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他人に興味がないと言われるのは気付きの機会|人の見方が違う心の在り方

「ねぇねぇ、人に興味ないでしょ」

人に興味がないと言われる場合、興味=フォーカス、アイデンティティの捉え方があります。

私は昔から、「人に興味ない」と見られ、「近づくなオーラの召喚者」として生きてきました。

人のことを知ることで、他人に興味がないと言われがちな人には特徴があり、心理と心の在り方としての理解があると知りました。

深くはありません。しかし、外側と内側の解釈があることで、人間の理解に繋がります。

見ていきましょう。どうして他人に興味がないと思われるのか?言われるのか?

そこにはさまざまな意味が潜み、自分の人生が始まる合図が切られます。

少しスピリチュアルな理解も含めて、ご覧ください。

他人に興味がないと言われる理由

初めに、他人に興味がない人と、他人に興味がないと言われる人の違いを見ていきたいと思います。

他人に興味がない人とは

他人に興味がない人とは自分に興味があり、自分の喜びにフォーカスする人です。

集中力があり、“自分のためになるかどうか”の物事の見方をして、考え方や生き方を作ります。

興味がないのは自分のためにならない人に対してのもので、興味があるかないかがはっきりしています。

そのため、自分を理解して好き嫌いが明確です。

興味のない人には感情移入も敬いもなく、人と物への区分けや差別化がないので、人と鼻をかんだティッシュは同じように見えちゃう。

その反面、自分に喜びがある事や物や人へはとても興味があり、むしろ興味が強いほどで敬いを持ちます。極端です。

自分という存在を明確に世界の中心にして物事を認識するのが、人に興味がない人です。

 

他人に興味のある人はあまりいない

「他人に興味がない」と聞くとネガティブな印象があるかもしれませんが、他人に興味がある人は、本当に興味なのかどうか怪しいところです。

興味とは、関心からポジティブな情動によって惹かれる気持ちによって持ちます。

興味の意味はこちら。

興味とは
:積極的な情動によって誘発される気持ち、状況的興味と個人的興味がある

  • 喜び、好きなどの気持ちを感じ、惹かれること
  • 好奇心、動機付けとの関連がある
  • 状況的興味の継続によって、自分の喜びを深める個人的興味になる

他人に興味がある人は、他人という存在や、他人との関わりに自分の喜びや惹かれるものがあります。

ですが、他人との関わりを自分の利益のために利用する場合、他人に興味がある訳ではありません。

 

なんのために他人に興味があるのか?

電車に乗った際に他人に興味があっても、全員に話しかけるようなことはしません。

しかし、会社の隣の席の人には話かけます。

この違いはなんでしょうか?

私が会社員の時、ビルにいる際は部署へ行くまでに会う人全員に挨拶をしていました。帰りもです。

しかし、挨拶を返してくれるのは同じ部署や同じ階の人の一部でした。

みなさん自分のために挨拶をしているので、自分に利益としての関わりがある人に限定されます。

私は数か月間続けましたが、挨拶を返してくれないので全員には挨拶をしなくなりました。

挨拶をすることにそんな意味があるとは考えもしていませんでしたが、この件で私はある気付きがありました。

それは、「返答してほしい」と押し付けて、自分が喜ぶために一人でも多くの人に挨拶をする、“自分のための挨拶”をしていたことです。

要は自分のことしか考えていないという。

もし私が挨拶の返答がなくても何も思わず、みんなが心地良くいられる雰囲気作りのために挨拶を続けていれば、他人に興味がある人だったと思います。

ですが自覚と事実共々、私は他人に興味が一切ない人でした。

人とは他人に興味がないものです。ですが、自分に利益があるから他人に興味があります。

利益には人それぞれの喜びや満足や納得があり、全ては“自分のため”に繋がります。

他人に興味がない人は、自分のためという認識が明確で躊躇がない。

最高に潔いのが、他人に興味がない人です。

※人の気持ちがわからないと言われる際の理解は、人の気持ちがわからないのは当たり前│でも言われたからには意味がある をご覧ください。

 

