夕方になった人のいないスタジオに悠介が一人、コンピュータとキーボードに向かっていた。
今にも倒れんばかりにこけた頬、その背中も何だか頼り投げで、だけど気だけが酷く張り詰めているのが分かった。
「誰?」
きつい声が響いた。
悠介の背中からはやっぱり殺気のようなものさえ感じられた。
「私です。ごめんなさい勝手に入って」
あやかちゃんが言って、悠介は息をつき振り返って僕を見つけ、一瞬動きが止まった。
その瞳の奥から熱い情熱が溢れ、まっすぐに僕へと注がれた。
「零、零、僕は君を守りたくて、だからあのときあんなこと・・・」
懐かしい眼差しがすがりつくように僕を捉える。
僕はゆっくりと彼に近づいて言った。
「僕こそ、悠介のそんな気持ちも知らないで、ごめん。本当にごめん、悠介」
「零」
悠介はそう言うとふっと気を失った。
僕は慌てて彼を支え、近くのソファに寝かせた。
「大丈夫。張り詰めてたものが切れただけだから。すぐに目を覚ますよ」
心配そうなあやかちゃんに僕はそう言って、彼にそっと自分の着てたジャケットをかけた。
「零、どうしてここに?あやかちゃん、あなたが?」
しばらくして、そんな声がして、竜子さんが入ってきた。
「ごめんなさい。竜子さんには止められたけど、どうしても私、堪えられなくて」
竜子さんは優しく頷いて、僕と眠っている悠介を見つめた。
「そう、悠介、やっと楽になれたのね。零、来てくれて良かったわ」
僕はそう言う竜子さんに黙って頷いた。
「悠介ね、脅されてたのよ。ここの事務所に。もし、あやかちゃんと組まないなら、貴方をこの世界にいられないようにするって。悠介は貴方の歌を高くかっていたし、あなたが大切だったからそう言われたらもう何も言えなかったんだと思う。それで、あのとき貴方を傷つけて、自分から遠ざけようとしたのよ。でも、実際に離れてみて、自分がどんなにあなたのことを必要としていたか気がついたんだと思う。それと、あなたに与えた傷の深さを思って耐えられなくなって。本当にここ何ヶ月かの悠介は見てられなかったもの。あんなに、脆く壊れていくなんて、私も思わなかった。勿論、本人はもっと考えてなかったと思うわ。でも、もうあなたが来てくれたから大丈夫だわ。ゆっくり二人で話し合って、お互いの気持ちを確かめた上でこれからのことを考えましょう」
竜子さんはそう言うとスタジオの方を見て、僕を中に入るように促した。
竜子さんはきっと全てが上手く行くように言うけど、僕はまだ、心が迷っていた。
悠介があんなことを言ったのは全て僕を思ってのことだと聞かされたのに、心にナイフのように刺さってるあのときの悠介の言葉から抜け出せない。
悠介が僕と音楽をやっていきたいと思ってくれてることはとても嬉しいことだった。
でも、また、二人で歩き出すことが出来るのだろうか。
そのためにきっと伴ってくるいくつもの苦しみをあいつは耐えて行けるのだろうか。
そんなにまで悠介という人間の人生を、心を縛ってしまう権利が僕にあるのだろうか。
それが友情と言えるのだろうか。
いくつもの不安と答えの出ない疑問に胸が痛む。
「零、良かった、いてくれて。話がしたかったんだ。何だか、でも、零の顔を見た途端にプツって心の中で何か切れちゃったみたいでさ」
悠介の周りを包む空気が優しくなっていた。
昔、よく話し合ってたときのあの悠介の懐かしい表情だった。
僕はホッとして、来て良かったと思った。
「二人で少し話させてくれるかな」
悠介の言葉に竜子さんが頷いて、あやかちゃんを促して出ていった。
二人が出ていくのを見送りながら、僕は言わなければならない言葉を頭の中整理した。
悠介がこんなに苦しまないで歩ける道を。
そして、僕が悠介だけを求めることなく生きれる道を見つけるための言葉を。
「零、あのときはごめん。僕、君を守りたくて、竜子さんに聞いたと思うけど、あのとき零を守れる方法はあれしかなかったんだ。きついことを言って君を傷つけることしか。でも、いつしか僕の正直な気持ちが入り込んで、君を本当に、傷つけてしまったことに気づいて、僕は苦しくて、何も言い返さなかった零がずっと心に残って消えないんだ。零が僕へ注いでくれていた大切な情熱をこの手で壊してしまったんだよね。もう二度と戻れないほどに。あれからずっと駄目なんだ。曲も上手く行かないし。毎日、僕の気持ちはどんどん暗くなっていく。焦って、気だけ張り詰めて、皆に辛く当たって」
悠介は自分の全てをさらけ出すようにそう言った。
その言葉が僕の胸に染み、僕の傷を癒やしていった。
僕は悠介を見つめ自分もその想いに応えるように全身をかけて言った。
