シティー・ハンター 史上最香のミッション 注・ネタバレ

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はい、もうね、お題が溜まってしまって一日に二本書くような体たらくになっていますが始めさせていただきますね。
 太平天国系師父にしてフェンシング・マスターが、陰陽思想とハロハロ文化の観点から、映画の感想文をネタバレ全開でお送りするこのコーナー、シネマ・ハッスル!
 今回のお題は「シティー・ハンター 至上最香のミッション」です!!
 はい。もう、私はこれがなぜか見たくて見たくて。
 いや、それは原作のものすごく熱心なファンだったからという訳では、実はありません。
 いえいえ、もちろん常習的なシティー・ハンター視聴者ではありましたけど、そこまでの集中をしていた訳ではなくて。
 それよりも、フランスでこの作品が「ニッキー・ラーソン」として親しまれていたということの方に強く興味がありました。
 つまり私は今回、シティー・ハンターを観に行ったというよりも、それがフランスで土着化したニッキー・ラーソンにものすごく興味があった訳です。
 なので、正直、日本語吹き替えになっているというのはちょっとマイナス。
 フランス語でのニュアンスが知りたかった。
 しかも、別に日本公開版の声優もオリジナルとは違うしね。
 でも、メチャメチャ元の声色に寄せてるんだよね。
 だからちょっと意地悪な見方をすると、この辺りはなんかバタついた処理をした印象がある。
 いえ、結果としては、世襲した声優さんたちによるそっくりな吹き替えの作品が見られますので、全然悪くはないのですけどもね。
 まぁ、そんなちょっとツイストした視点からの感想文になります。
 その上で言いますと、これ、ものすごく忠実にシティー・ハンターを再現しているんですよ。ルックとして。
 スチールで見るよりも、動いてる主演の二人はアニメの遼と香にそっくり!
 特に遼の顔芸はほっぺの膨らませ方とかよく研究してます。
 冒頭で一回だけ出る遼ちゃんのあのレンガ造りのマンションとかも、CGでまんま出てくる。
 雑魚をなぎ倒すアクション・シーンではちゃんとあの2ステップのBGMも流れる!
 クライマックスでは主人公二人がちゃんとタキシードにドレスというフォーマルなルックで活躍するし、シティー・ハンターのエッセンスを非常によく吸収しています。
 反面、この作品には決定的にシティー・ハンターとして欠けている部分があります。
 それは、主人公の遼が心に問題を抱えている物の天才的な能力を持っているというある種のサヴァンとかアダルト・チルドレン的な美女プロフェッショナルの依頼人を自分の家庭に取り込んで、そこである意味で、強制的に第二次性徴を起こさせて、人格の成長と調和を促して、外の世界に送り出す、という構造です。
 主人公の冴羽遼は、依頼人の仕事を阻害する外的から保護し、住む家と新しい生活を与える一方で、依頼人に性的な言動を繰り返し続けて反発する感情を引き出します。
 つまり彼は、早熟の天才児であるがゆえに自分より強くて優秀な父親像のアーキタイプを見失った依頼人たちの強烈な父性的存在となると同時に、見返りの性交を求めることで彼女たちから支配下にある女性像からの自立の衝動を引き出しています。
 この構造は、思春期の少女が大人になる過程で自分の父親に強い反感を抱くという過程に似ています。
 その手続きを踏むからこそ、依頼人の美女たちは自分で立つということに自覚的になり、最後には飛行機に乗ってアメリカに旅立つのです。
 この、性意識の目覚めと並行した近代的自我への目覚め、それによる巣立ちというモチーフを、テレビのシティー・ハンターでは毎週繰り返し描いていました。まるで水戸黄門みたいに。
 今回のフランス版では、この依頼人の美女が存在しないのです。自立したフランスの女性にはこれを描く必要がもうないのかもしれません。