他人に興味がないと言われる人の特徴

他人に興味がない人と少し違うのが、“他人に興味がないと言われて気になる人”です。

他人に興味がない人は自分のための認識があるので、「人に興味ないでしょ」と言われても、「うん、ないですね」で終わります。

「今日は晴れているね」「うん、そうだね」と同じです。

しかし、他人に興味がないと自覚していない場合、気になります。それは、他人に興味がないと言われたくないからです。

別の言い方をすると、他人からの評価が気になっているということです。

そんな、他人に興味がないと言われる人の特徴がありますので、見ていきましょう。

 

1、考え事ことが多い

頭の中が整理されていないために、思考巡りが頻繁にあります。

考え事で新しいアイデアや創造をしているのではなく、「なんで人って他人に興味あるんだろう?」「なんで生きてんだろ?」「人の目の奥には部屋があるのかな?」「脳の真ん中の松果体はあの世へ続くのか?」などの疑問を増やす作業です。

その時の自分を観察すると、答えを出そうとはしていません。思考を巡り、疑問を増やしたり、考えている状態を維持しようとします。

 

2、ぼけーっとすることが多い

ふとした時にたそがれるような状態になります。他人に見せるつもりはないのですが、見られたりします。

そして、もし見られて注目されると、人に見てもらおうと意識的にぼけーっとします。

見られたくないけど、本当は見られたい自分が出てきます。

 

3、何を考えているかわからないように見られる

「あの人は何を考えているのかしら?」と思われがちです。ミステリアスでもあり、おかしな人でもあり、人それぞれに良くも悪くも解釈する在り方をします。

それは、どこにフォーカスをしているのかがわかりにくいためです。言い方を変えるとマイペースなのですが、見られていることに気付かずとも結構見られています。

なぜならば、目立つからです。

 

4、なぜか目立つ

行動が理解しにくく、何にフォーカスをしているかわからないために、他人は気になります。

「自分を持っているようなで持っていない、でも持っているかもしれず妖精的、本当は宇宙人なんじゃないか?!」という勝手な噂が広まります。

全員ではありませんが、スピリチュアルなエンパス気質があり、自分のエネルギーフィールドが無意識に広がっていて、他人の気持ちや感情や意図がわかったりします。これはサイコパス気質とも考えられます。

すると、勝手に好かれたり嫌われたりして、「はい?何が起きているの?!」となり、「何を勝手にやってんのこの人達は?」という嫌悪を持つかもしれません。

 

5、勝手に話を進めたり、決め付ける人が嫌い

これは干渉する人と言うことができます。

干渉して、自分の世界に介入してくる人を毛嫌いします。それは、自分がない人を嫌うことと同じで、意見がなかったり、人の真似をしている人に好感がなく、「なんなの、よくわかんない」と呆れる感覚や、嫌悪があります。

 

6、人を利用する人が嫌い

実際、他人に興味がありません。

本当は興味どころではなく、嫌い。

しかし、嫌いな人と好きな人が明確に分かれています。人を利用する干渉や同情、人の文句や否定、愚痴や泣き言、評価や非難をする人が嫌い。

その反面、人を想い、嘘をつかず、思いやりのある人や、見えないところで頑張っている人や、トイレ掃除している人とかが好き。

他人の評価を求めず、一生懸命で、自慢もせずにやるべきことをせっせとしている人への好感が人一倍あります。

 

7、本当は人が好き

実は他人に興味深々です。他人の意見を聞くのが好きで、講演にはまったりします。

本当は人が好きですが、周囲にいる人にそのように思える人が少ないと、自分がわからなくなります。

人一倍、人や自分のことを考え、理解を深めようとする人間性があり、人との接し合いに軽々しさがありません。

しかし、自分が定まらない違和感や空虚感がある場合、他人を考える余裕がなく、「自分を考えたい、でも他人も知りたい」という状態で思考がオーバーヒート、ぼけーっとしたり、一人でいることが多くなります。

 

8、はっきりしない

自分がわからない状態かもしれません。

すると、「人に興味がない」と言われても、「そうかもしれないけど違うような、はぁ、そうかな?」という曖昧な返答となり、相手は決定付けて自分が納得したいので、「やっぱりそうだ、興味ないんだ」と決め付けます。

本当は、「あなたのような人に興味がない、でも自分を敬って喜びを尊重する一生懸命な人は大好き」と思っているのではないでしょうか。

 

