これは大学に入ってから考え続けてきたテーマです。
出席をあまりに重視する大学の姿勢(うちの大学のことしか知らないので、他の大学も似たようなものだと仮定します)は、百害あってほぼ利は無いんじゃないか、と僕は考えています。
うちの大学では4/5以上の講義に出席していなければ、試験を受ける権利を剥奪され、またこれはこの学部特有のことであると思いますが、それがどんなに医学に関係ない講義であろうと、一単位でも落とせば留年は(ほぼ)免れ得ません。
教える側の教員の感情を排除して考えた上で、この制度に益はあるのか。
うちの大学の規定に、「講義を1/5以上欠席した者には試験を受ける資格を与えない。」という文言がありますが、実際、出席を管理しているのは大学の教務係ではなく、それぞれの講義の担当教官です。
担当教官が試験さえ通れるなら出席はしなくていい、というスタンスであれば、その講義は出席は無い、もしくは代返を黙認しますが、担当教員が出席を重要視する人である場合、全ての講義で出席を取り、その方法にも不正をできる限り排除するものを採用します。(例えば、一人ひとり立たせて返事させる、出席カードを一人一人確認しながら配る、など)
「一体なんで、このお偉い人達は必死で、時間をたくさん使って出席を取ってるんだろう…」
と思ってましたが、バイトをするとその答えらしきものは自ずと見つかりました。
不真面目(に見える)学生に対する怒りなんでしょうね。
集団授業を受け持っていてわかったことですが、『授業中に寝ている生徒、そもそも授業をサボる生徒』がいると、これはやはり話している身としては腹が立ちます。
でも、ここで頭ごなしに叱ってしまっては、僕もお偉いさん達と同じになってしまうので、その瞬間に叱る、ということは避けています。
僕は授業で「俺が出した問題を、正解することはもちろん、正解の理由、さらには不正解の選択肢が何故不正解なのか説明できるのであれば寝てもらっても、携帯いじっててもらっても結構」と公言してます。
「ただし、自己責任で。」、と必ず添えますが。
結局、大学生は自分の力量、向き不向きをきちんと理解し、講義に出席するか、しないかは個々の判断に任せられるべき、出席を強制することは間違っている、というのが僕の意見です。
僕の場合は、講義を聴くより、レジュメや教科書を一人で黙々と読んでいる方が理解度、定着度ともに高いので、講義に出る時間は無駄にしか感じません。
さらに、臨床系の講義はともかく、基礎医学系では理解より暗記を求める教科が多いことを考えてもらいたい。
理解がほとんど必要ない、用語の羅列が載っているプリントをただただ90分間読み上げる授業に出席する意味は多くの人にとってないと思います。
同じ90分なら自分でプリントを見て暗記するほうが遥かに有益な時間の使い方に思えるのですが。
もちろん、それでも「私は講義が有益だと思うし、出たい」という人を否定する気は一切なく、僕が欲しいのは欠席する自由。
座学以外(実習、実験系)の授業で出席を単位認定の条件とすることは理に適っていると思うので、上記の意見からは除きます。
僕が思う出席、および出席点のadvantages
・講義室が学生で埋まっていると教員が気持ちいい
・真面目(一見)が報われやすい
僕が思う出席、および出席点のdisadvantages
・時間がかかる
・講義内容を十分理解している生徒が落ちる可能性
・出席点が10%、20%と多めにつく教科の場合、学生の試験対策意欲の低下につながる
次に教授と飲むことがあれば、出席点の廃止を訴えたいと思っているので、反論とか、強力なサポート意見とかあれば教えてもらいたいです。
コメント
コメント一覧 (25)
人それぞれ無駄があるのは当然で、
それをこなす能力も必要なものかもしれません。
特別な職業だから、あらゆる甘さはふるいにかけられて当然なのでは。
どんなに知識や技術があっても治せない病気や状況だらけの中で、
医師という職業が、学習能力とそれによって得た知識と技術だけで成り立つ訳がないです。
謙虚な姿勢も重要なものだと思います。
医学部についてに限定しますね。
確かにあらゆる甘さはふるいにかけられるべきかもしれません。
僕は、そのふるいのかけ方に納得がいっていません。
例えば、試験をやたらめったら難しくすれば、「授業は真面目に出ているから」と日頃の学習を怠っている人間は排除できますし、「遊びたいから」講義をサボっている、自学する能力がない人間もしっかりと落とせます。
甘さの根絶を目指すのであれば、出席を厳しくするのではなく、試験それ自体を難しくするのが合理的かな、と僕は思います。
また、医師に求められているものは、学習能力、知識、技術だけではないということには全く同意です。
謙虚な姿勢は医師に限らず、上を目指していく人間には必要だとも思います。
しかし、これは出席を強制されて身に着くものなのか、というと疑問が残ります。
謙虚さは、圧倒的な力、自分なんか及びもつかないような人間の存在を目にしてしか身に着かないんじゃないでしょうか。
極端に言えば、勉強ができる引きこもりは医師に適当な人材ではないからです。
じゃあ出席基準を定めよう→どの程度にしようか→4/5にしようみたいな単純な話ではないんでしょうかね。
どこに線引けば満足ですか?
