水俣病が公式確認された2年後の1958年、水俣市周辺では多くの公害患者が発生していた。原因企業チッソはメチル水銀を含んだ排水の希釈効果が期待し、水俣湾よりずっと広い不知火海へと排水口を変えた。貝や魚の食物連鎖で、毒は人間の体に入る頃には数十万倍の濃さまで濃縮し、患者は爆発的に増えた。
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返信先: さん
多くの不知火海周辺漁民が原因企業チッソ(現JNC)を訴えた。この事態を受けて通産省は、チッソに排水口を元に戻すよう、浄化装置を設置するよう指導。装置設置式で社長は排水を飲んでみせたが、後にそれはただの水であり、装置には水銀を除去する機能はないことがわかった。その後9年間排水は流れる。
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水俣病公式確認から65年、多くの患者が弱り死に、小さな声が消えゆく中で、同じことが繰り返される。患者の坂本フジエは被害者が声をあげるのは権利ではなく義務だと言った。水俣で生まれ彼女に触れ育った私も、権利ではなく義務として、今声をあげる。福島の汚染水はきっと、水俣の排水の二の舞になる
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