今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

うそ


 うそ「市 事実と異なる議会答弁」 今朝の地元紙の紙面に、こんなショッキングな見出しが躍った。要するに、議会において、虚偽答弁が行なわれたということである。
 ただ、この記事を読んだだけでは、よくわからないこともあるので、少し詳しく、でも大雑把に説明しよう。 
 弘前市は、第2期中心市街地活性化基本計画の中で、土手町・中央弘前駅そしてれんが倉庫美術館周辺を、文化交流エリアとして一体整備することを決定していた。その中では、中央弘前駅を約30メートルほどセットバックして、駅前広場を拡張し、バスプールやタクシー乗り場等の交通結節点にすることも、明記されていた。そのために、平成30年には、都市計画の変更も行なっている。
 令和元年6月には、その計画に基づく地権者への説明会も行なわれた。ルネスアベニューや城東閣は、それを前提に、国からの補助を受け、大規模な改修を行なった。その鉾金交付に際しても、市は、中心市街地活性化計画に沿った事業であると、国に対し意見書を上げている。
 ところが、その後、その計画は変更となった。市は、変更ではない、見合わせだというが、計画期間中に取り組まないことを決めたのであれば、それは変更と言わざるを得ない。
 問題は、その大きな変更を、地権者に対して、きちんと説明をしていたかということだ。3月議会の予算委員会で、同じ会派を組むTa議員は、そのことを質問した。
 「9人いる地権者へは、個別の説明をした」という答弁が返ってきた。だけど、、それは、僕らに入ってきている情報とは違う。
 そこでTa議員は、地権者に説明をした面談記録はあるのか」と、再度詰め寄った。そうしたら「ある」という。だったら、その記録を、資料として開示して欲しいと、予算委員長を通して理事者に申し入れた。
 議会が終わったのは3月18日。そこから1週間過ぎても2週間過ぎても、資料は出てこない。年度を明けて、ようやく返事が来たのが4月9日だったという。「地権者に説明はしていない。従って記録もない」ということだった。そのことが、今朝の新聞で報道されたのだ。
 実は、理由あって、昨日からTa議員と行動を共にしていた。断じて言うが、決して彼がリークしたものではない。むしろ、新聞を見たという市民や、市役所関係者から、ひっきりなしにT連絡が入り、反響の大きさに、彼自身も戸惑っているようにも見えた。
 実際に、これは根の深い問題なのだ。予算委員会での質疑は、予算案審査の一つの要素となっている。そこに虚偽があったとすれば、予算そのものの正当性さえ失われかねない。、
 しかしまぁ、答弁をした職員を責めるのは妥当ではない。問題は、何故、嘘をつかなければならなかったのか、嘘をついてまで守ろうとしたものは何なのかだ。その辺りは、しっかりと質していきたい。
 嘘は、突き通せるものではない。折れた煙草の吸い殻からでも見破られるのだ。と、中条きよしの「うそ」を口ずさんでいる。(7111)
 

オリンピックと桜まつり


    松山英樹が、オーガスタトーナメントで優勝した。日本人初の快挙である。今日は、朝から、ニュース・ワイドショーは 、その話題で持ちきりだった。
    水泳日本人選手権での、池江璃花子の復活には感動した。昔は、不治の病いと言われていた白血病を宣告され、絶望にも近い状況からのオリンピック代表権獲得である。インタビューでの彼女の涙を見て、僕も思わず、目頭が熱くなった。
    大谷翔平も頑張っている。投手としても打者としてでも、超一級の資質を、自らメジャーとよんで憚らないアメリカ球界で示し続けている。
    そして、昨日の桜花賞のソダシだ。そもそも、存在自体が奇跡と呼ばれている白毛馬が、サラブレッドの頂点であるクラシックレースを制覇した。まさに快哉を叫ぶにはこれ以上のことはない。
    このように、スポーツには、人々を明るくし、勇気づける魅力がある。だから僕は、自分では全く身体を動かすことがないくせに、毎日スポーツ新聞を買い続けている。
     これ偏に、アスリート達の、損得や駆け引きを抜きにした、純粋な向上心によるものだからこそだと思う。損得や駆け引きをなしで、自ら設定した目標にひたむきに突き進む。それを達成した時の喜びが、観戦した者にもストレイトに伝わってくる。
   一方で、競技団体の不祥事はあとを絶たない。ボクシング、柔道、空手・・・。アスリートとは違い、団体運営ともなると、そこに利権やら面子やら、純粋と言えないものが生じてくるのかもしれない。
    そこで、オリンピックである。聖火リレーも始まったというのに、今ひとつ盛り上がっていない。国内におけるコロナワクチン接種も、6月までに65歳以上を終えるという見通しが述べられているだけで、具体的なプランは、明らかにされていない。多くのアスリートが64歳以下にいたっては、全く見当が示されていないのではと思う。
     そんな中で、海外からの感染者の入国を認めないということが早々と決まった。でも、これまでの開会式見てもわかるとおり、選手入場のあとをぞろぞろと付いてくる、国によっては選手団よりも多いのではないかと思われる、競技団体役員団なる人々がいる。感染リスク軽減したいというになら、そのあたりも制限したほうがいいのではないか。
      そもそも、アスリート達の自己達成感を充足すると言う以外に、強行開催する必然性は何か? さっき言ったように、僕はスポーツ観戦は、ほぼ全般、大好きである。世界一を決める大会は、ぜひ、見てみたい。ただ、何がなんでも、開催を大前提にというのではなく、コロナ感染状況やワクチンの接種状況を見て、中止・延期を決断するすることも、必要なのではないかも思う。
    同じことは、弘前桜祭りにも言える。開催するにこしことはないが、そこは柔軟な姿勢も必要である。今は、あまり前のめりになっているようで、逆に心配でもある。
     市民のなかには、祭りを行うこと自体への不安や不信も決して少なくはない。市長は、今日の記者会見においても、祭りを行うことが、密を避けることなると言っていた。少なくても、「祭りを行う→(       )→密を避ける」の{      )の部分は、もっと市民に理解出来るように説明をする必要があるだろう。
    以前も、買いたが、何事にもおいても、賛成もあれば反対もある。結果がいい場合もあれば、悪くなるあ場合もある。どういっ場合であれ、渋々ながらでも、納得してもらえる、承諾してもらえる、許容してもらえる、そういった説明責任と説得力がリーダーには求められると思う。
     人の上に立つのは大変だ。できれば立ちたくない。いや、もう立てない。椅子から立ち上がるのにでも、「どっこいしょ」と、掛け声をかけなければならなくなってしまった。(5284)