線引きはとにかく不要で引きこもりもOKですか?
教官さえ緩ければ満足ですか?
出席についての基準、成績についての基準、それぞれ満たしている普通に優秀な人の方が、成績だけずば抜けている人よりも使い勝手が良さそうだと感じます。
謙虚さとは、人に対してどうとかいう問題ではなく、自分をどう捉えるかということで、
人に厳しくされて身に付くものではないのと同様に、甘くされても身に付くものではありません。その点は無関係だと思います。
出席を評価するのが下らなかろうが何だろうが、それが試験みたいなものです。
自分が試験に合格できなかったことを制度のせいにする態度は尊敬に値しません。
すごい人だなーと思って見てたから、
私的には少し残念でコメントしてしまいました。
不快にさせていたらすみません。
でも、気分を害してやろうとか思ってる訳ではなくて、親しい人間がそう言ってたら、同じこと言います。
少し誤解なさっている点があるので、補足させていただきますね。
>自分が試験に合格できなかった…
という部分ですが、冒頭に「大学に入ってから考え続けてきた」とあるように、僕が留年したのでこの話を出しているわけではないんです。
というか、僕自身留年をポジティブに捉えてますし、将来の目標に向かって前進する大きな一歩を踏み出す機会になった、と思ってます。
僕自身の状況と、この話は切り離して考えてもらえるとありがたいです。
今回も、医学部に限定して意見を言うことになりますが、医師の適性は面接である程度判断されています。(適性というよりか、こいつは絶対ダメだ、と思われる人間だけ弾く、という方法ですが)
この意味で、一般に言う真性の引きこもりになる素地を持った人間が医学部に入るのは難しいです。
さらに、もし入ったとしても、本文で述べたように、僕は医学部の実習では「出席点はあっても良い、というかあるべき」と考えているので、この2点を鑑みると引きこもりは進級できませんよね。
したがって、出席点廃止の有無と、引きこもりが医者になれるかどうかには相関は無いと考えます。
僕が特に主張したいポイントは出席点の部分的廃止が医者になる「最低ライン」の人間に与える影響ではなく、「上のレベルにいる」人間への弊害である、ということです。
推測にすぎないのですが(外れてたらほっといてください笑)、ゆうさんは日本の医者の最低レベルが上がるほうがヒーローみたいな(メディア露出が多いとかそういう意味では無いです)医者を増やすより重要だと考えておられるのではないかと思います。
僕はどちらかというと、日本に必要なのは今以上に多くのヒーローみたいな医者で、そういう人達が結果的には医療のレベルを底上げするのではないか、と思ってます。
まず下のラインを上げたいゆうさんとまず上のラインを上げたい僕とで意見が衝突しているんじゃないでしょうか。
最後に、僕は意見を言って、それにゆうさんが反論してくださっているだけなので不快に思うなんてとんでもないです!
