとんどいないのだろう。当時と変わらず雑草が生えるがままとなっているが、一箇所だけ名知らずの派手な黄色い花が咲いていた。水面を渡った風に吹き付けられた花が、真実ちゃんの墓標となっていた。
特集
-
マリエの告発で評判ダダ下がりの出川哲朗 オードリー春日が呆れ、たかじんさんを激怒させた過去も
芸能ニュース
2021年04月10日 12時20分
-
マリエの衝撃告白は暴露本出版のため? 意外な人物が紳助さんの現状明かしていた
芸能ニュース
2021年04月13日 22時00分
-
-
マリエの大暴露、裏に“黒幕”がいる? 出川哲朗は経済産業省がPR動画非公開など実害も
芸能ニュース
2021年04月12日 12時00分
-
爆問太田が「マセキ終わった」発言? 妻・光代は「マリエって誰?」 出川の後輩・かが屋が暴露報道に言及か
芸能ニュース
2021年04月09日 12時30分
-
マリエの“爆弾告発”で所属事務所の過去の騒動が蒸し返される? ネット上の根強い噂とは
芸能ニュース
2021年04月10日 20時00分