     
     
     

バチあたりの呟き


 暖かな春の一日。 母の百箇日の法要を執り行った。
 母の忌明けとなる四十九日は、2月18日であった。まだ雪の多い、厳寒の頃だったので、これは、娘と妹と3人だけで行なった。
 今回は、家族の他に、市内のごく近しい親族にご参列をいただいた。これで、何となく、一区切りつけられた感じだ。
 しかし、執り行ってしまってから言うのも何だが、実のところ、四十九日であれ百箇日であれ、その意味をよく理解していない。今さらながら、浅学を恥じ入る次第だ。
 そこでネットで調べてみた。いきなり「百箇日法要は、親族や近親者のみが参列し、自宅の仏前で行うことが一般的です。 内容は僧侶を招いて読経していただき、焼香をし、説法を拝聴して終了となります。  百箇日法要は悲しむ日々から日常に切り替えるという意味がありますから、故人の遺品の整理や形見分け、葬儀で頂戴した香典のお礼や香典返しもこの日までに行います」と出てきた。
 「卒哭忌」とも言うらしい。慟哭から卒業するという意味だという。僕の場合、今でも言い様のない寂しさに襲われる時も、もっと孝行していればよかったという後悔に落ち込む時もあるが、哀しみにどっぷり浸っている暇もなかった。
 死亡後の諸手続きから始まって、議員としての調査活動、勉強会、議会報告会、そして定例議会と、慌ただしくバタバタと、この3ヶ月が過ぎていったようにも思う。
 四十九日までは7の倍数なのに、何故、その次が100なのだろう? と思って、これも調べてみた。何でも、死体が白骨化するのが、だいたい100日くらいだからという節もあるらしい。だったら、98日でも105日でも良いような気もする。
 いやいや、問題は、そんな雑学の話ではない。仏事の作法だ。親戚との付き合い方だ。
 僕は、自慢ではないが、喪主は3度務めた。親戚の葬儀を取り仕切ったこともある。受付、下足番、駐車場係り、司会、弔詞、献盃・・・、”本人”以外は、およその役を、人よりは多く経験しているつもりだった。
 でも、考えてみれば、こと我が家の中においては、
昨年までは、母が一手に引き受けてやってくれていた。僕は、傍で見ているようで、色々と手伝っていたようで、実はほとんどのことをわかっていなかった、ということが、今回よくわかった。
 これからだって、上手くやっていく自信はない。取り敢えず来年は母の一周忌、そして父の17回忌、再来年は女房の13回忌だ。長男としてしっかり務めなければならないのは重々承知だが、今からため息をつきそうになるのも、正直なところなのである。
 こんなことを書いたらバチが当たるかなぁ?(4425)