人と対話することで自分の意見を修正することもできますし、ありがたいですよ。
スマートフォンでは全文表示しながらの入力ができないので諦めます。
今や私の心の中は、矛盾をつき、正しさを主張したい欲でいっぱいで、あまり有意義ではなくなってしまいました(笑)
最終的な私の意見をまとめると、
一般常識的には出席くらい普通にして当然で、それが通常は能力ある人間の躍進の大きな妨げにはならない というのと、
無駄と有益の判断基準を自分の中に強く持ち過ぎない方が良いという、2点です。
お相手していただいてありがとうございました。
勉強の息抜きがてら(笑)
僕も20代会社員で営業をしていたとき、Kさんと同じ疑問を持ってました。
気持ち、すごく分かります。
学生を教育する費用が国からも補填されているからではないでしょうか?仮に学生が6年間の費用をすべて自己負担しているのであれば、進級しようが留年しようが退学しようが、学生都合でいいと思いますが、援助を受けているとあれば、そうはいかないのと違いますかね?
スマートフォンだったんですね笑
それはご不便をおかけしました。
同時にありがとうございます。
僕の意見も全然まとまっておらず、とりあえず「出席あんま意味ないでしょ!」というスタンスから理由を後付けで加えた感じなので、もうちょっと矛盾点やら、弱い部分を補強して教授に挑もうと思います。笑
ゆんさんの意見は正しいと思います。
もう、これは100人いたら99人がゆんさんの意見を支持するであろうこともわかります。(僕の母親なんか、僕がこんなこと言ってるの知ったら絶対ブチ切れますから)
(こっからは反論ではなく、あくまで一個人の考えです)
僕はとにかく、理由もなくそういうルールだから従え、といわれるのが嫌いでして、またルールに従えないから不真面目、人間性に劣る、と判断されるのには納得がいかないんです。
普通という言葉は疑ってかかるべきだと思うんです。
一番原点に戻れば、授業に出ずに勉強したほうが効率が良い人がいるとして、僕はその人に「お前にとって効率がいいとかは関係ない。ルールだから授業に出ろ。」とは言わないほうがいいと思う、というそれだけのことですね。笑
こちらこそありがとうございました!
楽しかったです!
こんにちは!
教育費が国から出ているので学生はお偉いさんの言うことにはある程度従わなくてはなりませんね。
勉強させてもらっている立場であるということはわかります。
出席に関するルールがあって、大学生は否応なしにそれに従わなくてはならないわけですが、このルール自体の意義がいまいちよくわからない、という状況です。
医学部限定の話になってしまいましたが、本当は大学一般の範囲で考えたい話で(医学部はちょっと特殊なので)、大学生にもなって国が学生の出席を血眼になって見張る、というのがナンセンスなような気がするんです。
というのも、出席を確認するのは主に「大学が退学者を減らすため」であるわけですが、意欲がないから全く授業に来ない、それで勉強もできないという最下層を助けるための、というルールを作って、授業に来ないが意欲があり試験はしっかり突破する人間の足を引っ張るのはトータルで見てどうなのか、と思うからです。
出席点という謎の加点制度が無くなったほうが(座学に限定しますが)、学生の意欲というか危機感も引き出せると思うんですけどね…
分かりますよ~!Kさんには、どマイナスですね!(笑)
僕もKさんと同じタイプでした。営業で数字はあげているのに、毎朝会社行って、ダラダラ打ち合わせして。「なんで、やる気のないお前らに合わせなきゃいけないんだよ」と常々思っていました。運営側からみて、個別ルールが面倒なのではないかと思います。
講義への出席を強制するのは正しい、というのが俺の意見です。
というか講義に出席して"教官の授業を聴く〔+ある程度の板書をする〕ことで理解が高まる"と思います。
ここでは一般の話をするので特殊な方〔◯我さん、島本啓輔さんのような0から独学で医学部に合格した人〕について除いていいのですよね。。
出席して授業を視聴するのは、非常に良い。なぜなら教官がある程度の絶対暗記すべきことしゃべってくれるから。ここで聴覚から情報が入ることになる。教官の人たちの声質はそれぞれ違いますよね。これはまだ現代の科学〔?〕で証明されてないだけで、音声は我々の脳に働きかけ記憶しやすくしてくれると思います。
また、授業でしゃべってくれたことで、学ぶべきことの"""大枠"""をつかめるじゃないですか。その大枠をつかんでから、板書とかさらには教科書の該当箇所を読んでさらに反復する。そしてその他の授業では扱わなかったところも教科書を読む。
これが完全に独学だと、何が大枠なのか特に重要なのか、が分かりづらい。
たしかに、例えば大学入試までなら市販の参考書も充実しててほんとの基礎から固められるが。医学部の勉強ではどうなのでしょう。。
◯我さんは免許持ってますよね?
