私大文系の「数学不要論」を打ち消す早大の快挙
大学入試の歴史的経緯から考える数学必須化
株価の動きを測るとき、本当は対数logを通して見ることが適当で、海外の投資家は主にその視点から見ている。1000円の株を1万株購入することは、100円の株を10万株購入することと投資金額は同じであり、要は株価が何倍になるかが重要で、それゆえlogを通して見ると良いのである。
また、確率に人間の意志が介在するゲーム理論や仕入れなどの最適解については、行列が基礎となる線形計画法の知識が基礎となる。さらに、経済学で「限界~」という限界が付く用語はたくさんあるが、それらはどれも微分の概念である。
他にも、マルサスの人口論は微分方程式を用いると1つの簡単な式で表されるが、それを発展させた個体数の変化を表す(修正)ロジスティック曲線に当てはまる現象は思いのほか多くある。等々。
そのような事例は枚挙にいとまがないが、たとえば昭和50年(1975年)の高校数学Iと比べてみると、現在の高校数学I・Aの内容は見劣りする。当時は、以下のような内容も高校数学Iで扱っていたが、現在の高校数学I・Aでは扱っていない。当時は整式の除法と分数式、複素数、ベクトル、2次曲線、指数関数、対数関数、(三角比を発展させた)三角関数、等々を扱っていた。
ちなみに、現在の高校数学I・Aの内容は以下である。数と式、三角比、2次関数、データの分析(統計の初歩)、場合の数と確率、平面図形と空間図形、数学と人間の活動、等々。「データの分析」と「数学と人間の活動」を除くと、昭和50年当時の中学数学や高校数学Iでは当然学んだ内容である。
当時の高校数学Iを学んだ年配の方々からすると、両者の開きには驚かれるだろう。それだけに、経済学での学びに必要な数学に関しては、間違っても「現在の高校数学I・Aで十分」と勘違いしないことに注意すべきである。
暗記頼りは「数学嫌い」の解決にならない
もっとも、冒頭で紹介した受験生激減の人数は、日本の数学嫌いがいかに多いかを表している数値でもあり、数学嫌いの問題を真剣に考えなくてはならないことを世に示した点でも、高く評価すべきだろう。
実際、TIMSS(国際数学・理科教育動向調査)の発表がある度に日本の青少年の数学嫌いは注目されるが、数学嫌いの問題が改善されない限り、経団連の提言「文系大学生も数学を必修として学ぶこと」は無視され続けると考える。
そのような背景を踏まえて、筆者は昨年末に『AI時代に生きる数学力の鍛え方』を上梓し、理解せずに暗記だけに頼る数学の学びは、数学嫌いの問題の解決にはならないこと。さらに、数学嫌いの人たちが数学好きに変わるきっかけとして、生きた題材による楽しい応用例の紹介は効果があることを、数多くの事例によって訴えた。