コロナの中の新年度


 弘前ペンクラブは、現在、2つの施設の指定管理を受託している。弘前市立郷土文学館と太宰治まなびの家だ。2施設とも、建物管理だけだったらともかく、その設置目的に適った運営をするとなると、郷土文学に精通した会員の多いペンクラブは、最適の団体ではないかと、 勝手に自画自賛をしている。
 今日は、今年度最初の、2施設合同実行委員会が開催された。両施設のスタッフから、前月並びに前年度の実績の報告があった。
 いやはや、昨年度は散々だった。2つの施設とも、来館者数は、一番多かった年の三分の一程度。市が示している目標(基準)値に遠く及ばない。
 言うまでもなく、コロナの影響である。昨年の4月から5月にかけては、一斉に休館を余儀なくされた。それが明けても、県外からの団体客がほとんど来ない。そうこうしているうちに、弘前市内でクラスターが発生し、市内の客足もピタッと止まる・・・そんな一年であった。
 郷土文学館では、それでもイベントはほぼ予定通り実施された。が、太宰治学びの家では、秋以降の文学講座は開けないままでいる。主たる対象者の年齢層が若干高いためだ。
 新年度の事業計画も同様である。まなびの家では、順延となっている文学講座を、4月からは再開する予定ではいた。
 だけど、今年度に入ってから、青森県内で、複数のクラスターが発生している。弘前保健所管内ではないというだけで、油断するのは禁物だ。昨日は、県知事から、「イベントの開催については慎重に」というコメントも発表になった。そんな訳で、4月の文学講座も見送ることとした。5月以降、開催できればいいのだが・・・。
 指定管理に限らない。ペンクラブ自体も、昨年は開店休業状態だった。総会は開催できず、会報の発行も行われなかった。秋に予定していた「青森・八戸・弘前 三市ペンクラブ交流会」も中止にした。
 この状態は、当たり前の話だが、決して望ましいことではない。ペンクラブに限らず、規模の小さな団体・企業は、いくら志が高くても、結局は自転車と同じだ。少しずつでも前に進んでいなくてはバランスを保てない。ひょっとしたら転んでしまうことだってありうる。このまま、あと1年もコロナの中に晒されるようだと、会としての求心力も、会員の結束力も失われていくだろう。
 だから、ペンクラブでは、取りあえずは、総会だけは行うことを今日正式に決定した。コロナ次第で変更になるかもしれないが、会員が一堂に会する機会は、何はなくとも、絶対に必要だと思う。
 僕が関連している団体では、他には、町会も津軽厚志会も、今年は総会を実施する。すべては、それが再始動のスタートだと考えている。
 その分、資料作成やら何やらで、また忙しくなるのだが・・・。(8047)
 
 
 
 
  

りんご宇宙


 弘前れんが倉庫美術館の2021年度展覧会「りんご宇宙/Apple Cycle /Cosmic Seed」が、明日から開幕する。今日はその内覧会が行なわれた。
 れんがタイトルからもわかるように、この展覧会のテーマは”りんご”である。りんごから、禁断・愛・豊穣・郷愁といったイメージを膨らませていって、それを形あるものとして表現する。そんなコンセプトのように勝手に解釈した。
 「りんごを、食べ物として捉えるだけではない」と、挨拶に立ったキュレーターは言った。その後で、ニュートンのことも話の中に出てきた。
 そこで僕は、もう30年前の青年会議所時代のことを思い出した。市制施行100周年の記念事業について意見を求められた当時の成年会議所は、それこそ、りんごを農産物としてだけではなく、文化・教育・景観・健康・交流といった、あらゆる側面での象徴とした一大イベントを提案した。それが「アップルフェア」である。
 市内の小学生を対象にした「りんごの絵と習字のコンクール」、全国から公募した「りんご童話コンクール」、そしてその入選作を集めた本の出版、全国の100歳を迎えた高齢者に弘前の子どもたちがりんごを届ける「りんご子ども大使」、リンゴ料理とシードルだけで楽しむ「アップルパーティー」、りんごに関するクイズを集めた「アップルウルトラクイズ」等々、等々、数え切れない事業を企画し実施した。その中で、現在もなお続いているのが「アップルマラソン」と「全国りんご追分」である。
 そのアルバムを創る時に僕が考えたコピーがこれだ。
 「アダムとイヴの林檎から人類の歴史は始まり
  ウィリアムテルの林檎から民主主義が芽生え
  ニュートンの林檎は近代科学を産んだ
  そして今、一つの林檎が弘前の未来を拓く・・・」
 もう30年も前の話なので、細かな点は記憶が出鱈目かもしれないが、まぁ、こんなことを書いたのだ。その時の感覚が、今日の主催者やらキュレーターの挨拶を聞いて甦った。
 キュレーターはこうも言った。「想像力は無限大である」
 あるいは、昨日の商工会議所青年部の会合では、新会長が「若さの特権は根拠のない自信である」と挨拶の中で述べた。
 そうだった。30年前は、僕も、根拠のない自信に満ちあふれ、想像力も、今よりも遙かに持ちあわせていたように思う。時の経過を感じる。今あるのは妄想力だけだ。
 今日は、内覧会に訪れた人の波に押されて、じっくり作品を鑑賞することができなかった。改めて足を運んで、一つ一つゆっくりと味わってみたい。
 何せ65歳だ。観覧料は免除される。歳をとっていいことはそれくらいかなぁ。(11456)
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