だからご存知でしょうが、車校で授業ありますよね。あの授業はよかったですよ。なぜなら繰り返しになりますが、大枠を掴ませてくれるから。このように虫食いのように大枠を掴んでから細かいとか他を覚えていくというのは、とても役に立つと思います。
この言葉初めて知りましたよ。最近◯我さんが使ってたので気にはなってましたが。というかここのコメント欄では穏やかに議論が行われていていいですね。
確かに教え方がゴミみたいな教官もいるでしょうが、どこの大学には多少はいるでしょう。全員が優秀な教官という大学はないですから。
出席強制がいいと思う2つ目の理由はですね。
そのルールがあることで授業に出る人が出席することを正当化できると思うんですよ。出席強制が廃止されたとしたらどうなるのでしょう。授業に出る人は結構減るのではないでしょうか。
バイトとかをやるにしても、授業以外の空いてる時間にバイトの時間入れようとかになると思いますし。
なんかそういう強制されたルール、つまり"外圧"があるおかげで人間は頑張れると思います〔もちろん上位の人たちも〕
明日の朝は授業あるからはよ起きようとかなるし。"授業があることで生活のリズムができますよね"
人間は一人では生きていけませんよ。外部の縛りがあることは知らず知らずのうちに役立ってますよ。
なんか、小学校の遠足でのおやつが500円以内とかいうふうに制限されてた、理由と似てると思います。もし金額が無制限だったら金持ちの子はかなり金額のおやつをもっていける。そうでない子はそんなにもっていけない。そうするとその子は金持ちの子からいじめられるかもしれない。小学時代は貧富の差をあえて表面化させないためというか。大学では出席を強制することで出席することを正当化できる。分かりづらい例でしょうが笑
上位の層の人たちも周りのみんなが一緒に授業を受けてるから頑張れるというかそういうのは多少はあると思いますね。受験は団体戦という言葉はご存知でしょう。。。
出席が強制されていてもそのルールを
破るやからどこの世界にもいますよね。でもそれから学べる、教科書だけでは学べないというか得られないものも、得られますよ。例えば友達の代返をする、こういうことからも人間関係は生まれるのではないのでしょうか?
互いに助け合うとか。
話が多少ズレかもしれませんが、友達の家に集まって酒を飲むとします。時間が酒がすすんだ友達がつぶれました。その友達は訳あってその日じゅうには家に帰らないといけないとします。で、その友達を介抱して家までおんぶなり、車で送っていく。こんな感じで友達とか同期やらと"時間を共有"して思い出を作るというのは年取ってからの思い出話になるのではないでしょうか。
話といえば、授業に出席すれば"""友達"""と共通の話題もできますよね。授業中に"""思わぬ""事件やら面白い話があれば共に笑いあったりできますよね。1人で独学してれば思わぬことなんて起こるのかな。1人でいて。こういうことは人格形成など"""総合的な人間力"""を養うのに役立つのではないでしょうか。医学部というか大学全般にもいえますけどね、大学は勉強をするためだけの場所では無いと思うんですよ。部活をしたり一緒に昼飯食ったり、ある意味の社会の縮図を学べるというかね。
あくまで自分の力量と相談した上での欠席の自由ですからね
部活をすることでかけがえのない仲間を得られるしそれがのちに自分の人脈にもなるんじゃないんですかね。ぶで運動することは脳の血流をよくするし勉強の面においてもいい効果あるし。
というわけで久しぶりにコメントしました。前にだいぶ質問したあとの記事が、「質問は最終手段であり、質問することは降伏を意味する」的な内容だったので控えてました。
てか子供いるんでしょ?やり手ですね。
確かに自分で考えないことには前には進みませんもんね。◯我さんって医学部入るのに全然金かかってないからすごいですよね。高校入試までの塾の費用もかかってないんでしょうし。
しかしですね、
わならないことがあります。
独学で医学部合格したけど質問ある?のまとめサイト板にあった、
1日25時間体制だったというのがいまいちよくわからないっすね。
就寝時間と""起床時間""をどのようにしていくのかが。