「もう、僕のことで苦しんだりするな。悠介。もう、僕のことでそんなふうに自分を責めることはないよ。悠介の気持ちは痛いほど僕に伝わっている。僕を必死で守ろうとしてくれてたこと。ずっと僕と一緒に歩こうとしてくれてきたこと。全てが僕を優しくしてくれた。だから、もう、これ以上悩んだりしないで。あのとき、悠介に言われた言葉が僕の自分勝手な想いを教えてくれた」
「零」
「本当だったんだ。あのとき、僕は君を縛り、君が他の誰かと心を結ぶのを許せなくなっていた。まるで恋愛にある嫉妬のような気持ちで焦れて、それが他の人から見たら行き過ぎたものに見えたのかもしれない。でも、本当に似たような強い情熱だったんだ。僕は悠介以外の誰かと心を結んだり、全てを見せたり出来ないと思ってたから。本当に心を曝け出して許せるのは君だけだったから。そんな君が僕から離れていかれるのが辛くて、淋しかったんだと思う。それで、君が苦しんでるのも考えないで辛く当たってたんだ」
僕はそう言うとひと息つき、窓から沈んでゆく夕陽を見つめた。
「僕は、僕は、でも、そうなることを受け入れたんだ。零の全てを受け入れて、零の唯一の友人になることを。友情ってそういうもんだとかって偉そうに言ったのに、それなのに僕は」
背中から叫ぶような声が響いた。
「いいんだ、もう。悠介は悪くないよ。友達って、同等な立場でいなきゃいけないんだよ。きっと、悠介の言ってくれた友情は今の僕が君を頼り切ってる一方的なものじゃないんだ。よく分からないけど。悠介が教えてくれたお互いの全てを認めるってことは、お互いの自由も認めるってことで、どっちかが犠牲になったり、どっちかが寄りかかってたりしちゃいけないんだ。お互いの自由と考えを認めて、その上で初めて友達ってものになれるんじゃないんだろうか」
とても胸が痛かった。
傷痕も心も崩れるように痛み疼く。
そう言いながらも僕は、友情という情熱と愛情と言う情熱の間で揺れる心を必死でつかまえようとしていた。
しばらくお互いに何も言い出せないでいた。
夕陽が暗闇を連れてくる。
僕はでも、心を決めて口を開いた。
「悠介、だから悠介は自分を責めたりしないで悠介の道を進むんだ。僕は僕の道を。悠介に頼らないで歩いて行ける道を探して進んで行くから。この世界の中で。悠介が守ってくれたこの世界で歌って行くから」
うつむいていた悠介が顔を上げ、首を激しく横に振った。
「出来ないよ。そんなこと。きっと、零がいなけりゃ出来ないんだ。今だって、こんなに苦しんで苦しんで、それなのにいい曲なんか浮かんできやしない。こんなふうになるなんて、僕、思わなかった。二人でいなきゃ駄目になるのは僕の方だったんだ」
そして、そう言って僕を見つめた。
僕は初めて見るそんな悠介の情熱に心のコントロールを失った。
「何、言ってるの。悠介。じゃあ、僕とやっていける?今の地位もレコード会社や事務所の信頼も捨てて僕と一緒にやっていく?待ってるのは世間の白い目や屈辱的な毎日だよ。僕はもう世間に普通の目で見られていない。醜い傷痕を持ったそれも同性愛者だ。それでも二人の方がいい?僕だけに曲を作ってくれるの?」
聞いてはいけない質問だった。
悠介を一番苦しませる言葉だった。
悠介は僕の瞳を真っ直ぐ見つめ、戸惑い悩んでいる。
僕はすっと視線をそらして言った。
「ごめん。なんか、何言ってるんだろう。こんなとこ聞かれたら、また週刊誌の表紙飾っちゃうよ。悠介、きっと大丈夫だよ。時間をおいて、楽な気持ちでやれば、またいい曲が浮かんで来るよ。僕がいなくても、君なら出来る、そうだろう」
悠介は途方に暮れたようにうつむき、何も答えなかった。
僕は切なくて、苦しかった。
どうしてこんなふうに別れなきゃいけないんだろう。
別に僕たちは悪いことなんてしていない。
ただ、お互いを必要としていて、お互いのことをきっと自分と同じように大切に感じているだけなのに。
「そうだね。そうだよね。出来るよね。零も頑張ってるんだもの。それを支えにして、出来るよね。お互いに違う道へ進んでも」
悠介はうつむいたままそういった。
僕はそんな悠介の肩をグッと抱いた。
僕の人生の中で唯一、僕を理解してくれた優しい友を。
「悠介、今までありがとう。こんな僕を一生懸命守ってくれて。悠介に会えたこと、悠介と過ごしたこの時間は、きっとこれからの僕を支えてくれる。本当にありがとう」
「僕こそ、零と一緒にいた時間は今までの人生の中で一番輝いていたと思う。もう、君のような人には出会えないと思うけど頑張って行くよ」
悠介は僕の腕から離れてそういった。
優しい瞳はまっすぐに僕を見つめていた。
僕はその眼差しに頷いた。
続く。