 厳密にいえば依頼人の美女は物語の裏に存在はしているのですが、画面上では数分出てきてパンツを見せるだけの存在にとどまっています。
 ラスト・シーンで飛行機も飛びません。
 物語はあくまで主人公の遼と香の二人だけを中心にしています。
 遼自身がピンチに陥り、そこから脱出するためのプロットとなっています。
 となるとこれは、ルックとしては非常に忠実にシティー・ハンターをなぞっていますが、物語としてはまったく別物なのです。
 ボディ・ガードマンガの映画化なのにボディ・ガードしてない。
 私事に奔走しています。
 サッカーマンガが映画になったと思ったら一秒もサッカーしてないみたいな話です。
 サーフィン映画だと思ったら全然サーフィンしてない、みたいな。それは違う。
 スパイ映画だと思ったらスパイ活動の話じゃなくて私事で女の取り合いをする三角関係の話だった。みたいな。それだ。
 で、そうなると、本来のサッカーの試合に当たる縦糸が無くなってしまう。
 では何をする映画にするかというと、これ、奪還ものスパイアクションみたいになります。
 強烈な薬物に感染した主人公が、期限内の解毒薬を求めるという定番の奴です。
 あるいは全体としては密偵もの、探偵ものの争奪劇と言ってもいいかもしれない。
 と、なるとそれでコメディでフレンチ・ムービーとなるとこれは私たちの世代が子供の頃に大好きだったピンク・パンサーなのです。
 登場人物のルックといい、美しい景色を見せる観光映画の要素といい、まさにその通り。
 そしてもちろんそのギャグ!!
 基本、原作のシティー・ハンターのギャグは殆どがセックス絡みのセクハラギャグでしたが、この映画版はそれどころではない。
 冒頭五分、すべてオチン〇コギャグです。
 日本公開ではモザイクが掛かっていましたが、オリジナルでは丸出しとのこと。
 そこから始まって、老女や醜貌の人の性を笑ったり、同性愛をネタにしたり挙句の果てにはハゲネタと、あらゆる反ポリコレ要素に満ち満ちています。
 いいぞ! これが文化の成熟という奴だ!
 フランスって国はこういうものを送り出すためだけに存在してると言ってもいい(そんなことを勝手に)。
 これが原作物で日本のアニメの意訳だってことを知らなければ、完全に悪ふざけのフレンチ・セックス・コメディだとしか見えない作品。
 そう、それこそが私の見たかったニッキー・ラーソンそのもの!!
 クリーンになりすぎたポリコレ映画の時代に、お家芸のような毒のある不謹慎コメディを延々やり続けるこの手際の堂に入ったことよ!!
 しかもそれがちゃんと一定に面白い!
 東西折衷にしたピンク・パンサー的映画のせいか、ミスター・ブーとか悪漢探偵も彷彿させられる。
 こういうのを、イキ(すでに古すぎて全然粋じゃない言葉)ってんでげしょうな。
 思えば作中にもレッドブルが出てくるけど、レッドブルのあのCMに出てるようなポンチ絵ってのがたぶん、この手の笑いのルーツにはあるんだろうね。
 まさにその、ポンチ絵を実写にした面白さでした。
 これが70年代のポンチ絵の映画版のリメイクで、北条司はこれをモチーフにシティー・ハンターを書いたと言われても信じちゃう感じでした。
 でね、そこから重大な展開をするのだけど、私はずっと、ベッソンの映画がダメだったのね。
「女がベッソンが好きだって言い出したら気を付けろ!」って格言の通り。
 レオンが好きだってヤツもバカだと思ってて。
 あんなの要はシティー・ハンターのいつものヤツじゃねーか、ベッソンは北条先生に金払え、って思ってて。
 でも多分、ホントにレオンってのはたぶんそうで、ベッソン含めたフランスの人たちは、往時にニッキー・ラーソンを観ててホントにこういうのが好きなんだよね、きっと。
今回のを観てて、正直望んでいた以上にフランス人の視点が体験できて、結果ベッソンがゆるせるようになったよ。
 いやー、久しぶりに楽しくハッスル出来ました。
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