初日19時に寝たらつぎは20時に寝、その次は21時寝
と書いてましたが、この場合の起床時間と、21時に寝たその次の日は19時に寝るのですか?それとも22時に寝るのですか?どうなるのでしょう
出席を重視するのって医学部あるあるなのでしょうか?文学部時代は出欠に関してゆるゆるで、教授が「君たち授業なんて出てるけど自分の勉強しなくていいの〜?」とのたもうたこともありましたが、、(笑)。
出産に伴う欠席を一切配慮せず、休めば規定通り試験の受験資格がなくなると言った教授の授業が後期始まるので、ちょっと憂鬱です。
ご意見ありがとうございます。
ただ、一般から除かないでくださいw
僕は、僕自身がそうであるように「聴く」より、「見て」憶える方が効率が良いタイプの人間は一定数いると思っています、というかいます。
これは頭の良し悪しではなく、単純にサッカーに向いているか、野球に向いているか、みたいなのと同じレベルで、ただの向き不向きだと思うんです。
確かに脳科学的には、一つの物事を暗記するのには視覚だけでなく、他の感覚を使った方が効率が良い、とされていますが、これにも例外は多数いると思います。
そういった意味で、その人の向き、不向きに合わせて、勉強するスタイルを選ぶ自由はあってもいい、というかないといけない、と思うのが一つです。
憶えておくべき知識の大枠についてですが、これは授業プリントがあり(この辺りはまだ大学に入っておられなければ知らないのは当然です)、そこに暗記すべきものは載っていることが多いため、音声形式で学生に伝える必要はないと考えています。
車校の比喩は面白いですね。
確かに、車校での授業は必須だと思います。
ですが、それは授業という形式が必須なわけではなく、教科書の方に不備があるからです。
僕がいった車校では授業はただ、マーカーを引かせる⇒「ここはテストにでるから覚えて」、という手順の繰り返しでした。
工場か何かかと思いましたよ。
僕が利益など一切無視で、免許を最短でとらせる車校をつくるとしたら、まず最初にやることは重要な部分を強調してある教科書の作成に取り掛かると思います。
その上で、自分で読んで暗記する方が得意な生徒には座学は課さず、自分で行けそうだな、と思った段階で試験を受けられるようにします。
聴覚記憶の方が得意な生徒には授業を受ける選択肢をもちろん用意します。
この状況で、何が起こるかといえば、視覚優位の生徒は大幅に試験までの時間を短縮できる。
向いていない学習方法に視覚優位の人間だけが合わせないといけないのは、なんとも不公平な話だと思うんです。
教師の質に関しては様々ですね。
ただ、僕は講師の質に関わらず、一貫して講義に出ない自由が欲しいのです。
これに関しての理由は「講師がプリントを読むスピードより、自分で黙読した方が数倍速いから」というものと、「講師の質がどうであれ、誰かの説明を聴く、ということは調べる過程、ひいては考える過程を学生に飛び越えさせることが多いから」です。
生徒のことを長い目で一番よく考えている教師というのは、授業の最初に課題をだし、「各々の方法で解いてこい」という教師じゃないかと僕は思います。
外圧についてですが、これが"大学ですら"とタイトルした理由です。
現状は違いますが、大学はそもそも中高とは違い、目的をもっていくべき場所であって、誰しもが学びたい学問を学ぶ意欲をもって入学すべき場所です。
"外圧"をかけないと動かない人間はそもそも大学に入るべきではないと思います。
出席しない、という選択はある意味相当勇気のいるものですので、自分から自分に圧をかけるという意味でも、"外"圧よりこちらのほうがすぐれていると僕は思います。
コミュニケーション、対人関係の視点から出席の是非について考えるのは面白いですね。
僕にはない視点でした。
これは確かにそうかもしれません。
僕は医学部なので実習やら実験やらで人と接する機会はどう足掻いてもあるので問題にしていませんでしたが、大学一般で考えると、授業に全く来ず、試験だけ出て卒業することが可能になるということは、大学の一つの醍醐味を失うことを意味しますね。