9、人を恐れ、人を疑わざるを得ない経験をしている

他人に興味がないと言われる人は、人の見方が真剣で、自分の意見を持ちます。

しかし、自分の意見を持つべきか考えさせられる、または悩まさせられる経験があり、虐待や毒親、両親の喧嘩が絶えない環境、荒れて問題のある家庭環境などにて、人についてを真剣に考えさせる記憶があります。

そのため、人への恐れや不信を抱き、人の見方を希薄にはできません。

哲学や心理への興味へ繋がる傾向があり、人の内側や真意、物事一つ一つの表面ではなく中身を知ろうとします。

すると、何も考えていない人や、他人を利用しようとする人への嫌悪が強まり、違和感を感じる人に対しての興味がない本心が、顔や雰囲気として醸し出されます。

以上が、他人に興味がないと言われる人の特徴です。

※他人に興味がない人の特徴と真意の話は、他人に興味がない人の特徴は普通|正体は冷たいか優しいか をご覧ください。

 

他人に興味がない人のスピリチュアルな理解

心理や思想としての他人に興味がない人と同時に、スピリチュアルな魂としての理解があります。

他人に興味がないスピリチュアルな意味

これまでの内容から、「他人に興味がないから何か?」という認識が少しなりとも生まれるのではないかと思います。

他人に興味があるのは、「自分の喜び」という明確な目的を持った上で人々は関わります。

そこに猜疑心も疑心感も不要でして、自分のために生きていなければ今呼吸をしないことと同じで、ごはんを食べるのは自分のためで、自分が生きるために他の命を奪い取ることを毎日何度も繰り返しています。

「自分のため」という認識は誰しもの基盤にあり、その上で関わるか否かを決めて人間関係を作るのが私達人間です。

そんな理解には、「他人に興味がないからどうしたの?」というスピリチュアルな意識の認識があります。

私達人間には肉体があり脳があると同時に、心があることで波動や気持ちを感受して感じ取ります。

心を主体にすることで、自分の喜びを主体にする生き方となり、それを歯止めしようとする常識やルール、固定観念となる他人の目・体裁・評価・反応に気をつかうエゴがなくなります。

自分の喜びを主体にすることで、自分を苦しめたり辛くさせることはしなくなります。

あくまで自分の喜びが中心点です。

そこに根っこを生やして軸を持ち、他人に興味があるかどうかは自分で決める状態を作ります。

その際に関わっても心地悪くて喜びがない人は、人のエネルギーを奪い取ったり、時間を取り、無駄話や承認欲求のために他人を利用して、褒めて欲しいための自慢や自己満足をしようとします。

ズバッと切り裂く、というのは冗談ですが、エゴの塊のような人と関わるボランティアは必要ありません。お金をもらってでもしない方がいい。

心を主体にして自分を敬う気持ちがあることで、関わる他人を明確に決める意志が伴い、興味がある人とない人が分かれます。

 

興味がある人がいなければ一切人と関わらないのも普通

関わる人かどうかを自分のためかどうかで選択します。

その行為は自分勝手にはなりません。なぜならば、人は自分のために生きているので、自己犠牲を美徳とする人は今の時代には不自然です。

そして、心を主体にすることで自分を敬う気持ちが生まれるので、他を排他したり攻撃するエゴではありません。

他に干渉をせず、他人を利用せず、あくまで自分で喜びを作り、自分で選択をしていきます。

その際に、周囲に興味の持てる人がいなければ、一切関わらない選択も出てきます。

我慢や見栄や恐怖の対処のために嫌々人と関わることに喜びがあれば、興味のない人とも関わります。

しかし、心を主体にする生き方に、喜びと正反対へ向かうことが喜びになる不思議な認識はありません。

そこで、視野を広げることで関わる対象が見えてきます。

動物や自然の存在、または子供や障害を持つ人々です。

 

