e39e3319.jpg「ああ、赤福食べたいなあ」と思ってる奴は、オマエだけじゃないと思うぞ。寿命すり減らさないで、美味いものだけ食おうったって、そうはいかねえよ。(中村主水風)勢い余って「とってもECOでええじゃないか! 赤福リスペクト運動」を開始したので、是非参加せよ!メタボリッカー達よ。
 突然だが、わしが一番思い出に残るAV女優といえば、やはり小暮千絵を挙げざるをえない。あれは宇宙企画の興隆期、あの頃の熱気といえば、秋元ともみ、小森愛、かわいさとみ、なんて名まえを聞くと、当時の熱さを思い出す人もいるかもしれない。その中で現れた小暮千絵は、AVブームのさきがけに現れたロリータ系アイドルの元祖的存在であった。ちなみに生年は1971年で、サバ読みが無ければ、私と同い年である。
 当時の愛読書「でらベッピン」とその薄れかけた記憶だけで書いているので、間違いがあればご容赦いただきたいのだが、何と言っても彼女の強烈なのは、その芸名の由来である。
 写真だけ見ると、ふつうの庶民派おねいちゃんなのだが、彼女は「わたしはバカだから、名前は「おくれ ちえ」にしてください」と言ったというのだ。もちろん差別語「知恵遅れ」の逆読みである。
 だいたい差別語というものを、自称で使うことのできる人間というのは、差別や心の痛みに敏感なのだ。ちょっと脱線するが、前にも書いたように、昔、身体障害者の就職試験を受けにいったとき、受験者同士の雑談はお互い差別用語のオンパレードだったのだが、心の温もりを感じこそすれ、情けない差別意識なんか微塵も感じさせなかったものだ。閑話休題。
 そして事務所が、さすがにその名まえはマズイでしょ、ということで、「こぐれ ちえ」になったのである。80年代終わりにして既にグランジ(死語か?)の香りさえ感じさせる出自であった。
 さらに彼女の実家は、たしかクリーニング屋で、ビデオでも堂々と両親が画面に出てたような、そんな記事があった記憶がある。親にバレて引退するAV女優が当時多かった(業界用語で『親バレ』ってやつですな)なか、小暮千絵は、実に両親の理解も得て正々堂々と働くAV女優だったのだ。職業に貴賎は無いとはよくいったもので、このご両親の高い見識と良心には敬服する。
 実はこの両親のエピソードには裏話があって、デビュー当時のアダルトビデオの監督が、あまりに享楽的に夜の街で遊び呆ける小暮千絵(芸名の由来からして、自暴自棄的性格だった可能性はある。)をみて、しつけから何から教育して人間的に叩き直した、という話なのだ。まったくエロビデオの監督に成長させてもらうというのも逆説的ではあるが、むしろ社会人失格なわしからすると、教訓めいて聞こえる話ではある。
 そしてそんな小暮千絵のビデオの内容は、というと、それが全く記憶に無いのである。というより、おそらく1本も見ていないと思う。ただ高校生だったわしは、雑誌のグラビアで微笑む「こぐれ ちえ」だけは記憶している。そしてその微笑が、何かずいぶん遠くを見ているような気がしたものだ。