でも、それ(とにかく学びたい学問を学ぶ道しるべだけ与えられて、それを学んで、人と接することなく卒業すること)がその人の目的であるならば、それは批判できないとは思いますが。
久しぶりのコメントありがとうございました。
非常に有益な意見でした。
1日25時間体制だった、というのは、地球の自転で1日を定義してしまうのは受験中は僕にとって不都合だったので、1日を25時間で考えていた、ということです。
普通は、24時間で行動するので、一日のスケジュールは合計24時間になるように組みます。(めちゃくちゃなスケジュールですが勉強15時間、雑務1時間、睡眠8時間とか)
僕は、この枠組みだと一日にしたい勉強の量をこなせなかったので、1日を25時間と考えてスケジュールが合計25時間になるようにしていた、ということです。
人間が使う時計(こんな言い方すると魔界から来たモノっぽいですがw)は24時間ベースで作られているので、当然1時間毎日ズレます。
一日(ここでは僕の定義で25時間)の睡眠時間を6時間とすると、ある日22時に寝たとすれば起きるのは4時。
その日はそこから25時間あるので、23時に寝て5時に起きる。
次の日は24時に寝て6時起床、ということですね。
やっといてなんですが、これ滅茶苦茶な時間の使い方なのでやらない方がいいと思いますよw
ありがとうございます。
ちえりんさんの大学の出席確認はカードスキャナなんですね!
うちの大学なんて大体手書きですよ、手書き!
こんなところにも偏差値の差が…笑
大学ともなれば出席しない自由を認めても良いと思うんですが、先生の「俺が大学時代苦しんだんやからお前らも苦しめ!」、「僕の気分が害されるから授業出てね」みたいな魂胆が丸見えでうんざりします。
多分、医学部あるあるですね。
外部からの「医師を志す人間は真面目(僕はここでいう真面目は必要ないと思ってますが)であるべき」という圧力も関係してるんじゃないでしょうか。
文部科学省が定める「2/3以上出席」ルールをさらに厳しくしてる大学も多い気がします。
出産に伴う欠席もカウントされるんですか?!
それはもう、人としてなんか間違ってません?その教授。
東大も一緒ですよ。
出席規定は文科省が定めているので。
もちろん、理解のある教授は東大の方が多いと思いますけどね。
それがあって、出席が比較的緩いんでしょう。(知りませんけどw)
すいません!見落としてました…
講義よりレジュメだけもらって、家で勉強したほうが効率が良い人にとっては、講義を強要されるのはストレスです。
やる気のない人間と無理やり同じ箱にいれられるのも辛いものがありますよね。
欠席禁止にすると、ただ出席することだけを目的に生徒が出てくるので、教室の空気もゆるみまくってますし、意味あるのか疑問です。
試験で〇点以上なら講義欠席可能回数加算する制度とかあれば面白いんですけど笑
俺は授業には出席したい派ですね。
自学の方が効率いいですけど、友達と喋ったり助け合ったり馬鹿やってるのが楽しいので。自学したければ内職すればいいですし。あと朝起きるのも大変ですが気に入ってます。
Kさんも出席すれば周りも感化されて面白いと思います。同じ大学にいたら勉強とか色々教えてもらいたいです。才能は共有すると集団の価値が上がると思います。
偏差値が高い大学は出席とらない傾向にありますね。
そういう大学の先生は「授業を聴くより自分でやったほうが効率が良いタイプの生徒」が一定数いることをきちんと認めている、ということだと思います。
人間関係面では、出席したほうが圧倒的にメリットありますね。
それを強制すべきか、という点を考えると、人間関係を豊かにしたい人は出ればいいし、ほかにやりたいことがあるならでない、という選択肢を用意してもよいとは思いますが、講義が人間関係を円滑にしているという点は否定できません。
授業に出ても、僕に人を感化するほどのオーラみたいなのはないですw
試験勉強は友人のをよく手伝いますが、これも友達の理解のプロセスを省かせてしまっているので、どちらかというと結局怠けさせているんですよね。
才能でもなんでもないですが(ただ自分で調べて考えて理解しているだけなので)、いや、才能じゃないからこそ共有があまり望ましくないかもしれません。