動物や自然や子供や障害を持つ人々に興味が湧く

心を主体にすると、感性や感覚を主体にして今を生きる生き方になります。

それは同時に思考を巡り、脳を主体にする認識が薄れることで、過去や未来に生きることが減ります。

それが愛を基にする生き方となり、ワンネス認知(自分という存在が全体の認識になる)状態です。

すると動物や自然、子供や障害を持つ人々に興味を持つようになるかもしれません。

理由は、それらの存在が愛だからです。

人と関わらなければならないルールはありません。

動物や自然と関わる際にはエゴがないために、愛の認知による心地良さがあります。大自然の中で開放的になるのは、ありのままの自分が蘇るからかもしれません。

そして、子供や障害のある人々は愛を主体にして生きているために、関わると心地良さが凄まじくあり、無用な抑制や縛り、常識や観念への囚われとはおさらばです。

そこには本当の人間らしさがあり、本気で生きる真剣な姿があり、尊敬と学びがたくさんあり、教えてもらうことで溢れます。

ぜひ、動物や自然、子供や障害のある人々、またはそこで関わっている人と接してみてください。

素敵な人だらけで、興味を持つと思いますよ。

※恋愛に興味がないスピリチュアルな話は、恋愛に興味がなくなった時に切り替わる世界│人生が始まるスピリチュアルな話 をご覧ください。

 

他人に興味がないと言われる捉え方

他人に興味がないことは良いことでも悪いことでもありません。

しかし、人を評価や判断する意図を持って、「人に興味がない人」と言ってくる場合には、言われた言葉ではなく、言ってきた人を理解することが大切だと思います。

どんな人と関わるかは自分次第ですので、心地良くお互いのためとなり、敬い合う関係性を築けるとお互いのためになります。

 

他人に興味がないのは普通

他人に興味がないとしても、それはおかしなことでも正しいことでもありません。というかどちらでもいいことでして、どうでもいいことでもあります。

もし、人に興味がないと言われて気になる場合には、他人からの評価が気になっています。

それは、否定や排他されることを恐れている可能性があります

その際には、「自分とはどういう人なのか?」を明確にすることが大切で、根っこを探す、軸を探す、自分を持つ、自分の意見を持つ、自尊を抱くことが大切です。

それら全てに共通しているのは、自分を愛することです。

愛という言葉が嫌であれば、自分を敬い大切にすることと捉えてください。

他人に興味がないのは普通のことです。興味を持てる人がいれば、必ず他人に興味が出ますので、まずは自分に興味を持つことが大優先で、良い感じに人生が進みます。

 

人でも何でも、自分に喜びのあるものを自覚する機会

他人に興味がないと言われて気になる場合、それは合図でもあります。

その言葉に引っ掛かりがあることは、自分の中で解消をしたいことがある意味でして、「自分の喜びとは何か?」というところから始まる自覚の機会になります。

何に興味があるのかは人それぞれです。人に興味がなくても、女性だけ好きだったり、男性だけ好きだったりかもしれません。性別は関係ないかもしれません。

そして、動物や自然が自分の関わる対象かもしれず、虫や菌かもしれません。

いろいろな世界がこの世にはありますので、人に興味がなくても大切な生物はたくさんいます。

ちょうどスタートを切る機会かもしれません。

※他人に興味がない人の良い感じの生き方は、他人に興味がないと生きやすくなる|サイコパスでもいいじゃないという話 をご覧ください。

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他人に興味がないと言われる まとめ

以上が、他人に興味がないと言われる理由と意味の紐解きでした。

他人に興味があってもなくてもどちらでもいいと思います。大事なのは、自分の喜びを敬う在り方で、その基盤となる自分を持つことです。

私はとにかく人に興味がありませんでした。しかし自分を知った時、人に興味だらけであることを知り、過去を思い出すとよく講演を聞いたり、人の話ではなく意見を聞くのが好きだったことを思い出しました。

人に興味がないわけではなく、興味がない人ばかりにフォーカスをして、世の中を狭めているのは自分自身であることに気付いた時、興味のある人や自分の喜びとは何かの答えがポンポン出てきて、自分の好きな人や興味のある人が明確にわかりました。

それは、愛を持つ人でした。

今、人と関わりたければ興味を持てる人と接すると良いと思います。今、虫の気分なのか、猫の気持ちか、花の時期か、海の波か、仕事をするのか、旅をするのか。

この世は最高に楽しく喜びに溢れた世界。人でも何でも興味があれば関わり、なければ関わらない。それは何より自分を敬い愛する幸せだと思います。

他人に興味がないことへの理解が広がることを願い、終了します。

他人に興味がない、それは自分に興味を持って人生を謳歌する選択。そんな話です。

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